58 「まぁまぁ楽しめたわ」
リンディア王国は大陸の東側半分そのほぼ全てを版図に治める大国家だ。
それに対して大陸西側を勢力下に置くのはイルハイム連邦共和国。
この2国家によって大陸の8割が支配されている。
しかし、リンディアとイルハイムが本格的な戦争状態に入った事は過去に1度もない。
精々が国境線での小競り合い程度だ。
大陸を2分する大国が大陸の覇者の座をかけて雌雄を決しないのには理由があった。
まずは地理的な事。
大陸の中央南部には広大な砂漠地帯がある。
巨大な砂竜が多数生息するこの砂漠を大軍で通過しても、砂漠抜けた後には数は半分以下になるであろうと予想されている。
そして中央から北にかけては南北に走る巨大な山脈がある。
これを超えての行軍がいかに無謀かは、その案を試した過去の経験から両国とも嫌というほど知っている。
その山脈に北を回るルートは1年の三分の一は吹雪で閉ざされる。
結論として大軍が進行できるのは山脈と砂漠の間だけとなる。
そこのは別の国家が存在する。軍を通せる筈がない。
相手国に大軍をもって攻め込む事が出来ない。
それがリンディア王国とイルハイム連邦共和国が全面戦争に突入しない表向き理由である。
ならば、その間にある邪魔な国を滅ぼすなり併呑するなりすれば良いという事なのだが、それが出来ないからこその現状だった。
むしろリンディアにせよイルハイムにせよ、どちらかがその国を落とす事が出来たのなら、もう一方はその段階で白旗を揚げるだろう。
それほどリンディアとイルハイムの間に存在する小さな(リンディアやイルハイムに比べれば)国は恐れられていた。
大陸を2分する巨大国家をして「絶対に敵に回してはいけない」と認識せざるを得ないほどに。
それが魔族の国『魔人領』だ。
全面戦争に突入しない本当の理由は「下手に刺激をして魔族と事を構えたくない」である。
これは何もリンディアやイルハイムのような国家としての認識でなく、この大陸に住む生物としての認識だ。
『魔人領』は正式に言えば国ではない。単に多くの魔族が住んでいる地域であり、小さな物は数人、大きな物は数万人の国家郡の総称とも言える。
その現状は日夜血で血を洗う闘争が繰り返されている大陸屈指の危険地帯だ。
そんな魔人領に住まう魔族、魔人は人と変わらぬ姿でありながら、龍族と肩を並べる最強生物へと進化していた。
肌の色、髪の色は多種多様だが、一様に言えるのが金色の瞳を持つという事。
この大陸において金色の瞳は龍眼と同等の畏怖の対象となっている。
その金色の瞳を持つ赤髪の女性が竜亀の後を追うように森から現れた。
「もう逃げないの?」
急ぐ事もなく悠然と歩く魔人の女性。
5メード程の大きさの竜亀を見据え槍を構える。
「なら、始めましょうか」
その顔には満面の笑みが浮かぶ。
これから楽しい遊びが出来ると喜ぶ無邪気な笑顔だ。
弾かれたように前へと進み出る女性。
それを迎え撃つように巨大な水球が打ち出される。
女性は跳躍1つで水球を軽々と飛び越え竜亀に槍を向ける。
そこへ不可視の風の刃が襲い掛かる。
自由に身動きの取れない空中では避けようがない。
そんな一撃を女性は空中で何かを蹴るように方向転換し回避する。
「へー、魔術の連弾か、意外と器用ね。これは結構ヤバイ?」
言葉とは裏腹に女性の顔の笑みは深まる。
そこへ石の弾丸が避ける隙間がないと言える程の密度と範囲で殺到する。
回避不能。防御に徹して耐え切るしかない。後はいつまで続くか相手との我慢比べ。
誰もがそう思う光景に、女性は短く口笛を吹くと姿を消した。
次の瞬間には竜亀の側面に回りこんでいた。
「空間転移!?」
その光景に誰かが驚愕の声を上げる。
「違う。ただの高速移動」
しかし、それに対して別の誰かが呟くように否定する。
それぞれが誰であったのかを確認する気にもならないほど全員の目は目の前の光景に釘付けになっていた。
女性の動きは誰も捉える事が出来なかった。
竜亀の正面にいた女性が消え、側面に現れた。
それが分かったのは距離を置いて見ていたからだ。消えた位置と現れた位置が両方共に視角の内だったからだ。
現れた位置が視角の外なら、誰もがその姿を見失っていただろう。
事実、竜亀はその姿を見失い、三つの首で忙しなく周囲を探している。
このとき魔人の女性が攻撃に移っていれば、そこで終わっていたかもしれない。
しかし、
「こっちよ」
女性は攻撃には移らず、有ろう事か自分を見失っている竜亀に声をかけた。
「ホント、大したものよ。思わず【縮地】を使っちゃったわ。侮ってたわ、ゴメンなさい」
そう言った女性の手元から炎が上がる。
炎はそのまま槍に絡みつくように纏っていく。
「ここからは、ちょっと本気よ」
陽炎に揺らめく女性の雰囲気は先程までの物とは違って見えた。
竜亀に向かい再び突進する女性。
同じ様に再び放たれた水球を今度は避ける事なく真正面から挑む。
炎を纏った槍が水球を蒸発させ貫く。
立ち込める水蒸気の向こう側で槍が障壁に阻まれる。
しかし、それは僅かな間でしかなかった。
「破ッ!」
女性の気合の声と供に突き出された槍が障壁を打ち抜く。
「良い障壁だったわよ。お返しに本気を見せてあげる。イグニッション!」
