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恋愛短編集

翻弄する猫

作者: Moku

 

 部活予算についての大切な会議だというのに、私はひどく落ち着かない気分で座っていた。

 緊張からではない別の感情で指に力が入ってしまう。

 手元にある昨年度の予算比較からは目が滑り、司会進行を勤める後輩や部活の代表者の声が耳を右から左に通り抜けていく。


「……という理由により漫画研究部の予算については昨年度同様の金額を求めます」


 上の空のままではいけないとため息を吐くと、隣の後輩にが目を丸くしてこちらを見た。

 それがどういう意図であれ、報告の終わりで静まり返った教室にため息は良く響いたろう。

 我に返った時には時既に遅く、周囲の視線が私に集まっていた。


我妻あづま会長、何か気になる点でもお有りですか?」


 そう声をかけてきた報告者を視界に入れた今、本音を言えば大声で怒鳴り付けたかった。

 ――― なぜ、こんな時まで猫耳をつけている!!

 ふざけているのか貴様。廊下に放り出して思い切り撫でまわしてやろうか、と脳内でひどく脱線しながらもどうにか理性をかき集め報告内容を思い出す。


「昨年度と同等額を要求していたが、資料をみると購入した金額の一番大きかったものはソフトウェアの様だが人数が大きく変動していない今年度は購入する必要はないだろう。何に使う?」


「今年度は趣向を変えて衣装方面の研究に重点を置きたいと思います。これ(・・)に尻尾も追加する予定です」


 自らの頭に装着した猫耳を指で弄りながら漫研部長の浅野(あさの)が回答する。

 今の発言を脳裏で反芻して不意に鼓動が乱れた。落ち着け。正気に返れ。尻尾が感情によってピンと立ったり、ぺたんとしたりする猫と重ねてはいけないのだ。

 作り物は垂れるだけで、装着するのは男の尻だ。そう考えると一気に萎える。息を吸ってゆっくり溜め息を吐いた。


「活動方針とズレがないなら何を購入しようと反対はしないが、あくまで学校の備品として部の共有財産になる。部費で購入しているものを私物にされては困る」 今も含め猫耳つけて校内を堂々と闊歩するなと暗喩すると、わかっているのか、はたまた、わかっていないだけなのか浅野が淡々と答えた。


「私物にはしていません。登校してから部室で装着して、帰宅時には外しています」


 この男、案外面倒くさいことをしている。


「……常々思っていたのだが、それを校内で着けるのは校則違反に値しないのか」

「髪飾りは校則違反に抵触しませんよ」


 きっぱりと言い切られても何か釈然としないものを感じるが、これ以上問答を重ねてもわかりあえる気もせず時間を浪費するだけだ。

 それならばもっと有意義な他の部の意見を聞きたい。


「予算について話を戻すが、一部を例外として文化祭以外の衣装活用見込みがなく必要性も薄いように感じた。やはりこの部分は少し割合させてもらう。他に意見があるものは……」

「無いようなので、次は家庭科部お願いします」


 各部からの追及がなかったことを確認すると、後輩が次の部へ指示を出す。

浅野が静かに着席したのを見ていると視線が合ってしまったので慌ててそらした。

 気にしたくないのに気になってしまうのは、アレのせいだ。



 ∧_∧ ←

(=・ω・=)



「……うちの学校が緩いとはいえ、猫耳はあまりにもふざけすぎだと思うのですが」


 煙草をふかす生徒会顧問に愚痴をこぼすとガリガリと白髪混じりの短い髪をかきながら「んー、そうだねぇ」と気の抜けた相槌が返ってきた。


「先生、聞く気ありませんね」

「んー、そうだねぇ」

「正直タバコくさい教師ってどうかと思います」

「んー、そうだねぇ」


 真面目に取り合ってくれるとは思っていなかったので、私の視線は最初から足元を見ている。

 白と灰色の入り交じった毛並みの猫が足にすりよって甘えている様子は愛らしい。

 登校中に捨てられていた子猫を拾ったのは私で、校長の気まぐれでうちの学校の飼い猫となったモモだが、飼っている場所が校舎裏の喫煙所だからか存在を知る生徒は少ない。


 生徒会顧問が煙草をくわえたまま、持っていたキャットフードを皿に移すと、勢いよく食いついた食いしん坊な姿さえ天使だ。

 ゆらゆらと機嫌良さそうに揺れる尻尾を眺めていると、浅野の発言を思い出してなんとも言えない気分になった。奴は本当に尻尾まで着ける気なのだろうか。


「……あの猫耳を髪飾りと言い張るのは、やはり釈然としないものが」

「存外、君はしつこいね。服装は風紀委員の基準だから僕は管轄外だけど、真面目に答えると大きな花の髪飾りやリボンカチューシャだって結構目立つし余程派手だと思う。あれを頭に着ける飾りといわれれば否定できないだろ?」


