閑話 レイ、家を買う
「決めた!家を買う」
誰に聞かれた訳でもなく、誰かに聞かせる為でもなく、レイはただ自分の決意を言葉にした。
『一国一城の主』それは男の夢であり浪漫。
とはいえ、下克上上等な乱世でもなければ、そうそうそこまで成り上がれるものではない。
勿論、乱世なら成り上がれるというものでもないが。
マイホームの購入。これを『一国一城の主』の代用とする者は多い。
つまり、マイホームの購入=男の夢だ。
ファンタジーな世界でさえ、そんな現実的な夢しか見られない悲しさ。
残念ながらレイがそれに気が付く事は無かった。
勿論、理由はそれだけでは無い。
例えば、希望の宿に泊まれるかどうか、という問題がある。
クロスロードはハンターが多い町だ。当然ハンター向けの宿は数多くある。
だが、その中には「雨風がしのげてベッドまである、他に何が必要だ?」といった感じの物もある。
勿論それは極端な例だが、そこまではいかなくとも、それに近い宿は少なくはない。
ハンターには遠出での依頼を受けた時は、その間の部屋を確保しておかずにその分の宿泊費を節約する者もいる(数的に言えば、こちらが主流)。
数の多い安宿を常宿としているのであれば、その事にまったく問題はない。
だが、人気の有る宿を常宿としているのであれば、若干問題はある。
現在レイの泊まる『虹の畔』という宿屋はハンターではなく商人を狙いにしている。
広く清潔な上に隣の物音が気にならない静かな室内。
値段こそ若干高めだが人気の高い宿で、レイもこの宿が気に入っていた。
そんな人気の宿は部屋を確保しておくのも大変だ。
常に確保しておこうと思ったら、遠出をしている間も部屋代を払っておく必要がある。
帰ってきたら「満室です」という事になりかねないからだ。
「もう壁の薄い安い宿になんか泊まりたくないしな」
初めて泊ったゼオレグの宿で隣室からの音に悩まされた事を思い出す。
隣に音が丸聞こえの部屋で、ハクレンとの夜を楽しむ気になどなれない。
そして、今の状況に耐えられそうにないのも理由の1つだ。
最近何故かエリスがレイとハクレンの部屋に泊まるようになった。
少し広めの部屋でダブルのベッドだ。3人で寝れない事もない。
右を見ても左を見ても可愛い女の子が居る。そんな両手に花状態が嬉しくない筈はない。
だが、この状況を楽しめるのなら、レイがヘタレと呼ばれる事はない。
先日のエリスの「レイとなら子供を作ってもいい」という発言をレイは真に受けてはいなかった。
嫌われてはいないだろう。とは思うが、惚れられている。とも思ってはいない。
最近のハクレンとの張り合いの一環なのではないかと考えていた。
結果、というか元々なのだが、エリスの本音が読めないレイは対処に困っていた。
エリスの前でハクレンに手を出す訳にもいかず、かといって2人まとめて、というほどの甲斐性もない。2つの女性の匂いに挟まれ両側から手を握られて目を閉じる。
レイが眠れる筈がなかった。
家を買うなり借りるなりする事でその状況が変わるのかと言えば、そこは疑問が残る。
ハクレンは当然一緒に住む。エリスも住み着く可能性はある。
そこは、寝室を別にすれば良かろうと考えていた。
ハクレンとも別室になるが、そうすればエリスも別室で寝るだろう。
少なくとも睡眠状況が改善されるのなら、進歩ありといって良いだろう。
レイはそう考えていた。
そして、最大の理由は単純に金銭的な話だった。
『虹の畔』は若干宿泊費の高い宿屋だ。
その前に泊っていた宿『止まり木亭』はダブルの部屋で一泊1200ギルだったが、虹の畔では2500ギルだ。
勿論、上を見れば一泊で数万という超高級店もある。あくまで、若干高いだけだ。
それでも一泊2500ギルなら1ヵ月で75000ギルだ。
勿論、長期宿泊で割引をして貰ってはいるがそれでも出費としては侮れない。
繰り返しになるが、クロスロードはハンターが多い町だ。
ハンター向けの宿も多いが、当然借家も多い。
月に75000ギルを払えるのなら、かなりの御屋敷に住めるらしい。
住んでいない間の分も家賃が発生する月額制の借家は嫌だと言う者も少なくはないが、レイは気にならない。むしろそちらの方が違和感が無い。
満室で他の安宿に泊る可能性を考えなくて良い分断然良い。
「そんな訳で家を買う。もしくは借りる。決定事項です。異論は認めません」
そんなレイの宣言に、側に控えていたハクレンは首を傾げつつもさも当然そうに言う。
「どんな訳かは分かりませんが、ご主人様の決定に異論などありません」
そんな答えにレイはハクレンの頭を撫でる。
「ん、私も構わない」
「ちょっと待て、何で普通に一緒に住む前提で話が進む?」
「ん?一緒に住まないの?」
エリスの予想通り言葉に、待ったをかけるレイ。
