閑話 エリス、出会う
「これが運命の出会い」
「…そ、そうか?」
エリスは相変わらずの無表情ながら、その内心は歓喜に打ち震えている。
それがレイにも手に取るように理解できた。
「この日の為の人生だった」
「いや、お前、それはどうかと思うぞ」
エリスの大袈裟過ぎる感想にレイは呆れていた。
「素晴らしい」
すくい上げたソレは黄金色に輝きは、その表面のなめらかさを示していた。
プルンと震えるその姿は、柔らかさとその形を保つ弾力を兼ね備えている事を想像させた。
「はふー」
何度目になるのか分からない感嘆の吐息がエリスの口から漏れる。
しかし、幸福な時間はそう長くは続かなかった。
既に空となった器を見つめエリスは呟く。
「おかわり」
「……もう無いよ」
「ッ!?」
エリスはこの世の終わりを告げられたと言わんばかりの絶望感を滲ませレイを見上げる。
「本当に?」
「ああ、今ので最後だ」
「神は死んだ」
「いくらなんでも大袈裟過ぎだ」
レイの言葉にエリスはテーブルに突っ伏す。
そんな姿にレイは苦笑いを浮かべるしかなかった。
エリスは運命の出会いを果たした愛しきその存在の名を呟く。
「あぁ、プリン」
異界の甘味がエリスの脳を埋め尽くしていた。
約20分後
「………」
背後からの無言のプレッシャーにレイの背中に冷や汗が浮かぶ。
「…エリス」
「出来た?」
「いや、まだだけど」
「そう」
「………」
「………」
再びの無言のプレッシャー。
レイの耳には「無駄口叩いてないで完成させろや」と聞こえていた。
今2人が居るのはキッチンだった。
火にかけた鍋の前に立つレイ。それを後ろから眺めているエリス。
両手にスプーンを握り、両足をブラブラさせながら椅子に座る姿は幼子の様にも見える。
オヤツを楽しみに待っているのだ。子供の様に見えるの当然か。
「エリス」
「出来た?」
「いや、まだだ。というか時間はまだまだかかるぞ。この後、冷まさなければいけないからな」
「短時間なら絶対零度も生み出せる」
「いや、それは冷ますとは言わないだろ」
なにやら危険な魔術を使いそうなエリスの雰囲気にレイは苦笑いで答える。
「水冷でゆっくり冷やすんだよ」
「そう」
「そんな訳で、あと1時間はかかる」
「そう」
エリスはガックリと肩を落とす。
どうやら本当に待ち切れないようだ。
レイは苦笑いと共に鍋の中のプリンに注視する。沸騰させてしまうと表面がブツブツになる。
厳密に言うなら、これは『カスタードプディング』だ。
原材料は牛乳と砂糖と卵。比較的簡単に手に入り作り方も難しい物ではない。
高校の調理実習で一度作っただけだが、不思議と作り方は覚えていた。
鶏の卵30個分のグゥガーの卵が手に入った為、卵料理の1つとして久しぶりに作ってみた。
結果、出来上がったプリンの味見の最中にエリスに見つかった。
試しにエリスにも味見を頼んだところ、いたく気に入った様で3つを瞬く間にたいらげた。
そして「おかわり」を要求され今に至る。
現在は裏ごししたカスタード液を器に入れて鍋で蒸している所だ。
この後粗熱をとったら、水で冷やす。
難しくは無いが手間はかかる。
レイは鍋から取り出したプリンを粗熱を取る為にテーブルに並べながら、それを眺めているエリスに声を掛ける。
「お前も作り方覚えるか?」
「覚える」
レイの一言に即応したエリスが腕まくりをしながら歩み寄る。
ブカブカのローブは捲くったはしから垂れ下がるのだが。
「まずはミルクに砂糖を入れて温めながら混ぜる。沸騰させるなよ」
「ん、了解」
鍋にミルクを入れ火にかける。
そして砂糖を入れる。明らかに多すぎる量を。
「……お前、俺が作ってる所見てたよな?」
「ん、バッチリ」
「そんなに砂糖入れてたか?」
「ん、砂糖は多い方が甘い」
「限度ってもんがあるだろ」
ある意味で予想通りの展開にレイは引きつった笑みを浮かべるしかなかった。
女の子と同居しておきながら、彼女達の手料理はほとんど食べていない。
