第二話 転生と初戦闘
目を覚ますと、俺――地空望の体は、異形の怪物に変貌していた。
「…………異世界転生って……マジか……」
そんな言葉が思わず漏れ出てしまい、その自分の声にビクッとなる。声質が自
らの記憶にあるそれとは、全く違うものになっていたからだ。
なにやら、ゆるキャラとか遊園地のマスコットキャラとかに似合いそうな、高
くて可愛らしい感じの声に変わっている。
ん~~……夢……かな? これは? もし夢だとしたら、どこからが夢なのだ
ろう? あの変態野郎に刺された辺りからだとありがたいんだけどな~~、ハッ
ハッハ…………はぁ……やめるか、現実逃避は。
あの時――あの変態に刺された時に感じたあの痛みと……何と言うか……自分
の命が体から流れ出ていく様な感覚。根拠は無いが、あれが夢だったとはとても
思えない。
実際、いくら自分の頭を叩いたり、頬をつねったりしてみても一向に目が覚め
る気配は無く、普通に痛い。
この異形の体に、空を舞う謎の巨大怪鳥…………やはり俺は一度死んで、生ま
れ変わったらしい。異世界に。
学生だった頃のある時分、無料の小説投稿サイトなどで、異世界転移、転生系
のラノベを読み漁るのにハマっていた時期があったが…………いやぁ~~、まさ
かそういったラノベの内容と同じ様な状況を、我が身で実体験する事になろうと
はなぁ……。
パシャンッ。
暫し呆けていると、不意に微かな水音が聞こえてきた。
音の聞こえてきた方向に顔を向け、発生源を探してみる。目に意識を集中する
と、自分でも驚くくらい遠くまで見通す事ができた。
しかし、それでも生い茂る木々に視界を遮られ、音の発生源を捉えることはで
きない。何の気なしに、音のした方に向かって歩き出す。
枝や茂みを押し退け、朽ちた倒木や地上に浮き出た木の根を踏み砕きながら暫
く進むと、それほど大きくない池を発見した。
見ると、頭に触覚の様なものが生えた小魚が、水面近くを飛び回っている小さ
な羽虫めがけて跳びはね、それを捕食すると、音を立てて水の中に落ちていった。
おそらく、先程の水音もあれが発生させたものと思われる。
俺は水辺に近づき、水面に自らの姿を映してみた。
叩いたり抓ったりした感触や、四肢や胴体を見て、大体の全体図は想像できて
いたけど……完全に生きた着ぐるみだな、これ。
兎……だよな、これ? 何故、兎? 別に俺、特別兎が好きってわけでもない
んですが?
なんにせよ、正直余り強そうには見えない見た目だ。
確かに俺は常日頃から、怪物に生まれ変わることを夢想してはいたが、それは
あくまで〝強い怪物〟に、だったのだが…………いや、知性ある生物に転生でき
ただけでも喜ぶべき事だろうか……いや、しかし、こんな森のど真ん中にこんな
食べ応えのありそうな見た目で転生させられても、獣とかに襲われて、またすぐ
に死ぬ予感しかしないのだが。
……これからどうしたものかな?
勝手知らざる異世界に、余り強くはなさそうな怪物として転生。しかも中身は、
ついさっきまで平和な日本で一般ピーポーしていた俺のまま…………どう考えて
も、余りよろしい状況ではない。
いや、本当にどうしたものか……。
庸劣なりに色々思案していると、ふと視線を感じる。咄嗟に辺りに目を走らせ
ると、周囲の木陰や茂みの陰に奇妙な生物達の姿を発見した。
犬……いや、たぶん狼かな?
