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72 「ついでに退路も断っておこうかね」

「ん~」

 窓のカーテンの隙間から漏れる陽光がレイに朝を告げる。

 チュンチュンという小鳥のさえずりが聞こえてきそうな清々しい朝である。


「ん~、もうチョイ」

 寒い冬の朝、暖かな寝台の中での二度寝は至福の時といえる。

 それが貴族御用達のフカフカの高級寝具でとなればしない方が愚かというものだろう。


 しかし、それを許さない存在がいた。


「お前っ!? 何してんの?」

 右腕に感じる温もりに視線を送れば銀髪碧眼の美しい顔が真横にあった。


「ん、おはよう」

「おはよう。じゃねーよ! 何してんだよ」

「添い寝サービス?」

「何で疑問系? 頼んでないから、そんなサービス!」

 レイは上半身を起こし抗議の声を上げる。


「ロックハート流のおもてなし?」

「嫁入り前の娘がすんな!」

「大丈夫。責任とってレイが貰ってくれるから」

「マッチポンプ! 性質たちの悪い詐欺じゃねぇか」

「ならレイが婿入りするでも可」

「するも可。じゃねぇよ! 何で譲歩してやった感出してんだよ」

 レイの抗議の声などどこ吹く風か、まったく意に介した風でもなく横になったままエリスはレイを見上げている。


「レイ」

「何?」

「寒い」

「知るか!」

 捲れあがった掛け布団をエリスに投げつけレイは寝台を出る。

 嫌がらせというよりは、血が上った顔に寒風を当てようと窓を開けそれに気づく。


「なあ? 窓の外に見えない壁があるんだけど?」

「空間封鎖」

「何?」

「空間内に別次元の空間を差し込む事で空間の連続性を封じる。『見えない壁』という認識で問題ない」

「……簡単な事なのか?」

「超級の空間魔法。私には無理」

「じゃあ誰が?」

「御祖母様」

「……あのババア」

 大体が理解できたレイの中に芽生えた感情は怒りや呆れより諦めに近い物だったかもしれない。


 ロックハート家で気をつけなければいけないのは、なにもマイアスだけではなかった。

 よくよく考えてみれば、マイアスにはロックハートの血は流れていない。

 その事に遅ればせながらレイはようやく気づいた。

「相手の都合など気にしない」という気質はロックハート家の遺伝なのかもしれない。


「ふて寝だ、ふて寝」

「ん、付き合う」

 ふて寝という名の二度寝を決めたレイは寝台へと潜り込む。

 その隣でレイの右腕を勝手に腕枕とするエリス。


 少し嬉しそうなその横顔に余り悪い気がしないのは悲しい男のさがというものなのだろう。


△ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △


 エリスに連れられ訪れたロックハート家の本宅。

 貴族の居住区に門を構えるその屋敷は、周囲の貴族の邸宅に見劣りする物ではなかった。

 門から屋敷までたっぷり5分は歩き、クロスロードでのレイの家が丸々入りそうなホールに驚かされた。家族が何人居るのだろうかと思うほどの長い食卓にレイ達4人にクローディアを加えた5人で食事をとった。


 後から聞いた話によると、クローディアとマイアスは基本的には王宮の宮廷魔導師の執務室に住み着いていて、現当主でもあるエリスの祖母は自身の研究所に住んでいるらしく、通常ロックハート家の者はほとんどがこの屋敷には居ないらしい。

 そもそも、この屋敷自体が遷都の際に「ここに住め」と王命にて与えられた物で現当主やクローディアの趣味ではないのだという。

 基本的には魔法の研究に不必要な物は無駄と考える家系のようだ。


「小僧。御主がレイ・カトーか?」

 食事が終わり、「さて、これからどうしようか?」といったノンビリとした雰囲気の中に突然そんな声が飛んできた。


 声のした方へと視線を向けると、そこには一人の少女がいた。

 その見事な銀髪からロックハート家の者ではないかという予想は出来るが、年の頃は10代前半かエリスよりも若いというか幼そうだ。


「レイ・カトーか? と聞いておるのだが?」

「え? あぁ、そうだけど、君は?」

「私か? ヒルデ・ロックハート。この家の当主じゃ」

「は? え? 誰が?」

 レイにはヒルデの口から出た言葉が理解出来なかった。いや、厳密に言えば信じられなかった。

 助けを求めてクローディアに視線を送ると、彼女は表情1つ変える事なく頷いた。

 ――どっちの意味で頷いた?

