エリック視点・第3話
リディ嬢に会いに行くのは物凄く緊張した。顔も知らない僕の恩人。しかも態々匿名希望で手紙を送ったのに、相手を突きとめたりして、気持ち悪いとか、気分を害されたりしたらどうしよう。迷ったが、僕が純粋に会いに行きたかったというのもある。顔も知らない僕の恩人に。
ネックラーイ家はあまり大きくないお屋敷だった。手紙を送らず、いきなり押し掛けるのはきっとご迷惑になるだろうけど、手紙を送れば「来なくていい」と言われるのは目に見えているので、心苦しいけど押し掛けた。
対応に出てきた侍女に自分の身元を告げて、「リディ・ネックラーイ嬢にお会いしたい。」と取り次いでもらえるようにお願いした。訝しげな顔をされたが、僕が乗ってきた馬車には公爵家の紋が入っているし、徽章も見せたので、取り次いでくれるらしい。
果たしてどんなご令嬢なのだろう。どんな髪色で、どんな瞳の色で、どんな口調で、どんなお声なのか。例え醜くたって構わない。僕が美しいと思ったのは「見返りも求めずに、赤の他人を助けたいと思ってくれた心」なのだから。外見の美醜になど惑わされるつもりはない。
ネックラーイ家はごくごく標準的な弱小貴族なのだろう。廊下も通された応接間も調度品は高価とは言いかねる。極貧ではないがご裕福でもないだろう。『弱小』の中の標準だ。お茶とお菓子を頂いたが、紅茶は香りよく、お茶菓子も美味しい。最高級品を買い漁った!という感じではなく、舌で確かめて、手頃で美味しいものを揃えた、という感じだ。リディ嬢のアンケートではお好みのお茶は「薄荷のようなスーッとする香気がある」と書かれていたから、このお茶ではないだろう。
暫く茶とお菓子を楽しんでいると、一人の令嬢が入ってきた。ふんわりと大きくカールした艶々の黒髪。長い睫毛に縁取られたぱっちりと大きな菫色の瞳。ツンと鼻筋は通り、ぷっくりとした肉感的な唇は薔薇色。滑らかな白い肌に右目尻の涙黒子がなんとなく悩ましい印象を与える、可憐な少女だった。外見の美醜に惑わされるつもりはないけれど、思っていたよりずっとお可愛らしかったのでびっくりした。
「お待たせしました、エリック様。お初にお目にかかります、リディ・ネックラーイと申します。どうぞよろしくお願いいたします。」
可愛らしく微笑まれた。恩人に立ったままご挨拶をさせて、僕が座ったままでいるなど失礼だと思い、立ち上がった。
「初めまして。エリック・ウェルストと申します。どうぞよろしくお願いします。」
握手を求めるとしなやかな手を伸ばしてきて、僕の手にそっと触れた。ぎゅっと手を握ったらリディ嬢はさっと頬を赤く染めた。……な、なんだろう。すごいかわいい。キュンとよくわからない衝撃が胸に来た。お可愛らしい反応をじっくり堪能してから、手を放した。
「ど、どうぞお掛けになってください。」
「ありがとう。」
席を勧められたので再び座る。リディ嬢も対面の席に掛けられた。
侍女がリディ嬢の分のお茶とお茶菓子を運んでから下がった。
「本日は私に何かご用件が…?」
侍女が完全に下がるのを待って、リディ嬢が切り出した。
「ええ。是非お礼をと思って。」
「お礼?」
「父に、この手紙を送ってくださったでしょう?」
懐から父の元に届いた匿名の告発文書を取り出した。
「私には覚えがありませんが…」
リディ嬢はチラと目を向けただけですぐに否定してきた。普通、本当に知らなければ「何が書かれているか」読んでみると思うけど、便箋を見ただけで否定してきたところが逆に「手紙の内容など既に知っている」ことを表していると思う。
「……この便箋は王都の『オールドファッション』という雑貨屋でのみ取り扱われている便箋。やや高価な品で、富裕層向けの品。僕がこの手紙の存在を知った後すぐに調査しましたが、その時点で売れていた便箋は12セット。購入記録から貴族家、庶民、含めてその12家にアンケートを出して、返答を頂きました。あとは筆跡鑑定士さんに鑑定していただき、該当したのがリディ嬢です。」
リディ嬢は吃驚した顔をした。僕が手紙一つをここまで執念深く調べるとは思っていなかったのだろう。「気持ち悪い」と思われたかな?と心配になりつつ、表情を観察していると素直におろおろした表情になった。「何故ウェルスト家の内情を知っていた!?」と問い詰められるとでも思っていらっしゃるのだろうか。確かにそれが気にならないと言えば嘘になるけど、別に問い詰めて困らせる気などない。