 確かにリボンカチューシャは大きいものが流行り、形状を変えられるワイヤー入りが増えてかなり目をひくものだ。

 否定は出来ないけれど肯定するのも癪だ。


「なら、生徒が某ランドのネズミ耳を着けてきても問題ないということですか」

「ないね。でも許可されたところで我妻君はそれを身に着けて歩きたい?」

「……いいえ」

「そうだろうね。皆に指差され、嘲笑され、変人とレッテルを貼られることが恥ずかしくない若者は極少数だよ」


 言いくるめられている気がするが上手い反論がうかばない。煙草をふかしながらモモを撫でる節目が目立つ指先を膨れっ面で睨み付けていると、顧問の唇が愉快とばかりに唇が弓なりにあがる。


「まぁ、あのふざけた格好も若さゆえの暴走と思えばほほえましい。彼を見るたび僕は笑いを堪えるのが大変でね」


 喉をならして笑う顧問に大人の狡さといやらしさを感じた私は、癒しを求めてモモの耳に手を伸ばした。


「あぁ、早めに言っておくけど、僕は夏休みの間不在のときもあるからモモの面倒を宜しく頼むよ」

「どうせ生徒会と部活でお盆以外は頻繁に通学予定ですしそれは構いませんが、まだ6月中旬ですよ。気が早いのでは?」

「根回しは早めに行うのが出来る大人だからね。ついでに助っ人を呼んでおこうか」


 楽しげに笑う顧問の顔を見ず、発言を軽く流したことを後に私は悔やむことになる。

なぜそこで追及しなかったのかと。確認を怠ったのかと。



 ∧_∧

(=・ω・=)



 蝉の鳴き声がどこにいても聞こえるような季節。夏休みが開始された。

 滴る汗をタオルで拭いつつ、部活の休憩時間を使ってモモに餌を与えにきた私は、先客に気付いて足を止める。夏休み中でも頭のそれは健在のようだ。


「……浅野」

「うわ!?我妻会長!?」


 目を見開いて驚愕の表情のまま振り返る浅野の反応は幽霊でもみたかのようだが、生憎気配なんて消していないし足音も立てていたはずだ。

 職員室に寄ってキャットフードを持ってきたが皿にはすでに山盛られており、モモが食欲旺盛な様子で齧り付いている。元気そうでなによりだ。

 それよりも気が散って仕方ない。浅野がしゃがんだ今の角度だと猫耳(本物)と猫耳(偽物)が視界に入るのだ。胸をかきむしりたくなる。


「えっと、山岸先生に頼まれて手伝いに来て。今日のぶんのご飯はあげたし、会長はテニス部で忙しそうだし今日は来ないと思っていたから予想外というかなんというかその」

「……休憩時間に私がここに来ては駄目とでも」

「いや、その、そういう訳ではなくて。会長は猫好きだよね。俺も嫌いじゃないけど」

「……それは、そうだろうな」


 頭にそんなものを付けているにもかかわらず嫌いと言われたら私が驚く。

 猫耳をじっと見つめていると困ったような、気まずそうな様子で黙られた。奇特な行動を取っているから、私は一方的に浅野に物申したいが、良く考えてみれば碌に会話をしたことがない。


「浅野は何故モモを頼まれる経緯になったんだ?」


 てっきりあの顧問は生徒会の後輩にでも言付けていくだろうと漠然と思っていたので、浅野がどういう経緯で頼まれたのか予想が付かない。

 疑問に思って問いかけてみれば、くしゃりと猫耳付近の髪を掴んで俯かれた。


「山岸先生ってうちの担任で、夏休み前、廊下でそんな話をわりといきなりされて」

「……それは災難だったな」


 生徒会顧問は古典の担当で、文系クラスの担任をしているのは知っていたが、浅野がそのクラスだったのは初めて知った。

 私が理系クラスのせいであまり交流はないのだ。


 それにしても浅野が選ばれたのは、私が猫耳猫耳と此処で愚痴りすぎたせいだろうか。あの愉快犯はそれだけで行動に移しそうな気がする。そうであれば浅野はとばっちりで申し訳なくも思う。