日々の食事を作るのはレイの役割になっている。
理由は単純にそれが一番安心できるからだ。
まずエリス。
結局は名家のお嬢様だった彼女にとって、キッチンというのは行けば使用人がお菓子をくれる所でしかなかった。
つまるところ、料理経験はゼロ。料理をする気もゼロ。
頼めば手伝いはしてはくれるが、「野菜を洗ってくれ」と頼めば石鹸を泡立て始める。
危なっかしくて目を離せない。
食事を任せるのは危険な感じがする。
そしてハクレン。
残念ながら彼女も料理経験は皆無だった。
それでも「ご主人様に作らせて自分が待っているという訳にはいかない」と自分が料理をする事を主張していたのだが、見よう見まねの料理はお世辞にも美味しいとは言えなかった。基本的に調味料の使い方が分かっていないようだ。
更には何故か包丁の扱いが下手らしく使い方が危なっかしい。既に何度か指を切っている。
それでもレイがキッチンに立てば手伝いはするので、『いずれは』と期待はしている。
最後はミーア。
孤児院で育ち、自分より小さい子供の面倒を見ながら育った彼女は料理経験者だった。
だが、味や栄養より量が重要だった孤児院では売り物にならないクズ野菜でも何でも食べられるように刻んで煮込む。それが基本だった。
その時のクセなのか彼女に料理を頼むと、何かを煮込んだ大鍋が食卓の真ん中に置かれる。
不味いわけではないのだが、それが続くのは勘弁してもらいたい。
そんな訳で、現在はレイが食事当番となっている。
とは言っても、彼もまたこちらの食材や調味料に詳しい訳でもなく、『困ったらカレー』という1人暮らしの男料理しか出来ない。
肉を焼く。魚を焼く。野菜を炒める。それ以外の料理はほとんど知らない。
カレールーも無い。インスタント麺も無い。レトルト食品も無い。
料理本の様な便利な教本もこちらに来てから見た事が無い。インターネットのレシピサイトなどある筈も無い。
このままではいずれは外食がメインになるか、料理の出来る者を雇うかを選択する日が来るかもしれない。
ただそれはまだ先のことだろう。
とりあえず当面の問題は、目の前のミルクに砂糖を混ぜる事すらままならないお嬢さんをどうにかする事か。
「なんて言うかな、逆に何で?ていう感じかな」
「意味が分からない」
「そう!そんな感じだ」
何故この子はミルクに砂糖を溶かす事も出来ないのだろう。
何故この子は2割近いミルクをこぼしてしまっているのだろう。
何を指導したら人並み程度に成長出来るのだろうか?
「このままでは至高のプリンには辿り着けんな」
「至高のプリン!?」
「ウム。プリン・ア・ラ・モードだ」
「プリンあらもーど!?」
厳密に言えばプリンを使ったデザートを指す言葉なのだが、バレる事はないと高を括っていた。
エリスの頭の中では光り輝く謎の物体になっている。
「まず目指すのは焼きプリンだな」
「焼きプリン!?」
「ウム。オーブンを使う」
「オーブン!?」
驚きのエリスの視線の先には薪式のオーブン。
そんな物を使用したプリンの作り方などエリスにはまるで分からない。
と言うよりも、薪式オーブンの使い方自体が分からない。
そこはレイも同じなのだが。
「その次はクレームブリュレだな」
「クレームブリュレ!?」
最早それがいかなる物なのか、エリスには想像さえつかなかった。
詳しい作り方などレイにも分からないのだが、プリンの上にカルメラソースをかけて焼いたら良いんじゃね。と安易に考えていた。
「まずは、零さずにミルクと砂糖を混ぜられるようにならないとな。2割は減ってるぞ」
「良い案がある。最初から2割り増しで作ったら良い」
「うん、却下。零すな。材料を無駄にするなどプリン道に背く」
「プリン道!? …プリン道」
何やら感じ入った様に呟いたエリスは両手をグッ!と握り締め、一心不乱に鍋の中をかき回し始めた。
中身を大々的に零しながら。
エリスのプリン道は始まったばかりだった。




