エリック視点・第9話
カサンドラ嬢に会いたいという要求はやはりすんなりと通った。リディ嬢と二人でエウレカ邸を訪れた。
エウレカ邸はいつ見ても上品で歴史ある佇まいだ。大きさは我が家とあまり大差がないが、調度品には華美なものを好まれるエウレカ公爵家のご当主の趣味が表れている。うちのお父様は「一見地味で、よく見るとユニークな味わいがある」タイプの調度品を好まれるから。割と親ばかで、絵画などは有名絵画ではなく、僕の描いた絵画を飾っていたりする。最近は家族の肖像画などを描いたので、お父様は喜んで飾っていらした。
侍女に案内されて応接室へ通されたが、カサンドラ嬢はお茶の準備も万端に僕たちを迎えてくれた。
「お久し振りですね、エリック様。先日は心配してくださったのに自分の世界に入っていて、申し訳ないことを致しましたわね。今日はそちらの令嬢との婚約の発表にいらしたの?」
カサンドラ嬢が笑った。夜会で見せていらっしゃった激しい動揺や、見ているこちらが心配になるような不安定感はない。
「そうしたいのは山々なのですが、まだリディ嬢の心を射止められていないのですよ。」
リディ嬢は押せば好意のようなものを返してくださるが、僕が口説くと、少し悲しそうな顔をなさるから、全力で僕を好きだと言い切れないのが厳しい現実というやつだと思う。
「まずはお掛けになって。」
椅子を勧められたので掛けた。リディ嬢も僕の隣に掛けている。侍女がお茶を入れてくれる。お茶菓子は目にも鮮やかなフルーツタルトだ。
「はじめまして、わたくしは、カサンドラ・エウレカよ。宜しくお願い致しますわ。」
カサンドラ嬢がリディ嬢に友好的に挨拶した。
「初めまして、私は『メロエク』のカサンドラ様の手下の根暗な方、ことリディ・ネックラーイですわ。宜しくお願い致します。」
リディ嬢は少し変わった自己紹介をされていた。『メロエク』?『カサンドラ様の手下』?よくわからない自己紹介だと僕は思ったが、それを聞いたカサンドラ嬢には十分その自己紹介が理解できたようだ。見る見るうちにさーっと青褪めた。
「わ、わたくし、陰険な苛めなどいたしませんわ!」
?
「わかっております。カサンドラ様は私と同じく、転生者なのですよね?」
「…ええ。」
『転生者』?またよくわからない単語が増えた。お尋ねしたいけれど、今は多分僕が口を挟むタイミングではない。じっとカサンドラ嬢とリディ嬢のやり取りに耳を傾ける。
カサンドラ嬢は『メロエク』の『悪役令嬢』という立場に『転生』されたらしい。そしてそれを自覚されたのが5歳の頃。それ以来ずっと恐怖に震えているらしい。察するに『悪役令嬢』というのは読んで字のごとく『悪役』の『令嬢』なのだろうが、悪役令嬢には、悪事を働いた結果、戒律の厳しい強制労働のある修道院に送られる…という悲惨な末路があるようなのだ。僕は単純に「悪事を働かねばいいだけでは?」と思ったがそういうわけでもないらしくて、リディ嬢たちの『前世』の小説では「ヒロインが自作自演で悪役令嬢に濡れ衣を着せ、断罪する」ストーリーが沢山あったそうなのだ。カサンドラ嬢はいつか濡れ衣を着せられ、断罪され、修道院に送られるのではないかとびくびくしていたらしい。その『ヒロイン』という『女主人公』がシンシア嬢のことらしいのだが、夜会ではシンシア嬢もカサンドラ嬢に怯えていたように思うけれど…
「おまけに、わたくし、『攻略対象』のシグルド様を愛してしまったの…!」
カサンドラ嬢がさめざめと泣いた。『攻略対象』とは何だろう?シグルド殿下を愛してはならない理由があるのか?疑問は増えるばかりである。
「それ、勘違いのすれ違いですよ。」
リディ嬢がカサンドラ嬢に冷静に指摘した。シンシア嬢はカサンドラ嬢からの『ざまぁ』に怯え、『攻略対象』など眼中にない、らしいのだが『ざまぁ』とは何だろう?