「まぁ、部活のついでだったしいいんだけどさ」

「漫画研究部って夏休み期間にも活動しているのか」

「運動部みたいに強制ではなくてお好きにどうぞ、みたいな。クーラーあるし」

「それは知らなかった。部室に集まってなにをするんだ」

「…………げ、原稿、とか?」


 微妙に疑問系なのが気になるが深く俯かれて顔色が伺えず、緩く波打つ癖っ毛から飛び出る黒い猫耳を見つめているうちに部活の休憩時間が終わった。



 ∧_∧

(=・ω-;=)



 猫耳を学校で付け替える発言から推測していたが、浅野はマメだった。7月中は生徒会と部活でほぼ毎日登校していたのだが、キャットフードが常備されている職員室や部活に戻る廊下という違いはあれ、殆ど毎日顔をあわせていた。そして相変わらず猫耳だ。


「流石に無理をしていないか。文化部が運動部より活動が多いとは思えないのだが」

「まぁ、部活以外にも受験用の夏期講習出ているし」

「ああ、夏期講習か」


 浅野がキャットフードを開けると、待っていましたとばかりにモモが浅野に擦り寄る。元より人懐こい猫ではあったが、一緒に居ると必ず浅野に寄っていくのが腑に落ちない。


 子猫の頃からの付き合いなのに、顧問はともかく新規の浅野よりも私は下の扱いなのか。雌の本能というやつだろうか。それとも動物の鼻は人間より鋭いというし、もしや汗臭かったりするのか。

 女の端くれとしてそれはちょっと困るので襟元の匂いを嗅いでみる。


「俺は基本的に来てのんびりするだけだから。生徒会長に、テニス部レギュラーこなす会長のほうが凄すぎ……てか、さっきからなにやってんの?」

「モモが私ではなく浅野の元に行くのは匂いのせいかと思って。どう思う?」


 食べている最中に撫でる浅野の手を気にする様子の無いモモ。食事中は普通嫌がるはずだが浅野なら良いのかと寂しさと悔しさで複雑すぎる。

 運動後に一応制汗スプレーをしているはずだがそれが駄目なのだろうかと悩んでいると、基本的に俯いたままの浅野が珍しく顔を上げた。猫耳のピンクの部分がこちらに向けられドキリとする。


「会長は、汗臭くない。寧ろなんか甘い感じ」

「それは多分、使ってる制汗スプレーだな。微香料だがエルダーフラワーの薫りがするらしいぞ」

「その花を知らないから、これがその香りかわかんないけどさ。猫って確か精油とか香水とか付着した手で触るのアウト」

「へぇ…詳しいな……」

「うち、猫飼ってるから」


 もしかして浅野の猫耳は魚好きが高じて被り物をする某タレントのように、筋金入りの猫好きを表現するアイテムなのだろうか。

 飼い猫がいる羨ましさから脱線しかけたが、頭の片隅でふと引っ掛かるものがある。


「………もしかして、それって制汗スプレーを使っている夏の間、天使(モモ)に触れられないと言っていないか?」


 まさかそんなこと有るはずが、と引きつった笑みを向ける。

 運動部な以上、汗とは切っても切り離せず、かといって女は捨てられない。

 すがるような視線からさっと目を反らされ、私は心のなかで涙した。



 ∧_∧

(=-ω-;=)



 衝撃の事実が判明した翌日。

 私は浅野の足元にまとわりつくモモを見つめていた。天使は見ているだけで可愛いが、あの毛並みに触れないのは悲しい。


「……会長、哀愁漂ってるんだけど」

「大会が終わるまでは部活に重点を置いている以上、当分の間はモモに触れられないんだ。落ち込むのは仕方がないだろう」


 声に少し恨みがましい響きが混じるのは許してほしい。

 いつも通り、どこか気だるそうな様子で相槌を打つ浅野の猫耳を見つめながら良く考えてみれば、部活の合宿期間を伝えることを忘れていた。


「明日から5日、つまり今週いっぱい私は部活の合宿なんだ。モモは元々半野良だから餌がなくとも平気だろうが、一応来週の登校停止期間は世話を頼んであるから気にしなくていい。その翌週の事なんだが、まだ生徒会の予定が曖昧で」

