記憶喰い
「…………さ…。………いさ…。…い……ま…か、…た…い…ん。御手洗さん」
「あぁ?耳元で、そんな大きい声を出すな。普通に呼べばいいだろうが」
「さっきから、ずっと呼んでいますよ。お疲れなんですか?」
先程から、何度も呼び掛け、時には揺すっていたのだが、やっと気付いてもらえた。
「そうか?それは悪かったな。で、お前は誰だ?」
「ちょ!!何言ってるんですか!!御手洗さん!!今年配属された荒井ですって!!」
「荒井……荒井……ぁああ、荒井な、荒井。そう言えばいたな、そんなやつ」
彼は御手洗さん。俺の上司というか教育係だ。見た目は中肉中背で頭は白髪混じり、今年で30年以上のベテラン刑事らしい。
「御手洗さんでしょ、自分に調べろっていったのは。はい、これがお願いされていたし……」
「ちょっと待て、俺がお前にお願いしただと」
「そうですよ。そんな事も忘れたんですか?はい、これがお願いされていた資料です。これを見て思い出して下さい」
まだ、50歳前なんだから。ボケるのは早いと思うのだが。そんなに疲れているのだろうか。まぁ、見た目は完全に50歳以上なわけだが。
「なに………身元不明の遺体に関する物か?何で俺がこんな物をお前にお願いしたんだ?」
「知りませんよ。そんな事、ただ相当焦っている様でしたよ。出来るだけ早くとも、内密にとも言ってましたし。ただ、調べて見ると変何ですよね。ここ数ヵ月で身元不明の遺体が32体も出ているのに、行方不明者はいないんですよ。しかも、ほとんどの遺体が、そんなに損傷が激しい訳でもないのに身元が分からないって変じゃないですか?まるで、意図的に捜査を打ち切ったみたいですよね。それにこれだけ連続して遺体が見つかっているのに、マスコミが全然騒がないって言うのも変ですし。いや、変って言うよりは、異常ですよ、異常」
「確かに、おかしいな。だが、遺体なんてあがっていたか?そんなに遺体があがっていれば、俺が捜査していない、なんて事は無いだろう」
「いや、自分も今回調べて知ったんですけど。でも、これが一番新しい遺体の資料なんですけど、これ調べてたの御手洗さんじゃ無いんですか?」
「なに!?…………なぁ、荒井。俺がお前にお願いしたのはいつだ」
自分の手帳を調べながら、確認してくる御手洗さん。
「3日前ですね。って、本当に覚えていないんですか?御手洗さん。これ調べるの、たいへんだったんですよ。何故か調査資料がバラバラで、中には書き途中のとかもありま……」
「荒井。ここ一週間の報道は調べたか?」
「いえ、署内の資料を調べるのが精一杯で、裏付けは全然やってないですけど」
「そうか、荒井ちょっと着いてこい」
「ちょ、御手洗さん。これどういう事ですか?」
「俺にも分からん。だが、見た通りだろう」
ここは、各局の報道を保存している資料室だ。ここでここ数ヵ月の報道を再確認して見たのだが……
「だからって、これは異常ですよ。何で3日やそこらで全く報道されなくなっているんですか?これなんか、途中で放送事故扱いになっているじゃないですか?どういう事ですか?これは?」
遺体の発見直後は報道されていた事件でも、数日たつと全く報道されなくなっていた。これだけならば、日々の事件に埋もれたとも言えるだろう。だが、この短期間でこれだけの遺体が見つかっているのだ。マスコミが大きく取り扱わない訳がない。
何より不思議なのが、1度報道中にいきなり原稿を読むのが止まった。まるで、何の事件か分からない様にだ。周りも事件については分からないらしく、その日を限りに事件の報道はされなくなった。
「だから、俺にも分からん。だが、これを見てみろ」
「これって、御手洗さんの手帳ですか?えぇと……『都市伝説』…『神隠し』……『記憶喰い』って、何ですこれ?御手洗さんってオカルト好き何ですか?」
「そんなわけあるか。いいから、その後も見てみろ」
「後って………『報道確認』……『消えた記憶』………『記録確認』……まさか、御手洗さん。皆の記憶から事件の事が消えているとか言わないですよね」
さっき、御手洗さんが見ていたのはこのページだろう。これを見て俺をここに連れて、報道の確認をしているのだろうが『消えた記憶』とはどういうことだ?
