4 「ハハハ、ツイてるね」
まだ乾く事無く濡れた血は、その剣が振るわれて間もない事を意味していた。
「あ、あぁ、うわぁぁぁ!」
突然の現れた血塗りの剣を持つ相手に、玲はパニックを起こしていた。
ここが異世界である事は理解していた。
ここが危険な魔物が存在する世界なのは知っていた。
だが、覚悟は何も出来ていなかった。
どこかで、マンガやゲームのように現実と切り離していた。
それが、突然目前にさらされた血塗りの剣で現実として強制的に認識させられた。
(逃げなきゃ!どうやって?どこへ?)
混乱した頭でまともな思考が出来きず、玲は座ったまま後ずさる。
「ま、待て!待ってくれ。敵意は無い。話を、話を聞いてくれ!」
その声に再び相手を見れば、その人物は持っていた剣を放り捨て、両手を上げ戦意の無い事を示していた。
「仲間が魔物の毒にやられたんだ。手持ちの解毒薬だけじゃ足りなくて。助けてくれ!」
よく見れば、いやよく見ずともその人物の背にもう1人が担がれている。
「もし、解毒薬を持っていたら譲って…。いや、売ってくれ。相場の倍、いや5倍で構わない。頼む!」
必死の形相で頼み込むその人物。
見れば女性のようだ。
「えーと、解毒薬ですか?持ってない、あ!?」
先程手に入れた『万能薬』に解毒効果は?
そう思った玲は『万能薬』のカードを確認する。
『万能薬 ☆☆☆☆☆☆☆【R】
全ての状態異常を回復させる事の出来る薬
別名『ルオルードの霊薬』
使用限定カード
品質 高品質(高品質ボーナス『HP・MP回復量増加』)
効果 全状態異常回復
HP回復 中
MP回復 中 』
どうやら解毒効果も有りそうだ。
それを確認すると、麻袋の中を探すふりをしながらアイテム化する。
「コレじゃあダメか?」
取り出したビンに入った万能薬を女性に渡す。
「コレは…」
女性はビンを開け中の薬を調べる。
そして
「…まさか、ルオルードの霊薬?」
正しくその薬の正体を見抜いた。
「アンタ!これ良いのかい?」
薬の正体を知った女性の顔に驚きが浮かぶ。
その驚き様からすると薬の価値はとても高いようだ。
突然の事態に驚き、女性の勢いに咄嗟に出してしまったが、良かったのだろうか?
多少の冷静さを取り戻した玲は後悔し始めていた。
しかし、今更「やっぱりダメだ」とは言えそうになかった。
「え、ええ。構いません使ってください」
結局は頷くしかなかった。
「すまない。助かる」
お礼を言うと、女性は地面に横たえていた仲間の上半身を起し、ビンの中身を口に流し込んだ。
ここまでのやり取りの間、そのグッタリとしていた仲間は身動ぎどころか呻き声すらあげていない。
本当に危険な状態だったのかも知れない。
「フー。これでもう大丈夫だ」
しばらくの間、仲間の状態を固唾をのんで見守っていた女性が、安堵の溜息を吐いた。
「全く手間掛けさせて、この馬鹿は」
まだ意識の戻らない仲間の頭を小突き文句を言うが、その口調と眼差しは優しい。
そんな2人を見る玲の視線に気付いた女性が振り返り深々と頭を下げる。
「ありがとう。本当に助かったよ」
そう言って顔を上げた彼女は実に良い笑顔をしていた。
改めてその女性をよく見てみる。
年は30歳前後といった所か。可愛いと言うよりは美人。美人と言うよりは精悍、ハンサムといった顔立ちだった。
くすんだ赤銅色の髪を無造作に括り、右頬に大きな2本の傷がある。
金属で補強した皮鎧を身に纏ったその姿は、正に歴戦の戦士といった感じがする。
「私はマリー。本名はマリアンヌなんだけど、似合わないってよく言われるから、マリーで良いよ。
で、コッチの死に損ないはリック。本名は…何だっけな? まぁ、リックで良いよ」
