88 「コード『ベルセルク』」
オークキング。オークを率いる王としてその存在は古くから知られている。
しかし、その反面王国全土で見てもその出現が稀である為、その正確な情報は少ない。
オークキングの率いる軍勢との戦いは討伐ではなく戦争と例える方が合っている。魔術師による戦術魔法の斉射と軍と騎士団による一斉攻撃により一気に殲滅する事が常である。
その為、オークキングと一対一の戦いを経験している者は極めて少ない。
故にその実力は未知数と言える。
「そんな、……嘘でしょ!?」
そんなオークキングとの一対一の戦いに臨んだシャーリーはその現実を受け入れられずにいた。
膝から崩れ落ちたシャーリーは力無くその巨体を見上げる。
間近で見たオークキングの体躯は圧巻だった。
見上げるほどの巨体は成人男性の1.5倍、体重は4倍近いのではないだろうか。
それはただ単にオークを大きくしただけではなかった。近づいてみて気が付いたのだがそれは筋肉の塊だった。
ただのオークですらそのパワーは人を圧倒する。
シャーリーやハクレンは元よりレイやアダルですら筋力のみでの勝負で勝ち目はない。
オークキングがそれ以上のパワーを宿している事は容易く見て取れた。
一般のオークとは明らかに身に纏う威圧感が違っていた。
それでも負ける気は無かった。
これまでも力自慢の相手などいくらでもしてきた。
過去の数少ないオークキングの討伐例だけでは確証には至らないが自分が負ける可能性はそれほど高くは無いと計算していた。
「なんでよ。なんで……」
へたり込んだシャーリーは床を叩き力なく呻く。
「シャーリーさん……」
「その、……何と言うか」
そんなシャーリーの姿にレイとハクレンはどう言葉を掛けたら良いものか悩んでいた。
「なんでもう終わってるのよ!」
顔を上げたシャーリーは目の前の巨体に怒鳴り声をぶつける。
だが、相手は身動ぎ1つの反応も見せない。
オークキングは背後から胸にかけて1つの氷槍に貫かれ立ったまま事切れていた。
「計算外だった」
そうエリスは小さな声で呟いた。
「なんでよー!」
シャーリーの慟哭がエントランスに響き渡っていた。
エリスの放った『氷槍華』がオーク達の頭上でぶつかり合い飛散したのは奇しくもオーク達が気勢を上げた瞬間であった。
その熱量か、はたまた鼻息か、それらによって氷槍華の欠片は予想よりも広く飛散した。
その中の1つが偶然にもオークキングのすぐ側まで飛んだのだ。
氷槍華を放つタイミングがもう少し早ければ、もしくは遅ければ、結果は違っていただろう。
偶々遠くまで飛んだ欠片の行方がオークキングの側だった事。そして、生まれた氷槍の先端の向き。
幾つかの偶然が紡いだ奇跡的な結末。
『運が悪かった』いろいろな意味でそう結論付けざるを得なかった。
「チックショウ。こんな経験きっともう無いのに」
シャーリーは未練がましくオークキングを見ている。
「まぁ、仕方ないと諦めてもらうしかないっすね」
エントランスのオークの掃討を終え戻ってきたレイが苦笑いと共に声をかける。
「そうね。しょうがないわね」
しようがないと言いながらもシャーリーの顔から落胆の色が消える事はなかった。
目の当たりにしたオークキングが強そう(少なくとも斬り甲斐はありそう)だっただけに悔しいようだった。
「気を抜かれるのはまだ早いかと」
レイとシャーリーのやり取りを側で聞いていたハクレンが苦言を呈する。
「なにが?」
「まだあの三本角のオーガがいます」
「おお! まだアイツがいたわね」
ハクレンの指摘にシャーリーの顔に活気が戻る。
通常であればオークキングを討った所で終了と言えるのだが、昨夜見たオーガを今日はまだ見ていない。
このエントランスにもその姿はないので巻き込まれて討たれたわけではないだろう。
「さて、何処にいるのかしらね?」
まだ手強そうな敵が残ってるという事に気付いたシャーリーは機嫌良さ気に笑みを浮かべる。
まだ彼女は知らない。
その強敵がこの館の奥にある階段の先で既に戦っている事を。
それを知らせる通信がこの直後に入る事を。
△ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △
「シャーリーを呼びましょう」
血の気の無い顔でアダルがそう言った。
万が一の為に用意していた高価な回復薬によりアダルの腕は既に繋がっていた。
だが、腕は繋がっているだけで満足に動かせられる状態ではなく、更には多くの血を失い貧血状態だった。
既に自分は戦力として計算できない。
ではどうすれば良い?
