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65 「私の初めてを貰ってください!」

「大分人通りが戻ったな」

「はい。出店の数は変わりませんでしたけどね」

 大通りを歩く人の多さにレイは感心したように呟く。

 そして人通りが減っても毎日同じ場所に店を構えていた屋台の店主に商売根性の逞しさにハクレンが呆れた様に返す。


 クロスロードの町は通常モードへと戻り始めていた。

 巣への突入部隊が無事に帰還し、女王蟻らしき個体を討伐し、卵を全て焼き払ったという報告を受け、3日間の調査を行った結果、対策本部は『危険性はない』と判断した。

 それを受け昨日ケネス・ローゼンベルト市長より事態の収拾宣言が出され町には平穏な日常に戻りつつあった。

 最終的に町への被害はほぼ無いと言って良い。強いて上げるならケガを負ったハンターが数人。王国軍を含めて死人は1人も出ていない。

 

 レイ達の巨大な蟻との遭遇についての報告もされたが、それが女王蟻だと証明する方法もなく結局は『女王蟻は巣の中に居た』との最終報告がされた。

 レイとしても特にそこにこだわる気もなく異議はなかった。

 王国軍内部では若干の揉め事があったようだが、結局のところ軍は縦社会、上意下達に終わった。

 王国軍は堂々と「女王蟻の討伐は我々が行った」と喧伝し帰路へと着いた。


 1つの問題を残して。 


 それは城壁の外に掘られた溝だ。

 結局使われる事なく放置され、王国軍撤収後に治安維持局によって再び埋められる事となった。

 何の為に掘られたのかは最後まで謎のままだ。


 ハンターギルドにとって今回の蟻退治に関してはクロスロード市からの緊急依頼という形が採られるのだが、それほど多くの報奨金が用意されているわけではない。

 結果としてはそれほど危険な目に遭う事もなかったが、参加したハンターは出撃と待機を繰り返し、10日以上の間その為に拘束される事となった。

 それでいて報奨金はレイ達のパーティで10500ギル。出撃1回2000ギル、待機で1日500ギル。これはパーティ毎への支払いで、どのパーティでも同じ。そして、討伐した蟻の数も考慮されない。