要点としてはカサンドラ嬢がシンシア嬢から濡れ衣を着せられ断罪されることに怯え、シンシア嬢はカサンドラ嬢から『ざまぁ』されることに怯え、お互いがお互いを誤解し合って怯えていた…ということのようだ。
それをリディ嬢に聞かされたカサンドラ嬢はぽかんとしていた。
「わたくしの怯えは無駄だったんですの…?」
「無駄でしたね。」
リディ嬢が力強く頷いた。
「ここいらで和解しておきませんか?折角転生者が三人も揃うのです。昔話に花を咲かせたりなどしたら楽しいと思うのですが。」
カサンドラ嬢はこくんと頷いた。
話は多分一区切りついたのだろう。僕が質問しても許されるのではないだろうか、と説明を求める。
「『メロエク』ってなんだい?それに転生者って…?」
『転生』というのは死んで、新たに生まれ変わること。リディ嬢たちは転生前の記憶を所持している人物を『転生者』と呼んでいるようだ。『前世』というのは生まれ変わる前のこと。リディ嬢もカサンドラ嬢も、前世は『チキュウ』の『ニホン』という国に住まわれていたらしい。そこで言動選択式の動く絵付きの小説(ちょっと想像がつかないが)の『乙女ゲーム』というもので遊んでいた。『メロエク』はその乙女ゲームの一つで『メロメロ・エクスプレス』(えくすぷれすとは何だろう?)の略。乙女ゲームはジャンル的に言えば恋愛を楽しむ小説(?)のようで、『ヒロイン』と呼ばれる女主人公が言動を選択しながら『攻略対象』と呼ばれる複数の男性たちと恋に落ちる物語なようだ。『悪役令嬢』のカサンドラ嬢は物語の悪役で、ヒロインを散々苛めて、最後にはヒロインを愛する男性に断罪されて、表舞台から消え去る役らしい。
この世界は『メロエク』の舞台。
シグルド殿下はヒロインのお相手の『攻略対象』だから、カサンドラ嬢は「シグルド様を愛しても、シグルド様がヒロインであるシンシア様に出会ったら、シグルド様のお心はシンシア様に傾くのではないか。」と不安に思っているようだ。
そして、聞きたくなかった話だが……僕、エリック・ウェルストもまた『攻略対象』らしい。
「エリック様も不思議に思われたでしょう?他家の、全く会ったこともない令嬢がビヴァリー夫人の所業を知っていたこと。あれはゲームでそういう設定だったので、私に助けられるものなら助けたいと思い、匿名で手紙を書いたのです。」
ガツンと頭を殴られた気がした。
「まあ、リディ様そんなことをなさっていらっしゃったの?」
「ええ。攻略対象4人のトラウマは完全にクラッシュさせました。」
「道理でシグルド様とモーリス様が大の仲良し兄弟なはずですわ。」
カサンドラ嬢が楽しげに笑われている。でも僕はそれどころじゃなくて、心の内に嵐が巻き起こっている。
「リディ嬢は僕のこともそのゲーム?の攻略対象だとしか思っていないのですか?僕を助けてくれたのも、軽い気持ちで、僕にエスコートさせてくれたのも、僕が甘いセリフを吐くと思ってたからなのですか?」
リディ嬢にとって僕は生きた人間の一人ではなく、小説の登場人物の一人だと思われていたのだろうか。僕を助けてくださったのも、リディ嬢にとっては、小説に一筆添えるような軽いお気持ちだったのだろうか。
エスコートさせてくださったのも僕を『攻略』出来ると思ったから?
