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コンピューターが三台、キーボードの前に座っているのは第一プログラマーである矢口誠一だ。もっとも全体のプログラムを把握していて、状況に応じてプログラムを挿入したり、あるいは予期せぬエラーが起きたときにすぐに判断できる。その後ろ第三プログラマーである浜嶋佐登留が立っている。その視線の先は、キーボードの前に付けられている小型のモニターだ。映っているのは、モニター参加者である久住照好と日達瑠璃の二人と、千堂祐次主任とその秘書の伊崎園子だ。園子がその場にいるのは正しい選択だろう、と、少し離れたところにたって立っている第二プログラマーである有田百合は思った。三組目の被験者のときに、あるハプニングが起きるのだが、そのとき千堂主任だけでは、被験者への影響が大きい、というよりも対処しきれない可能性がある。
百合の視線は、別の大きなモニターにあった。小さなモニターに比べて幾分か解像度が高い。が、普段見慣れているパソコンに比べると、ひどく映りが悪い。もともとこのような状況を想定したモニタールームを準備しておらず、臨時のスペースなのだから仕方がないことかもしれない。
身振りで、千堂主任が二人のモニターに状況と、これからのことを説明しているのだろうことが分かる。けれど説明がうまく伝わっているのかはなはだ疑問だ。時々園子が補足をしているのもわかる。音声をこちらにも聞こえるようにしてもいいのだが、それだと笑い出してしまいそうというのもあるし、他のメンバーにまだ内緒にしているというのもあるのだろう。誠一だけが耳にイヤホンを当てている。
「ねえねえ、これからどんなことが起きるんですか?」
次のモニターである笠倉岬が、頭を揺らしながら百合に話かけてくる。苦手なタイプだ。身長も高く、まるで百合とは違う世界を生きている生物にしか思えない。
「見ていれば分かるよ。それに、楽しみは取っておくものだ」
「うーん、それはそうなんだけど、レポートもあるし、少しでも情報を得ていたいんだけど」
岬は百合よりも背が高いこともあり、百合を見下ろすようにしている。このペアはモニターに申し込んだのは、彼女のほうだったか、と百合は思い出す。
「まあ、簡単に言えばコンピューターのゲームだ。分かるか?」
「あのコントローラーでピコピコするやつですね。持ってないけど、分かります。昔、兄がやってるのを隣で見てました」
「まあ、その進化系だと思ってもらえばいい。より体感的なゲームをしてもらうことになる。四方八方がバーチャル空間になるわけだ」
「それであんな広い部屋なんですね」
解像度の悪いモニターを見ながら岬が相槌を打つ。
「多少動き回るからな。現状はまだ試作。モニターが成功すれば、製品化の道が開けるというわけだ」
「でも、すごい開発にコストが掛かりそうですね」
「コンコルドと同じだ」
「こんこるど?」
「けれど、会社としてはそれだけの赤字を補うだけの価値があると判断したんだろう」
「ねえジュウちゃん、コンコルドって何?」
後ろを向き、腕を組んで経っている日比野重三を呼ぶ。先ほどの夕食のとき、彼は警察の関係者だと言っていた。もしかしたら、あれの調査のために来たのかもしれない。本人はオフだと言っているが、警戒するに越したことはない。
「すごい飛行機のことですよ」
「それは知ってるんだけど、今の話の流れで、どうして飛行機が出てくるの?」
「今このプロジェクトをやめて違約金を払うことと、このまま開発を続けていくのとで、どちらがコストが掛かるのか、という例え話のこと」
日比野よりも先に百合が応える。
「白紙に戻したほうが、安くあがる、ということが分かっているのだよ。けれど、完成してからの副産物、あるいは完成する過程で得られる技術革新に、Kカンパニーの将来が掛かっているわけ」
「その見込みはもうあるんですか?」
「外で口外しないで欲しいが、といっても技術の話を直接するわけではなが、念のため。これをもしゲームとして売り出すならば、ソフトが必要になる。けれど、そこに詰め込む容量は莫大だ。現状のROM技術では収まりきらない」
「それってDVDでもって話ですか?」
「DVD、あるいはそれよりも上の、つまりは細かいレベルの同様のシステムを利用しても、桁が三つほど足りないだろうな」
「そんなの、開発するの大変そうですね」
「ソフト自体の作成はそれほど大変ではない。それは現状のゲームとそれほどの差はない。バーチャルな世界の構築はかなり出来ているからな。その中に入り込む、という状況にすると、容量が増えるんだ。瞬時に判断する情報量が増えるせいもあるが」
「それで、その記憶容量をまかなえるだけのROMを開発した、ということですか?」
「例えば、それも一つだ。それ自体商品化が決まればKカンパニーの評価はさらに上がるだろうよ」
「それって、分かりやすくいうと、どういうことなんですか」
「同じ場所に違う内容を記録する」
「?」
「層をどれだけ細かくしたり、より小さな記憶媒体を使ったとしても、それには限界がある。それなら、同じ場所に違う内容を記録できるようになれば、記憶容量は倍になる」
「そんなこと、可能なんですか?」
「実はこの技術はもう何十年も前に完成している。ホログラムという言葉くらいは聞いたことあるか?」
「あの、ぽわんって映像が浮かびあがる奴ですか」
「あれは二次元だが、三次元の情報が詰め込まれている。見る角度やタイミングによって、情報を入れ替える。簡単に言うとそういうことだ」
「ありがとうございます」
「まあ、これを周りに話したところで、すでに実用化のめどは立っているし、先を越されることはないと思うけれど、一応口外はしないでくれ」
「はい、ありがとうございます」
岬は深く頭を下げる。最初に抱いていた印象とはだいぶ違う子のようだ。百合としても、これほど長い時間しゃべったのは久しぶりな気がする。多くのものは、自ら聞いてくることなどないし、こちらが話したところで、右から左だ。百合は気を良くして話を続ける。
「それに、確か専門は情報でしたよね。その点に関して言えば、全方向に情報が広がっているというのは、莫大な情報量になる。が、実際に必要となる情報はその半分、180度がせいぜいだろう。プラスして20度くらいは、非常に軽くしても認知上差異はない」
「はぁ」
「あるいは、どこまで遠くまで描写するのか、という点でも情報量は大きく変わる。もちろん最遠の情報は……プラネタリウム、と言って分かるか? まぁ球状の遠景が存在するわけだ。それよりも近景のことだが、遠くの情報ほど、情報量が多い」
「えっと、視野角20度でも、遠くのほうが体積が広いってことですか?」
「その通り。むろん近くのものより解像度を落とすことで、情報量を減らすこともできる。が、我々が求めているのは視力が2.0の人が見る世界と同レベルの情報だ。今現在これを可能としているのは、ここの研究所のコンピューターくらいなものだが、市販……ゲーム機としてそれを可能にするには、おそらくあと20年くらいかかるだろうな。もちろん、ごく僅かな空間、形上の三次元であれば、その半分の期間で達成可能であろうが」
ちらとモニターを見ると、そろそろ最初の被験者のモニターが終わるようだ。