「匿名で告発した…ということは、リディ嬢は本当は自分が告発者だと突き止めて欲しくなかったのでしょう。でも僕は敢えて、リディ嬢に会いに来ました。僕が受けたご恩はかけがえのないもので、もし、いつかリディ嬢が何かお困りになった際は、今度は僕たちウェルスト家の者がお力になりたいと思ったからです。我が家の内情を知っていた詳しい事情を話せだとか、そういったことはご要求いたしません。いつか、本当に困った時、助けさせてください。」
僕の素直な気持ちをお話して、深く頭を下げた。本当に、言葉に尽くせないくらい感謝しているのです。見返りなどいらないと思ってくれているリディ嬢には僕の気持ちは「余計な押し付け」になっているかもしれないけれど、人生何があるのかわからないのだから、是非とも僕と僕の家に恩を売ってほしいのです。
「ありがとう…ございます。困ったことなどなければ良いと思いますが、もし何かありましたら、頼りにさせていただきます。」
リディ嬢は素直に頷いてくださった。僕は頭をあげて微笑んだ。確かに困ったことなどない方がいいけれど、もし何かあったら遠慮なく頼ってほしい。
それから一緒にお茶を飲みながらしばし雑談した。
リディ嬢は、素直で、一つ一つの反応がお可愛らしい、笑顔の魅力的な少女だった。あんまりお可愛らしかったから、少し不躾にじろじろ見過ぎてしまったかもしれない。リディ嬢とお話していると気分が高揚する。ドキドキと胸が心地よいリズムを刻んでいる。
「へえ、リディ嬢のご趣味は竪琴なのですか。」
「ええ。習い始めて5年経ちます。あまり上手ではないですが、曲を奏でるのは楽しいです。」
先ほどリディ嬢は11歳だと仰っていたから、6歳の頃から習われているのだな。僕にとって楽器とは難解な道具で、あれを5年も弄っていられるということに素直に感心した。
「素敵だな!僕は絵画が趣味なのですが、音楽はからっきしで。何か楽器を奏でると、父上に『騒音公害は感心しない』って叱られるんですよ。」
冗談でもあるが本当にそれに近いことは仰られた。実のお母様が生前弾かれていたというピアノで簡単な演奏を教えていただき、弾いてみたのだけれど、間違いまくりで、優しかったころのビヴァリーにすら不評だった。
リディ嬢は可愛らしく、くすくすと笑っている。
「でも絵を描くのは本当に好きで、まだ拙いですが、いつかは、もっと上手に描けるようになりたいです。」
物心つく頃にはずっと絵筆を握っていた。ビヴァリーに嫌がらせをされている時も、僕はキャンバスに自分の苦しい心を映していた。ビヴァリーから解放された今、改めて絵を見返すと「相当苦しかった。」ということが如実に表れている人間の汚さの粋を集めたような絵画になっている。
今は苦しみから解き放たれて、穏やかな風景画などを描いている。
「きっとなれますわ。エリック様なら、誰もが手を伸ばす高みに登れるはずですわ。」
リディ嬢がとても美しく、慈愛に満ちた微笑みを浮かべられた。なんて美しい…リディ嬢は人格が表情に出てると思う。思わず照れてはにかんでしまう。リディ嬢に僕が肯定されたのが嬉しい。
「折角ですから、何か一曲聴かせてくださいませんか?」
リディ嬢の奏でる音を聞いてみたい。
「本当に上手ではありませんよ?」
リディ嬢が困ったように微笑んだ。
「構いません。どんなに技術が拙くても、芸術は人の心を映すものだと思っています。リディ嬢のお心を、僕にも聴かせてください。」
リディ嬢のお心模様を知りたい。
リディ嬢は竪琴を取ってきてくれて、一曲披露してくださった。リディ嬢が披露してくれた曲は『夢の輪舞曲』というらしい。僕は音楽には疎いので、曲の解釈はよくわからないのだが、なんだかロマンチックなのにすごく切ない感じの曲だった。確かにすごく上手か、と聞かれればそんなことはないのだろうけれど、リディ嬢がとても心を込めて弾いていらっしゃるのがよくわかった。細い指の奏でる音は丁寧で、繊細で、甘く、切ない。
一曲弾き終えたところで盛大に拍手した。
「甘く麗しいのに、とても切なくて、儚くて、心の洗われるような素敵な音色でした。」
「有難うございます。」
リディ嬢とお話しするのはとても楽しくて、会話も弾んで、時間が経つのはあっという間だった。本当はもっと沢山お話していたかったけれど、ご迷惑になるだろうから、と自重して暇を告げた。
自宅に帰って、リディ嬢との楽しかった思い出に思いを馳せる。
お父様がやってきてにっこり笑った。
「リディ嬢はどんな子だったんだい?」
「素敵なご令嬢でした。僕と同じ11歳で、お優しいだけでなく、お可愛らしくて…」
僕はうっとりと溜息をついた。お父様はニコニコ笑って僕の話を楽しそうに聞いてくださった。こうやってお父様と平和な時間を過ごせるのもリディ嬢のおかげ。




