第十二話 逃亡と生還
「あ、あぁ……ああああぁぁああああああああああああああ!!??」
「ね、姉ちゃああああああん!!!!」
「上よっ!!」
狂った様に絶叫する双子に負けじと、ピスカは必死に声を張り上げる。
ピスカの叫びに従って空を見上げたブレイメンのメンバーは、ほぼ同時にその
脅威を視界に収め、戦慄した。
全身に虎を彷彿させる灰色の縞模様が入った、巨大な鳥型の魔物――〝虎烏〟。
脅威度五つ星級に設定される戦闘能力と凶暴性を持つ強大な魔物が、その巨大
な黒翼を広げ、地上から十数メートル程の高さでホバリングをしながら、アッシ
ュ達を睨めつけていた。その鉤爪はエイミーのものであろう赤い血で濡れている。
瞳にはアッシュ達に対する殺意がありありと浮かんでおり、残りの六人のこと
も仕留めるつもりなのは明らかだ。
全員を始末した後、ゆっくりと食事にありつくつもりなのだろう。
「てめぇええええええええ!!」
「よくも姉ちゃんをぉおおおおおおおお!!」
ウィズとビーンが、怒号を上げながら武器を構える。
「ま、待てっ!」
「死ねやぁああああ!!」
アッシュの制止も虚しく、憤怒に支配されたウィズは、その怒りに任せてタイ
ガークロウに向けて拳を振るう。
振るわれた拳からは凝縮された魔力の塊が放たれ、一直線にタイガークロウへ
と向かう。
ウィズの持つスキル、【魔弾】による攻撃だ。
タイガークロウは空中でそれを器用に躱すと、巨体に見合わぬ速さで双子に迫
る。
「クソがぁっ!!」
迫り来るタイガークロウを迎え撃つべく、ビーンがその手に握る槍を突き出す
――が、タイガークロウはその一閃も難無く躱すと、鋭い鉤爪を生やしたその足
で、すれ違い様にビーンの頭を鷲掴みにする。
そして、そのまま木の枝に生った果実をもぎ取る様に、ビーンの頭を首から千
切り取った。
頭部を失ったビーンの胴体は、噴水の如き勢いで血を噴き出しつつ倒伏する。
「ビィィイイイイイイイイン!!」
ウィズの悲痛な叫びが響く中、タイガークロウは再び空高く舞い上がると、そ
の両翼を先程よりも大きく、目一杯広げる。勢い良く広げられた両翼から、大量
の黒い羽毛が宙に舞った。
「――! いかんっ!」
「ぬうっ!!」
タイガークロウが何をしてくるつもりなのか悟ったアッシュとドグは、ピスカ
とヘーネを庇うべく、咄嗟に二人とタイガークロウの間に割り込む様な位置に移
動し、共に自らの盾を上に向けて構える。
次の瞬間――ゆらゆらと宙を舞っていた大量の羽毛が、突如空中でピタリと止
まったかと思うと、その全てが残る五人に向かって、弓から放たれた矢の如き速
度で射出された。
タイガークロウという魔物の持つ種族スキルの一つ――【黒羽の雨】。
魔力によって強化、射出された羽毛は、その一枚一枚がさながら鋼の飛矢。広
範囲の敵を一挙に殲滅する、凶悪な攻撃用スキルだ。
「《風の防護幕》!」
ギリギリのタイミングで張られたピスカの防御系魔術によって、幾らかの黒羽
が僅かばかり軌道を反らされたものの、殆どの黒羽は容赦無くアッシュ達目掛け
て降り注ぐ。
「くっ!」
「ぬぅうううううう!」
それは時間にして、ほんの数秒。しかし、打たれている当のアッシュ達にとっ
ては、途轍もなく長い時間に感じられた。
やがて黒い雨は過ぎ去り、アッシュ達はようやく守勢の構えを解くと、高みか
ら見下ろす黒翼を睨む。
到底無傷とは言えないものの、ピスカの張った防御と構えた盾、纏った防具と
魔力によって強化された防御力によって、アッシュとドグは辛くも致命傷を免れ
ていた。その二人に守られたピスカとヘーネも当然無事だ。
ブレイメンのメンバーは、全員がなんとか黒き豪雨をやり過ごす事に成功した
――そう、ブレイメンのメンバーは。
「ウィズ……」
沈痛な面持ちを浮かべるピスカとヘーネの視線の先には、黒羽に全身を貫かれ、
血塗れとなって地面に転がる、ウィズの姿がある。
姉と弟を相次いで失い、半狂乱状態に陥りつつあったウィズに、無数の死の雨
から己を守り切る事は叶わなかった。
「ヘーネ、強化の〝奇跡〟を! ピスカ、攻撃魔術を頼む!」
アッシュからの指示を受け、ピスカとヘーネは即座に気持ちを切り替える。
そうだ。今は感傷に浸っている暇は無い。仲間の死を悼むのは、この危機的状
況を乗り切ってからだ、と。
ブレイメンは撤退ではなく、戦闘を選択した。
確かにタイガークロウの機動力を考えると、補足されたこの状況から逃げ切る
ことは極めて困難だろう。ならば、ここで打ち倒すしかない、と判断した訳だ。
「いと尊き豊穣神よ! どうか、か弱き我らに――」
ヘーネが皆の防御力を強化すべく、自らが信仰する神に祈りを捧げ始めた――
その時。
またしても、最初に気付いたのはピスカだった。ほんの一瞬遅れて、アッシュ
とドグもそれに気付く。
(((――! 何か来る!?)))