 正直に言えば半月に近い期間での収入としては少ないと言わざるを得ない。

 しかし、その事に文句を言う者はいなかった。

 「得られる物は金銭ではなく誇り。そんな時もある」とは最後の最後まで万が一の為にと城門で待機し続けて終わりを迎えた『クロスロード最強』と名高い男の言葉だ。

 最も長時間拘束され、最も安い報奨金を受け取った男がそう言うのであれば他は黙らざるを得ない。


 約半月に渡る長期依頼を終え、レイはその週の残りの3日をのんびりと羽を伸ばす事に決めた。

 自宅待機の日であろうとも呼ばれればすぐに出向かなければいけなかった為、休日と呼べる日は久しぶりと言えた。


 休日1日目をのんびりと過ごしていたレイの元にハンターギルド経由でハイネリアからの呼び出し状が届いたのは夕方の事だった。

 ギルド職員(見習い)のイルアによって届けられたその手紙は簡潔に「お店にいらっしゃい」とだけ書かれていた。

 特に予定もなく自宅でゴロゴロするつもりだったレイは散歩がてらに出かける事にした。


 それがまさか思わぬ修羅場になるとは思いもせずに。




「私の初めてを貰ってください!」

「「「はい?」」」

 ユーディル雑貨店に入ったレイに投げ掛けられた第一声がそれだった。


 店内に入ったレイにいつものように店番をしていたイリスが笑顔でパタパタと駆け寄ってきた。 

 そしていつもであればそのまま「いらっしゃいませ!」となるのだが、何故か今日は違っていた。

 イリスの天使の如き満面の笑顔から発せられたその予想外の言葉。

 レイは自身の耳を疑い、ハクレンは聞き間違えだと決め付け、ミーアの脳は何を言ったのか把握する事を拒否した。


「えーと? 今なんと?」

「え? ですから、私の初めてを貰ってください」

「いやいやいやいや、待て待て待て」

 聞きなおした結果、聞き間違えではなかった事だけが理解できた。


「そんなに嫌ですか」

「アッ! 違う、そうじゃなくて、えっと、何で? そんなイキナリ?」

 悲しそうにうつむくイリスにレイは慌てて否定に入るが、そのパニックは収まらない。


「最初から決めてたんです。初めてはレイさんに、て」

「え?」

 テレてはにかむ様に笑うイリスは嬉しそうだった。

 そんな笑顔にレイは更に固まる。

 イリスに見惚れたわけではない。

 無音の背後が恐ろしかった。


 チラリと視線を送った背後では、冷たい笑みを貼り付けたハクレンと魂が抜けた様なミーアが居た。

 視線を送ったのは一瞬だったにもかかわらず、ハクレンと目が合う。

 即座に目を逸らしたがハクレンの目が笑っていなかった事だけは理解できた。


「あ、あのなイリス、そういうのはアレだ、その……そう、もっと大事にしないと」

 冷や汗をかきながらレイは説得を試みる。


「いつかきっと大事な人と巡り会う。その時まで取っておいた方が良い」

「だからレイさんに受け取って貰いたいんです」

 イリスはレイの目をしっかりと見据えて言う。

 身長の関係上、上目遣いとなってしまうのだが、その目は媚びの色はなく真摯な物だ。


 迫るイリスから逃げるように一歩下がったレイの肩をガシッ!と掴む者がいた。

「ご主人様」

「いや、待て、俺は何もしてないぞ」

「分かっています。ただ、少しばかりお話し致しましょうか、あちらで」

 ハクレンの指差す店の片隅にはいつの間にか息を吹き返していたミーアがイイ笑顔で手招きをしている。勿論、目は笑っていない。



 2人から何故か教育的指導を受けグッタリとしたレイは、そんなやり取りを不思議そうに眺めていたイリスに向き合う。

 指導内容は「イリスはまだ子供です。分かってますね?」「イリスの乙女心を傷付けんじゃないわよ」とレイならずとも「俺にどうしろと?」と思わずにはいられない物だった。


「えーとなイリス、何で俺なんだ?」

 若干憔悴したレイはまず根本を尋ねる事とした。


「恩返しです」

 レイの質問にイリスは迷いなく即答する。

「私は、いえ、私達はレイさんに助けられてばっかりです。孤児院の借金を肩代わりしてもらって、イルアと私には働き口まで紹介してもらって、未だに孤児院の子供達に頼んでいる薬草の乾燥の仕事だって本当は薬剤屋さんがもっと安くやってくれるんですよね?」