「事件と言うよりは、関わること全てだろうな。ただ消えるのは記憶であって記録から消える訳では無いようだけどな」
こうして、映像や調査資料が残っている以上は記録は残っているのは間違いない。
「まさかとは思いますけど、さっき御手洗さんに自分の事が忘れられてたのも同じ現象ですか?」
「実は、さっきはお前に耳元で叫ばれる迄、人がいる事に全く気付かなかったんだよな」
「それって、存在も消えるって事ですか?」
「いや、分からん。だが、遺体が見つかっている以上は存在が消える訳ではないだろう。まぁ、その遺体の記憶がなくなっている事から考えて、似たような事はあり得るだろうな」
「そんなオカルトな」
「あぁ、オカルトだな。だが、『記憶喰い』の話は聞いた事はあるんじゃないか?」
『記憶喰い』って
「いや、自分も子どもの頃に親に聞かされましたけど、ただの躾の為の作り噺でしょ。悪い子は『記憶喰い』に喰われて皆から忘れられるやら、『記憶喰い』に喰わると『神隠し』に合うとか。ただの都市伝説、オカルトですよ」
「俺もオカルトを信じる訳ではないが、作り話にはモデルがある事も多くある。現に同じ様な事が起こっている以上は、単なる作り話とは言えんだろう」
確かに、その通りなのだろうけど、それにしてもオカルト以外のなにもでもない。
「御手洗さんはこれを調べるつもりですか?」
「少なくとも、身元不明の遺体の身元くらいは調べてみるつもりだ。あまりに不憫だろう。幸い記録には残っている様だから、過去の行方不明者リストや戸籍を調べれば何か分かるだろう」
「自分は嫌ですよ。そんな危険を侵してまで身元不明者の特定なんて。何より身元不明の遺体がある事自体が忘れられてるんです。今更、調べて何にもならないじゃないですか」
御手洗さんがボケたのか、そうでないのかは分からないが、何となく深入りするのは危険な気がする。何よりさっきの御手洗さんの様子は少し変だったしな。
「お前にまで無理は言わない。ただ、この手帳は預かってて貰えるか?また、俺がこの事を忘れても、この手帳があれば、思い出すかもしれないからな」
「わかりました。ただ、御手洗さん、気をつけて下さいね」
「これでも30年近く刑事をやっているんだ。引き時位は弁えてる」
「今日でこの署ともお別れか」
この田舎の警察署に赴任して20年、今回県警への異動が決まり、こうして自分のデスクの整理をしている。
「なんだ?この手帳は。……御手洗?誰だ?
全く、誰かの悪戯か?こんな下らない事をして。
これは要らないな」
そのまま、手帳を処分用の箱に投げ入れる。
「鈴木、こっちの箱は適当に処分しといてくれ」
「はい。分かりました、荒井さん。ってもう行かれるんですか?最後に皆に挨拶していかないんですか?」
「もう送別会は済んでいるんだ。それに明日から早速出勤だからな。皆にはお前から適当に言っといてくれ」
「そうですか。荒井さん。今までお疲れ様でした。県警の方でも頑張って下さい」
「ああ、鈴木も頑張れよ。まぁ、事件らしい事件は殆ど起こらないんだ。気楽にな」
そう言って荒井さんは出ていった。
「さて、荒井さんが残していった物を処分するかね。って、荒井さん、手帳を残していったけどいいのか?あれ?間に何か挟まっているな。新聞の切り抜きか?」
『1988年11月26日 身元不明の遺体が見つかった。遺体の特徴は50~60代ほど、中肉中背の男性。遺体の損傷は少なく、現在警察は身元の特定を進めている………………』