「玲です。加藤 玲」
マリーが差し出してきた右手を握り返し玲も名乗る。
「カトーレイ?」
「あ、加藤が家名で、玲が名前です」
「へー、西部の出身かい」
「いや、それは…」
「ん?確か西部のベルゴーラ地方には家名を先に言う地域が在ると聞いたけど」
「………」
マリーの言葉に玲はどう返答すべきか悩んでいた。
正直に「異世界から来ました」と言う気は無かった。マリーは悪い人間には見えないが、万が一という事はある。
自身の身を守れるという確信が出来ていない現状で、危険な状況は出来るかぎり避けたい。
かと言って、嘘をつこうにも玲にはこの世界での常識が無い。
他愛もない嘘のつもりが、取り返しもつかない事態に及ぶ可能性もある。
(さて、どうしようかな?……よし、ここは何も知らない野生児という事で)
そう決めた玲は、頭の中に即興で作り話のストーリーを考え始めた。
「えーと、実はよく分からないんです」
「ん?どういう事だ?」
「家を出たら、何故かこの場所にいたんです」
玲の作った話はこうだ。
自分は祖父と共にどこかの山奥で暮らしていた。
祖父はかつては放浪の旅人だった。
しかし、今は何故か人目を気にするように人里離れた山奥に隠れ住んでいた。
先日突然「お前もそろそろ自分の目で世の中を見て来ると良い」と言って旅に出ることを勧められた。
そして、今日家を出ると何故かこの森の中にいた。
即興で作った話なので、細かな点を指摘されれば破綻するだろう。
そもそもがそんな事が有り得るのかどうかも分からないのだが、そこまで気を回す余裕は無かった。
だが、
「ふむ。きっと転移術だな」
マリーは一考すると肯定的な言葉を発した。
「え?」
「きっと君のお祖父さんは、何か大きな事件に関わってしまったのだろう。身の危険を感じ、山奥に隠れているのではないかな?
だが、君まで自分に付き合わせるのは心苦しかったので、旅に出ることを勧めたかもしれない。
そして、君の証言から自分の居場所を突き止められるのを恐れ転移術でこの森に飛ばしたのだろう」
「は、はぁ、そうですか」
玲は自分の作り話の裏をアッサリと作り上げて納得してくれたマリーの想像力の豊かさに驚いた。
だが実はそうではなかった。
「まぁ、珍しい話ではないよ」
「え?」
「一角の武門の家柄ならよく有る話さ。そこそこの腕前になった子を転移術でどこか知らない所に飛ばし、そこから自力で帰ってきた者だけを一族として認めるそうだ」
「そ、そうですか」
どうやらこの世界で『獅子は我が子を千尋の谷に突き落とす』のは常識のようだ。
「それならイロイロ合点がいくね」
「は?」
「君は素人だろ?」
「…はい」
マリーの指摘に玲は頷く。そこは騙す必要も無いし、騙せるとも思えない。
「やっぱり。格好、雰囲気、物腰、それに、どうやらお人好しで世間知らずの様だからね」
そう言ってマリーは空になった万能薬のビンを見せる。
「これが何か知っているかい?」
「確か、どんな状態異常も治る薬だとか」
「そう、これは大昔の錬金術師ルオルードが創り出したという霊薬。製法は今も伝わっているけど、作り手はそう多くはない。『幻の~』とまではいかなくとも珍しい事は確かだよ
1つ売りに出せば、当分はメシのタネには困らない。そんな貴重な物さ」
そう言うとマリーは玲の目を真っ直ぐに見詰める。
「親切心で見ず知らずの者に渡すのは世間知らずが過ぎる。
裏が有るのでなければ、この薬の価値を知らないとしか思えない」
「裏なんか無いですよ」
「分かってるよ。だから君はこの霊薬の価値を知らない素人だと思ったのさ」
そう言ってマリーは笑う。
