第二十話 兎と番犬⑤
(……マズいな)
アルルの繰り出す攻撃を捌きつつ、ジャーマンは心の中で顔を顰める。
ジャーマンにとって縦横無尽に振るわれるメイスの一振り一振りが、まともに
当たれば致命傷となり得る必殺の一撃。今の所、なんとか受け流しに成功しては
いるものの、盾で受けた際にほんの僅かでも力を逸らすタイミングを誤れば、そ
のまま盾も鎧も関係なく叩き潰され、無惨な挽肉に変えられることだろう。
受け流したメイスの巻き起こす風が肌を撫でる度に、ジャーマンはそれを強く
確信する。
(やはり……強い!)
実はジャーマンは、最初の一撃に賭けていた。
いかにも重そうなメイスを片手で軽々と持っている事から、ジャーマンはアル
ルが相当な腕力を有し、かつ、それを誇っているのだろうなと予想した。
自らの膂力に自信を持っている魔物というのは、自分の攻撃が避けられるので
はなく、正面から受け止められたり、逸らされたりすると面食らう傾向が強いと
いう事をこれまでの経験から学んでいたジャーマンは、アルルの最初の攻撃を敢
えて避けず、受け流す事を選んだ。そうすることによってアルルの動揺を誘い、
魔力による筋力の強化、装備したマジックアイテムの効果を総動員した、渾身の
一撃を叩き込む為に。
ジャーマンの狙いは見事的中し、受け流しを目の当たりにしたアルルはまんま
と隙を晒してしまった――にも関わらず、アルルはその状態から、ジャーマンが
今放てる最高最速の突きを躱して見せたのだ。
完璧に躱されたわけではなかったものの、己の全身全霊を込めた一太刀の上げ
た成果が体毛数本――ジャーマンが自らの目を疑いかけたのも無理からぬ事だろ
う。
魔力による肉体強化の技術に長け、藍犬騎士団内でも一、二を争う膂力を誇る
シェリーの攻撃も、ハウルドが得意とする多彩な状態異常を齎す魔術も、アルル
には大した意味を持たない。
ロットワイラーとマリアンの攻撃に至っては【防壁】に阻まれ、未だアルルに
当たってすらいない。
(あの半透明の壁は……おそらく【防壁】というやつか)
ジャーマンは【魔弾】同様、いつか話に聞いた事のあったスキルの名前を思い
出しつつ、静かに戦慄する。やはり【魔弾】の時同様、あれ程までに頑丈な壁を
創り出せる【防壁】使いの噂は聞いた憶えがなかったからだ。
騎士団内最高の火力を誇るロットワイラーの攻撃魔術と、分厚い鋼鉄の盾や鎧
ですら容易く貫通するマリアンの矢を受け止めておきながら、ヒビすら入らない
その頑強さに、ジャーマンは驚愕する他なかった。
(今の所使おうとする気配は無いが、報告では雷を操るらしいとも聞いている…
…この魔物、一体いくつスキルを持っている?)
人間という種族の中で、スキルを複数身に付けている人物というのは非常に稀
有な存在である。
スキルというものは生まれた時から身に付いている先天的なものと、特殊な環
境に身を置いた事などが原因で、ある日突然使えるようになる後天的なものが存
在し、【魔弾】や【防壁】などの様に戦闘において非常に重宝するタイプのスキ
ルもあれば、この世界のあらゆる言語、文字を翻訳できるスキル、肉や野菜とい
った食材が腐敗するのを著しく遅らせるスキル、一度見聞きした事を絶対に忘れ
ないスキルなど、日常生活で役立つタイプのスキルもある。
中には、人差し指だけを二、三センチ程伸ばせるスキルや、手の平で生物に触
れると、触れた部分にほんの僅かな痒みを短時間発生させるスキルなど、存在価
値を見出すのが非常に難しいスキルもあるにはあるのだが、そういった余程微妙
な効果のものでもない限り、人間でありながらスキルを一つでも身に付けている
者は、周りから羨ましがられる場合が多い。
有益な効果を持つスキルを二つ以上所持している人間なぞ、そうそうお目に掛
かれるものではなく、勇者や英雄などと呼ばれ、称えられるような超人であって
も、三つ持っていれば多い方である。
しかし、それが魔物――その中でも脅威度六つ星級以上に設定されているよう
な怪物達ともなると、凶悪な効果を持つスキルを三つ以上所持している事などザ
ラだ。
この辺りも、人間がこの世界で劣等種呼ばわりされている理由の一つである。
(あと一つ……いや、二つか三つくらいは隠し持っていると見ておくべきか……)