「……本当に当分触れないね」

「思い出させるな。そうではなく、8月の後半は夏期講習も無いし浅野にも予定があるだろう。来れない日は出来れば事前に教えてくれたら嬉しい」

「……いや、俺は会長みたいにスケジュール立てて予定詰めてる訳じゃないからわかんないし」

「私の連絡先を教えるから、決まった時点で伝えてくれれば構わない」


 スマホを取りだしてそう言うと、浅野に何故か微妙な顔で黙られてしまった。


「連絡先が嫌ならLINEでも良いぞ」

「……いや、そういう事じゃなくて。ちょっと想像の範囲外というか教えるから待って」


 多少口ごもり気味にそういうと浅野がスマホを取りだした。ロック解除をした後の画面が猫だった。三毛猫と毛の長い白い猫があくびをしている。


「可愛らしいな。これが浅野のうちの猫か?」

「そう。あと一匹写ってないけどいて」

「猫屋敷じゃないか!」

「会長、近い。操作しづらい」


 あまりに可愛らしくて興奮気味に近づくと嫌そうな顔で距離をとられた。警戒している猫のように多少ピリピリしている。

 しつこかったかと反省しながら連絡先を交換する。浅野の名前が表示された。


「浅野の名前は夜一(よいち)っていうのか。面白い」

「……面白いって何が?」

「気を悪くしたならすまない。私の名前が陽子(ようこ)。つまり日中のことだから正反対でなんだか可笑しかったんだ。それにイニシャルも一緒だ」

「………ふぅん」


 名前をネタにしたことが気にいらなかったのか背を向けられて黙られてしまった。

 怒らせたかと落ち込みつつ部活に戻ると、夕刻になってLINEの通知が届いた。

 『うちの最後の一匹』とコメントのあとに、黒猫の腕をもちあげ、肉きゅうを写した画像が送られてきて部室で悶えるはめになった。

 猫耳をつけているだけあるのか、普段隠れた魅惑の肉きゅうの威力を浅野は良くわかっている。



 ∧_∧

(=>ω<*=)



 モモに会えない無念さが伝わっていたのか、浅野からコメント無しの画像が送られてくるようになった。通知が送られてくる度に幸せな気分にさせられるのは良いのだが、合宿中なため顔が緩んだ私の回りに人がいる。


「なにニヤニヤしてるの?もしかして、もしかしちゃう?」

「えー!陽子いつのまに!?」

「友達の飼い猫が可愛いんだ。見るか?」


 浅野のログは猫画像の倉庫になっていて荒んだ時に眺めると心を癒してくれる。

 三毛猫がガラス窓に顔をぺったりさせて潰れた顔を、反対側から写した画像は中々秀逸だ。


「可愛いけどさー。ネタとしてはつまんないよー」

「いやいや、ちょっと待って。表示が『yoichi』ってことは男の可能性もあるのでは」

「何をいってるのかわからないが、浅野は文系クラスだから二人の方が知ってるだろ?」


 可愛かったという感謝を込めスタンプを押してポケットにしまいこむ。

 まだ悩んでいるようなのでわかりやすいヒントを出した。


「猫耳だ」

「……もしかして浅野ってあの浅野?猫耳変人の浅野!?」

「浅野って数人いるけど、よりによってうちのクラスの浅野か!」

「いやいや、陽子。猫好きだからってそれはないだろ。ありえなさすぎる」


 呆れた表情で肩を叩かれ、背にのし掛かれた。

 外での部活でも絶対焼けたくないとばかりに日焼け止めを塗りたくっていただけあって友人の腕は私よりも白い。


「浅野って地味すぎない?」

「え?地味なの?猫耳のインパクト強すぎて顔わかんないんだけど」

「あいつ授業中はあの猫耳はずしてんだよ」

「そうなのか?」


 廊下で見かけるときは必ず猫耳が付いている気がするが、帰宅時以外にもはずしていたらしい。

 生徒会顧問いわく問題ないらしがあの格好で授業を受け反感を買わないわけがない。休み時間ならいいのだろう。いや、いいのか。どうみてもふざけているんだが。

 連日会っていた影響か、段々感覚が麻痺している。


「あの猫耳外すと本当に薄い顔してんの。普通すぎっていうか、特徴らしい特徴なさすぎて埋もれる」

「陽子、そんな地味な男はやめなよー!!美人なんだからもっと上を目指そうよー!」

「浅野に申し訳なくなる発言はやめろ。そういう関係ではない」


 人の関係を邪推して盛り上がっていた二人は冗談だよと笑顔で笑う。

 猫画像を見せたせいで話題にされた浅野からしてみれば不本意な噂だろう。

 これを聞いていたらきっと、いつもみたいに黙って口を利かなくなるなと不機嫌になったあとの浅野の行動パターンを思い出して笑いそうになるが、また騒がれてはたまらないと顔を引き締める。