「そんな君が、魔物のアベレージがCランクを超えるこのジルドの森に居たから不思議に思ってね」
「そ、そんなに危険な森なんですか?」
「うん。まず一般人は来ないね。ハンターもDランク以下ならこんな奥までは来ないだろうね」
「そ、そうなんですか。(おいおい、最初からそんな危険なところに送るなよ)」
玲は心中でマルクトに文句を言う。
やはり異世界転移は『始まりの平原』的なところから始めて貰わなければ、と勝手に思っていた。
「まぁ、そんなところでこの薬の話なんだけどね。別に値切る訳じゃないというか、まぁ最終的には値切るんだけど、さっきは『相場の5倍でも良い』て言ったんだけど」
「そんなには払えないと?」
「まぁ、そういう事になるかと…」
心なしかマリーは小さくなって見えた。
「代わりと言ったらなんだけど、近くの町、ゼオレグまでの護衛をしよう。明日の朝にはリックも起きるだろう。そうしたら私達2人で責任を持って君をゼオレグまで送り届けよう。
それでどうにか、薬の代金を相場にまけて貰えないだろうか?」
「えーと、それは…」
玲としては願っても無い申し出だ。
ルオルードの霊薬が貴重な物だという事は理解出来た。だがそれでも自分の命と天秤にかければ、どちらに傾くかは考えるまでもない。
「そうか、まぁ約束は約束だ。仕方ないな」
だが、玲の考えはこの世界の常識からはズレていたのだろうか、マリーは断られると早合点しガックリと項垂れていた。
その項垂れたマリ-の姿が玲のツボに入った。
「フフフ、ハハハハハ」
最初に見た血染めの剣を持つマリーには恐怖を感じた。
次いで歴戦の戦士にといったマリーの姿は凛々しく見えた。
そして、今の項垂れシュンとするマリーの姿は可愛らしいとも思えた。
そのギャップに玲は堪え切れずに笑い出してしまった。
「何を笑っている?」
「いやいや、スイマセン。それでお願いします」
「ん?」
「町までの護衛お願いします。いくらお金を貰っても町に辿り着けなければ意味が無いですから」
「そうか!分かった。お願いされよう」
マリーの顔に笑みが戻る。
「コホン。しかし、君は少しお人好しが過ぎるな。それじゃあこの先が思いやられるぞ」
コロコロと表情の変わるマリーを微笑ましく眺めていると、それに気付いたマリーが咳払いをして話を変える。
「いや、マリーさんに言われたくないです」
「え?」
「だって、マリーさんも大概ですよ?
俺がその薬の価値を把握してないのを察していたのだから、何も教えずに上手く言いくるめたら相場の10分の1にでも買い叩けたのに、わざわざ貴重さを教えるなんて十分お人好しですよ」
「むう、言ってくれるじゃないか」
頬を膨らませ、むくれるマリー。
「フフ、まぁよく言われるよ。お人好しだってね。
それに君がリックの命の恩人なのは間違いない。その恩人を騙すような真似はしたくなかったからね」
そう言ってマリーは肩をすくめる。
「おっと、もう日没まであまり時間がないね。野営の準備もしなきゃいけないし、まずは場所探しだよ」
空を見たマリーは時刻を推し量ると、再びリックを背負い始めた。
「マリーさん、こんな物も持っているんですけど?」
付いて来るように言うマリーに玲はソレを見せる。
「ん?それは…結界石じゃないか!?」
やはり知っているようだ。
「これで今晩はゆっくり眠れそうだよ」
そう言ってマリーは玲の背中をバンバン叩く。
「ハハハ、ツイてるね。この森でアンタに会ったのはツイてたよ」
そう言ってマリーはとても良い笑顔で笑った。
マリーさん、残念ながらヒロインではありません。
序盤の異世界案内要員です。
主人公が活躍するのも、もうちょっと先です。