冬物語
新年を迎え今日から学校が再開されるというのに、まだまだ身が縮むような寒い日が続く、そんな一月の上旬。
久しぶりの学校に向かう為に億劫ながらも雪がまだ積もる道を進んでいると、数メートル先に後ろに纏められたポニーテールを揺らしながら歩く一人の女子生徒を見つけた。あの見るからに滑らかで美しい髪、後ろからでも分かる抜群のスタイルは――
「君ヶ崎!」
クラスメイトであり、友人である彼女に向かって駆けながら名前を呼ぶ。
それに気付いた君ヶ崎は立ち止まり、何故か数秒経ってから振り返る。綺麗な比率をした体のように、相変わらず目鼻立ちの整った顔をしている。
「うっわ……じゃなくて、あら、久しぶりね、ゴミ……賢神君」
「いや、お前今うっわって言ったよな! 今完全に、うわっ、会っちゃったよって顔したよな! そして、今俺の名前ゴミって言ったよな!?」
「えっ、うわっ……? ゴミ……? 何それ。私そんなこと言ってないわよ」
「いや、お前何言ってるんだ。だって、今俺が声掛けたら――」
「私は知らない。それは間違いよ、勘違いよ、言ってないわよ、気の所為よ」
そっ、そうか……。そんな冷静に反復法で否定されるとは。まあ、気の所為なら良いや。
ああでも、この落ち着いた声音、久しぶりだな。
「それは悪かったな。でも、ああ、久しぶりだな、君ヶ崎! いやー、正月は食べ過ぎて太る奴もなかなかいる中、お前は相変わらず綺麗なプロポーションを維持してるな」
「ありがとう。ゴミ神君、あなたも女性をそんなゴミのような嫌らしい目で見る気持ち悪さは相変わらずね」
ああ、この落ち着いた声音で心を抉ってくる罵倒も相変わらずだな。
「――って、やっぱりお前今ゴミ神君って言ったよな! そして、久しぶりなのに早速罵倒凄いなお前!」
流石にびっくりだぜ。
でも……
「ハハッ」
「何急に笑ってるのよ、気持ち悪いわね……。今日はなんか悪いゴミでも食べて来たんじゃないの」
「いや、悪いゴミってなんだよ! ゴミって時点で全部悪いよ! ていうか、ゴミなんか食べねえよ!」
「じゃあ、どうしたの。ゴミ食べ過ぎて頭がおかしくなったの?」
「おいっ、人の話聞いてたか! だから、俺はゴミなんか食べないんだよ! ていうか、ゴミから離れろよ!」
「えっ……じゃあ、何。一体今の気持ち悪い笑いは何だったの……」
「おいっ、何本気で狼狽してるんだ! 何で俺がおかしい理由はゴミ食べたから以外に考えられないんだよ! そしてさっきからお前人の笑ってる姿気持ち悪いって結構酷いよな! ……そうじゃなくて、だからさ、何か久しぶりに会っても全然変わってないお前見たらなんか安心しちゃって」
何だろう、正月とか家族で旅行行ってて、全然友人と会っていなかったからだろうか。久しぶりと言っても、そんな二週間で人間変わるものでも無いだろうが、妙に俺の知ってる君ヶ崎だったのが嬉しかったのだ。年を跨いだ所為もあるのだろうか。
「そう。まあ、私もそうかしらね」
「へえ、そっか。お前もか。それは意外だな」
何ていうか、嬉しいな。
「ええ――私もあなたのゴミのような目を見たら、不覚にも安心しちゃったわ」
「安心した部分が不覚なんだけど!」
「だってしょうがないじゃない。それがあなたなんだから」
「俺が自覚してないところで認められても!」
全然、嬉しくねえよ!
「それより話変わるけど、賢神君、あなたあれは何?」
「んっ、あれって何の話だ?」
呆れたように溜息を吐く君ヶ崎。あれって何だろうか。俺、何かしたっけな?
「だから、新年早々来たメールよ……。私九時にはもう寝てたのに、十二時五分にいきなり携帯が震えてびっくりしたじゃない」
「ああ、あけおめメールのことか。そっか、君ヶ崎、あの時間にはもう既に寝てたのか。それは悪かったな」
しかし、大晦日にもう九時には寝るって規則正し過ぎないか、それ。まさかの、年明けの時どこで何してた。布団の中で寝てた、じゃねえか。
「まっ、まあ別に悪くはなかったのだけど……。でも、あんなちかちかした装飾過多なメール初めてもらったから目は覚めちゃったわね」
「そうか、変だったか。いやあ、携帯買ってから初めての正月だから、最初のあけおめメールはお前に送りたかったんだよな。でも、ならこれからは、年賀状だけにするよ」
「ぶほっ!」
「どうした、君ヶ崎!?」
「……えっ、どうしたって何が?」
「だって今ぶほって――」
「えっ、言ってないわよ。何の話?」
「いや、だから今ぶほって――」
「ちょっと良い加減にしてよ、言ってないって言ってるじゃない。良い加減にしないと、セクハラと毒物及び劇物取締法で訴えるわよ」
「いや、待て! 全然納得出来ないけど、まだセクハラっていうのは分かる! でも、後半の罪に問われる理由が分からない! 俺はそんな危険物持ってねえよ!」
「はあっ……あなた何言ってるのよ。常に私達に見せ付けてるじゃない」
「お前が何言ってるんだよ。だからそんなの持ってないって」
「だから、あるじゃない。――その顔が」
「顔かよ! 人の顔を危険物みたいに言うな!」
「だってそうじゃない。見てるこちらを常に不快にさせるその顔は最早毒物よ。――早く危険物処理班を呼ばなくては」
「人を危険物処理班に頼らざるを得ない程の危険物みたいに言うな!」
「えっと、一、一、零……」
「それで、続けるな! 何バカなことやってるんだよ! 今すぐその電話を戻せ!」
「えっ、でもそれじゃあ地球が……」
「地球がっ!? 何、俺の顔地球どうにかしちゃうの!」
「……ごめんなさい、後世の地球人達よ」
「しかも、スケールでかすぎだろー!」
君ヶ崎はさぞ、申し訳無さそうに携帯をしまう。
それからさも何事も無かったかのように、平然と顔を上げる。
「話を戻すけど、ともかく分かったよ。お前はぶほって言ってないんだな。じゃあ仕方ないから、俺の聞き間違いで良いよ」
「仕方ないから……? 仕方ないからって何よ。私が本当は言ったのにあなたの優しさで聞かなかったことにしてやるよ、みたいなその感じやめてほしいんだけど。――ああ、分かったわよ。そこまで言うなら、もう言ったってことで良いわよ。本当は言ってないけど、言ったことにしといてあげるわよ。ああ、しょうがない。私はぶほって言いました。はい、これで良いんでしょ?」
捲し立てるように喋る君ヶ崎。
その負けず嫌いなところも相変わらずだな。
「でもその……さっき言った私に一番最初に送りたかったからっていうのは本当……?」
っと思っていたら、途端にしおらしくなる君ヶ崎。
上目遣いでこちらを見ている。
その角度、最高だぜ!