「それにしてもなんで浅野って猫耳つけてんの?」

「えー、変人だからでしょ?」

「一年のは付けてなかったんだよね。二年の終わりくらいから?」

「目覚めちゃったんじゃないの?」

「やだー!」


 つづけて話題にされているが、これについては私も擁護できない。

 あの猫耳は目立つ。顧問が言っていた通りなんだなとぼんやり思った。

 皆に指差され、嘲笑され、変人とレッテルを貼られても、浅野が猫耳をつける理由はなんだろう。

 少し気難しくて、真面目で、猫が好き。普段の言動を省みると目立ちたがりとは思えない。

 考えれば考えるほど謎が深まるばかりで変な奴だと言わざるを得ない。いつの間にか他の話題に流れている二人に混じりながら、浅野にお土産を買って帰ることを決めた。



 ∧_∧

(=∩ω∩=)



「………なにこれ」

「猫の尻尾バックチャームだ。さわり心地がとてもいい」


 猫好きならこれに惹かれるだろうと購入してみたが、浅野の声を聞く限り嬉しそうとは言い難い。

 土地の名前がかかれたキーホルダーを貰うよりは良いかと思ったんだが駄目そうだ。


「私も色違いで買ったんだが気に入らなければ」

「いらないとはいってない」

「え?」

「……ありがとうって言った」


 返さないとばかりに握りしめ、背を向けた浅野に笑う。どうやら照れ隠しだったようだ。それならば良かった。


「実はそれ、モモとさわり心地が似ている気がして、浅野なら共感してくれるだろうと思って選んだんだ」

「……そんな理由だろうとは思ったけど」


 何かを小声で呟いて、浅野は感触を確かめるようにバックチャームを撫で、それから側にいたモモに触れる。実際のところ類似性はどうなのだろう。


「浅野どうだ?感触は似ているか?」

「……微妙。貰ったバックチャームの方が柔らかい気がする。あと体温の違いもあるし」

「そうか。夏休みの間はろくに触れなかったからか脳内補正が入っていたのかもな」


 大会後の今日は三年生と二年生の追い出し試合で、明日からは校内の生徒会活動に専念する。

 校内はクーラーが効いている故に汗はかかず、明日からモモに触れるということだ。

 それでも浅野の足元に寄って甘えているモモを見ると無性に触りたくてしかたがない。禁断症状かもしれない。目線をあげると浅野の猫耳が視界にはいった。


「そういえば浅野に聞きたいことがあるんだが、なんで猫耳をつけるようになったんだ?」


 合宿所でも話題になったし、私自身も結構気になっている。

 勢いに任せて問えば黙られた。触れてはいけないことだったようだ。

 一体どんな事情なんだろうなとぼんやり浅野の猫耳を見つめていると手がうずく。

 私の買ってきたバックチャームは柔らかなさわり心地がするが、浅野の猫耳はどんな感触がするのだろう。三角形を保つ作りだが柔らかいのだろうか。気になりはじめたらとまらない。