 まったく判別が付かずにレイは固まる。


「間違いありません。彼女が現ロックハート家の当主です」

 レイの内心を推し量ったのかクローディアが説明する。


「えーと、クローディアさんとの関係は?」

「親子です」

「クローディアさんが……」

「娘です」

「……マジで?」

 レイはヒルデとクローディアを見比べる。

 どう見てもクローディアが母親にしか見えない。


「生んだ覚えはないがな」

「戸籍上での娘です。所謂、養子縁組というやつです」

 レイの反応を楽しむようにニヤニヤと見ていたヒルデが言い、クローディアが補足説明を加えた。


「あぁ、そういう」

「血縁的にはクローディアは姪にあたるな」

「彼女は実の父の姉です」

 それならば納得がいくと胸を撫で下ろしかけたレイに衝撃発言が飛び込んできた。


「は? ちょっ? え?」

 相次ぐ衝撃発言にレイの頭は完全にパンクしかけていた。


「幼い頃に両親が他界したので、それ以降はお義母様に面倒見て貰っていたのです」

「いや、うん。そこは分かりました。ただ……」

 クローディアの説明に理解はできるが納得のいかないレイ。

 どうしても確かめねばならない事があった。


「アンタ、幾つなんだよ?」

「女性に容易く年齢を聞くでない、この阿呆が。フン、今年で83じゃ」

 そう言って苦笑いを浮かべるヒルデだが、その手の質問には慣れているのだろうアッサリと答えた。


「そっか、83か……83!?」

 見事な二度見だった。


「ロリババアだと?」

「誰がロリババアじゃ。術式にて身体の成長を止めただけじゃ」

 魔力とは生命力。体の成長に使われるはずだった生命力を魔力の成長に回す。そうする事で本来よりも高い魔力を保有する事が出来る。

 そんな学説を唱えていた父親によってヒルデの身体的成長は13歳で止められた。

 その学説が正しかったのかどうかは分からない。

 何故なら、本来の成長でどれほどの魔力量を保有できたのかが分からないからだ。

 失敗だったのか、成功だったのかは分からないが、その事を恨んではいない。少なくともここ50年は。


「そういうのを世間ではロリババアと言うんだよ」

「黙れ。飽いたわ、その話は」

 レイの言葉にむくれるヒルデだが、それも癇癪を起こした子供にしか見えない。


「フン」

 目を吊り上げ、鼻を鳴らしたヒルデはレイの周りをグルグルと品定めするように見て回る。


「フン、なるほどの」

 何かに納得したらしくレイの近くのイスにボフッと飛び乗り腰掛ける。

 床に届かない足をブラブラさせるその姿はエリスによく似ている。


「小僧、御主どこで魔術を習った?」

 真顔になったヒルデはその碧の双眸に冷たい光を灯しレイを見上げる。


「いや、特に誰かに習ったわけじゃないんだけど」

「ホウ、独学で上級術まで修めたと? なかなかの俊邁しゅんまいよの。その割には修めている術は両手の指ほどらしいの? それとも見せなんだ術がまだ幾らもあるのか?」

 ヒルデは言外に「お前の事は知っている」といった雰囲気を滲ませる。


 レイは視線を情報発信源と思われる人物に向けるが、当の本人はしれっと食後のプリンを楽しんでいる。


「案ずるな。御主の秘密を暴き立てる気はない。教えられぬ秘術など誰にでもある。幾つか聞きたい事があるだけじゃ」

「聞きたい事?」

「あぁそうじゃ。例えば『超速転移オーバードライブ』を使用した射出術、あれは誰に習った? それとも御主の発案か?」

「そんな事まで!? 覚えとけよ。情報漏えいの報いは必ず受けてもらうからな」

 レイの警告もエリスはあからさまに視線を逸らし聞き流す。


「で?」

「いや、習ったわけではないけど」

「御主が発案したと?」

「まぁ、試してみたら出来ただけなんだけどな」

「フム、なるほどの」

 何に納得したのかヒルデは頷いている。


「ではの、まぁ座れ。クローディア、お茶」

 ヒルデは隣のイスをバンバンと叩きレイにそこに座るように促す。

 そしてクローディアにお茶を出すように指示するとレイに向き合う。


 その目が物語っている。「長丁場になる」と。


△ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △


「上機嫌ですね、お義母様」

「そう見えるか?」

「はい。近年稀に見る、といったところですか」

 3時間に及ぶ「こんな時、御主ならどうする?」「こんな術をどう使う?」といった質問から、『魔法生物創造講座』を経て最終的には攻城戦における魔術の有効活用法についての話し合い。

 ほとんどがヒルデの独壇場だったのだが、時折レイから出る意見はヒルデを時に落胆させ、時に狂喜させた。

 勿論、海千山千のヒルデはそんな感情を表に出してはいない(と本人は思っている)。


「フフ、攻城戦に土塁術とはな」

「言われてみれば極々簡単で効果的な手段です。何故誰も思いつかなかったのか」

「それよ。それこそがあの小僧の才よ」

 先程までの話を思い出しながらヒルデは語る。


「クローディア、御主とエリスは秀才じゃ」

「はあ」

「エリスは魔眼、御主は先天性魔力異常。特異な才を持つ故、労を惜しまねば魔道の秘奥に辿り着くやも知れぬ。じゃが、魔道の才自体は天才と呼ばれる者には及ばぬ」

「はい。心得ています」

「あの小僧、魔道の才は凡庸。じゃが、その真価は異才。読んで字の如く常なる者とは異なる才覚じゃ。よほど特異な教育を受けたか、まるで違った常識の中で育ったか、同じ物を見ていても違った景色を見ているのじゃろう」


 ヒルデは手元に残ったお茶を飲み干すと2階の客室に視線を向けて呟く。

「あの小僧おそらく……。いや、いずれ本人が語ろう」


 不思議そうに眺めるクローディアの前でヒルデは1つ伸びをすると、もう1つの懸念事項を切り出した。


「小僧の従者の1人、猫ではない方じゃが」

「ハクレンさんですね」

「白狼の者か?」

「はい」

「ネルセス所縁の者、か」

 空になったカップを置いて天井を見上げるヒルデ。

 その脳裏に浮かぶのは現在王都に滞在しているとある貴族。

 亡くなった父親の跡を継ぎ侯爵となった男。父親以上の愚物であると既に評判となっている。


「何の因果かね。今このタイミングで王都を訪れる。運命という物かね」

「珍しいですね? お義母様が運命などと口にするとは」

「フン、この世に人知の及ばぬ事があるのは事実さね」

 イスを降りたヒルデは階段へと向かう。


「もうお休みになられますか?」

「そうさね、その前に久方ぶりに会った孫娘にアドバイスをな」

「アドバイス?」

「夜討ち朝駆けは戦術の基本じゃろ」

「……それは」

「ついでに退路も断っておこうかね」


 その笑顔は正にとっておきの悪戯を仕掛ける子供のものだった。


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