足元から噴き上がりその身を包む。
「フェニックス!」
再び竜亀へと突進するその姿はまさしく火の鳥だった。
火の鳥は正面から竜亀に襲い掛かる。
そして、竜亀の巨体を食い破る。
最後のダメ押しにもう一度跳躍し上空から火の鳥が襲い掛かる。
「まぁまぁ楽しめたわ」
その身の炎を消し、背後で燃える竜亀に振り返る。
「生まれ変わって、もっと強くなったらまたやりましょう」
その顔には満足気な笑みが浮かんでいた。
「あの障壁を、あれほど容易く打ち抜くのか…」
それは一同の中で唯一その堅さを体験しているカイエンの呟きだった。
勿論、彼にも万全の状態からの渾身の一撃であれば…。という思いはあった。
しかし、それでも自身と魔人の女性との間にある圧倒的な差を感じずにはいられなかった。
そして、それは程度の差こそあれこの場にいる全ての者に言える事だった。
「こっちへ来るようだな」
ナスターシャの言葉に視線を向けると、こちらに向かって歩いてくる赤髪の女性が目に入った。
その手の槍には既に炎はなく、顔には笑みが浮かんでいる。
それは満足のいく遊びが出来たという晴れやかな物だった。
女性が一歩一歩近づく度に緊張感が高まる。
それは魔人がどういう者なのかを知っているからだった。
魔人、それは数多くの種族が存在する魔族の総称だ。
勿論それは、人間側の呼び方であり、自ら「魔人」と名乗る魔族は居ない。
基本的に人間が呼び名に『人』をつけている相手は種族的に敵対していない事を示している。
そう、魔族は人間と敵対はしていない。しかし、友好的かと言われれば疑問が残る。
魔族は基本的に好戦的な種族だ。他種族、他部族と友好的である事の方が珍しい。
多種多様な魔族だが、一様に言えるのは『戦う事が大好き』で『強い奴が偉い』を基本理念にしているという事だ。
故に自分の方が強くなったと思えば平気で反旗を翻す。
偉大な首長の下一致団結していた勢力が代変わりと共に分裂する事が往々にしてある。
魔人領が平和になる事は未来永劫無いと言われている。
目の前に居る魔人の女性もその例に漏れないであろう事は想像に難くない。
今は竜亀との戦いに満足している節が見て取れるが、その興奮冷めやらぬまま襲い掛かってくるかもしれない。
そんな緊張感が漂っていた。
「大丈夫よ。別に危害を加える気はないわ」
女性は苦笑いを浮かべ槍をしまうと両手を上げ戦意のない事を示す。
彼女自身が、自分がどのように見られているのかをよく理解している様であった。
「装備品を見た感じハンターかしら? もしかして横取りしちゃった?」
女性は背後で既に炭の山と化した竜亀を一瞥する。
「いえ、それは……」
「そんなに緊張しないで。別に取って喰う気もないし、貴方達が思っているより温和よ私」
相手の緊張を飲み取ったのか女性は柔和な笑みでおどけて見せる。
「ジコルファブレン・アガンレス。長いからジーンで良いわ。まぁ気付いてると思うけど魔族よ。貴方達は?」
ジーンが笑みを浮かべたままにこやかに名乗り尋ねる。
周囲の者と視線で無言の協議をした結果、代表してナスターシャが答える。
「ご想像の通り私達はハンターです。貴方が倒した竜亀の調査に来ていました」
「あら? じゃあ余計な事をしちゃったかしら」
「いえ、今の戦力では討伐は難しいので次回に、と思っていましたので、手間が省けたと言いますか、逆にありがたいくらいです」
「そう?なら良かったわ」
ジーンがニッコリと笑って言う。
「ところで、貴女は何故あの竜亀を?」
「ん? この森に巨大な魔物が出るという噂を聞いて、まぁ興味本位ね」
「はぁ、興味本位ですか」
興味本位で巨大な魔物を見に行く、そして戦ってみる。
まさしく戦闘民族といったところか。
「そんなに期待はしていなかったんだけど意外に骨のある相手だったわ。【縮地】や【炎装】を使うとは思わなかったわ」
【縮地】というのが、あの超高速の移動術の事で、【炎装】というのがあの炎を纏った姿の事なのだろう。
「ところで貴方達ハンターなのよね? この辺りで活動をしているのならクロスロードの所属かしら?」
「えぇ、そうです。これからクロスロードに戻るところです」
「そう! ならちょうど良かったわ」
目を輝かせるジーンの笑顔に何とも言えない不安感が広がっていく。
「私もクロスロードに行くところなの。ご一緒させてもらって良いかしら?」
その言葉の意味がゆっくり浸透していくにつれ、一同の表情が強張っていく。
断ったところで勝手に後を付いてくるだろうし、断った瞬間に暴れだす可能性さえある。
周囲に助けを求めるナスターシャの視線に皆が諦めたような顔付きで目を逸らす。
「え、えぇ。問題ありません。御一緒しましょう」
結局は頷く以外の選択肢がなかった。
皆が何とも言えない表情で、時折ジーンへと視線を向けながら出発の準備を再開していた。
ただ1人を除いては。
この世界における常識の欠落しているレイだ。
彼にはジーンに対して『スゲー強い女』という以上の認識は無かった。
それが幸か不幸かは今のところは分からない。
この世界における魔族は、別に人類の敵ではありません。
大陸に住む別種族の1つといったところです。