 最後の件に関してはレイは知らない事ではあったが事実ではある。

 相変わらず真摯な瞳でレイに詰め寄るイリス。


「恩返しの一部だと思って貰ってください!」

 その勢いは背後から殺気にも似た気配を放つ2人がいなければ頷きかねないものだった。


「いや、あのな、気持ちは嬉しいんだが、やっぱりそういうのはもっと大事にした方が良いと言うか、ミーアやイルアに怨まれそうで怖いと言うか……」

「大丈夫です。誰に贈ろうとも私の勝手です。ミーア姉やイルアに文句をいわれる筋合いはありません」

「イリス、アンタ……」

 そんな発言にミーアもたじろぐ。

 イリスの意志は固そうだ。誰に何を言われようがその気持ちが変わる事は無さそうだ。


 いよいよもってどうした物かと思案していたレイは場違いとも思える気楽な声を掛けられた。

「いいじゃない。貰っちゃいなさいよ」

 何時からそこに居たのか、カウンターに頬杖を着いてニヤニヤと笑うハイネリアだ。


「イリスちゃんが良いって言ってるんだから、ありがたく貰っちゃえば良いのよ」

「そうです。貰っちゃえば良いんです!」

 ハイネリアとイリスは2人して「ねー♪」と同調する。


「悪い事言わないから貰っておきなさい。イリスちゃんこの年にして凄いのよ。教えた私が言うのも何だけど、末恐ろしいわ」

「え?」

 いたいけな少女に怪しげな指導をする巨乳の美女。

 いったいこの店の奥でどんな背徳的な授業が……。


 そんな妄想が頭をよぎった瞬間、背後でバキ!と何かが折れる音がレイの耳に届いた。

 恐ろしくて振り返る事など出来そうにもない。


「ハッ!? いやいや、何を教えてんだ!何を!」

 何故か命の危険すら感じる背後の気配に我に返ったレイはハイネリアに指を突きつけ詰め寄る。


 そんなレイの慌てぶりをニヤニヤと笑ったままのハイネリアが事も無げに答える。

「錬金術だけど?」


「は?」

 レイの思考はフリーズした。


「……今何と?」

「私がイリスちゃんに教えているのは錬金術です。と言ったんだけど?」

 ニヤニヤ感が2割り増しになったハイネリアが事も無げに言う。


「えーと、じゃあ、貰って欲しいのって?」

「コレです! 下級回復薬!」

 イリスへと向きなおしたレイの言葉にイリスは若干胸を張りながらそれを取り出した。

 それはレイにもお馴染みのかつては資金源でもあったの錬金術の基本の品だ。


「こちらに置いてある下級回復薬は全てイリス嬢のお手製です」

 ハイネリアがカウンター脇の台に置かれた10本ほどのビンを指差し言った。


「そして健気な少女は恩返しの一環として恩人にその処女作を贈るのであった」

 まるでナレーションのようなハイネリアの言葉にレイも全てを察する。

 つまりは「私の初めて(作った下級回復薬)を貰ってください!」という事だったのだ。


「何だと思ったの?」

「うるさい!」

 自身の盛大な勘違いに顔を赤らめたレイ。

 振り返るとハクレンとミーアは背を向け何事も無かったかのように店内の品物を見ている。


 レイは何が起こったのかを理解出来ずに首を傾げているイリスと向き合う。

「本当に俺が貰って良いの?」

「はい! レイさんに貰って欲しいです」

「分かった。大事に使わせてもらうよ」

 恭しく受け取ったレイは大事そうにソレを仕舞う。

 正直に言えば下級回復薬は幾つもストックがある。そもそもあまり使用する事も少なくなってきているアイテムだ。

 だが、イリスの気持ちはありがたい物だった。


「どんどん上達して、良いアイテムいっぱい作りますからね」

 輝くような笑みを浮かべてイリスは言う。

 そんなイリスの頭をレイはワシャワシャと撫でる。


「イリスちゃん、今日はもう上がって良いわ」

 そんな光景を微笑ましそうに見ていたハイネリアがそう告げる。


「レイ、イリスちゃんを孤児院まで送ってあげて。あっ!ダメよ別の初めてにまで手を出しちゃ」

「するか!」 

 悪戯っぽく笑うハイネリアに怒鳴り返しレイは店を後にする。

 

 普段なら両隣を陣取るハクレンとミーアが何故かレイとイリスの間に2人並んで陣取ったのはただの偶然なのだろうか?


 △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △


「いらっしゃいませ。あら?随分と珍しいお客さんね」

 日も落ち、町が闇に包まれ始めた頃、ドアの開閉を告げる鈴の音に棚の在庫品整理をしていたハイネリアは顔を上げた。

 イリスが手伝い始めてからか、はたまたまともに店の営業を始めたからか、最近では日に10人前後の客が訪れるようになっていた。前者が理由なのだとすればソレはハイネリアにとって若干悲しい事ではあるのだが。