ピスカは魔力、アッシュとドグは気配を感じ取ることによってそれ察知したの
と同時に、ブレイメンから見て後方に在る茂みの奥から、何かが勢い良く跳び出
してきた。
鎧の様な見た目と強固さを誇る黒色の外皮、刃物の如き鋭さを備えた長く伸び
る上顎の犬歯が特徴の巨大な虎型の魔物――〝鎧虎〟だ。トロルやタイガークロ
ウ同様、脅威度五つ星に位置する魔物である。
メイルタイガーはこれまたタイガークロウ同様、その巨体に見合わぬ、風の如
き速さでブレイメンに襲いかかる。最初の標的に選ばれたのは――ヘーネ。
(しまった!)
やけに間延びした時間の中で、ヘーネは迫りくる爪を躱せない事を直感する。
一見すると線が細く、非力に見られる事もあるヘーネだが、これでも立派なシ
ルバー級のランクを持つ傭兵。そこらの一般人と比べれば、筋力も体力も知覚も
だいぶ優れている。
しかし、彼女のパーティ内での役割は専ら強化や回復といった仲間達への支援
であり、素の身体能力、魔力による肉体強化の熟練度は、間違いなくパーティの
中でブービーであった。
加えて、奇跡を発動するべく、祈りに集中しかけていたヘーネは、完全にメイ
ルタイガーの襲撃を察知するのが遅れてしまっていた。
ヘーネが、迫ってくる爪に死神の鎌が重なるのを幻視した――次の瞬間。
ギャリンッッ!!
「ぬうッッ!!」
金属と金属が擦れる様な不快な音と、苦痛を含んだ野太い男の声が響く。
ドグがヘーネを抱きしめる様な形で庇い、メイルタイガーの爪を背中で受けた
のだ。
タイガークロウの攻撃を受け、メンバー全員が一か所に集まっていたのが良い
方向に転がり、ドグはギリギリでヘーネを救うのに成功した。しかし、間に割っ
て入り、盾を構える程の時間的余裕は無かった様で、咄嗟に身を挺して庇う形と
なってしまった訳だ。
ドグの鎧の背中部分は無惨に引き裂かれ、四本の爪痕がくっきりと刻まれてい
る。
「「「ドグッ!!」」」
「も、問題……無い」
仲間達の呼びかけに、ドグは努めていつも通りに返すが、やせ我慢なのは間違
いない。
身に纏った鎧と中に着込んだ鎖帷子、日々の鍛錬で鍛え上げた分厚い筋肉のお
かげで致命傷は免れた様だが、メイルタイガーの爪に付いた血の量からして、重
傷を負っている事は誰の目から見ても明らかだった。
一方、急襲が失敗したメイルタイガーは、一旦ブレイメンから距離を取ると、
口惜しいとでも言いたげな様子で低く唸っている。
「クカァアアアアアアアアアアアアアア!!」
そんな乱入者に対し、タイガークロウが「てめぇ! なに横取りしようとして
んだ、ゴラァッ!」とでも言っているかの様に吠えると――
「グルアアアアアアアアアアアアアアア!!」
――メイルタイガーも「うるせぇ! 早い者勝ちじゃ、ボケェ!」とでも言い
返すかの様に咆哮で応える。
しかし、両者がいがみ合いながらも、共に獲物に対する注意を全く怠っていな
いのが、アッシュ達には分かった。両者から絶えず送られてくる、全身に突き刺
さるかの様な殺気がその証拠だ。
「……参ったな。トロルにタイガークロウときて、その上更にメイルタイガーと
は。こんな短時間の間に、脅威度五つ星級の魔物に連続で絡まれるなんて体験…
…一生に一度くらいもんだろうな」
「そりゃそうよ! 体験した奴は大体一度目で死んじゃうでしょ! こんなの!」
「ドグ、しっかり! なんとか隙を見て、回復の奇跡を……」
「……す、済まん」
まだ前門の虎を追い払っていないにも関わらず、後門からも虎が現れる。元か
ら低かった生還の確率が、限りなくゼロに近づいた事を悟り、それぞれ決死の面
持ちを浮かべるブレイメンのメンバー。
例え、この状況を生きて切り抜けられる可能性がほぼ無いと分かっていても、
