エリック視点・第5話
翌日朝からお父様は王家への謁見申込書を外務官へ持たせて王宮に飛ばした。僕は朝一で駆け込みたい気持ちをぐっとこらえた。流石に早朝お邪魔したりなどしたら常識がないと思われてしまうかもしれない。しっかりと朝食をとり、身嗜みを整えて、昼頃にネックラーイ家へ到着できるように調整した。
ネックラーイ家へ行くと使用人の表情が暗いせいで屋敷の雰囲気は一段と暗い。門の前に僕が降り立ったのを見て侍女が用件を尋ねてきた。「昨晩の件に関して重要なお話がある…」と言うと慌てて取り次いでくれた。
侍女に案内されて居間へ通される。まさにネックラーイ家はどうするべきか相談していたようだ。一睡もしていないのだろう。皆憔悴した様子だ。
リディ嬢は僕が現れたのでびっくりした表情をされている。
「リディ嬢。助けさせてくれる約束ですよ。」
悪戯っぽく微笑んだ。
「エリック様…」
昨晩は何度も何度も家の為に下種の慰み者になる自分を想像し迷ったのであろう。
こんな触れればパキンと折れてしまいそうな儚い様子のリディ嬢を前にへたれた様子は見せられない。どっしり構えて安心させてあげないと。
「ウェルスト家ともなると王家に貸しの一つや二つあるものですよ。それに今回は事情が事情ですし、陛下もご理解いただけると思います。父が王家に謁見を申し込んでいるので、近日中に解決できると思います。安心してください。」
微笑んでリディ嬢の頭を撫でるとリディ嬢はぽろぽろと涙を流した。
少しは安心してもらえたのだろうか。安堵故の涙なら来た甲斐があるというもの。リディ嬢のご両親や兄上は事情が掴めず、目を白黒とさせている。
ネックラーイ家のご家族に僕を加えてのお茶。一難去っているので至って雰囲気は和やか。
「ゼルマン侯爵も好色で困ったものですね。3周りも年下の少女に色気を出すとは。」
お父様に伺った話によればゼルマン侯爵は49歳であったはずだ。娘や息子どころか孫がいるというお話である。正妻は一人いるが、妾の数が尋常じゃなく、11人と聞いた。ゼルマン家で最もお金がかかることは妾の維持費だという噂だ。しかもどの妾も、今回のような悪辣な手で召し上げた娘たちだと聞く。好色さは社交界に轟いている。
「本当にかたじけない。」
ドミニク殿にお礼を言われる。ドミニク殿は少し武骨な感じの凛々しい男性だ。
「いえいえ。先に助けてくれたのはリディ嬢ですから。」
僕はご恩を返したに過ぎない。ご恩が返せる上にリディ嬢にもお会いできるというチャンスですらあった。
「リディは何かしたのかい?」
ベンジャミン殿がリディ嬢に尋ねている。
「秘密ですわ。」
リディ嬢が告発文書をくださったのはリディ嬢の独断であったらしい。リディ嬢は本当に不思議なご令嬢だ。ベンジャミン殿に視線で尋ねられたが苦笑して肩を竦めた。
「では秘密ということにしておきましょう。」
リディ嬢がお話したくない秘密を僕がお話しするわけがない。
和やかにお茶を楽しむ。昼食代わりにサンドイッチやスコーンなど、少々ボリュームのあるものが供された。中々に美味。ネックラーイ家はいいものを見つけるのが上手らしい。いい材料に良い料理人。
スコーンを齧りながら、どこかほっとした様子のリディ嬢を見て心から安堵する。僕の一等大切な人を救えるんだ。僕の力じゃなくて家の力ではあるけれど。
***
後日、陛下が直々にご裁可された。「幼き乙女を手中に収めるために下賜した短剣を小道具として使うなど言語道断である。そのようなことの為に短剣を下賜したわけではない。返上するように。ゼルマン侯爵は子爵位に落とす。それからネックラーイ家には迷惑をかけたのだから形ある誠意を見せよ。」とのことだった。