考えた末の結論というより、それ以外の方法が思いつかなかった。
「シャーリーがいれば何とかなります」
「何とかなるか?」
「はい。シャーリーと供にレイ・カトー達も来るでしょう。シャーリーにハザクラ、カトーの仲間が上手く立ち回れば」
アダルは「少なくとも貴方を逃がす事は」という言葉を口にはしなかった。
それを言えばローゼンハイムが反発する事が予想されたからだ。
まずはシャーリーを呼ばなければ手の打ちようがない。
「シャーリー、すぐに来てくれ」
『はい? 何、どうしたの?』
「緊急事態だ」
シャーリーを呼ぶローゼンハイムの声を聞きながらアダルは視線を移す。
「問題は、それまでもつかどうか……」
アダルの視線の先でミユキは苦戦していた。
いや、正確にはゴライオスに遊ばれていた。
その気があれば既に幾度もやられている。アダルにはそう見えていた。
奴が遊んでいる内にシャーリーが来てくれれば。
それはかなり分の悪い賭けのように思えた。だが、それは杞憂だった。
「たぶん昨夜オーガを見たという里奥の館だ。どの位かかる?」
『そうね、 直ぐよ。今その館のエントランス。オークキングを討ったところよ』
「なに!?」
返ってきた予想外の言葉にローゼンハイムも驚きの声を上げる。
「何をしとるんだあやつ等は」
驚き振り返ったアダルは眩暈を感じた。それは何も貧血だけのせいではない。
予定では、情報収集を第一に危険を避ける事を徹底するように取り決めていたのだが。
「やはり自重できなかったか」
それがシャーリーが軍を辞する事になった理由である。
優れたスキルを持ち、技能の適性から言えば軍が手放す筈のない人物なのだが、その性格が好戦的過ぎて斥候には向かなかった。
ならば戦闘技能を生かし戦闘部隊へとなる筈なのだが、シャーリーの戦い方は足並みを揃えて戦う事が基本の正規軍には向いていなかった。
そして反りの合わない上官に当たり、我慢の限界を超えて軍を辞めた。
それから4年。精神的にはまるで成長をしていなかった。
だが、今回はその性格が吉と出た。
褒める訳にはいかないが、ありがたいとは思っておこう。
そう心の中で呟いたアダルはミユキとゴライオスへ視線を戻す。
「もう少しだけ堪えてくれ」
自分がハンターを応援する日が来るとは。忸怩たる思いでアダルは祈る。
ミユキとゴライオスの戦いは、ミユキが攻めゴライオスが捌くという展開が続いていた。
理由の1つがミユキの守りの堅さだった。それは主に鎧による所だ。
本来、剣は鉄の鎧を斬るために作られてはいない。時に名匠と呼ばれる者の手によりそれを可能とする逸品が生み出されるが基本的には不可能だ。
故に甲冑を纏った敵を相手にするときは隙間を狙うか、斬る事を諦め打撃力で倒す事が主となる。
ゴライオスは後者を選んだ。得物を剣から鋼鉄製の打棒に変えていた。
別に斬れない訳ではない。所持している魔剣の中には鎧ごと両断できる物もある。
だがそれでは中まで斬ってしまう。生け捕りという命令を破る事になる。そしてそれ以上に何か知っていそうなこの相手を殺したくはなかった。
「もう諦めてみては?」
「冗談でしょ」
疲労の色濃く肩で息をしているミユキだが、まだその闘志は衰えていなかった。
「往生際が悪い。それとも……」
ゴライオスは彼我の実力差が十分に分かるように相手をしてきたつもりだった。
殺さないように手加減されている事は十分理解しているだろう。
それでも心折れずにいる理由は? 何か奥の手がある。若しくは……。
「時間稼ぎか」
それこそがまさにミユキの目的だった。
「別働隊が来るまでの時間稼ぎか」
「何の事?」
「無駄だ。今頃城の周りは警備か固められている。助けなど来ないぞ」
そういう段取りになっている。
昨夜と早朝からコボルトを含めた捜索隊に追われ疲弊しているはず。
そして今頃は5体のオークロードと650体のオークにより万全の警備が敷かれている筈である。
今すぐに救援が来る事は考えにくい。
そんなゴライオスの考えを嘲笑うようにミユキの顔に笑みが浮かぶ。
「じゃあ、アレは何かしらね?」
「ホウ」
ミユキの言葉と視線につられ見た階段には新たな一団がいた。
「どういう状況? なんで彼女が?」
「あぁ、転移施設にこの場所への転移陣があってな。そこでアレと鉢合わせた」
足早に合流したシャーリーにローゼンハイムが状況を説明する。
「妙な剣を持っていてな、アダルが腕を落とされた」
「は!?」
「斬ると決めた物以外は斬らない剣らしい。弾きに行った剣がすり抜けられた」
「よく分かんないけど、下手を打ったわけね」
「面目ない」
珍しく青い顔で座り込むアダルに意地の悪い顔で笑いかけシャーリーは肩を叩く。
「魔術も妙な盾で跳ね返されてね」
苦笑いのトマスの視線の先には幾つもの焦げ跡。
魔術による援護は無効化どころか反射されてしまい逆効果だった。
「ま、後は私に任せなさいよ。……は?」
意気揚々と歩み出ようとしたシャーリーは首を傾げ足を止めた。
視線の先ではミユキがシャーリーに手のひらを向けている。
まるで「来るな」と言わんばかりに。
「どうした? 待ちに待った救援だぞ?」
「そうね。でも、待ってたのは助けてもらう為じゃないわ」
訝しむゴライオスにミユキは不敵な笑う。
「レイ、ローゼンハイム。下がってなさい。出来れば視界に入らないところまで」
「ん? なに?」
ミユキは「下がれ下がれ」と手首で払う。
「まさか!」
「ミユキさん!」
アルトとリーゼが驚いた顔で声を上げる。
それはこれから起きる事を知っている反応だった。
「アナタ達も下がってなさい」
そんな2人に軽く手を振ったミユキは再びゴライオスに向き合う。
「お待たせ」
「仲間を下がらせてどうする? これでは待った意味がないようだが?」
「言ったでしょ? 待っていたのは助けてもらう為じゃない。えーと、……色々有るのよ」
ミユキが言い淀んだ部分。それは弱点となる部分。敢えて教える必要はない。
そして、
「皆に下がってもらったのは、巻き込みたくないからよ」
不適に笑ったミユキの体をそれまでと違う鎧が包み込む。
それは赤というよりは暗い色。染み付いた血の様な赤黒い鎧。
熊を模したと思われるフルフェイス型の兜。
「コード『ベルセルク』」