 手を伸ばすとびくっと浅野が肩を揺らして怯えたように距離をとった。


「その猫耳、触らせてくれないか?」

「はぁ!?」

「実はモモに触れない鬱憤が結構限界なんだ。後生だ。触らせてくれないか?」

「会長、これ本物じゃないんだけど」

「了承している。浅野、頼む!」

「…………いいけど」


 渋々だが許可が出たので距離を詰め、手を伸ばすと浅野の目が見開かれる。


「ちょっと待っ!取る!!取るから!!!」

「いや、そのままで構わない」


 初めて触れた作り物の猫耳はやはり本物と違って綿の硬さがある。

 毛もふわふわとしているが毛並み揃ってツルツルとする感触は無い。

 これはこれで、小さい頃に持っていたぬいぐるみを思い出すので悪くはないなと上から下に手を動かすと、ふわりと指が浅野の髪に埋もれた。

 思わぬ柔らかさにそのまま掌を走らせる。

 ゆるく癖がかかっている天然ものの髪はワックスのようなべたつきも無く、かといって私の様になだらかにすべる訳ではない不思議な柔らかさがあった。


「かい、ちょ」


 掠れた声に我に返り、正面で見た浅野の顔は真っ赤だった。

 人の顔とは此処まで赤くなるのかと思うと同時に、自分の行動を省みてぱっと両手を離す。

 降参のポーズだ。


「すまない!浅野の髪が柔らかくて、つい、はしたない事を!」

「……………いい、けど」


 明らかに良いという顔ではない。

 頬を染めてどこか居心地の悪そうな浅野に申し訳ない気持ちを抱くが、これ以上謝罪をつづけても更に気を重くさせてしまいそうだ。

 だからわざと明るく、いささか早口になりながらも話を変えた。


「それにしても、作りものの猫耳とは結構硬い感触をしているのだな。いつも見ているばかりで触れることはないと思っていたから……なんだかとても興味深かった。」


 改めてお礼を言おうと笑顔を向けた先の浅野の顔は、先の事が嘘のように白くて。

 思わず言葉を飲み込んだ。

 どこか気まずい沈黙に話題を探すが上手く言葉が出てこないままうつむく。

「……会長は」

 掠れた声で浅野がつぶやいた。


「オレの猫耳、どう思ってた?」

「唐突だな」


 驚きで目を見開く。こうやって自由気ままに猫耳をつけているので、他人の目などあまり気にしていないのではないかと推測していた。合宿の会話を反芻して軽く首を振る。

 少なくとも私は嘲笑していたわけではない。


「そうだな……そういう飾りが存在するということも私は知らなかったから単純に驚いた。作り物だとわかっていてもあれが猫耳なのだと気になって目を向けて、浮わついた気持ちになっては自分を諌めるのが大変で、それでも見ずにはいられなかったよ」


 ただの玩具だろうと流して笑うことが出来ない程度には気にしていた。

 見かけるたび視線で追って足を止めそうになり、そんな落ち着きのない自分を恥じていた。

 だから余計に八つ当たりじみた感情を浅野に向けていたのかもしれないと思いあたって笑った。

 ここで先生に度々愚痴っていたことを話してみようか。浅野にふと顔を向けると、なんともいえない表情をしてこちらを見ていた。


「そうだよ、な」


 聞いたことのない苦々しい声色に目を見開く。どういう意味か図りかねて戸惑っていると顔を歪めて浅野が笑った。


「……ははっ……俺、本当にバカ。まじバカすぎ。きえたい」

「あさの?」


 自嘲まじりの言葉に益々困惑する。何か気にさわる事を言ったのかと不安になる。

 名を呼び、恐る恐る様子を伺っているとおもむろに浅野が猫耳カチューシャを外した。

 その頭から外されたことに衝撃を受けて固まっていると、浅野は小さく笑って私の髪に触れる。


「会長は猫好きで猫バカで、猫であれば何でもいいって」


 持っていた猫耳カチューシャを私の頭にかぶせたあと、髪を一撫でするような大きな掌の感触がした。



「―――俺じゃなくても良いって、はじめからわかってたのに」



 そう言い捨てて、浅野はその場から走り去る。

 瞳が潤んでいた。

 声が震えていた。

 辛い。苦しい。泣きそうな顔をしていたのにも関わらず、後姿を追えなかったのは私の落ち度だ。


 その日を境に浅野は餌やりに来なくなった。



 ∧_∧ 

( ζ )



「暫くのあいだ、モモの世話やりありがとうね」

「そういえば、どこかの不良顧問は今まで一度も顔を見せませんでしたね」

「僕は生徒専用の壁とはいえ、馬に蹴られる趣味はないんだ」


 浅野が来なくなった翌日から、飄々とした様子で生徒会顧問がやってきた。いつも通り煙草を吸い始める顧問の側にモモが擦り寄っていく。それなのにいつものようなジェラシーは感じない。


「知っていて、やったんですか」

「あまりにも健気なものだから小さな報いがあっても良いような気がしてさ。我妻くんに自覚させることが出来たんだから彼は大健闘だね」


 悪びれた様子もなく、ただ悪戯が見つかった子供のようにネタばらしをする顧問をじっとり睨む。


「彼が本当に見せ物でいいなら波風たたず終わったことだよ。権中納言敦忠が『逢ひ見ての後の心に比ぶれば、昔は物も思はざりけり』と歌ったように、会って自覚することも有るだろうと僕は思ってた」


