62 「水没案はボツって事?」
『雨で蟻の巣は水没するか?』
答えから言えば『否』である。
少なくとも『雨で水没しないように巣は作られている』と言える。
辺り一帯が冠水するような事態等は例外だが、基本的には水没する事なく済むようになっている。
その例外に水没させようと巣に水を直接流し込む子供の残酷な遊びも含まれるのだが、それでも蟻の巣が全滅する事は滅多にない。
水を溢れるまで流し込んでも次の日には蟻は通常通りに活動していた。
レイはそんな子供時代の経験を思い出していた。
今にして思えば、空気溜まりができる巣の構造と、周りの土が水を吸収していたからだと理解できるが、当時はそんな事など思いもせず、蟻の巣壊滅の為に連日の水攻めに勤しんだ。
最終的には飽きて止めたのでレイの根負けだったのだろう。
「なぁ、蟻の巣を水没させられないか?」
時を超え、世界を超えてレイのリベンジマッチの時は………こなかった。
「無理だろ」
「結構無茶なこと考えるわね」
「有り得ない」
レオルード、ジーン、エリス。三者三様に否定され、ご主人様絶対主義のハクレンすらも難しい顔をしている。
「それには巣に近づかないと意味が無いな」
近づけないことが問題なのだ。
「それを無事に行えるだけの時間が出来るって事は巣に蟻はもういないんじゃない?」
ならば水攻めを行う意味もない。
「そんなに水を運べない」
どれほどの水が必要になるのかすらも分からない。
「でも、ほら、囮を駆使して蟻を巣から遠ざけて、護衛を十分つけて、複数の魔術師が水術系の上級魔術を叩き込めば」
再びレオルード、ジーン、エリスが唱える反対意見にレイは何とか食らいつく。
だが、
「そんな囮を誰がやる?」
「十分な護衛って蟻を殲滅出来るくらい?」
「上級魔術が使える魔術師が複数いるなら、巣ごと爆破した方が早い」
「むぅ」
三度目となる三者の指摘にレイはぐうの音も出ない。
「あー、でも独創的な発想です。中々思いつく事ではありませんよ」
「あー、うん、ありがとう」
何とかフォローしようとするハクレンの言葉も今はレイに追い討ちをかけるだけだった。
時に優しさは残酷だ。
「まぁ、でも確かに目の付け所が常人と違うのは悪い事じゃないわ。人と違う物の見方が出来るのは貴重な才能よ。今の案だって巣が地下に広がってる事を考えれば面白いと思うわ」
そう言ってジーンは笑いかける。
巣の外から攻撃するという発想はジーンには無かった。
もし彼女が討伐案を考えるのなら力押しだ。
複数の部隊が蟻を誘き出し巣から離し、そこへ本命部隊が巣の内部へと突入する。
女王蟻の討伐さえ出来れば蟻はそれ以上増えない。
問題は、女王亡き後に蟻達がどう動くかだ。
過去の例も暴走し所構わず破壊し始めたり、全ての蟻が巣に戻り内から巣を潰し殉死したりと様々だ。
もう1つの問題点は、迷路と化した地下の巣で女王の下に辿り着けるかどうかだ。
こればかりは運任せと言わざるを得ない。
ジーン自身は女王蟻に勝てるという自信はあるが、女王の下に辿り着ける自信はない。
故に必勝の案とは言えず提案するには至っていない。
そして、その程度の案は誰でも思いつく事なのであえて言う必要もない。
「ギルドの上層部や議会でも対策は考えているでしょう。ただ、意見は多いに越した事はないわ。私達ももう一度考えておきましょう」
「それは俺の水没案はボツって事?」
「まぁ、提案するだけなら何でも良いんじゃない?」
それはつまり、採用される確率は殆ど無いという事だ。
ジーンのダメ押しにレイはガッカリうなだれる。
「そもそも、巣が水没して終わりなら、とっくに雨で全滅してるじゃん。きっとアイツ等水中でも生きられるのよ」
「お前っ!? 本気か?」
「ん? 何が?」
ミーアもまた常人とは違う感性を持っていた。
動植物等から進化したであろう魔物には、暑さ寒さに対する耐久性や、気温や環境への適応力などその特性の多くが引き継がれている。
勿論、魔物化した後にその特性が変化する事もあるので、しっかりとした調査は必要となる。
昆虫から進化した軍隊蟻も、やはり元々の特性を多く持っている。
例えば、明かりのない暗い地中の巣で生活している為、視力が弱いという事。
寒い冬には活動が鈍り冬眠状態に入る事。
そんな特性の中で今特に気になる事の1つとして、活動時間帯がある。
つまり、昼行性か夜行性かといった事だ。
これが分かる事で特に気をつけなければいけない時間帯が分かる。
それを調べる為に森の軍隊蟻の領域に潜入している者達がいる。
Bランクパーティ『ホークアイ』。
戦闘よりも偵察や探索を得意とするパーティだ。
「ヤバイ、見つかった」
森の暗闇の中で男は小さな声で呟いた。
若干離れた位置から巣を観察していた男の『熱源探査』には無数の反応があった。
それらの幾つかが真っ直ぐこちらに向かってきている。
「おいおい、マジかよ? まだ警戒ラインの外だろ?」
「昼と夜とじゃ警戒ラインが違うのかもな。なんにせよ撤退だ」
接近してくる無数の熱源に彼らは素早く撤退を開始する。
撤退するなら風下に。
偵察を得意とする彼らは撤退も心得ていた。
