61 「さて、今の状況は?」
クロスロードの市庁舎、その奥の一室。そこに集まった5人の人物。
クロスロードの市長、ケネス・ローゼンベルト。
副市長、アンナ・ノール。
治安維持局局長、ベッケン・イオナス。
市民議会議長、トーマス・ハウゼン。
ハンターギルドクロスロード支部長、モーリス・ソドリム
「さて、今の状況は? 何か進展は?」
「偵察から戻った者の報告では、森の中には見張りと思われる兵士蟻が多数見受けられたそうです。中には戦士蟻と思われる姿も」
ケネスの問いかけにモーリスが渋面で答える。
その答えに室内の誰もが難しい顔になる。
「では、少なくとも既に第四期には入っている。と言う事か?」
「そう考えるべきでしょう。最悪第五期に入っている事も考えられます」
女王を頂点とした王国を作り上げる蟻の魔物、ギプロアント。その正式名はあまり知られてはいないが、確固たる指揮系統を持ち、時には何千何百という大軍が一糸乱れぬ動きを見せる事から『軍隊蟻』と呼ばれ、恐れられている。
第一期は女王蟻が巣作りを始めた段階。
第二期は最初に生まれた雑用蟻が巣の拡張を行っていく。
第三期は大型の兵士蟻が生まれ全体的に大型化していく。
第四期は更に大型で戦闘向きの戦士蟻がエサを求めて狩りに出始める。
第五期に入ると外部への進行を開始する。
小さな村が軍隊蟻によって滅ぼされた例は過去にいくらでもある。
「ハンターギルドは何をしていた! 第四期に入るまでには10年はかかるのだぞ。森に軍隊蟻が生息している事に10年も気付かなかったのか?」
声を荒げるのは市民代表のトーマス議長。
テーブルを叩きハンターギルドの失態だとモーリスに怒鳴声をぶつける。
「馬鹿を言うな。ギルドは森の管理を行っている訳ではない。むしろそれは議会側の問題だろう」
「だが、実際ハンター達は森で活動している。魔物の種と数の把握はしておくべきであろう」
歳も近く、クロスロード出身の2人だが、なぜか犬猿の仲として有名だ。
「2人とも落ち着きなさい。責任の所在を話す為に集まったわけではありませんよ」
アンナ副市長が間に入り2人をたしなめる。
「誰に責任があるのか、という話なら、それは市長である私にだろう。私が責任を取るためにも、事態の収拾をつけねばならん。大事なのは今からどうするか、だろ?」
ケネスが自嘲気味な笑みと供に言葉を発する。
その言葉に渋々といった感じではあるがトーマスは矛を収める。
「幸いと言うべきか、森の動物達の数はまだそれほど減っていない様です。それを考えれば、まだ第四期に入って間もないと考えらます」
「と言っても第四期に入れば兵士蟻の数は数百になるでしょう。治安維持局だけで対処しきれないのでは?」
「えぇ、無理でしょう。王都や他の都市からの支援も検討すべきかと」
ベッケンの意見を受けアンナも意見を述べる。
兵士蟻は10匹程度の群れであれば大した脅威ではない。
しかし、その数が数百数千ともなれば話は違う。数はそれだけで脅威となり得る。
そして戦士蟻に至っては数匹でも一般人には十分な脅威となる。
何より軍隊蟻が恐れられる最大の理由は、『個』が無い事だ。
人間の軍隊であれば最後の一兵まで戦い抜くという事は事実上は有り得ない。
だが、軍隊蟻にはそれが有り得る。それは過去の実例からも証明されている。
蟻にとって大事なのは全体であって個ではない。突き詰めれば「女王さえ無事であれば」という事になる。
その為、時には千を越える兵士蟻が最後の一匹まで特攻を続ける事もある。
それに勝利する為に人間側が万の軍を動員させる事もあった。
巣に居るのが兵士蟻100匹、戦士蟻20匹程度ならば治安維持局とハンターギルドクロスロード支部が協力し合えば対処できる。
しかし、兵士蟻500匹、戦士蟻100匹以上となればクロスロード独力では対処しきれない可能性が高い。
軍が駐屯していないクロスロードには治安維持の為の部隊として千人程度がいるだけだ。
