プロローグ
ーー東の森には、魔女が棲んでいる。
それは、ここ、ルドラニア国ではよく聞かれる噂話だった。十年前まで世界中で行われた〝魔女狩り〟は、人々の記憶に新しい。闇夜のような黒い髪に血を吸い込んだような赤い瞳、それが魔女と呼ばれた一族の特徴だ。魔女は剣で殺しても生き返るといわれ、火炙りで灰になるまで焼かれ死んでいった。そうして魔女は、世界中で狩られて姿を消してしまった。
森の入り口に、多くの男が集まっている。
「副団長、やはり一人では危険です!!」
「我々も、お供させてください」
男たちは皆、ルドラニア国の騎士団に所属しており、揃いの鎧を身に纏っている。
「レオ、隊長命令だ。部下を連れていけ」
「断る」
「レオ様!!」
副団長、レオ、レオ様と、様々な呼び名で呼ばれた男は、頑なに首を縦に振ろうとはしなかった。男の名は、アリオス・ゲイン。ルドラニア国騎士団の副団長であり、世界中に十二人しかいない十二星天の称号を持つこの男は、風に靡く長い金色の髪をかきあげながら森の向こうを見る。
「俺たちは、魔女に助けを求めに向かうんだ。それなのに、武装した大勢の男が行けば、相手が脅えてしまうかもしれないだろう。それでは意味がない。ただでさえ、俺たちは彼らの仲間を殺してきたのだから」
アリオスはそう言いながら、唐突に自分の武装を解き始める。その様子を見ていた部下たちは、慌てふためいた。
「副団長、何をなさっているのですか!?」
「お止めください!!」
部下たちの制止の声も聞かず、アリオスは剣も鎧も脱ぎ捨て、黒いシャツとズボンという軽装で森に一歩踏み入れる。
「我が名はアリオス・ゲイン、ルドラニア国騎士団の副団長をしている!!今日は魔女殿に頼みがあってきた。どうか、話だけでも聞いてほしい!!」
森のどこかに棲むとされる魔女に聞こえるように、アリオスは大声で叫ぶように言う。そうして森へとまた一歩踏み出そうとしたとき、突然目の前に黒いフードを被った何者かが現れた。驚いた騎士団の者たちが剣へと手をかけるが、アリオスがそれを止める。
「そなたが、東の森に棲む魔女か?」
「……そうよ」
アリオスよりずっと背の低い魔女は小さく頷くと、被っていたフードを脱いでみせた。その途端、周りがざわざわと騒がしくなる。フードの下から現れたのは、短く切り揃えられた漆黒の髪に真紅の瞳、肌は透けるように白い、まだ若い少女だった。アリオスは少女の姿をじっと見据え、深く頭を下げた。
「我らがしたことは許されることではないのは承知の上で、頼みがある」
「……〝ラパス〟でしょう?」
「っ!?……知っていたのか」
魔女の口から発せられた言葉に、アリオスだけでなくその場にいた騎士団全員が驚いたように息を呑む。〝ラパス〟とは、世界中に蔓延している奇病だ。これに感染した者は、感染七日後に死んでしまう。感染経路も治療法もわからないが、唯一魔女が治療薬を持っている。その噂が世界中に広がり、多くの国が魔女探しに奔走しているのだ。
「ルドラニアにも感染者が出たのね」
「……あぁ、国王までもが感染してしまった」
「……薬はあげる。ただし、条件があるわ」
魔女は言いながら、懐から麻でできた袋を取り出す。
「条件?」
「薬はこれよ。……条件は、感染者全員に薬を渡すこと。お金は取らず、貧しき人にも幼い子にもお年寄りにも、分け隔てず渡すこと」
魔女はアリオスの碧い瞳を真っ直ぐに見つめながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「……アリオス・ゲインの名にかけて、その約束は必ず守ろう」
アリオスの言葉に、魔女は満足そうに笑って頷いた。
「じゃあ、あげる」
魔女はアリオスの手に薬の入った麻袋を乗せると、音もなく姿を消してしまった。
「っ、恩にきる!!」