「ああ、本当だよ」
「何で……?」
「うーん……何でって聞かれると何て答えて良いか分からないけど、何となくじゃダメ?」
「ダメよ」
あっ……ダメなんだ。
「えっとな……まあ、あれだ。お前が一番交流してて楽しいから、だな」
「……そう」
そう短く呟くと、途端に俯く君ヶ崎。だが、数秒も経たずにすぐに顔を上げる。
「そういえば、あのメール、内容も酷かったわね」
「えっ、そんな酷かったか。そういえばどんなの送ったか全然覚えてないな」
「あれを覚えてないのね……。まず、あけましておめでうぃーって何よ。それにその後の今年も4946(しくよろ)って……。あまりのセンスの無さに、逆にこれが新世代の芸術かと勘違いしてしまったじゃない」
「うっ、嘘だろ……!俺がそんな恥ずかしいメールを送っていただと……。そんな若気の至り満載のクソメールを……!」
あの時は深夜のテンションと年明けを迎えた高揚感からかなりハイテンションになっていた記憶がある。別に見直してもいなかったが、俺はそんなメールを送っていたというのか!
「ええ。他にも、『ちなみに今俺はこの時を生きることが出来て幸せです!』とか『だからこんな日が続く一年にしていこうぜ、我が親愛なる君ヶ崎様』とか書いてあったわ。……うわっ、はっず」
「やっ、やめろ! やめてくれ! それ以上何も言わないでくれくれ! 本当にお願いします! それからお前棒読みではっずとか言うな!」
「最後に、『ちなみに4946っていうのは、よろしくを逆にした言葉を数字にしてみました(テへペロッ)』とか、気持ち悪い解説まで付けてくれてたわね」
「ぎゃあぁぁぁぁー! ていうか、だからやめろよ! この真性のドS!」
解説……解説だと! 自分の言った言葉を解説するなんて恥ずかしいことを俺は……!
「それにそれを言うなら、お前だってあのメールはなんだよ。『賢神文月様
謹んで新年のお慶びを申し上げます。昨年は大変お世話になりました。新年があなたにとって幸せな一年になりますように心よりお祈り申し上げます』って、ちょっと堅過ぎないか」
「しっ、しまった……。やってしまったわ」
「えっ、まさかそこまで悔しがるとは。別にそこまで悔しがらなくても……。まあ、確かに堅いけどそれもお前らしいっていうか……」
「まさか私が、あなたの名前をそのまま書いてしまうなんて……。ゴミ神君にするべきだったわ……」
「悔しがるところが違くないっ!」
どこで悔しがっているんだ!
「くっ……人生最大の失敗だわ」
「しかも、すげー悔しがってる!」
そんな、悔しがらなくても!
「そっ、それから文面が堅いってことだけど、それは仕方ないじゃない。あなたが書いたようなクソみたいなメールにどう返信して良いか分からなかったんだから……」
「おいっ、今人の送ったメールクソみたいなメールって言わなかったか」
まあ、クソみたいなメールなんだけど。
「でもな、さっきも言ったけど、お前らしさは出てだぜ。返信もらって、つい頬が緩んだよ。良くも悪くも真面目なのが君ヶ崎って女だからな」
「そっ、そう……。ありがとう、生ゴミ君」
「さらりと相手を貶す、根っからのドSでもあるけどな」
まあ、そこも結局良いのかもしれないな。
「でも、改めてありがとう。メール嬉しかったわ」
「えっ、君ヶ崎。今なんて――」
「あっ、もう少しで学校着くわね」
「えっ、あっ、そうだな」
登る坂道の向こう。所々に雪を被っている見慣れた鉄の校門が見えてきた。
だが、それを見ると君ヶ崎が地面に顔を向けだした。
そして、ボソッという。
「あの……賢神君。こんな私とだけど、今年も仲良くしてくれたら、その……嬉しいわ」
「何言ってるんだよ。当たり前だろ」
「そっか……。ありがとう」
俯いたままだった君ヶ崎は顔を上げるが、俺とは反対の方に向けている。
それから数秒後、こちらに向き直った君ヶ崎の顔はいつも通りの無表情だった。