攻撃を受け流されたアルルが体勢を立て直し、次の攻撃を放つまでの僅かな合
間合間に様々な事を思考していたジャーマンであったが、徐々にその間が短くな
ってきている事に気付く。アルルの体勢を立て直す速度、メイスを振るう速度、
それらが少しずつ上がってきているのだ。
ジャーマンがどれくらいの速さまで対応できるのか興味を持ったアルルが、意
識的に少しずつ速くしているのだが、そんな事知る由も無いジャーマンは、この
戦いの中でアルルが急速に成長しているのだろうと考え、思わず静かに舌を打つ。
「ハァッ!」
「くらえ!」
シェリーの振るうハルバードと、アルルの張った防壁の突破を諦め、壁に射線
を遮られない位置に移動したマリマンの射った矢が、ほぼ同時にアルルに襲いか
かる。だが、アルルのその柔そうな見た目からは想像もできない程の強度を持っ
た体毛に弾かれ、些細な痛痒すらも与える事は叶わない。
「《子守唄》!」
「《炎槍》!」
ハウルドがまた新たな魔術を放ち、僅かに遅れてマリアン同様、防壁に邪魔さ
れずに攻撃できる位置に移動していたロットワイラーが、アルルに向けて炎の魔
術を飛ばす。しかし、それは新たに発生した防壁によって先程までと同じ様に防
がれる。張りっぱなしにされていた最初の防壁は、いつの間にか消えて無くなっ
ていた。
防壁に阻まれなかったハウルドの魔術も、やはり効果を発揮してはいない様だ。
「これも通じない、か」
「くっそ! またかよ! つか、なんでこっちをチラリとも見てないのに、完璧
に防げんだよ!?」
ロットワイラーの苛立ちを多分に含む怒声を意にも介さず、アルルはメイスを
振り上げる。そのつぶらな瞳でジャーマンをロックオンしつつ、メイスを振り抜
こうとした――その時。
「ハァアアアアアッッ!」
気勢の込もった叫びと共に跳躍したシェリーが、アルルの脳天にハルバードを
振り下ろす。
「【剛力】!!」
それは一日に一回のみ発動できる、シェリーの切り札たるスキル。
発動後、ほんの数秒の間ではあるものの、自らの全身の筋力を数倍に増幅させ
る事ができ、反動や副作用は特に無いという恐るべきスキルである。
発動の際に多少の魔力を消費するものの、単なる魔力による肉体強化を遥かに
上回る効率で自身を強化できる。
ただし、このスキルを発動させた状態で、堅牢な外殻や表皮を持つ敵を攻撃し
た際にかかる武器への負担は相当なものであり、並の耐久力の武器ではまず間違
いなく、修繕不可能な程に破損してしまう。シェリーが自らの主武器であるハル
バードに耐久力を向上させる魔術を複数付与しているのは、それを防ぐ為である。
一日に一回しか発動できず、効果の持続時間も短いが故に、使い所を慎重に見
極めばならないスキルではあるが、先程からアルルが自分の攻撃を避けようとす
る素振りを一切見せない事から、ほぼ間違いなく次も攻撃を当てられるだろうと
判断したシェリーは、この切り札を切ることを決意した。
シェリーの読みは当たり、必殺の意志を込めた渾身の一閃は、アルルの脳天に
見事直撃する。
硬い物同士が激しくぶつかり合う衝突音が響き、その直後――ハルバードの刃
が粉々に砕け散る。直撃を受けたアルルの頭頂付近からは、切断された体毛が何
本か舞い上がったものの、それだけだった。
皮膚やその奥の肉は無傷であり、寧ろその驚異的な堅さとのぶつかり合いに、
ハルバードの方が耐えられなかった様だ。
シェリー自身を含めた、藍犬騎士団の面々は瞠目する。
【剛力】を発動させた際のシェリーの瞬間的な膂力の凄まじさは、間違いなく
藍犬騎士団一。かつてミノタウロスを一太刀で両断し、五年前のバジリスク討伐
戦の際も、その八肢の内の一本を斬り飛ばしてみせた一撃をまともに受けておき
ながら、傷らしい傷の一つも負わないアルルの防御力は、彼ら彼女らにとって出
鱈目過ぎたのだ。
一瞬ではあるものの、思わず呼吸すら忘れる程の驚愕に支配されるシェリー。
それは今この状況において、余りのも致命的な一瞬だ。
唸りを上げるメイスが自らに迫っている事にシェリーが気付いた時には、何も
かもが遅かった。
残ったハルバードの柄で受ける事も、魔力で防御力を上げる事も間に合わなか
ったシェリーの胸部に、強烈な一撃が叩き込まれる。
「ごふッッ!」
シェリーの全身を今までに経験した事のない様な衝撃が襲い、体内からメキメ
