38 「売値は聖晶貨1千万枚」
「そこの奴隷を買い取ってやるからワシに譲れ」
「断る」
ルクセインの言葉をレイは最初から決めていた通りに断言する。
「なんだと?おかしな言葉が聞こえたな、ワシの聞き間違えか?」
レイの返事にルクセインは不愉快そうに顔をしかめる。
ルクセインは今の言葉でハクレンを譲ってもらえると本気で思っていた。
自分が言えば平民はその通りにするしかないのだと彼は疑う事無く考えていた。
「断ると言った。そう聞こえたのなら聞き間違えじゃないな」
「フン、どうやら、自分がいかに愚かな事を言っているのかも分かっていないようだな」
鼻で笑ったルクセインがレイを見下し言う。
「ワシは貴様に頼んでいるのではない、命じているのだ。貴様に拒否権など最初から無い」
「俺はアンタの家来じゃない。命令される覚えは無いね」
「貴様はワシが誰だか理解出来ていない様だな」
「いや、分かってるぜ。金と地位以外に誇る物が無いルクセイン伯爵様だろ?あぁ、あと体重ぐらいは誇れるか、中々見事な体型だ」
ルクセインに対して面と向かって嫌味を言ってのけたレイに誰かが口笛を吹く。
「貴様、ワシを虚仮にする事が何を意味するか分かっているのか?」
貴族への侮辱。それは平民には許されざる罪だ。事実と認定されればほぼ間違いなく極刑をもって処される。
但しそれは貴族の支配下に於いてだ。
「アンタこそ、ココがどこだか分かってるのか?クロスロードだぞ?王侯貴族、それら全ての支配が及ばない町だ」
クロスロードはリンディア王国の一都市ではあるが、独立都市として誰の支配も受けないと認められている。領主は独立都市と成った際に爵位を返上し、以降の身分は平民だ。
クロスロードでは国王の命令でさえ絶対ではない。
「クロスロードには貴族に嫌気が差した連中が集まってる。この町で横暴な振る舞いをするとどうなるか、知らない訳じゃないだろ?」
それはクロードの入れ知恵だった。
かつてクロスロードで『道でぶつかった』ただそれだけで子供が切り殺される事件があった。
その時は、それを指示した貴族が捕縛され、罪に問われ処罰された。
その一件でクロスロードには貴族の軍勢が差し向けられたが、教会がクロスロードの擁護に回わった事で戦端が開かれる事なく終結したが、クロスロード側も一歩も引く事の無い姿勢を最後まで貫いてみせた。
以降、クロスロードでは貴族の横暴は許さない。という風潮がある。
「なるほど、それが強気な理由か」
「この町では、貴族だからといって恐れる必要は無いからな」
ルクセインも周囲の自身への視線からその事を感じ取っていた。
ルクセインの領地であれば平民は皆が彼を恐れ視線を上げる事など無い。全員が目を伏せ、俯いて恭順を示すだけだが、この場所では多くの者が敵意と嫌悪の視線で彼を見ていた。
「勘違いをしているな。ワシは貴様から奴隷を奪おうというのではないのだぞ。買い取ると言っているのだ。100万か?200万か?値段は貴様の言い値で良いぞ」
このまま強引に事を進めるのは得策ではないと感じ取ったのか、ルクセインはそれまでの強硬な姿勢から一転し柔和な(つもりの)笑みを浮かべている。
「どのみち俺はハクレンを手放す気は無い」
「そう言うな。金ならいくらでも出すぞ。おぉ、そうだ!何ならワシの所有する奴隷の中の見目美しい者を数名譲ってやっても良い。どうだ?悪い話ではあるまい」
ルクセインの提案は本気の物だった。
彼は誰もが自分と同じ様に考えると信じて疑わないのだろう。
「悪いけど、俺にとってハクレンの代わりになる者なんて居ないよ」
