仮初めのピースフル 3
その姿はさながら子供のようであった。
「まず、君があの仕掛けを作動させた時点で、君にパスワードが送信されると同時に部屋内に強力な妨害電波に乗せられた、待機している3Dホログラムで君の姿をしたアンドロイドが、表の研究室を完璧に再現した別室でフェイクの動きをする映像が隠しカメラに流れ始めてね。フェイクの君は表示されたパスワードをキーボードに打つことなく、本棚のジキル博士とハイド氏の中に隠している入力装置にパスワードを打ち込む。すると本棚が開いてエレベーターのパスワードが表示される。勿論、間違ったものがね」
「妙に凝ってますね……しかも、アンドロイドって、あいつか……」
「あの子も君に会いたがっていたよ。それに、私が頑張って考えたギミックだからね。さて、続きだ。部屋外には他の人のプライバシーの問題があるからね、外の監視カメラは全て秘密裏に外させてもらっている。つまり、その先は彼らスパイにとって未知数なわけだ。しかし、何食わぬ間抜け顔で出入りしている君に間違いがあるはずない、と恐々とした気分でエレベーターに乗り込み間違ったパスワードを打ち込んだ彼らが行く末は、地下二十階さ」
「二十階?ここより五階上にフロアがあるんですか?」
「ああ。そこは私が工夫に工夫を凝らした大迷宮さ。ドラえもんのブリキの迷宮を参考にした傑作だよ。あれは劇場で見た時衝撃が走ったねぇ。あれから私はいつかどこかにこれを超える迷宮を作ってやるんだと燃えたものだよ」
「そういうの言うのやめてもらえます?」
「いいだろ別に。ここで死んだような暮らしをしている私にだって夢を見る権利はある。……どれ、話が逸れたね。スパイが地下二十階に到達したのを見ると、すかさず私はアナウンスを入れてやるんだ。『斎賀君、毎回お手数だけど、頑張って来てくれ。これも侵入者対策なんでね』と。これを聞いた彼らは大抵、しめしめと喜びを噛み締めたバカみたいなツラを見せるんだ。バカめ、斎賀君は正規のルートを通ってとっくに到着している。ざまぁみろ。まぁ、個人的にワンフロアの攻略に一年はかかるような構造に作ったからね。現時点でここまで来たものは一人もいない。奴ら、一日もすれば空腹に呻き出してここから出してくれと叫び始めるんだ。その時、私が足元の誘導灯をつけてやると、大抵その光に吸い寄せられていく。その先はどうなっているかって?一つの扉を設けていて、その扉を開けると真っ白な部屋に通じるのさ。その真っ白な部屋の中に、ガラス張りのケージにいれたこれまでのスパイを閉じ込めておいて、あたかも飼育しているかのように見せかける」
「こ、この上で人間を飼ってるんですか⁉︎」
「勿論、しばらく経ったら解放してやるさ。でもその時の、自分は手のひらの上で転がされていたのかという驚愕と、人間を飼っているという狂気に歪んだ顔を見るのが楽しくて楽しくて。そして、その部屋に入獄した者で、再挑戦に来たものは一人もいなかったかな。……と、これが私がこのセキュリティを解除しない理由さ。長ったらしくなったけど、お判りいただけたかな?」
「……アンタの性格が死ぬほど悪いってことが理解できましたよ」
「ならいい。私を単純な正義の味方だと思ってくれるな。まぁ、わかっているとは思っているがね」
沈希は心ここにあらずという遠い目をして、火もつけていないパイプを口にくわえた。それが彼女の癖だった。
戦う理由は人それぞれあるが、沈希の戦った理由が決して綺麗なものだけではないことを知っていた悠は。その視線の理由も知っていたため、彼女に何も声をかけることが出来なかった。
髪で隠れてしまっている、眼帯の下の瞳はなにを感じ取っているかは悠の計り知れるものではなかった。
しかし、しはらくぼうっと虚空を見つめた沈希は途端に意識を取り戻し、パイプを悠の口に突っ込んで生き生きと会話を再開させた。
いつものことながら、抑揚が激しい。
「さぁ、今日来てもらった要件は他でもないデッドノートのことさ。正直、今の話だけでもお腹いっぱいになってしまった感はあるだろうけど、少々付き合ってくれ」
「……まぁどうせ暇ですしいいですよ」
「よく言った。まぁ、暇でなくてもこの話には付き合ってもらわざるを得ないんだがね」
沈希はくるりと指を回してたしなめるように古月に向けた。
その行動の意味はわからない。
「デッドノートなんだけどねぇ、多分また使うことになると思うから気をつけておいてくれ」
「……デッドノートをですか?」
「ああ。政府の高官共のことなど気にしなくていいからね」
「でも、ドミネーターは滅びたじゃないですか」
「本当にそう思うのかい?」
「え?」
「君は研究者共まで皆殺しにしたわけじゃないだろう?君が倒したのは主に戦闘要員の改造人間で、裏方まではほとんど手をつけていない。その中でもほとんどが豚箱にいるはずだけど、その網を抜けた残党が必ずいるはずだ。第二、第三の悪の手は伸びてきているんだよ」
その時、悠はヴァンの言葉を思い出した。
彼は、悪は人の預かり知らぬところで発達するものだと言っていた。
ヴァンの遺したこの言葉がもし本当にそういうことなのだとしたら、と考えると悠の身は引き締まる思いだった。
戦いはまだ終わっていない。
――と思ったものの、当の沈希の顔は妙に無頓着で、無関心なようだった。
そんな顔をされるとせっかくの決意がブレる、と沈希の顔を見返してやる。
「なんか言った割には適当な感じですね」
「まぁね。悪の根は伸びてきているだろうが、所詮は吹けば飛ぶような雑草だ。私が思う第二の敵は、別にある」
あたかもドミネーター関係の話だという口ぶりだった癖に、と心の中で悪態をつく。
しかし口に出すと殺されるので硬く口は閉ざす。
反論がないことを確認した沈希は再び口を開いた。