キィ! という、骨の上げる悲鳴が響く。
血を吐き出しながら、先程の倍近い距離を吹き飛んだシェリーは、受け身も取
れないまま地面に激突する。そして、そのまま地面をゴロゴロと転がった後、よ
うやく仰向けの体勢になって止まった。
シェリーを除く、この場にいる藍犬騎士団に所属する者、全員の表情が凍り付
く。
「……今のはちょっち痛かったぞ」
静かに呟くアルルの声色に怒りの色は無い。寧ろ、僅かな感嘆さえ感じさせる。
「でもまぁ、どうやら今のが切り札っぽいし、お前に関してはもう見るべき所は
無さそうだな」
ピクリとも動かないシェリーに向かって淡々と語りかけるアルルの言葉は、ジ
ャーマン達の耳には殆ど入らない。そんな事に気を取られている場合ではないか
らだ。
「パッカードッッ!!」
「「「シェリー!!」」」
最もシェリーに近い位置にいたマリアンが弾かれた様に走り出すのを見たアル
ルは、仲間を救うべく走るその無防備な背中目掛け、再び指弾を弾く様な形で魔
弾を飛ばす。
先程、ジャーマン達を脅す際に放ったそれと比べると小さく、込められた魔力
もだいぶ少ないが、無防備な状態でまともにくらってしまえば、大ダメージは必
至だろう。
疾風の如き速度でマリアンに迫る魔弾――ではあったが、突如その射線上に、
盾を持った一人の騎士が割り込む。マリマンを守るべく、傍に付いていた重装兵
の片割れだ。
構えた盾で魔弾を受けた重装兵は、いとも容易く吹き飛ばされてしまうものの、
なんとかマリマンの背中を守る事には成功した。
「オォオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」
「《火矢》!」
「《石散弾》!」
攻撃が阻まれた事を特に悔しがる様子もなく、淡々とマリマンに追撃を加えよ
うとしていたアルルに対し、ジャーマンは再び雄叫びを上げつつ斬りかかり、ハ
ウルドとロットワイラーは魔術を放つ。ハウルドはとうとう状態異常を与えるこ
とを諦め、大地属性の攻撃魔術を。ロットワイラーは相変わらず、自身が最も得
意とする火炎属性の攻撃魔術を選択している。
今回は【防壁】を発動させず、後方に跳び退くことでそれらを回避するアルル。
アルルが避けた事で、目標を失った二つの攻撃魔術はジャーマンに襲いかかる
――かに見えたが、そんな事は全くなく。炎の矢も石の散弾も、上手い具合にジ
ャーマンを避け、それぞれその先に在った家屋の壁などに着弾する。
ハウルドもロットワイラーも怒りに燃えているとはいえ、誤って味方に攻撃を
当ててしまう程間抜けではないし、未熟でもないのだ。
「貴様の相手は我々だ!!」
「余所見とは感心せんな!」
「うちの団の華を纏めて手折ろうってか? 調子に乗んなよ、この毛玉が!」
ジャーマン達がアルルの気を引きつけている隙に無事シェリーの元へと辿り着
いたマリマンは、未だ動き出す様子のない仲間の手を素早く握ると、装備してい
る指輪型のマジックアイテムの力を起動させる。
「《治癒》!」
シェリーの体から緑色の仄かな光が放たれる。三、四秒程して光が収まるのと
同時にシェリーの顔に耳を近づけたマリアンは、小さく安堵の息を漏らす。
シェリーは弱々しくはあるものの、間違いなく呼吸をしている。どうやら即死
は免れていた様だ。
もっとも、それは本来ならば《治癒》がシェリーに対してキチンと発動した時
点で確信できる事だ。なぜかと言うと、そもそも治癒系の魔術は死体にはその効
果を発揮しない。なので、もし仮にシェリーが即死していたなら、マリアンの《
治癒》は不発に終わっていた。
これはこの世界では割と常識であり、もちろんマリアンもその事は知っている。
それでもやはり、自分の耳で実際に呼吸音を確認すると、仲間が助かった事をよ
り強く実感できるというものだ。
しかし、安堵したのも束の間。直後にマリアンは眉を顰める。
確かにシェリーは呼吸をしている。してはいるのだが……呼吸音が少々おかし
い。
(これは……もしかしたら、折れた骨が肺を傷付けてしまっているのやもしれぬ
……)
マリアンの指輪で発動できる《治癒》の力は、正直な所それほど強くはない。
故に、余りにも大きな負傷は完全には癒せないのだ。
今のシェリーに対しては、せいぜい応急手当程度の効果しかないだろう。
「副団長を門の向こうへ!」