「ご主人様!」
レイの言葉にハクレンが目を潤ませる。
その様をルクセインが忌々しげに見ている。
「よく考えろ。値段はいくらでも良いと言っているのだぞ? 貴様の生涯でこれほどの大金をてにする機会など二度と来ないかもしれんぞ?」
「……ハァ~、分かったよ」
レイの言葉にルクセインの顔がほころぶ。
「おぉ、そうか分かってくれたか。それでいくらだ?」
「1千万」
「1千万!? おいおい、随分と吹っ掛けるな。奴隷1人に1000万ギル、聖晶貨1枚だと?」
レイの口から出た言葉に再びルクセインの顔が歪む。
払えない金額ではないが、そこまでの価値があるかと言えば微妙だ。
所詮は有力者へ取り入る為の投資だ。投資額を超える見返りが期待出来なければ、する価値は無い。
頭の中で必死に損得勘定を行っているルクセインをあざ笑うような言葉がレイの口から放たれる。
「アンタこそ勘違いしてるな。ギルじゃない、枚だよ。1千万枚、聖晶貨でな」
「…何だと?」
「聞き取れなかったのか? 今度はちゃんと聞いておけよ。売値は聖晶貨1千万枚、分割払いは無しだ」
「………。貴様正気か?」
1本指を立てるレイの姿にルクセインがワナワナと震えている。
それは、とんでもない大金であるという事以前に、物理的に不可能な条件だった。
何故なら聖晶貨自体がリンディア王国に1万枚あるかどうかという代物だからだ。
当然その事を理解した上での発言ではない。不可能な額を想像し言っただけだった。
だが、結果としてそれは「絶対に売らない」という意思を示す事となった。
「貴様。聖晶貨が何か分かっているのか? 貴様の生涯でその目で拝むことすら適わぬものだぞ? 聖晶貨1枚にどれ程の価値があると思っている?」
「分かっているさ」
顔を紅潮させ唾を飛ばすルクセインの言葉を涼しい顔で返したレイは、傍らのハクレンの手をとり引き寄せる。
その体をしっかりと抱きしめると、ルクセインに断言する。
「ハクレンの1千万分の1の価値だ」
「なっ!?」
「値段は言い値で良いと言ったのはアンタだよ。払えないと言うのなら、お引取りを」
レイが店の出入り口を指差す。
「後悔するぞ」
拳を握りしみワナワナと震えていたルクセインは最後にレイを一瞥すると低い声で呟いた。
ルクセインが店を出て行くと、成り行きを静かに見守っていた客の誰からとも無く、囃し立てるような口笛と共に拍手が巻き起こる。
「ふーん、かっちょいいじゃん」
「オイラだったらもうちょっとスマートに決めるけどな」
「うっせーよ」
目の前に座るアスカとその肩のコンが茶化す様に意地の悪い笑みを浮かべている。
レイはそんな2人から照れた様に目を逸らす。
そんな目を逸らした視線の先で、店を出て行く2人の人物が見えた。
人間と獣人と思われる2人だ。獣人と分かったのはその頭上に三角の耳が見えたからだ。
もう1人の人間の男と思われる人物は店を出る直前に目が合った気がした。
その瞬間、その人物の顔に浮かぶ酷薄な笑みが自分に向けられている気がしてレイの背中に悪寒が走る。
「ねぇ、レイ君」
「え、なに?」
固まっていたレイをアスカの声が呼び戻した。
「ハクレンさんが茹だっちゃいそうなんだけど?」
「うん。真っ赤」
「えっ!?」
アスカとエリスの指摘に未だに抱きしめていたハクレンを見やると、指摘された通りに真っ赤に茹だっていた。
「ハクレン、大丈夫か?」
「ごひゅ、ごひゅ、ご主人様が…。キュー」
なにやらハクレンはパンクしていた。