お父様は上手くやってくださった。「陛下の下賜した短剣を13歳の幼い少女を慰み者にするための小道具に使うだなんて、王家を舐めてるとしか思えないですよね。」と上手に陛下の怒りを煽るように説明したようだ。しかも、僕は知らなかったがリディ嬢は以前も王家の王子たちについて王妃様に助言したことがある、王家にとっても一目置く存在。そんな存在を気軽に慰み者にしようとするゼルマン侯爵への怒りは深い。絶対許さんとばかりにつつきまわして、ネックラーイ家に財貨を積ませているらしい。
ゼルマン侯爵…子爵はもう貴族生命は断たれている。当代で二段階も爵位を落とすという不名誉。しかも理由が3周りも下の少女にスケベ心を出して下策を取ったから。情けないにもほどがある。語り継がれてしまうレベルの不名誉だ。
大人しく息子に爵位を譲って隠居したという話だが、身の内に貯め込んでいた財貨のことごとくを吐き出させられ、すっからかんになった子爵家を継がねばならないご子息こそご不幸だ。
ネックラーイ家は一時的に潤ったようだが。尋常ではないレベルで。
「エリック様。本当にありがとうございます。でも、何だか大きな借りが出来てしまった気分です。」
今日はネックラーイ家でリディ様と二人でお茶。
「寧ろウェルスト家が借りを返したのですよ。これで対等です。」
リディ嬢が好きだという薄荷の香りのする紅茶を頂く。とても美味しい。リディ嬢が振舞ってくださるなら泥水でも甘く感じてしまうかもしれないが、この紅茶は本当に美味しい。
リディ嬢を見つめる。
「ゼルマン侯爵やビヴァリーのように…僕は、人間の心が美しいだけではないことを知っています。でも、醜いだけではないことも知っています。リディ嬢に教えられたのです。匿名投書の形をとるくらいだから、本当はリディ嬢は見返りなどいらなかったのでしょう。それでも、幼い僕を、赤の他人の僕を、何の下心もなく見返りも望まず『助けたい』と思ってくれたことがどんなに尊いお気持ちか。僕は胸打たれました。この優しい手紙の差出人の為にできることをしたい、と願ったのです。」
「ありがとう…」
リディ嬢がはにかんだ。
「でもそのお美しさは罪ですね…」
「え……?」
「中身だけでもこれ以上ないくらい尊く美しいのに、見目まで麗しいなんて…」
掌でそっとリディ嬢の頬を撫でる。なんてお可愛らしい。2年間一度も会わなかったが再会したリディ嬢は少し女性らしい体つきになられて、瑞々しい色香を放つようになってしまっている。ゼルマン子爵のような下種の目を引いてしまうくらい。正直僕はあまりの麗しさに胸がときめきっぱなしである。人格が例えようもなく高潔だというのに見目まで麗しいなんて…
「リディ嬢はズルい人ですね。」
僕を魅了してやまないズルい人だ。少し色を乗せた瞳で見つめる。
リディ嬢は真っ赤になってしまわれた。ああ…かわいい…たまんない…
トントンとノックがされた。
「ふぁっ、ふぁいっ!?」
リディ嬢が噛みながら返事をした。すいっと頬から手を離した。
「やあ、リディ。エリック殿がいらしてると聞いてご挨拶を…どうしたんだい?真っ赤だよ?」
ドミニク殿が不審そうな顔でリディ嬢を見る。お気遣いいただいて有り難いが、出来ればもう少し二人きりの時間を堪能したかったな。可愛かったもの。リディ嬢。あーどうしよう。ニヤニヤしそう。僕ももうちょっと成長しなきゃな。
リディ嬢がぺちぺちと赤くなった頬をはたいている。
「な、何でもないですわ。」
応接間のティーカップが3つに増えた。