マリアンは走り寄ってきた重装兵に指示を下す。彼女に付いていた二人の内の
もう一人の方だ。
アルルに粉砕され、最早原型を留めていない第二防壁の通行門の向こうには、
治癒系の奇跡を発現できる藍犬騎士団所属の神官が数名、いざという時の為に待
機している。
重装兵が持っていた盾を投げ捨て、シェリーを抱き上げたのと同時に、マリア
ンは意識をアルル達の方へと戻す。視線の先では、相も変わらずジャーマンがア
ルルの振るうメイスを受け流し、受け流すのが難しそうな攻撃は避けることでな
んとか対処している。
ハウルドとロットワイラーは攻撃魔術を飛ばし、ダメージを狙うのと同時にジ
ャーマンをサポートしようとしているが、こちらも相変わらず、アルルの身軽さ
と【防壁】を前に中々攻撃を当てる事ができないでいる。
戦線に復帰すべく、弓を引き絞り、鏃に魔力を込める事で貫通力を高めた矢を
射掛けるマリアン。放たれた矢は狙い通りアルルに命中するが、やはり今回も弾
かれてしまう。
「ロットワイラー!!」
矢が飛んできた事でマリアンの戦線復帰を知ったジャーマンが、大声で叫ぶ。
アルルにはその叫びが何を意味するのかは分からない。しかし、藍犬騎士団の
面々には一瞬で理解できた。これはロットワイラーに対し、切り札の使用を指示
するものだ、と。
その切り札とは、ロットワイラーが習得している魔術の中でも最大の威力を持
つ、火炎属性の上級魔術である。
シェリーの【剛力】を発動させた上での一撃が通じなかった以上、藍犬騎士団
の持つ攻撃手段の中でアルルにダメージを与えられる可能性があるのは、最早こ
れ以外には無いだろう。
ただし、絶大な威力と引き換えに一度発動させるだけでも膨大な魔力を消費す
るそれは、騎士団一の魔力量を誇るロットワイラーといえど、日に何度も使用で
きるものではない。
故に、周りの者達が目標の注意を引き、動きを封じることで、確実に命中させ
られる状況を作り出す。それが単体の強大な魔物を仕留める際の藍犬騎士団の必
勝戦術――黄金パターンである。
実際、件のバジリスク討伐戦で、そのバジリスクに止めを刺したのもロットワ
イラーだ。
理想としては、アルルにある程度のダメージを与えた上で、ロットワイラーに
切り札を切らせたかったジャーマンではあったが、最早そうも言っていられない。
アルルの攻撃はどんどん激しさを増し、シェリーは(一時的にではあるが)戦線
から離脱、ジャーマンもなんとか回避と受け流しに成功してはいるものの、体力、
気力、盾の耐久力は刻一刻と凄まじい勢いで削られている。魔術が付与され、耐
久力の強化された盾でなければ、とっくに破損していたはずだ。アルルの攻撃を
凌いでいられるのも、あと数分が限界だろう。
シェリーに続き、自分までもが倒れれば、白い魔物の注意は完全にハウルド達
の方へと向かう。そうなれば、ロットワイラーが白い魔物に切り札を当てるのは
益々難しくなる――それが理解できているが故に、ジャーマンは賭けに出る事を
決断したのだ。
「《鎖の束縛》!」
ハウルドの詠唱と共に、アルルの足元の地面から、太く長い鉄の鎖が何本も出
現する。それらは蛇を思わせる動きでアルルの全身に絡みつき、その動きを封じ
様とする。
しかし、そんなものアルルにとっては大した妨害にはならない。すぐさま全身
に力を込め、鎖を引き千切ろうとした――その時。地面に落ちるアルルの影に、
一本の矢が突き立つ。
当然、マリアンの射ったものだが、決して狙いを外した訳ではない。寧ろ、そ
れは狙い通り完璧に命中していた。
影に矢を突き立てられた瞬間――アルルは再び、その動きを止めたのだから。
〝影縫いの矢〟――影を踏みつける事で、対象の動きを阻害できる《影踏み》
という魔術がある。マリアンが射ったのは、それが付与された特殊な矢であり、
対象の影に打ち込む事で《影踏み》と同様の効果を発揮できる物だ。
ただ実の所、アルルが動きを止めたのはこの矢の力が理由ではない。《影踏み
》は呪術系に属する魔術であり、藍犬騎士団の面々には知り得ない事だが【アイ
ンの加護】を持つアルルには通用しないのだ。
アルルが動きを止めた本当の理由は、ただ単に【アインの加護】が影縫いの矢
の効果を打ち消した際に「え!? なんで今、アイン様のご加護発動したん!?
