孤独の偽善者3
「やあジークさん、今回の"人助け"はどうでしたか?」
第零層"迷宮"、【休息の間】から、地上へ帰還しようとした時、厭らしく響く下郎の声がする。
振り返ればそれは、髑髏の仮面をした、全身黒ずくめの男、いや、体格からしてそう判断したが、もしかしたら女なのかもしれない。
声には特徴が無い、男にも女にも聞こえる中間的な声、俺に声を掛けた、この男の名を、俺は知っている。
「"情報屋"、何の用だ―――否、何しに来た?」
"情報屋"、優れた隠密スキルと情報収集スキルを持つ人間のみを集めた諜報機関だ。
表向きの顔では、先程云ったとおり、情報屋として活動しているが、俺はこの黒の集団を好かない。
彼らの手には、モンスターの情報は勿論、俺達"勇者"の個人的情報や秘匿情報を所有するが、別段それを使って脅すと言うことは無い。
それらは、あくまで"裏"の際に使用する取扱説明書の様なモノだと、俺は認識する。
「いえいえ、私はただ単に、"あの集落が襲われている"とジークさんに漏洩させていただいたので、あの後、如何なさったのかな……と」
俺が何故、"あの集落"へと足を運んだのか、それは自然が生んだ唯の偶然ではない。
第一層、【始まりの地】にて、俺は治癒草の収集をしていた。
俺の魔力は"毒"と化しているので、回復魔術を使えばそれは"致死量"の毒となる。
故に、こうして足を運んでは、切り傷や刺し傷に最適な薬草を摘んでいた。
その帰り道、俺は何時も通りの帰宅路を歩んでいると、"情報屋"と出遭った。
俺は"情報屋"のある【噂】を聞きつけていた為、警戒をしながら、その"情報屋"の話を聞いた。
それがあの時の集落の襲撃、脇目も振り返らず走り飛ばし、到着した頃には、既に遅かった。
「―――特に、お前の気にする事じゃあない」
結局、俺は誰一人救うことは無かった、一人で空回りをして、心の内に広がる怒りを、集落に襲撃した【ラケルタ】に向けた、ただそれだけだった。
"情報屋"には何も告げない、告げる必要が無い、礼も何も、俺は云う事無く立ち去る。
しかし、"奴ら"はそうはさせなかった。
「――――逃げるか?【偽善者】ジーク=フランロッド」
俺の脚が止む、後ろを振り向き、その言葉を放った髑髏の顔に、殺気を纏わせた瞳を睨ませる。
おお怖い、とその髑髏の仮面は肩を窄め、カタカタと笑った。
「本当に、本当に………これで判ったんじゃないのか? ジーク=フランロッド、お前は【正義の味方】にはなれない、【英雄】に、なれはしない」
髑髏は、はっきりとその性別が判る様な声を張り上げた。
ドス黒く、ねっとりとしたその声色から、俺はソイツが男性だと、今一度理解させられる。
「お前は、今までどれだけの人間を救ってきた、指で数えられるか?両手両足を使っても使い切れないほど救ったか?いいや違う、お前は
今まで、その手で誰一人救う事が出来なかったじゃないか」
まるで―――そう、まるで、己の心理を見透かされているような、透明な感触。
触れることも見ることも出来ないこの恐怖心が、蠢く蟲の如く体の全てを蹂躙していく。
「私は知っている、お前の全てを、だからこそ忠告する、無謀だ、もう諦めることを覚えろ、お前は、"私達"の世界の人間だと」
ふざけるな、と、その声が出なかった。
奴の云う事は確かだ、一理ある、ひょっとすれば、奴の方が正しいのかもしれない。
俺は、ただ救いたかった、救った者の、安堵と幸福な顔が見たかった、かつて、一人の"友"が魅せてくれた、あの笑顔を。
手を伸ばせばその微かな命を救えた筈だ、けれど、何時も一歩足りない、何時も、その手に触れた命を握りつぶしてしまう。
そうする内に、俺は"救った数"よりも"殺した数"が凌駕していった、数人、数十人、敵も味方も救えず殺った。
「君には、私達と同じ能力を持っている、"情報収集"は勿論、"殺し"の才能も、我らの長はとても高く買っているのだ」
そう云って髑髏の仮面は哂う、嘲るかのように、俺を見下すように。
結局は、同類だと、俺は云われたのだ。
"情報屋"には、もう一つの裏の顔が在る。
それは、金次第で人を殺す、"暗殺者"としての顔。
その誘いは、つまる所、俺を"暗殺者"として扱いたい、と云っているのだ。
「そんな"殺すだけ"の能力、人の救済に向いている訳が無い、ならば、人を殺す職業として、"我ら"の一部となった方が有意義だとは思わんか?」
「………確かに、俺の能力は、人を救えるほどの能力なんかじゃない」
自然と、毀れた言葉。
それが俺の本心であると判ったのは、数秒も間もない内。
「―――だけど、俺はお前の様な人間にはならない、なる気は無い」
言葉の意思、決意の重さ。
これは最早俺の意思なんかじゃない、かつての"友"と交わした、一つの呪いと化している。
「俺は人を救う、俺の手で、俺のやり方で、それが間違っていても、俺は突き進む」
しかし、誰が言ったか。
呪いが、人を不幸にする塊だと。
「…………それが修羅を越え、地獄と化した世界の果てでも?」
「突き通す、それが俺の"呪い"だ、絶対に解けることの無い、俺だけの呪いだ」
踵を返す、地上へと続く道を付き進む。
恐れは無い、この足が前へ続く限り、人を救う為の糧となる。
結果的に、俺が前代未聞の【悪】となっても、俺に後悔は無い。
「再三云うが、お前の道は"其処"では無い、我らが行き通う、"此方"の世界の人間だ、しかし、まあ、もう少し泳ぐがいいさ、お前が。"人間"の真の先にあるモノを見れば、その考えは変わるだろうよ、―――――それでは、【ジーク】さん、またお会いできる事を、誠に楽しみにしております」
言葉は消える、反面教師は霧となった消えていった。
俺は振り向かない、振り向けば、俺が殺していった屍が、垣間見えると感じたから。