ただ黙って食われてやるわけにはいかない。ブレイメンの全員が、挫けそうな心
をなけなしの戦意で必死に奮い立たせる。
まずはヘーネにドグを回復させる為の隙を作らなければ。そう考えたピスカが、
魔術を発動させようとした瞬間――――それは現れた。
「「「「「「――!!??」」」」」」
余りにも突然だった。
タイガークロウとメイルタイガーをも含めた、その場にいる全ての者が、思わ
ず頭上に『!?』を浮かべてしまう。
それほどまでに唐突に――まるで虚空から滲み出たかの様に、それは姿を現し
た。
奇妙な生物だった。
ぺたんと垂れた長い耳、つぶらな黒の瞳、触り心地の良さそうな白い体毛、風
が吹けばコロコロと転がっていってしまいそうな、丸々とした体形――それなり
に長いこと傭兵をやっているアッシュ達ですら、今までに見た事も聞いた事もな
い、謎の魔物だった。
謎の魔物は、二体の魔物とブレイメンが対峙している場所の十数メートル上空
――何も無い空間に突如として現れ、そのまま二体と四人の近くに着地する。
そして、二体の魔物とブレイメンのメンバーを静かに見回すと、右手の人差し
指でポリポリと頭を掻いた。
「なっ……!?」
「ヒィッッ!!」
アッシュが謎の魔物の登場に驚愕しつつ、頭の片隅で「タイガークロウとメイ
ルタイガーがこいつに気を取られてくれれば、もしかしたら逃げられるかもしれ
ない」と、どこか冷静に考えたのと同時に、アッシュの背後で、ピスカが恐怖に
塗れた悲鳴を上げる。
アッシュが思わず振り返って背後を見やると、ピスカが尻餅をついたままの体
勢で、全身をガタガタと震わせていた。
謎の魔物を凝視しながら歯をガチガチと打ち鳴らし、股間からは黄金の液体が
漏れ出ている。
一瞬だけではあるが、三体の魔物の存在が頭から吹き飛ぶ程の衝撃がアッシュ
を襲う。ピスカのこの様な姿を、アッシュは今まで一度たりとも見た事がなかっ
たからだ。
一瞬の衝撃が過ぎ去り、次にアッシュの心に圧倒的なまでの恐れが湧き上がる。
普段は気丈なピスカが、これ程までに恐れおののいている理由――おそらく《
魔力探知》の効果で、あの謎の魔物の魔力を感じ取ってしまったからだろう――
それに思い至ったが故に。
それはつまり、この謎の魔物はブレイメンが今まで相対してきた魔物達を遥か
凌駕する力を内包しているという事だ。
まるで波状攻撃の様に次々と襲い来る脅威の連続に、眩暈が起きそうになるの
をアッシュはなんとか堪える。
「クカァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
「グルアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
二つの絶叫に我に返ったアッシュがタイガークロウとメイルタイガーに目を向
けると、二体はもはやブレイメンなど眼中にないといった様子で謎の魔物の方へ
と向き直り、全力の威嚇を行っている。
しかし、アッシュ達には二体のその咆哮が、なんとなく先程までの互いにいが
み合っていた際に発していた、荒々しさを感じさせたそれとは違い、畏れに彩ら
れた弱々しいものに感じられた。声量だけなら、間違いなく先程までの咆哮を遥
か上回っているにも関わらずだ。
まるで、さっきまでの自分達の様に――恐怖に押し潰されそうになる心を奮い
立たせるべく、必死になって咆えている様な――そんな気がしたのだ。
一方、謎の魔物は二体の渾身の威嚇をそよ風の如く軽く受け流しつつ、ただ一
言――
「あ゛?」
――と、ドスを利かせた声を出す。
もっとも、声質が声質だけに本人がどんなにドスを利かせたつもりでも、結局
可愛らしい感じになってしまっているが。