対魔物という面は殆どがハンターギルドに任せている。
もっと危険な魔物を狩っている高ランクのハンターにとっては戦士蟻も恐れる相手ではない。
例え100匹であろうとも遅れを取る事はないだろう。
ただし、それは全ての蟻が自分に向かってくればの話だ。
蟻が突破を目的と定めれば、それを止めるには相応の数で迎え撃つしかない。
今出来る事は、より多くの情報を集める事。その情報の中身を精査する事。
必要とあれば他の都市に支援を要求する事。
そして、市民に十分な説明を行う事。
ハンターギルドにて不特定多数の者にその事実が知られてしまっている。
情報を秘匿する事は既に不可能だ。
それならばしっかりと公開し説明し安心させる方が良い。
それ等を決めると会議は終了した。
「宜しかったのですか?」
会議が終了した後、席に座ったままのケネスにアンナが声を掛けた。
「仕方ないさ。最悪の事態を想定しておかないといけないからね」
「いえ、そうではなく、議会での決定という形の方が良かったのでは?」
「無駄に時間がかかるだけだ。たった5人ですらまともに話が進まないんだ。32人も集まれば尚更だ。その間に取り返しのつかない事になる可能性もある」
他の都市への支援要請はケネスの独断による決定という形で決まった。
独立自治都市であるクロスロードの市政は「全部自分達でやるから口出しするな」というのが基本スタンスだ。
それが今回の事態で支援を要請するという事は、その面目が潰れるという事だ。更には今後余計な口出しをされる事態を招きかねないという事でもある。
「都市の面目と市民の命、それなら私は市民の命を選ぶ。事後に私が責任を取って辞任すれば良いさ。残された者にはいい迷惑だろうがね」
肩をすくめてアンナに笑いかけるケネス。
改革派と保守派。市庁舎内をそう分けるのであれば同じ改革派に属する2人。
今回の一件でケネスが市長を辞すれば、改革派にとっては大きなマイナスだ。
だが、ケネスのその表情に後悔の色はない。
「市長のイスに未練はない。と言う事ですか?」
「それほど座り心地は良くないしな。なぜ皆が座りたがるのかが不思議なくらいだ」
「私はそのイスの座り心地が良くなるまでは貴方にがんばって頂きたいのですがね」
そう言うとアンナは一礼し部屋を出る。
「さてな、十年前ならどうにでもなると高を括ったのだがね」
背後から聞こえた声にアンナは一瞬立ち止まるが、その言葉に対する返答が思い浮かばず、そのまま立ち去る事にした。
「私も行商人でも始めてみるかな」
ケネスの独り言は誰に聞かれるでもなく消えていった。
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「軍隊蟻?」
「はい、正式名称はギプロアントですが皆さんそう呼んでいるので、それで良いと思います」
朝、いつもの様にギルドに向かうとそこは森に発生したという軍隊蟻の件で持ち切りだった。
初めて聞く名前に疑問をギルド職員リザリーに聞いてみた。
「そんな訳で現在ギルドの通常業務は一時停止中です。ただ、緊急性の高い事態には対応しないといけませんので、出来ればレイさんも遠出せず待機していて下さい」
かいつまんだ説明の最後をリザリーはそう締めくくった。
「了解。ちなみにその軍隊蟻の方の対処は?」
「現在検討中です。ギルド長が対策会議のために市庁舎に行っています」
「分かったよ。力になれる事があれば言ってくれ」
「ありがとうございます」
「………」
静かに頭を下げるリザリーの姿にレイは違和感を感じる。
テキパキと指示を出し、要点をまとめた説明をよどみなく行い、過不足なく仕事をこなしていく姿はまるで優秀なギルド職員のようだ。
「なにか?」
不審な顔をしているレイにリザリーが首を傾げる。
「いや、偽者なんじゃないかと思って」
普段の姿からは想像もつかない真面目な仕事ぶりにレイも疑ってしまった。
「失礼な、何の為に私が普段手を抜いてると思ってるんですか? 有事の為に英気を養っているんです。別にサボってる訳じゃないですよ?」
