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レテ川に記憶の欠片を沈めて  作者: なつ
第六章 三日月の浜辺に流れ着く
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 2

 日比野重三は頭を抑える。頭が働いていないのは寝不足だからだろう。決して、不純な意味での寝不足ではない。それは笠倉岬が本気ではないのと同じ程度のことだ。それでも、若い女性と同室に泊まっているというだけで、日比野にとって重圧だ。岬が眠るまでは寝室には行かないし、朝は先に行動を開始する。テレビを見ている間に岬も起き、かいがいしく、朝食を準備してくれる。朝ならパンだけで充分だというのに、簡単なサラダと、味噌汁まで揃った朝食だ。

 会話は、弾まない。

 所詮はかりそめのパートナーでしかないし、状況もそれが許されるほど緩やかなものではないからだ。それで、午後になったら外に出ようということを決めて、日比野はたばこを吸ってくると言い、部屋から応接室に移動した。

 応接室では久住照好と日達瑠璃が中央のソファーに座り、何かを話している。少し、落ち着かないように見えるのは、うがちすぎだろうか。だが、今はわずかな変化、兆候も見逃すことはできない。

「おはようございます」

 日比野は丁寧な言葉で二人に話しかけた。

「ああ、おはようございます、日比野さん……あら、お疲れですか、いけませんよ、目の下が黒くなってますよ」

「ばか、お前そんなこと指摘するなよ」

「いえいえ、残念ながら、私と彼女はあなた方のような関係ではありませんから」

「あら、そうなの? でも、岬ちゃんは本気だと思うけどなぁ、違うの?」

 日比野は首を捻り、それには答えず彼らの向かいに腰を下ろした。ちらりと灰皿に目をやるが、吸殻はない。もう少し我慢することにする。

「いいですよ、吸ってください」

 照好が日比野の視線に気がつき、灰皿を日比野の前に移動させた。ありがとうと言い、日比野は煙草に火を点ける。

 体の中の不純物が、頭の中のもやもやと一緒に、体の外へとあふれ出す。意識が少しずつクリアになっていき、遅いながらも、ようやく一日の始まりなのだと、体が認識し始める。時刻は、10時30分を越えたところ。起きてからすでに数時間が過ぎているというのに、普段では考えられないことだ。もし、自分が権藤の立場にいたとしたら、今頃はすでに仕事の半ばを迎えているところだろう。

「待ち合わせですか?」

 日比野は二人の様子からそう判断する。

「ええ、そうなんですけど、ちょっと遅いねぇ」

「そうだな。10時に約束してたんだけど……」

 二人顔を見合わせてから、照好が続ける。

「秘書さんに、施設を案内してもらおうと思いまして。こんな機会、そうそうないですからね。こんな地下構造を持った施設、見ておくほかないでしょう」

「そうですね、確かにここはすばらしい。おそらく研究者にとって、これほど充実した施設に恵まれることはそうないでしょう。閉ざされていますが、開かれている」

「ええ、自分も、将来こういう場所に入ることが出来ると幸せなんですけどね」

「ですが、10時というと、もう30分過ぎていますね。伊崎さんはそれほどルーズのようには見えませんでしたから、心配と言えば、心配ですか」

 心配という単語を用いた瞬間に、日比野は後悔する。いや、思考よりも口が勝手にそう解釈した結果だろう。

「私が聞いてきましょうか」

 言って立ち上がる。二人も立ち上がろうとするが、それを日比野は制する。直感だ。日比野の強い視線に気がついたのだろう、二人は揃ってソファーに座る。それを見届けてから、日比野は応接室を出た。

 日本風のつくりから、一気に近未来的な構造へと移り変わる。左を見ると、左の、入り口側の通路を警官らしい服装の人が陣取っている。日比野はそちらへ向かい、そこで権藤の所在を確認する。

 通路を右手に曲がり、最初の部屋に入る。昨日集められたホールだ。中央のテーブルには灰皿が所狭しと積まれていて、そこから溢れんばかりの吸殻が絶妙なバランスを保っている。

「おはよう」

「おん、ああ、日比野か、お前、勝手に入ってくるなよ」

「まあそんな固いこと言うなよ」

「何言ってやがる。決まりを無視するんじゃねぇ」

「苦戦してるみたいだな」

「ああ、全くだ」

「伊崎園子の姿が見えないんだけど、お前、知らないか?」

「んー、お前、どこでそんな情報を得たんだ」

 権藤の鋭い視線が日比野に突き刺さる。

「……いない、のか?」

「昨夜、彼女一人で散歩に出たところをこちらは把握している。毎日の日課とのことだ」

「戻ってきてないのか」

「戻ってきた」

「なんだ」

「が、部屋には戻ってきていない」

「?」

「行方不明だ」

「い、いやいやいやいや」

「極秘事項だ」

「戻ってきたのは、確か、なのか?」

「入り口には警察がいるからな」

「いちいち本人確認はしていないだろ」

「……本人の可能性は60パーセント、といったところか。だが、本人であれ、別人であれ、行方が分かってないのは事実だ。それに別人ならば、他に誰かがここから出ていなければならないわけだが……行ったきりの人間がいなければならないわけだが、残念ながらそれはない」

 日比野の頭の中を、さまざまな仮説が駆け巡る。

「正直に言って、凶器が見つかって油断をしていた。俺のミスだ」

「捜索は?」

 ため息をつき、権藤は唇を噛んだ。


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