しかし、その可愛らしい声が発せられた瞬間――二体の魔物とブレイメンのメ
ンバーを、絶対零度の悪寒が襲う。
怪物――見ただけで全身の肌が粟立つ様な、悍ましい姿をした巨大な怪物が、
その大きな口を開いて、今まさに自分達に喰らい付かんとしている――そんな、
思わず心臓が鼓動を止めてしまいかねない絶対的な恐怖を齎す幻像が、二体と四
人の目の前に現れたのだ。
瞬間――逃走。迷い無き、猛然たる逃走。
タイガークロウとメイルタイガーは、まるで尾に火を点けられた小動物の如き
勢いで逃げ去っていった。
ブレイメンはというと、アッシュは盛大に膝を笑わせながらも、なんとかへた
り込む事なく、二本の足で立っていた。
とは言っても、彼が腰を抜かさずに済んだ理由は、別に胆力とかそういうので
はなく、単なる偶然だ。
アッシュがいかにそれなりの修羅場を潜り、心身共に鍛えられた傭兵であると
はいえ、今アッシュ達を襲った恐怖は、そんな彼らの心を容易にへし折るに足る
程のものだったからだ。
その証拠にアッシュ同様、それなりの修羅場を潜ってきた傭兵であるドグとヘ
ーネ……元々負傷して膝を付いていたドグはともかく、少し前まではちゃんと立
っていたはずのヘーネが、今はピスカと同じ様な有様になってしまっている。
そんなブレイメンをよそに、謎の魔物は静かに歩き出す。
(あぁ……ここまで……か)
アッシュは死を覚悟する。
体が自分のものではなくなってしまったかの様に動かせない。いや、全身がか
つてない程に震えているので、正確に言えば動いていないわけではないのだが、
とにかく自分の思うようにコントロールできないのだ。
完全に謎の魔物が発した、殺気と言うか迫力と言うか……そういったものに当
てられてしまった様だ。
頭の中に今までに体験した愉快な出来事、悲しい出来事、過酷な出来事――様
々な出来事の記憶が走馬灯の様に蘇り始めたアッシュ達に、謎の魔物が一歩、ま
た一歩と歩み寄る。そして――――特に何をするでもなく、悠々と眼前を通り過
ぎた。
((((……え?))))
アッシュ達は言うことを聞かない体に喝を入れ、どうにか首を動かして、自分
達の前を素通りしていった謎の魔物の動向を追う。
謎の魔物はアッシュ達のいる位置から、少しばかり離れた場所に生えている樹
木の前で立ち止まった。
今は亡きエイミー三姉弟の双子の片割れ――ウィズが、死の直前に発見してい
た、〝バナラブ〟と呼ばれる木々の一本だ。
余談だが、〝バナラブ〟の木は地球に存在するバナナの生る木とよく似た見た
目をしてはいるが、バナナのそれとは違い、草本ではなく歴とした木本である。
その為、その実も野菜ではなく歴とした果物だ。
閑話休題。
そんな木の前に立った謎の魔物は、その場で軽く――少なくとも傍から見てい
る分には、大して力んだ様子もなく跳躍する。
その気軽な跳躍で、バナラブの実が生る位置――地上から八メートル程の高さ
まで楽々と達すると、凄まじい速さで両腕を動かし、二十本程の果指から成るバ
ナラブの果房を四房、一瞬にして木からもぎ取った。
跳躍といい、実をもぎ取る際の腕の動きといい、一見すると愚鈍そうなその見
た目からは想像できない、凄まじい身軽さである。
直地の衝撃で実を潰さない為であろう、謎の怪物はもぎ取った実を大事そうに
両腕で優しく抱え、そのまま地面に着地する。
その後、バナラブの実を一旦草はらの上に丁寧に置くと、自身の毛玉の様な尾
の中から小さな布袋を取り出し、その中にバナラブの実を仕舞っていく。
全ての房を仕舞い終わると、他のバナラブの木からも同様の動作で実をもぎ取
り、再び布袋に収めていく。それを数度繰り返した後に「……たしか、近くに見
晴らしの良い丘があったっけ」と呟くと、もはやアッシュ達には一瞥もくれるこ