アリオスは消えてしまった魔女に聞こえるように叫び、薬をしっかりと懐に抱えて国へと戻った。
本当に薬が効くのか半信半疑であった国民だったが、国王自らが実験台となり治癒の効果が出たとあって、人々は次々にそれを求めた。国は魔女との約束通り、感染者全員に薬を配り歩き、ルドラニア国はラパスの撲滅宣言を正式に発表した。そうして助けてくれた魔女に対して過去を悔い改め、魔女狩りで亡くなってしまった魔女たちを偲ぶ石碑を建てることが決まった。
「本当にありがとう。君のお陰で、多くの国民の命が助かった」
東の森の入り口で、ルドラニア国の若き国王であるシルドラ・フォードは深々と頭を下げる。彼の目の前には、一人の魔女がいた。
「……ねぇ、私の願いを叶えてくれるって、本当?」
魔女はフードを被ったまま、微かに首を傾ける。その軽い口調に剣へと手を伸ばす騎士もいたが、アリオスや団長であるドルト・スターニスに制される。
「我々に叶えられる願いであれば、可能な限り叶えてみせると約束しよう」
「……じゃあ、私を殺して」
魔女はフードを脱ぎ、そう言って笑った。
「なっ!?」
魔女の予想外の願いに、全員が声を失う。そんな男たちを気にも止めず、魔女は歌うように言葉を続ける。
「ラパスは魔女の予言にあった。だから薬を作ることができた。けれども予言の魔女はもういない。私たちの役目は終わったの。だから、殺して。独りぼっちで生きるのは、もう疲れちゃった」
自分たちよりも若い魔女は、殺してと言いながら笑う。寂しいのは苦手なんだと、笑って呟いた。
「役目が終わったら、私はもういらないんでしょう?」
だから私は、独りぼっちなんでしょう?
「……わかった」
不意に、シルドラの背後から聞き覚えのある声がした。魔女がそちらに目を向けると、薬を渡したアリオスが自分の元へ歩いてくるのが見える。なるほど、彼に殺されるなら悪くない。魔女はどこか晴れやかな気持ちでアリオスを見つめた。
「レオ、お前っ……」
「お前、名はなんという?」
慌てるシルドラに一度視線を向けて頷いた後、魔女に向き直ってアリオスはそう声をかけた。
「名前?……メイよ」
「メイ……魔女は、独特の文字を使うと聞いたが、どのような字なんだ?」
「メイはこう……芽生、芽吹いて、生きる」
アリオスが手を差し出しながら問えば、メイは彼の手のひらに指先で自分の名前をゆっくりと書いてみせる。魔女は、漢字と呼ばれる文字を好んで使う一族だ。だから魔女は皆、漢字の名前が与えられる。死ぬ前に自分の名前を呼んで貰えるのだと思うと、メイは無意識に頬を緩めた。
「……難しい字だな。だが、いい名前だ。芽吹いて、生きる、か。……よし、芽生、俺の嫁になれ」
「……え?」
アリオスが放った言葉の意味が理解できなかったメイは、ぱちくりと目を瞬かせてアリオスの顔を見る。どこか幼さが残った表情を、アリオスは優しく見つめ返す。
「俺の嫁にこい、芽生」
「……よめ?私は、何をすればいいの?」
「ふむ、そうだな……芽生の心を、俺にも分けてくれ。芽生が見たもの、聞いたもの、知ったものを、俺にも教えてくれ。俺も渡すから、俺の心を」
アリオスの言葉を、メイはじっと彼の顔を見ながら聞く。心を分けると言われても、いまいちピンとこないが、一つだけわかったことがある。
「私、独りぼっちにならなくていいの?」
「あぁ、今日からは二人だ」
「……私、アリオスのよめになる」
そう言って嬉しそうに笑ったメイを、アリオスは軽々と抱き上げた。
「今日からよろしくな」
「うん!!」
額を重ねて笑い合う二人は、すっかり自分たちの世界に入っていたから気づかなかった。彼らの背後で、国王や騎士団たちが呆然としていたことに。
この日、十二星天のレオが魔女と結婚することになったという話題は、瞬く間に世界中へと広がっていった。