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レテ川に記憶の欠片を沈めて  作者: なつ
第三章 その凶器は殺人者に用いられた
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 5

 戻ってきた日達瑠璃に行ってくるね、と告げ笠倉岬は日比野重三を連れて下のモニタールームへと降りていった。階段の下まで来るとモニタールームにつながる扉がある。一応ノックをしてから部屋に入ると、すぐ近くに伊崎園子が立って待っていた。片手にカルテのようなものを持ち、シャギーの入った髪を押さえながら一度軽く会釈をする。彼女は会釈がくせなのかもしれない。

 そのすぐ奥に白衣姿の千堂祐次主任が立っている。

「いいんですか、わたしたちこんな普段の格好で」

「ええもちろん構いません。むしろ普段の格好であるべきなんです。でも、そのサンダルは脱いで下さいね」

 園子に言われ、入り口のところでミュールを脱ぐと、裸足で床に足を着いた。冷たい感覚が足を伝わってくるのを感じながら、自分の足の指先を見ていると、隣に日比野の指も見えた。それも親指だけ、他は靴下に覆われている。

「ちょっと、穴が開いてるじゃない、恥ずかしいなぁ」

「ああ、これはこれは」

 さすがに恥ずかしいと思ったのか、日比野は靴下も脱ぐと靴の中にポンと入れた。

「どうぞこちらへ」

 祐次主任が笑いながら声をかける。ほぼ部屋の中央。ほとんど何もない部屋だ。正立方体に近いだろう。四方には今入ってきた扉のほか、ほぼ反対側の壁にも同じような扉がついている。

 中央まで園子に連れられて歩いていくと、祐次主任からヘッドギアのようなものを渡された。

「ヘッドマウントディスプレイと言ってね、本当はもっと小型化もできているんだけど、ある程度覆うことによって安定するし、四方すべてを塞ぐことができるから」

 さらに説明を受けながらそのヘッドマウントディスプレイを装着する。ほとんど重さを感じない。これ自体もすでに商品化できるレベルなのではないだろうか。さらにほとんど通常の視界と変わらない。いや、全く変わらないと言っても御幣はないだろう。

「ほう、これはなかなか」

「少し暗いかしら」

 違和感と言えば本当にそれくらいしか感じない。弱めの色が着いたサングラスをつけているようなものだ。

「明るさも自動で調整していますから。例えば、こちらを向いてください」

 言われるまま、祐次主任のほうを向くがそこには誰もいない。

「お気づきですか?」

「すでにこれは映像なのですか?」

「映像を同時に見せているんです。目がいい人なら、輪郭くらいなら見えるかもしれません」

「んーん、全然見えない。隠れてるだけじゃないの?」

「わたくしの姿も見えないでしょう?」

 園子の声が聞こえ、それからおそらく園子の手が岬の手に触れる。

「ほーぅ、すごい、すごいです。まるで透明人間」

「その解釈も嬉しいですが、どちらかというとバーチャルの世界です。今戻します」

 まるでそこに転送されてきたかのように、頭から園子の姿が現れてくる。そこで軽く園子は会釈をすると、一歩下がり、同じように現れた祐次主任の隣に立った。

「こういう演出もできます」

「もう、本当に、これ、すごいです」

「そう言っていただけるのは、最高の褒め言葉です。モニター活動は、このバーチャル体験を通じて、体調を崩さないか、というものです。わたくしたちは普段の生活ですでに利用していますが、初めての方がめまいを起こすということも考えられますから」

「今のところ大丈夫です」

 隣を向くと、日比野も首を振りながら四方を見ている。

「矢口、モニターはゴーグル映像に切り替わっているか?」

「問題ないです」

 祐次主任のと、矢口誠一の声が聞こえる。第一プログラマーである誠一は今、上の部屋にいるはずだから、この声は耳もとのイヤホンから聞こえているのだろう。けれど、それを知らなければ、部屋のどこかにいると勘違いしてしまいそうだ。

「それでは、簡単なゲームをやってもらおうと思います。どうぞ、お二人とも手を前に出して下さい」

 園子は少し離れたところから、同じように手を差し出す。その手には、いつの間にか鉄砲らしきものが握られていた。

「実際の目で見ると、かなりおもちゃな代物なんですが、どうですか、そのゴーグルを通してみると本物と区別がつかないんじゃないですか?」

「デザートイーグルですか、ええ、確かに本物と区別がつかない」

「さすがですね、日比野さん」

「ジュウちゃん、何、それ?」

「有名なオートマチックですよ。命中精度も高いし、汎用度もある。といっても、有名なのは一部でですけど」

「こちらでプログラムしてある銃は、自動以外にも多くありますが、細かい部分まで観察されると、間違っているところがばれてしまうかもしれませんね。それに感触は似せてありますが、あくまで疑似的にです。将来的には、グローブを利用することも考えてあります」

