閑話 湯煙温泉
「ハァ~~」
レイの口から気の抜けたため息が自然と漏れる。
そのまま天を仰ぎ見る。
残念ながら分厚い雲に覆われている為、星一つ見えない。
「まぁ、これはこれで風流ってもんだ」
星の代わりに視界に入るのは真っ白な雪。
「ハウ~ア~」
そんな雪景色を眺めながらレイは妙な声とともに沈んでいく。
「ブハー」
湯の中で手足を伸ばし大の字になる事わずか十数秒。
息が続かずに飛び出る。
「いや~やっぱり風呂は温泉、そして露天が最高かね~」
雪の舞い降りる露天風呂に仰向けで漂いながらレイは呟く。
それは嘘偽りない本心から出た言葉だった。
「誰にも邪魔されない温泉って素晴らしい」
しかもそれが広い露天風呂を独り占めとなれば尚更だ。
只今この露天風呂を貸切りだ。
貸切り状態ではない。この露天風呂、その他の内湯等を含めた別館が丸々貸切りとなっている。
元々が貸切りになる事を前提に作られている別館なのだろう。露天風呂にも内湯にも男湯女湯の区切りはない。
つまりは混浴。
これからやってくるであろう女性達に思いを馳せ「何をしようか?」等と考えていると、湯煙の向こうに複数の人影を見つけた。
「そこは寒いだろ? 中々良い湯だぜ、早く入れよ」
湯煙の向こうの人影に背を向けたまま平静を装い声を掛ける。
それは「別に変な期待はしてないよ」というポーズだ。
しかし、彼の期待は予想もしていなかった形で裏切られる。
「フム、言われずともそうするさ」
「ッ!?」
予想していたどれとも違う声と共に何者かが湯へと入ってくる。
「誰?」
恐る恐る声の主へと視線を送ると、そこには見知らぬ男がいた。
「フッ、仮面を外しているので分からぬか」
「え? 仮面? まさか……」
その単語にレイにも思い当たる節があった。
「いや、だって髪の色が」
「あれは染めていただけ、変装の一部だ」
レイの思い当たる人物は濃い茶色の髪だったが、目の前の人物の髪は綺麗な金色だ。
「いや、じゃなくてだな、何でここに?」
ウソだろ? そんな思いを無駄と理解しながらも口に出す。
レイの言葉に自称薔薇騎士ローゼンハイムは当たり前の如く言葉を返す。
「当然であろう。俺が貸切ったのだからな」
△ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △
「そういえば貴様が勝った場合の報酬を決めていなかったな」
それはローゼンハイムが決闘はレイの勝ちであると認め、その報酬を口にした事に端を発した。
「あぁ、そういえばそうだったな。まぁ、別にいいさ元々負けても何も失わないと分かっていたんで受けた勝負だし、特に望む物が有る訳でもないしな」
それがレイの本心だった。
勝敗にかかわらず賭け金が払い戻されると分かっているから受けた勝負。
そして、自身より格上の者にどうすれば勝てるのか。それを試す機会を得た事自体が得難い利益であった。
「そうもいくまい。俺から無理に持ちかけた勝負に負けたのだからな」
ローゼンハイムもそこは引く事は出来なかった。
負けた上に情けをかけられたようでは彼の面目が立たない。
「とはいえ金銭では無粋か。何かないのか?」
「あー、まぁどうしても、て言うなら、良い温泉宿を紹介してくれ」
「温泉宿?」
「あぁ。元々王都へは温泉のついでに寄ったようなものでな。一応調べてはあるんだが、のんびりしたいんであまり人の立ち寄らない秘湯でも在るならそこを紹介してくれ」
レイが見た限りでもローゼンハイムは良家の子息のようだ。
ならばそれなりに伝手もあるだろう。あまり人に知られていない秘湯を紹介してもらえるかもしれない。
その程度の期待だった。
「フム、良かろう。我が家でも時折利用する湯治場がある。手配しておこう」
レイの頼みをアッサリと了承したローゼンハイム。
内心でガッツポーズをしたレイがその予想の大きく上を行かれている事に気が付くのはもう少し後の事だった。