より正確に言うなら、人型の胴体から狼の頭部を生やした怪物だった。普通の
狼同様、全身が体毛に覆われているものの、俺と同じ様に二本の足で直立してい
る。
その手にはそれぞれ、石や何かの骨製と思われる短剣や槍、木製の棍棒など、
思い思いの武器を握っている。
そんな連中がぐるっと周りを取り囲み、敵意の色を宿す瞳で俺をジィッと凝視
していた。数は三十ちょいといったところか。
月や星の光があるとはいえ、それでもなお濃い夜の帳が降りる中で、相手の特
徴や数をやたらはっきりと見て取ることができる。どうやら、この体はかなり夜
目が利く様だ。
人間だった頃なら、思わず悲鳴を漏らしてしまったとしてもおかしくない状況
のはずだ。しかし、俺は何故か自分でも不思議なくらい落ち着いていた。
中身は、まんま前世の俺のままかと思っていたのだが……もしかしたら、怪物
に生まれ変わった影響で、頭のネジが何本か外れたのかもしれない。
まぁ、突然刺されて死んだ上に、目が覚めたら異世界に――しかも、人外とな
って転生。挙句の果てに、得体の知れない怪物共にいきなり周りを取り囲まれる
という、とんでも展開の連続だ。
頭のネジの二、三本が外れていたとしても、さもありなんといったところか。
……ん? あれ? 刺されてから転生までの間に、もう一つ何かあったような…
…何か……何かもの凄く神々しいものを目撃したような…………思い出せん。
そもそも俺……なんで刺されたんだっけ? あの変態野郎に刺されたという事
は憶えているのだが、そうなったきっかけと刺されるに至るまでの経緯も思い出
せない。そこら辺の記憶だけが、何故だかおぼろげになっている。
ん~~…………ま、いっか。気にならないと言えば嘘になるが、思い出せない
ものは仕方がない。
それにしても……空を舞う怪鳥を見たり、自分自身が異形の怪物に生まれ変わ
っている事などから薄々覚悟してはいたが、やっぱり居るんだな、この世界……
こういうモンスター的な生物が。
こいつら……狼男……だよな? たぶん。
少なくとも見た目だけは、地球に存在する多くの創作物の中でよく登場する、
狼男のそれに非常に酷似していた。なので、取り敢えず俺の中では、こいつらを
〝狼男〟と呼称することとする。
それにしても、いつの間に包囲されていたのだろう? 全く気付かんかった。
まぁ、ついさっきまで自分の周りを気にする余裕なんか無かったからなぁ……。
我ながら呑気にもそんなことを考えていると、俺の様子を窺っていたのであろ
う狼男達が武器を構えつつ、木や茂みの陰から姿を現し、ジリジリと包囲の輪を
狭めてきた。それぞれの剣呑さを感じさせる眼光からは、殺意のみしか感じ取る
ことができない。
あぁ……完全に殺る気だな、これは。
まぁ、正直この体って我ながら美味しそうに見えるし、毛皮も良い感じだから
な。狩りたくなる気持ちは理解できんでもない。
ん~~……困ったな。
前世の俺は、荒事とは全くと言ってよい程無縁な一般人だった。殴り合いの喧
嘩などというものは、せいぜい小学生の頃に数回やらかしたくらいで、戦闘経験
などと呼べるものは殆ど皆無だ。
故に、迎え撃つという選択肢は余り気が進まない。かといって逃走しようにも、
周りを完全に囲まれている為、それも難しい。
ついでに、とてもではないが会話で収められそうな雰囲気でもない。というか、
そもそもこの狼男達に言葉が通じる気がしない。
狼男達は俺を威嚇する為か、これ見よがしに武器をひけらかしてくる。
…………ん~~? やっぱりおかしいな。
武器を手にした大勢の怪物達が、殺意を隠そうともせずに迫ってきているのだ。
普通なら恐怖の余り膝が笑い、無様にへたり込んでしまったとしても不思議では
なかろう。
実際、俺が人間のままだったなら、確実にそうなっていたという自信がある。
だが、今の俺は違う。
全方位から剥き出しの殺気をぶつけられても、俺の心は驚くほど平坦だった。
ほんの僅かな脅威も感じない。それどころか、武器を見せつけてくる狼男達に
対して、ビビりながらも一丁前にこちらを威嚇してくる仔犬を見ているかの様な、
微笑ましさすら感じている。
やはり怪物に転生した事で、体だけでなく心も多少変異している様だ。
しかし、いかに心を平静に保てるといっても、それだけでこの状況を切り抜け
られるわけではない。戦闘経験の圧倒的欠如という事実は覆らないのだから。
さぁ、どうする? 俺?
そう自らに問いかけた瞬間――突如、脳内にふわりと直感が浮かび上がる。
え!? なんだ、これ!?
突然の事に頭は多少混乱しながらも、体の方は直感に従い、速やかに行動を開
始した。己の内に存在する〝何か〟を、敵を滅ぼす為の力に変え――体外に解き
放つ。
雷――目も眩む様な眩さの、青白い雷が全身から放出され、瞬く間に俺を包囲
していた狼男達を包み込んだ。
青白い雷は数秒の間、狼男達を好き放題蹂躙すると、幻であったかの様に消え
失せる。そして、辺りの光景が露わとなった。
俺の周りには全身が炭化し、見るも無残な状態になった数十の死体が転がって
いる。
おおう……我ながら、これはえげつない。
たった今俺が起こした行動が何だったのか――それはひとまず脇に置いておく
として……どうやらこの体は、俺が思っていた程弱くはなかった様だ。
いや、それどころか、あれだけの数の狼男達をものの数秒で全滅させられたの
だから、かなり強い方なのではなかろうか。
見た目が見た目なので、てっきり弱いものだと思い込んでいただけに、これは
嬉しい誤算と言えるだろう。
思わぬ僥倖にホッと胸を撫で下ろす。己が炭に変えた、数十の骸を前にしなが
ら。
目の前の凄惨な光景と、多くの命を奪ってしまったという事実にも、俺の心が
大して揺れる事はない。相手が殺ろうとしてきたから、返り討ちにしただけ――
そうあっさりと自分の中で割り切ることができた。
……もはや確定だな。
俺はもう完全に、人間――地空望ではない。俺は生まれ変わったのだ……肉体
だけではなく、心も。
子供の頃からずっと憧れ、いい歳こいたオっさんになってからも、なお夢想し
続けた。
自由で強大な――――怪物に。