 言いながら、園子が場所を移動する。すると、元彼女がいたところの背後に、的が立っている。シンプルな的で、同心円状に白と黒で塗り分けられている。

「一度あれで練習してもらいまして、慣れましたら風景ごとプログラムを変更します。的も、色々なものに変更できます」

「ジュ、ジュウちゃん、手本見せて」

 岬は少し後ろに立っている日比野を振り返って言った。いつの間にか彼の服装が変わっていて、まるでどこかの軍人のような服になっている。

「て、あれ? もしかして、私が着ている服も変わってる?」

「勇ましい服になってますよ」

「えーっ」

 言いながら、下を向き自分の服を確認する。日比野と同じような色の迷彩服だ。

「ちょっと、いいんじゃない、これ。服も色々とあるんですか?」

「ありますよ。慣れたら変更しましょうか」

「はい、ぜひ!」

 隣で日比野が手を伸ばし、構える。ひどく自然で、どっしりとした構えだ。こんな姿を見てしまえば、例えどのような人間であれ、惚れてしまってもおかしくない。

 その手がトリガーを引く。

 思ったよりも鈍い音が響き、同時に板がはぜるような音が響く。的を見ると、ほぼ中心に近い位置から小さな煙が上がっている。

「反動もかなりリアルに近い。これプログラムしたの、マニアなんじゃないですか?」

「そりゃ、どーも」

 再び誠一の声が耳元で聞こえる。そっけない返答だが、嬉しそうだと感じる。

「ですが、この大きさでこのリアルさだと、もっと大きなものだと耐えられないと思います。反動で肩を外しかねない。子どもには無理だろう」

 次のモニターを心配しているのか、日比野が聞く。

「それはもちろん、同じプログラムを使うつもりはありません」

「私もリアルな反動を経験したいけど、ジュウちゃん、大丈夫?」

「女性だと、最初は驚くと思います。両手でしっかり支えて、反動があるって頭で分かっていれば大丈夫だと思いますが」

「そうですね、彼女には少し弱い反動にしようと思いましたが、後ろで日比野さんが支えて下さるなら、いいですよ、せっかくのモニター活動ですから」

「やたっ」

 言われて、岬は両手で銃を握る。後ろに日比野が立ち、その大きな腕が岬の耳の横から伸び、両手を覆うように抑える。

 不覚にも、岬の胸が早くなる。

 このどきどき感は久しぶりだ。

 悪いものじゃない。

 もうずっと無くしていて、

 ただ安く、安く……

「的を両目でまっすぐ見てください。リアサイトとフロントサイトを、まっすぐにして……えっと、銃身の先にある出っ張りと、後にある出っ張りの間です」

 どれのことかよく分からなかったが、とりあえず両手を伸ばし、トリガーに指をかける。

「どうぞ、自分のタイミングで」

 頭の中で深呼吸をし、ゆっくりとトリガーを引く。

 ガラスの割れるような音。

 両手から銃はすべり落ち、落としてしまう。想像していたよりも大きな反動で、後ろに日比野がいなかったらそのまま尻餅をついてしまいそうだった。

「だ、大丈夫ですか」

 声にならず、それでも岬はうん、とだけ応える。

「うーん、やっぱりリアルを追求しすぎるのも問題がありそうですね。身体がびりびりしてるんじゃないですか。実はわたくしも経験しました」

 会釈をしながら、園子が舌をだす。

「どうでしょう、主任」

「そうだな。確かに危険だろうな、ここは少し研究の余地があるし、ソフト側の責任にできなくもない」

 ゆっくりと歩きながら、祐次主任が的の近くへ歩く。けれど、そこには穴が一つしか開いていない。

「あれ、今私が打ったのは?」

「明後日の方向に」

「本当に? 誰にも当たらなかった?」

「それは大丈夫です。たとえ当たっても怪我なんてしませんよ。平たく言って、ただの映像なんですから」

「ああ、よかったぁ」



 それから、銃の反動などを下げてもらい、部屋からどこかの密林へと移動して、そこにいる獣をハントするゲームをしばらく経験して、終了となった。

 時間にして、合計30分ほどのものだったが、それでも思った以上に疲れた。ゲームの間動き続けているのもあるし、それよりもやはり目が疲れている。すごく自然な感じもしたが、それでもやはりバーチャルな世界では普段よりも疲れるのだろう。

 最後に園子にありがとうと言われながら、そのモニタールームを後にした。


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