そんなレイの言葉にエリスは可愛らしく首を傾げる(ただし顔は無表情)。
「何で一緒に住む?」
「その方が効率が良い」
「ふむ」
それはその通りだ。パーティとして活動する以上、活動の拠点が有った方が都合が良いのは確かだ。
今は『何時にギルドに集合』という取り決めが必要になっている。
同じ家に住めばそんな物は必要ない。
「私はレイと一緒にいたい。レイは嫌?」
「ッ!…」
少し悲しげな表情を作るエリスにレイは言葉に詰まる。
分かっている。エリスが表情を作るときは演技だ。その事は分かっている。
分かってはいるのだが…。
「別に嫌ではないけど…」
「なら、問題ない」
「まぁな」
エリスと一緒に住むのが本当に嫌かと聞かれれば、答えはNoだ。
何のかんので、エリスの事が嫌いな訳ではない。
「家主に逆らうなよ、居候」
「バッチ来い」
嬉しそうにはにかんで頷くエリスに最早何も言えないレイだった。
レイが選んだのは、御屋敷と呼ぶには若干小さめだが、広い庭を持つ2階建ての家だ。
若干小さいと言っても、部屋数は2階だけで6部屋と3人には十分すぎる大きさだった。
なにより、レイが気に入ったのは1階に有る浴室だ。
この世界では、風呂というのはあまり馴染みの無い文化らしい。理由は様々あるのだが、体を清潔に保てる基礎魔術がある事と、大量の水を使用し、それを沸かさなければいけないという事が大きいそうだ。
火山地帯などでは湧き出る温泉を利用した大浴場はあるようだが、一般家庭でわざわざ浴室を作ってまで風呂に入る者は稀なようだ。
レイもこの世界に来て数ヶ月、湖や川で泳いだ事はあっても、風呂に入った事は無い。
普段は水で湿らせた布で拭くか、基礎魔術『浄化』を使うのが主となっている。
この家の設計者(注文者?)はその稀な人間だったようだ。
その事をレイは素直に喜んだ。
「ここに決めました。いくらですか?」
この家にしよう。
そう決めたレイだったが、そこには一つの問題があった。
「一月25000ギルです」
不動産屋の職員が満面の営業スマイルで答える。
その値段に文句は無い。
「ちなみに、買い取り価格は?」
「250万ギルです」
100ヵ月分である。
(250万か、ちょっと足りないか。200万を頭金に残りは分割とか出来るかな?)
金額を聞いたレイは自身の所持金では一括では買えない事を残念に思った。
ちなみに現在の彼の所持金は226万5788ギルである。
そんな計画を練っていたレイだったが、不動産屋の次の言葉で夢は破れる。
「250万ですが、カトー様にはお売り出来ませんよ?」
「へ?なんでですか?」
「住宅の購入にはクロスロードの市民権が必要です。定住するわけではない別荘等であれば市民権は不要なのですが」
何故そんなルールになっているのかは分からないが、そう決まっているのであれば仕方が無い。
「じゃあ、市民権を取ろう。どこに行けばいいんだ?」
「市民登録は役所で出来る。でも、多分無理」
レイの疑問にエリスが答える。
「ハンターに市民登録の許可は中々下りない」
「なんで?」
「直ぐ居なくなるから」
ハンターは1つの町に定住するより、色々な町を渡り歩く事の方が多い。
市民の数を正確に把握しなければならない行政側にしてみれば、どこに居るのかも分からないハンターの安否確認に手間を取られたくはないのだろう。
最低でも5年はその町を活動の拠点にしていなければ市民登録は許可されないのだそうだ。
「むう、マイホームさえ持てないとは」
悲しい現実を突きつけられ肩を落としたレイは、仕方なく賃貸契約をするのだった。
家具備え付けのその家を1日掛けて清掃したレイ達は、その日の内に宿を出た。
1階は広めのリビングとダイニングキッチンと書斎らしき部屋、後は浴室と小部屋が2つ。
2階は5つの部屋と物置らしき小部屋。
この家にはこれまでもパーティを組んだハンターが住んでいたらしいく、2階の部屋にはそれぞれ寝台が置かれていた。
最も大きい部屋にレイが、その両隣をそれぞれハクレンとエリスが入った。
最初は「奴隷に個室など」と断っていたハクレンも、最終的にはレイの命令に渋々と部屋に入っていった。尻尾を振りながら。
まだまだ、必要な物が足りていないが、それは追々揃えていく事として、引越し初日レイは久しぶりにゆっくりと眠りに就いた。
ちなみに、念願のお風呂は、湯の溜め方と沸かし方が分からず断念する事になった。
ザブタイ詐欺です。
家、買ってません。
ちなみに、文中でエリスの言った「バッチ来い」
これは、野球で守備側が、「バッター、俺のところに打って来いよ」と
煽る言葉の省略形らしいです。
何でエリスがそんな言葉を知ってるんですか?
と、聞かれても答えられません。