「説得力は無いが、やる時はやるんだと覚えておくよ」
「いえいえ、最近ご無沙汰でしてレイさん程は」
「そんな下ネタは要らん」
どうやらリザリー本人である事は間違いなさそうだ。
「大丈夫です。蟻の駆除が終わったらいつも通りにサボりますから」
「やっぱサボってんじゃん!」
いろんな意味で予想を裏切らない不良看板娘。
だが、その笑顔は見る者に妙な安心感を与える不思議な力を持っていた。
「連中の相手をする時に大事なのは守りに回らない事ね」
そう話すのは実際に軍隊蟻の侵攻を経験したというジーンだった。
「守勢に回ると数の差がキツイわよ。ギプロアントは本当に全滅覚悟で特攻してくるからね」
「個体の強さはどの程度なんですか?」
「そうね、兵士型はゴブリンと同程度でDランク、戦士型はオークなんかよりも強くCランクかしらね」
その他にも巣の入り口を守る門番型、女王の代わりに侵攻時に指揮を執る将軍型とその種は多彩だ。
群れが変わればその構成も変わり、兵士型ばかりでひたすら数を増やす群れもあれば、戦士型の比率を高める群れもある。
「主戦力がゴブリン並みならAランクパーティやBランクパーティでどうにかなるんじゃない?」
そう考えを述べたのはミーアだった。
CランクやDランクの魔物ならばそう恐れる事など無い。
もっと恐ろしい魔物の群れなどいくらでもある。
ミーアのようにそう考えて楽観視している者は意外に多い。
「いえ、奴等の武器は個の強さではなく、その数です。蟻が百匹と言われても大した事ないと思えてしまいますが、百を超えるゴブリンが住む集落と聞けば軍でもそう簡単には手出しはしないでしょう。それが数百、場合によっては千ともなるのとあれば……」
「……想像したくないわね」
ハクレンの補足説明を受けてミーアが身震いする。
「例えば、レオだったら何匹ぐらいはいける?」
「フム、周囲や後方を気にしなくて良い。俺に向かってくる相手だけを斬り続けるというのであれば、100は問題なくいけるだろう」
「ジーンさんは?」
「その条件なら500匹は。ただ、囲まれて蟻酸の一斉射撃なんて目に遭うからやらないわ」
その方法は過去に試され済みだった。
軍隊蟻の侵攻が始まる前に巣へと攻撃を仕掛ける。
これが町への被害を最小限に抑える方法としては有効だ。
100匹は倒せると言うハンターが24人、騎士が18人、兵士が13人。計55人。
単純計算で言えば5500匹の蟻がいても勝てる陣容で討伐に向かった。
結論から言えば討伐には失敗した。
巣を守る為ならば、死ぬ事など何でもない軍隊蟻と、出来れば生きて帰りたい人間の覚悟の差だったのかもしれない。
一部の蟻が捨て身で動きを封じ、そこへ周囲の蟻の吐いた酸が雨のように降り注いだ。
肌が触れれば火傷し、目に入れば失明しかねない酸だ。
何とか包囲を突破し撤退した彼らを追うように軍隊蟻の大群が町を襲った。
万が一に備え待機していた軍により町の被害は3割ほどが破壊されただけに抑えられた。
以来、軍隊蟻の巣に攻撃するのは必勝を確信できたときか、一か八かの賭けに出るときだけとなっている。
「やるなら広範囲の魔術で一掃するのが一番よ」
ジーンの言葉に皆の視線がエリスに向く。
「無理」
そんな視線を受けてエリスは断言する。
「直径10メード程度で私は限界」
普段の討伐や迷宮探査であれば十分と言えるのだが、軍隊蟻の大群相手という事であれば10メード級では小さすぎる。
そして、エリスは別段腕の悪い魔術師というわけではない。
殆どの魔術師にとってそれ以上の範囲魔法は無用の長物なのだ。
「そうね。そもそも、必要なのは戦術級の魔法よ。個人の魔法では焼け石に水ね」
エリスをフォローするようにジーンが言う。
そのジーンの一言にレイがある事を思いついた。
「なぁ、蟻の巣を水没させられないか?」
アリ退治は基本だと思います。
ただし序盤の、だと思います。