信じてきたものがぐらぐらと揺らめいている。
リディ嬢は落ち着いていた。
「私はこの世界をゲームの舞台ではあると思っていますが、しっかり現実だとも思っています。でもストーリーを知っているのですもの。不幸になるとわかっている人間を救いたいと思うのはいけないことですか?ゲームのストーリーだと知っていたら救ってはならなかったのですか?私は、私にできることを、私の望むままに行動したにすぎません。エリック様は私が救いたかった一人。」
衝撃的な事実に思わず惑わされそうになったが、確かにその通りだ。偶々『ゲーム』という存在によってリディ嬢が「知りえるはずのなかった事実を知っていた」というだけで、僕を救おうと思ってくださったというお心に嘘はなく、寧ろリディ嬢はこの世界を『現実』だと受け止めていらっしゃるからこそ、救いたいと思ってくださったのだろう。完全に『物語の世界』だと思っていらっしゃるなら、『ストーリーを変える』必要性など覚えないはずだから。そんな簡単な事実にすら思い至らないほど衝撃を受けていた自分をそっと恥じた。
「…………でも、エリック様をゲームの攻略対象だとも思っています。エリック様が私にイベント通りの甘いセリフを吐くごとに少し落胆していました。私はシンシア様ではないのに。私はエリック様の私だけに向けられた言葉が欲しかったのです。……なんて、無理言っても仕方ないんですけれどね。」
リディ嬢は切なく微笑んだ。僕はリディ嬢を口説くたびにリディ嬢が少し悲しげな顔をされている理由を知った。僕は誰の真似でもなくリディ嬢を欲して吐いたセリフだったのだけれど、それと全く同じセリフをシンシア嬢に吐く『ゲームのエリック』がいたのだろう。
「僕はただ、リディ嬢が恋しくて、どう言葉にしたら僕に恋してくれるだろうって考えてた。でも僕の考える言葉は既にゲームの僕が吐いた言葉で、リディ嬢にとってはシンシア嬢の身代わりのように起こるイベントなんだね。」
猛烈に悔しい。どんな情熱的な言葉を紡いだとしても、僕のセリフはリディ嬢にとって二番煎じ。しかも「シンシア嬢に向かって吐かれたことのあるセリフ」なのだ。「自分をシンシア嬢の身代わり」のように感じていらっしゃるから、リディ嬢は悲しげな顔をされるのだろう。そんな顔させたいわけじゃないのに!!
僕は僕なのに『ゲームのエリック』に全てを先取りされている。
「小細工もロマンチックさも要らない。ストレートに言うよ。僕はリディ嬢が好きだ。会えば会うほど好きになる。僕が狂ってしまう前に、どうか僕を選んで欲しい。」
このセリフももしかしたら『ゲームのエリック』が吐いたものかもしれないと思うと非常に業腹だ。
「……本当は私もカサンドラ様と同じように不安なんです。今はそう仰ってくださるエリック様も、シンシア様を知ってしまったら、シンシア様にお心が奪われてしまうのではないかって…わ、私もエリック様をお慕いしてしまったので…」
リディ嬢は頬を赤らめて瞳を潤ませた。僕がなまじ『ゲームのエリック』と同じセリフを吐いてしまうから、余計にリディ嬢は不安になるのだろう。
「では僕もシンシア嬢と会って親睦を深めることとしよう。その上で、もう一度、君に告白するよ。リディ嬢。」
僕が『リディ嬢』を好きなことをきちんと知ってもらわねばならない。僕がシンシア嬢に心揺らす『ゲームのエリック』ではないことを知ってもらわねば。
「告白は場所とメンバーを考えてして欲しかったですわ。」
カサンドラ嬢に突っ込まれて少し恥ずかしくなってしまった。
他家の第三者がいるところでする告白ではなかったな…と、今更ながらに思った。動揺のあまり、カサンドラ嬢が目に入らなかったのだ。
それから3人で美味しくお茶とお菓子を頂いて雑談した。
***
僕は絵筆をとった。僕が僕であることの証明をしようと思った。『ゲームのエリック』に塗りつぶされないように。