ある程度の距離を稼ぎ追跡を振り切った彼等は小休憩と共に情報整理を行っていた。
「夜のほうが警戒範囲が広いって事は夜行性か?」
「逆じゃないか。夜は多くの蟻が活動していないので警戒ラインを広げているのだろう」
「なら、奴等は昼行性か。攻めるなら夜か」
「それでも迂闊に近づくとあっという間に捕捉されるな」
視力の弱い蟻は嗅覚が発達していると言われている。
巣の周りを巡回する3匹1組の蟻が侵入者を見つけると仲間に知らせるフェロモンを発する。
そのフェロモンを嗅ぎ取った仲間が巣から次々と出てくる。
「昼だろうが夜だろうが、そう簡単には巣には近づけないか」
「知覚できた限りでは今出てきたのは30匹程度だったな」
「30匹……そいつは丁度良い数だな」
これは彼等にとっては嬉しい情報だった。
彼等にとっては30匹の兵士蟻は脅威ではない。
彼等だけでも兵士蟻ならば50匹は対処できると考えていた。
侵入者に対する対応が30匹であればBランクパーティは問題なく対処できるだろう。
Cランクパーティでも複数が合同で組むならば危険性は低い。
複数のパーティで時間差をつけて巣に近づき、少数の蟻を誘き出し巣から引き離し狩る。
時間をかけて戦力を少しずつ削っていく。
これが現在での軍隊蟻に対する主な対処法だ。
問題は追いかけてくる数と距離だ。
一度の侵入者に対する追撃が100匹を超えるのであればBランクパーティも単独では危険性が高い。
戦闘中に援軍が来られても困るのである程度は巣から引き離したい。しかし引き離し過ぎると巣に戻ってしまう。
追いかけてくる数と距離の見極めが重要となってくる。
彼らの持ち帰る情報の1つ1つがクロスロードの生命線となる。
その日、クロスロードは若干の混乱に包まれていた。
それまで単なる噂でしかなかった『近く存在していた軍隊蟻の巣』という件に対して市長が公式に会見を開いた。
要点をまとめるなら
・軍隊蟻の巣が森に存在する事を確認。
・巣の内部の規模、蟻の総数は現在調査中。
・軍隊蟻が侵攻してくる時期は現状では読めていない。
・クロスロード独力での討伐は難しいと予想される。
こう説明した上で、一般人が森へ近づくことを禁止し、可能であれば早めに避難する事を呼びかけた。
「避難はあくまでも万が一の為。万全に備え市民へ被害が及ばないように全力を尽くす」
そう語ったケネスの言葉は瞬く間にクロスロードの全域に届けられた。
最悪は暴動になる事さえ予想されていたが、市民の反応は落ち着いた物だった。
隠す事無く正直に実情を説明した事で混乱は小規模な物に抑えられた。
――隠すときは徹底的に隠し、最後まで秘密裏に処理する。
それがケネス・ローゼンベルトの政治家としての信条だった。
そして、「重大な事態に際しては包み隠さず真実を告げるべき」というアドバイスに従った結果でもある。
「大変な事になったわね」
突然背後から声をかけられたがケネスは驚かなかった。
彼女に会う為にこの場所に来たのだからだ。
会う約束をしていたわけではない。ここを訪れた際に扉の鍵が開いていた。それは彼女が自分の来訪を予見し会う気があるという事を示していた。
「ご無沙汰しております。お時間を頂きありがとうございます」
深々と頭を下げる。再び頭を上げたた彼の目に映ったのは、父に連れられて初めて会った35年前から何一つ変わらぬ姿の美女だった。
「コレだったのですね?『私の運命が変わる出来事』というのは」
「どうかしらね? 今回がそうだという保証はないわ。もしかしたらこの後に何か別の事態が待っているのかもしれないわよ」
「だとしても、私がすべき事は変わらないのですよね?『一番大切な物の為に誠実であれ』でしたか?」
「ええ、その通り。1つ貴方を安心させるのなら、『蟻に破壊されるクロスロード』という絵は見えないわ。このまま信じるままに進みなさい」
その言葉にケネスは胸を撫で下ろす。
彼女の言葉がウソであった事などない。35年間でただの1度もないのだ。
彼の彼女に対する信頼は、もはや信仰と呼んで差し支えないレベルであった。
その彼女が「大丈夫だ」と太鼓判を押すのであれば何の問題もない。
ケネスの中にあった不安は跡形もなく取り払われていた。
「おかしいわね。本当に見えないのよね」
来た時よりも力強い足取りとなって帰っていくケネスを見送るとハイネリアは呟くように独りごちた。
「蟻の姿なんてまるで見えないよねー」
これまでクロスロードの未来は幾度となく占ってきた。
数多くの脅威を予見し、その未来を変えてきた。
その彼女にとって町を滅亡させかねない今回の事態を予見できなかった事が意味する事は…。
「私の目が濁ってきた。という事かしらね」
そう自嘲気味に笑う。
そんな不吉な念を抱きながらも、全く何の不安感も生まれない。
その事を不思議に思いながらも「ハイネリアさーん!」という可愛い呼び声に「はいはい、上手く出来たかしら?」とハイネリアは日常へと戻っていく。
「そろそろクロスロードの占術士も引退かしらね?」
ケネス辺りが聞けば「神は死んだ」と嘆きかねない呟きは闇の中へと吸い込まれ消えていった。