「ハハハハ、じゃあ何かい、衆人環視の中で抱きしめて『コイツが欲しけりゃ聖晶貨一千万枚持って来いや』と啖呵をきったと」
「らしいね。ルクセインの野郎は怒りにプルプル震えていたが、どうする事も出来ずに退散したそうだ」
「何でもうそんな事を知ってんっすか!?」
「バーカ、こういう情報は、アッという間に広がるんだよ。ちょっとした情報網があれば即日さ」
夜になりレイを訪ねて来たクロード、マリー、リック、レオルードの4人。
どこからか昼間の話を聞きつけてやって来たようだ。
酒場に連行されるなり「若き勇者にカンパーイ」となぜか祝杯気分で飲み始めた。
酒場のあちこちで「へー、アイツが」とか「ルクセインってあの女漁りのブタ伯爵だろ」といった噂話が聞こえてくる。
中には「一杯奢らせてくれ」と酒を片手にやってくる者もいる。
どうやら昼の一件、同じ店内にハンターでも居たのだろう。ハンターギルドの情報網に乗っかり、同様に商人ギルドの情報網にも乗ったようだ。
『ルクセイン、奴隷を奪い損ねる』といった見出しでクロスロードの町を駆け巡ったようだ。
個人的に興味を持った者や、もう少し詳しく知りたい者が調べれば、相手が誰でどんな内容のやり取りがあったのかまで、簡単に分かったらしい。
「俺もルクセインの野郎がスゴスゴと逃げ出すところを拝みたかったぜ」
「聖晶貨一千万枚は良い手だね。そんな枚数は無いから絶対に無理だよね」
「それ以前に王国の国家予算の何年分だい?て話しだよ。出せる訳無いだろ」
クロード達はワイワイと盛り上がるが、当の本人であるレイは若干居心地が悪かった。
あの時は頭に血の上った勢いで、特に何も感じてはいなかったが、冷静になって思い返してみると大分恥ずかしかった。
隣ではハクレンも赤くなって俯いていた。
「フフ、まぁからかうのはこの辺にしておこうか」
「か、からかってたんですか?」
「悪い悪い、こっからは真面目な話しだ。
レイ、今回の事でお前はルクセインに睨まれるだろう。クロスロードは貴族の横暴を許さない町だが、嫌がらせや妨害行為までは止められない。何か仕掛けてくるかもしれない、気をつけろよ」
クロードが真面目な顔でレイに忠告をしていく。
こうなる事は前もって分かっていた。その時にも同じ様な事を言われていた。
だから一応の覚悟は出来てはいた。
困ったときはいつでも相談しろとクロード達はレイの肩を叩いていく。
そうしてまた陽気に酒を酌み交わしていく。
忠告が2割、からかいが8割で夜は深けていった。
「ご主人様」
「ん?」
「申し訳ありません。私のせいで」
部屋に戻るとハクレンはレイに深々と頭を下げ謝る。
自分のせいで主に迷惑をかけている。それがハクレンには許せなかった。
「私を…」
「そこまでだ! それ以上は言うな。俺はハクレンせいだ何て思ってないよ」
「でも」
「ハクレンの為じゃない。俺の為だ。俺がハクレンを手放したくないから、ルクセインに喧嘩を売ったんだ」
レイはハクレンを抱き寄せる。
「もしハクレンが俺の側にいるのが嫌なら考えるけど?」
「そんな事はありません!」
「なら、一生俺の隣に居ろ」
「はい。私の全ても持ってご主人様をお守りします」
それまで所在無く彷徨っていたハクレンの両手もレイの背中へと回される。
この夜レイは改めてハクレンを誰にも渡さない事を心に誓った。
翌朝。
レイはまどろみの中で、在るべきものが無い事に気が付いた。
自分の隣に在るべき温もりが無い。
「ハクレン?」
呼びかけても返事は無い。
その事実がレイの寝ぼけた頭を即座に覚醒させた。
使い慣れた部屋にハクレンの姿は無かった。