となく、森の奥へと歩き去っていった。
「……ぐっ」
謎の魔物の姿が見えなくなって、一分程経った頃だろうか。
苦痛に耐えるドグの呻きを聞き、謎の魔物が去っていった方向をひたすら凝視
していた他の三人も、ようやくハッとなって我に返る。
まだ若干手足がカタカタと震えているものの、なんとか体は動かせるようにな
っていた。
「ヘーネ! ドグに回復の奇跡を!」
「は、はい!」
ヘーネは動き出す際、一瞬自らの股間の辺りを見やり、モジモジする様な仕草
をしかけたが、アッシュとドグは努めてそれに気付かなかったふりをする。
二人は紳士であり、デキる大人なのだ。
「いと尊き豊穣神よ。どうかか弱き我らに、癒しの御手をお差し伸べ下さい――
〈回復〉」
ヘーネが己の信ずる神に真摯に祈りを捧げると、ドグの傷口が仄かな光を帯び、
みるみる内に塞がり始める。数秒後に光が収まると、ドグの背中に刻まれていた
裂創は僅かな痕を残すのみとなっていた。
奇跡――スキル、魔術と並ぶ、この世界の摩訶不思議な力の一種。
信心深い聖職者や敬虔な信徒などの、神に仕え、深く敬う者達に神々が授ける
超常の御業である。
発動に必要となるのは祈りの言葉と奇跡の名、ひたむきな信仰心であり、魔力
を消費する事はないものの、一日の使用回数に制限がある。また、祈りの深さに
応じて、その効果に著しい差が生まれる。
ヘーネが今回発動させた〈回復〉はその名の通り、対象となった者の傷を治す、
癒しの奇跡だ。
「動けるか、ドグ?」
ドグはゆっくりと立ち上がると、体の調子を確かめるかの様に背筋を伸ばす。
「……問題無い。ヘーネ、礼を言う」
「これが私の役目ですから」
「良し。皆、聞いてくれ。俺としては調査はここで打ち切って、エアードに戻る
べきだと思うんだが、皆はどう思う?」
「賛成! 賛成よ!! とにかくこの森からとっとと出ましょう!!」
杖を支えして、なんとか立ち上がる事に成功したピスカが、真っ先に賛同の意
を示す。
パーティ内で唯一、謎の魔物の魔力を感じ取ってしまったせいか、ピスカは他
の者達と比べて精神的ショックが大きかった様だ。アッシュの提案を推すその声
色からは、結構な必死さが感じられる。
なにやら心なしか、いつもより内股気味になっている様な気がするが、ヘーネ
はもちろん、アッシュとドグも先程同様気付かないふりをする。ブレイメンのメ
ンバーは皆、空気の読める大人なのだ。
「私も賛成です。最早この森は、私達だけで行動するには危険過ぎます」
「異議無し」
「良し。そうと決まれば、一刻も早く出るとしよう。――っと、その前に……」
アッシュは三姉弟の亡骸に目を向ける。
「エイミー達も連れて帰ろう……ちゃんと弔ってやらないとな。収納袋に収めれ
ば、荷物にもならない」
「そうですね。魔物に食い散らかされたり……ましてや、アンデッドになってし
まっては可哀想ですし」
この世界では、弔われずに長期間放置された生物の亡骸が、時としてアンデッ
ド――屍の魔物となって動き出し、生者を無差別に襲い出す事がある。
故にこの世界の人族の間では、死者の遺体はきちんと供養した上で、万が一に
もアンデッドとして起き上がる事のないよう、荼毘に付すのが通例となっている。
「ドグ、ピスカ。ウィズとビーンを頼む。俺はエイミーを回収する」
ドグとピスカはこくりと頷くと、それぞれ双子の亡骸に向かって小走りで駆け
出す。
一刻も早くこの森から出たいという気持ちが、ピスカの足腰を急速に回復させ
た様だ。
(街に帰ったら……とりあえず、あの魔物の存在をギルドに報告するのが最優先
だな)
アッシュはその事を頭の中に書き留めつつ、自らも戦友の亡骸に向かって駆け
出した。