 依頼の報告を済ませたハンターが家路に着くついでに消耗品の補充に立ち寄る事も数日に1度位はある。

 今日はそんな日かな、と顔を上げたハイネリアはそこに居たのがが珍しいというより懐かしい相手であった事に驚いた。


「ヨッ! 久しぶり」

 変わる事のない笑顔で片手を上げる昔馴染みにハイネリアの顔もほころぶ。


「本当ね、どの位ぶりかしら?」

「そりゃあ50年ぶりだろ」

「あぁ、そうね。もう50年になるのね。それで迷宮には?」

「おう、もう終わらせてきた」

「そう。じゃあまた50年は安心ね」

「まあな」

 2人は再会を祝してハグし合う。


「元気そうで何よりね」

「ああ、お前も変わりない様で」

「……えぇ、アナタも変わってないみたいね」

 ハイネリアは何食わぬ顔で自分の胸を鷲掴みにする男の右手をつねり上げる。


「イテテテ、ワリィワリィ。目の前でたわわに実ってたもんでつい」

「そうね、ついウッカリ、で命を落とすのがハンターよね」

「スンマセン。マジ勘弁して下さい」

 ハイネリアが何処からともなく短杖を取り出したのを見て男は慌てて頭を下げる。

 未だに色あせないかつての経験が危険警報を鳴らしていた。


「ハァ~。本当に相変わらずね」

「お前も、この店もな」

 店内をグルリと見渡して男は言う。

「流行ってねぇな」

「うるさいわよ。良いの。儲ける為にやってるんじゃないんだから」

 男の歯に衣着せぬ物言いに苦笑いでハイネリアは答える。


「お、そうだそうだ。土産があったんだよ」

 そう言うと男は一冊の古びた本を取り出しハイネリアへと渡す。


「コレは……。随分と古いわね。…古代文字? ルーンハイド? いえ、似てるけど違う? これを何処で?」

「アギルの森の古い遺跡で見つけた。字は読めないけど絵がなんか薬剤作りぽかったんで持ってきた。相変わらず、なんだろ?」

「えぇ、最近ようやく壁を1つ越えられたわ。これも何かの役に立つかもしれないわ。ありがたく貰っておくわ」

「おう、感謝は言葉じゃなくて体で……。いや、何でもない」

 再び両手を卑猥にワキワキとさせていた男は、ハイネリアが無言で短杖を構えたのを見て手を背に隠す。


「まったく、助平なところは何十年たっても変わらないのね」

「おうよ、そん所そこらの奴とは年季が違うぜ」

「褒めてないわよ」

「マジで!?」


 目を剥いて驚く男だが、ソレが全てポーズである事をハイネリアは知っている。

 本当は女性に対して誠実である事も、ヘタレと言われる事もあるほど慎重な男である事も知っている。

 そして、古い友との約束を今もまだ律儀に守り続けている事も。


「さて、今日は帰るぜ」

「あら、もう?」

「あぁ、遅くなると宿が取れなくなるからな。それに連れを待たせてるしな」

「そう、じゃあ仕方ないわね。クロスロードにはいつまで居るの?」

「ん~、しばらくは居るかな」

「じゃあつもる話はいずれまた、ね」

「おう!」

 男はそう言うと店を後にする。


 そして、すぐにドアから顔だけを店内に突っ込み言う。

「今はユゥリー・エイジスなんで、ギルドへの指名はイケてる男ユゥリーでヨロシク!」

「はいはい。オヤスミ、ユゥリー」

「オヤスミ、リア」

 バチッ!と音が聞こえそうなウィンクをするとユゥリーは今度こそ店を後にした。


「ホント変わらないわね」

 古き友との約束の為に旅を続ける男。

 本当の意味での王国の守護者。

 誰にも知られる事のない英雄。


「もっと自由に生きれば良いのに」

 そう呟いたハイネリアだが、それが出来ない男である事は彼女が誰よりもよく分かっていた。

やっと出てきたユゥリーさん。

本格的に絡むのはもう少し先の話になります。

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