「アレ、温泉宿か?」
「さあ?」
レイ達が見つめる先は宮殿と言われても違和感が無さそうな白亜の建物だった。
決闘の翌日、ロックハート家に『温泉宿の手配をした。心ゆくまで楽しむと良い』という手紙を携えたローゼンハイムからの使いがやってきた。
その使いの者が乗ってきた馬車に乗り込み、王都から西へ3日ほど来た場所にソレは在った。
「エリス?」
「ん、知らない」
「だよな」
基本、魔術関連以外には興味のないロックハートの人間は温泉にも興味がないのだろう。
今もそんな建物よりも読んでいる本の方が大事なのだろう視線を上げる事すらない。
「貴族様御用達か?」
「その様ですね」
確かに一般人はあまり立ち寄らないだろうが、もっと面倒臭い手合いが居そうで遠慮したい。
そんなレイの思いなどつゆ知らず、馬車は白亜の建物に近づき、
「あれ?」
通過する。
止まったのは巨大だった白亜の建物が小さく見える程に離れた場所に立てられた小さな建物。
小さな建物と言っても、ソレは先程の白亜の建物に比べての事。
その建物も一般的な感覚から言えば十分に大きな建物と言えるのだが。
「いらっしゃいませ。本日は遠路はるばるお越し頂きましてありがとうございます。私、当館の責任者のハドラーと申します」
馬車の戸が開けられ降りるとそこには十数人のスタッフが出迎えに出てきていた。
代表し先頭の壮年の男性が名乗る。
「あの、ここは温泉宿で良いんですか?」
「温泉宿……と言うよりは、温泉もある保養地と言った方が適切かと」
「あぁそう」
ハドラーの答えにレイは「貴族用の保養地ね」と納得し悩む。
貴族と一緒でのんびり出来るか?
たぶん無理である。
そんなレイの悩みを続くハドラーの言葉が打ち払う。
「只今当館は貸切りとなっております」
「……はい?」
「当館は全て貸切りとなっております」
「この建物全部が?」
「いえ、敷地の全てが、です」
ハドラーが遠くに見える森や山を指し示す。
聞けば森の向こうには湖もあり船を浮かべて遊ぶ事も可能なのだそうだ。
「……貸切り? ここを? ローゼンハイムが?」
「ローゼンハイム? ……えぇ、その通りで御座います」
ハドラーの一瞬の間に「あぁ、そういえば偽名だって言ってたな」と思い出す。
どうやらハドラーはローゼンハイムの正体を知っているようではあるが聞く気はない。
このような所をアッサリと貸しきる男だ。聞いてしまえば、何か後戻りできない気がしてならなかった。
△ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △
「お前まで来るとは聞いてなかったんだけどな」
「あぁ、言っていなかったからな」
レイとローゼンハイムは並んで座りながらも相手に視線を向ける事なく、ただ正面を向いて話す。
「貴様とはゆっくりと話がしてみたかったのでな」
目を瞑り腕を組んだローゼンハイムが言う。
「で、何を話したいって?」
「先の決闘だがな、正直に言えば負けるとは微塵も思っていなかった」
「まぁ、実力通りの結果にならないのが実戦の怖さだな。それを知らなかったのが敗因だろうな」
「確かにな。だが、負け惜しみと思われるかもしれんが、実力は俺の方が上。という気持ちに変わりはないぞ」
「まぁ、それも事実かな。次は勝てないだろうし、というか勝った事自体がお前の気持ち一つのようなものだしな」
レイは顔の汗をぬぐいながら隣のローゼンハイムをチラリと見て話す。
決闘は自分の負けだと周囲の者の言葉に耳を貸さずローゼンハイムは断定した。
審判も立会人もいない勝負で勝敗を決めるのは当人同士のみ。負けを認めたほうが負け。と言う事だ。
それで困るわけでもないレイも認めたためローゼンハイムの負けで決着は着いたものの、もしもあの後、仕切り直して再開としたのなら、勝ったのはローゼンハイムであった可能性が高いとレイは考えていた。