 古典教師でもある顧問は時折こうやって和歌を会話に盛り込んでややこしい言い回しをする。

 ゆらゆらと空気に広がり消えていく煙草の煙を眺めてため息を吐いた。


「まあ叶う恋もあれば叶わない恋はある。中途半端な同情なら捨てて置くべきさ」

「………。」

「調子の良いことを言っている自覚はある。年寄りの冷や水ですまないね」


 そっとしておいてあげなさいと顧問は言う。

 ぐっと拳を握りしめたのがわかったのか、こんな時ばかり足にまとわりつく優しいモモに唇を緩める。抱き上げて頬と指先ででその毛並みをゆっくり撫でた。暖かで柔らかい感触をあれほど待ち望んでいたはずなのに。

 ため息が口からこぼれた。

 思い返してみれば、合宿所で聞いた友人も、顧問も、そして浅野も、誰も彼も同じことばかり口にする。

 予想が付くから答えなくても構わない。

 それが腹立たしい。ひどい話だ。私はまだなにも言っていない。何も答えさせてもらっていない。そこから先を逃げられている。

 ももに軽く頬ずりして、そっと地面に下ろした。

 逃げられた。ならば私に出来ることなど一つしかない。



∧_∧

(ò_óˇ)



 全校生徒は500人、一般客への解放日なので来校人数は1000人いるかいないか。そんな人数がいれば例年迷子の一人や二人出てくるもので、迷子のためのアナウンスは毎年流れている。

 ピンポンパンポンという単調なメロディ。深呼吸を一度。マイクに向かって言う事は決めている。


「ーーー 生徒会長の我妻陽子だ。浅野与一を探している。大人しく生徒会室に来る気は無いのは分かっている。浅野与一、君が捕まりたくなければ今すぐ全力で逃げるように」


 終了のメロディを流してスイッチを切る。

 そのまま廊下に出れば、呆れた顔をした生徒会顧問が立っていた。


「無茶苦茶なことするね」

「これくらい無茶なことをしないと信じてもらえそうにない気がしたので。あとはどこかの誰かの達観した態度に腹が立ちましたので地味な意趣返しです」

「僕が監督不届きを叱られるまで織り込み済みにしなくてよかったんだよ……」

「反省文もちゃんと提出します。今は行っても?」


 肩をすくめて道を開けてくれる。

 深く一礼して、廊下を駆けだした。これも校則違反だが今更一つ増えようが構わない。今は浅野を見つけることに専念する。

 浅野が放送を聴くまでどこにいるのかは知らないが、自主的にクラスにいるタイプには思えない。それならばやはり部活動の展示だろうか。


「浅野与一はいるか?」

「うわっ、まじで会長き……は??」

「ちょ、まっ!?なに?」

「え?はい?ねぇ浅野先輩ってば一体会長になにしてやがるんですか?最高かよ」


 ざわめく声を聞き流しながら周りを見回すが浅野の姿はない。後輩であるらしい二年生が控えめに手を挙げ、先ほどまで居たことを教えてくれる。放送を聞いて慌てて椅子から転げ落ちつつ、どこかへ逃げ出したらしい。大人しくしては居ないと思って居たので予想の範囲内だ。


「あ!陽子!!」

「ねぇ、さっきの放送なに?」

「ちょっと浅野に話があって執権乱用した」


 次に何処へ向かうか考えていると、友人たちが走り寄ってきた。その手にはたこ焼きとクッキーが握られていて、満喫しているようでなによりだ。


「意味わからん。浅野ってだれ」

「浅野はうちのクラスの男だけど……合宿のときから一体あんた達になにが起こってるのか、滅茶苦茶聞きたいんだけど」

「探さないと本当に見つけられなくなるから、後でいい?」

「いる場所に心当りないの?」

「ない」

「まじかよ。行き当たりばったりだな。仕方ないから協力してやろう」


 笑いながらスマホをとりだしパパッと操作したかと思えば、すぐに顔をあげて見せてくれる。


「今、図書室あたりにいるらしいよ」


 隠し撮りなのかブレた画像だが、間違いなく浅野が映っている。お礼を言って駆け出した。

 一箇所にいて貰えれば楽なのだが、浅野も浅野で移動している。図書室から次は何処に行こうか迷っているとLineで通知が入る。


「会長!浅野、裏庭に走って行った!」

「ありがとう」


 友人たちの手腕か、放送を聞いてくれたのか、私の姿を見つけて誘導してくれる人もいた。ありがたい話だ。そのおかげで予定よりも早く目標を捕獲できそうだ。

 