」と、軽く動揺してしまったからに過ぎない。
しかし、藍犬騎士団の面々から見れば、アルルが動きを止めたという事には変
わりなく、これを好機と見たロットワイラーは奥の手を発動させる。
「《大炎弾》!」
杖を高々と掲げたロットワイラーの頭上に巨大な魔術陣が浮かび上がり、煌々
とした光を放った――次の瞬間。魔術陣から《火球》とは比べものにならないサ
イズの火の玉が放たれ、アルルに向かって飛ぶ。
アルルはハウルドの《鎖の束縛》に絡めとられたままだが、特に慌てる様子は
無い。理由は簡単、スキル【防壁】を使えば良いだけだからだ。
これもまた藍犬騎士団の面々には知り得ない事だが、スキル【魔力感知】を所
持しているアルルはロットワイラー達の方を一切見ずとも、彼ら彼女らの位置は
もちろん、魔術や魔力の込められた矢が放たれるタイミングや飛んでくる方向、
更にはその威力までも察知できる為、苦も無く適切な位置に適切なタイミングで
適切な強度の防壁を張ることができる。
そして、ロットワイラーの最強魔術と言えど、アルルが少々多めに魔力を注ぎ
込んだ強固な防壁を発生させてしまえば、その突破はまず不可能だ。
アルルが悠々と【防壁】を発動させようとした――その瞬間。アルルは思わず
軽く目を見開く。相対している騎士団長がこの場から離れるのではなく、逆に自
分に向かって踏み込んで来たからだ。
(ハウルドとマリアンはこいつの動きを封じてくれた。ならば【防壁】の発動を
阻止するのは――俺の役目だ!!)
本来ならばここは、ロットワイラーの最強魔術が敵の防壁を突破する事を信じ、
自らは巻き込まれぬ様、敵から離れる場面であろう。《炎槍》や《火矢》などの
効果範囲の比較的狭い魔術ならばともかく、《大炎弾》の様な広範囲に影響を及
ぼす魔術で先程までの様に敵だけを狙い、近くにいるジャーマンには被害を与え
ないようにする、などという器用な真似はロットワイラーにもできない。そして、
その事はジャーマンも当然知っている。
しかし、ジャーマンの中にはある予感があった。この白い魔物ならば、ロット
ワイラーの最強魔術をも防ぎ切る程の防壁を創り出す事も、或いは可能なのでは
ないか――という悪い予感が。
だからこそ、ジャーマンはアルルに近づく事を選択した。アルルの【防壁】発
動を、なんとしても妨害する為に。
不退転の決意を剣に込め、ジャーマンは再びアルルの右目に向けて突きを繰り
出す。
対して、アルルは咄嗟に左腕に巻き付いていた鎖を引き千切ると、ジャーマン
の突きを手の平で受け止めた。切っ先が皮膚を突き破る事はなく、逆に剣はパキ
ン! と音を立てつつ、へし折れてしまう。
ジャーマンの攻撃はまたも容易く防がれてしまったが、それでも彼は見事に役
目を果たした。その気迫と、今この状況で自らアルルに近づく――という意外過
ぎる行動を持ってアルルを仰天させ、その意識を完全に自分へと向ける事に成功
したのだ。
アルルからすれば、この状況でジャーマンの方から接近してくるというのは予
想外の出来事であった。味方の切り札(と思しき魔術)が防壁を打ち破る事を期待
し、距離を取るに違いないと考えていたのだ。その予想を見事に裏切られた。
この場にいる藍犬騎士団の面々も、ジャーマンのこの行動には正直、思わず少
々ギョッとなった。しかし、誰一人としてその表情に大きな驚愕や憂虞の色を浮
かべる者はいない。
彼ら彼女らもまた、知っているのだ。ジャーマンがロットワイラーの魔術に巻
き込まれたとしても、大怪我をするなど決してあり得ないという事と、その理由
を。
だが、アルルはそれを知らない。知っているはずがない。故に、予想を裏切ら
れたアルルが驚きの余り、防壁を張ろうとしていた事を一瞬とはいえ忘れてしま
ったとしても、それは無理からぬ事だろう。
押し寄せる熱波と周囲を照らす赤熱の輝きが、【防壁】を発動させるタイミン
グを逸したのだという事を知らせる中、アルルは見た。ジャーマンが口角を僅か
に上げ、アルルと出会ってから初めて見せる笑みを、その顔に浮かべたのを。
そして、その直後――アストルの街中に、赫灼たる紅蓮の花が咲いた。