「そうでもあるまい。貴様が最初から魔術を使用していればどうなっていた事か。矢の代わりに爆炎術でも使っていれば盾ではどうしようもなかっただろうさ。転移術を使えるほどの腕前なら、中級の術など難しくあるまい? 魔術士に距離を取られ姿を見失ったら剣士の負けは必至だ」
それがローゼンハイムの見解だった。
剣士が魔術士に勝つには魔術を使わせないように攻め立てるしかない。
上級術に類する転移術を使える術者なら尚更だ。
「だが、負けっ放しというのは性に合わん。手っ取り早く取り返すとしよう」
そう言いローゼンハイムは立ち上がると部屋の中央の石に水をかける。
「お前な、我慢比べとか体に悪いぜ?」
目で見て分かるほどの水蒸気がたちこめる室内でレイは顔をしかめる。
「構わん。俺の気持ちの問題だ。貴様は気にせずとっとと出るが良い」
ローゼンハイムは再び元の位置に座ると腕を組んで目を瞑る。
レイが出るまで意地でも出ないという気が見て取れるローゼンハイム。
そう言われて「はい、そうですか」と言えないのが男の悲しい見栄だった。
結局二人の意地の張り合いは体を心配したハクレンとトマスに連れ出されるまで続いた。
☆ ☆ ☆
「フム、このコルクの球を打てば良いわけだな?」
「そう。飛んできた球を打ち返してテーブルの相手側でバウンドさせる。それが出来なかったときは相手に1点入る」
ローゼンハイムはコルクの球をテーブルの上に落としその弾み方を確認している。
「何という遊びだ?」
「フッ、『卓球』またの名を『ピンポン』だ」
こうして大卓球大会の幕は上がった。
「温泉」と言えば「フルーツ牛乳」と「卓球」でしょ。もっと言えば「浴衣」も欲しい。
浴衣の裾を乱しながらの温泉卓球。喉が渇いたらフルーツ牛乳。コレが最高だ。とレイは考える。
だが、浴衣がどんな着物なのか説明する事もできないのでそれは諦めた。
しかし、フルーツ牛乳は既にクロスロードで完成させ、卓球についてもそれっぽい物は出来上がっていた。
セルロイド製の球は不可能だったが、コルクによる球と木製のラケットで形としては出来上がった。
「ダァーラ!」
気合と供に振りぬかれたラケットがコルク製の球を変形させながら相手のテーブルに叩きつけられる。
拾いに行ったラケットが弾かれ球は返らない。
「どうだ」
「クソ、この筋肉ダルマが」
レイ対アダルの試合はアダルが優勢に進めていた。
軽いセルロイド製の球と違い重量のあるコルク製の球は強打の威力が桁違いだった。
木のラケットとコルクの球。反発力はそれなりだが、スピンをかけるには向かない。
そうなれば強打の選手が有利になる。
卓球を知っているが故に自分が有利と考えていたレイだったが、実際はレイの知る卓球とは違っていた。むしろ卓球を知るが故にそのギャップに苦しんでいた。
温泉卓球の醍醐味は勝ち負けではない。
珍プレイ好プレイを笑いながら適度に卓球そのものを楽しむことにある。
「フン、非力めが。ワシに勝とうなど10年早い」
「筋肉馬鹿が、パワーだけで勝てるかよ。最速の球技をなめんなよ」
だからと言って負けても良いというわけでもない。
負けず嫌いがズラリと揃えば適度を超えた熱戦となる。
それもまた温泉卓球の醍醐味と言えば醍醐味なのだが。
リンディア王国王都リンドンに卓球ブームが来たのは約30年後の話である。
「お前っ! 球に風を纏わせるとか!」
「魔術使用不可の決まりはない」
「なっ!? 上等だ超速転移でテーブルごと打ち抜いてやる」
「残念。その前に私のサーブ。『獄炎招』」
「エリス、お前、それは!」
「気を付けて。触れたら、たぶん……死ぬ」
「ちょっ! やめ……ギャァァ!」
卓球という競技が魔術使用可の何でも有りスタイルで伝わらなかったのは、その緒戦があまりに酷かったからだろう。