「ここに浅野がいると聞いたのだが」

「います。います。そこの机です」

「俺の味方じゃないのかよ裏切り者め……!!」


男子生徒が休憩場として開放されているクラスの教卓を指差し、そこに隠れていた浅野が気まずそうに立ち上がり、私をみて目を見開いた。


「………なんの真似」

「どうみても君の真似だが」


 思わずというばかりの言葉に、頭につけた猫耳を軽く触りながら返す。


「これを付けていると予想以上に視線が集まるな。良くこんなものを付けて生活していたなと思えるくらいには目立つ」

「ふだんからかなり目立って……いや、そうじゃなく。その格好にも滅茶苦茶突っ込みたいけどあの放送はどういうつもりで……」

「クラスへ普通に話しにいっても、浅野は逃げるだろうと思った」


 少し離れているとはいえ、時間を作ればいくらでもクラスへ出向ける。だけどそれでは逃げる気もして、ちゃんと話も聞いてくれないような気がした。現に浅野は目をそらしている。


「だから、先に証明をしてやろうと思って計画をしていたんだ。浅野は私が猫耳にしか興味がない人間で、自分のことは見てすらいないというから。ならば猫耳のない状態の君をこの人混みの中でも見つけてやろうかと」

「行動理由が頭おかしい」

「今回は色んな人に助けられたけれど、私は一人でも浅野を見つけられる自信はあったよ」

「あのさ………会長にはわからないかもだけど、こんなことして俺に会いに来てなんなの?その猫耳を返しに来たとかそういうオチ?」

「『桃花褐の浅らの衣浅らかに、思ひて妹に逢はむものかも』」

「…………は?」

「和歌だが、意味は通じたか?浅野にかけて良い塩梅のものを選んだつもりだがどうだろう」

「いや、どうだろうって言われても、いきなり和歌言われても無茶振りだから」

「文系クラスだろう……ちゃんと話がしたい。ここでは人目が多すぎる。いつもの場所にいかないか」


 学祭の日だ。歩き疲れて休憩場に訪れる人もそれなりに多く、誰かの保護者らしき人たちまでこちらを伺っている。浅野の腕を掴めば深く溜息を吐かれたが、大人しくついて来てくれた。

 学祭の日は立入禁止区域であるが、まぁ今更反省点が一つ増えようが変わらない。桃はどこかに出かけているのか姿がなかった。浅野はぎゅっと口を閉じたまま、地面を向いている。


「夏休みがくるまでろくに浅野のことを知らなかったよ。猫耳をつけた変なやつだと思っていたし、校則違反なのかここで度々訪ねては宥められていたんだ」

「………」

「君と桃の世話をするようになって、少しずつ交流が増えて、私は君と友達になった気がしていたんだ」

「そんな話どうでもいいよ」

「なら、本題だ。君が私を好きだなんてかけらも気付いてなかったから、あの時は本当に驚いた」

「だから」

「言い捨てないで、聞いてくれ」

 

 聞きたくないとばかりに眉を潜めて顔をあげた浅野をじっと見つめる。逃げられないよう、軽く掴んだままの手に力を込める。


「好きだよ。私も浅野が好き」


 私は今どんな顔をしているだろうか。

 浅野は目を見開いたまま、固まって、それからわかりやすいほど顔を赤くそめる。


「好きとか嫌いとか深く考えたことがなかったのだけど、君に会えないと寂しい。悲しい。側にいて会話がしたい。会いたい。この気持ちは多分そういう事じゃないかと思うんだ」

「……ち……」

「君が恋しいよ」

「………まっ、待って」


 浅野の瞳がキラキラ輝いている。水の幕が目の淵に溜まり、転がり落ちる。慌てたように手でかくしたがもう見てしまった。


「気のせいとは言わせない。私の気持ちは私が一番よく知っているし、私が決めるから」

「………」

「だから、浅野の気持ちをちゃんと聞かせてほしい」


 その涙がもう答えだとわかっているけれど。


「俺は」

「にゃー」


 いつの間にか戻って来たのか、桃が足元にするっと身を寄せてくる。あまりのタイミングに浅野の涙もぴたりと止まったようだ。それがなんだかおかしくて、声をあげて笑ってしまった。



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