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36 「ご気分は如何ですか?ご主人様」

「何だと?もう一度言え」

 クロスロードの高級住宅地の一角。その中でも一際大きなルクセイン伯爵の別邸。

 日が沈む前だというのに、酒を飲み上機嫌だったルクセイン伯爵に配下の者が明日からのオークションの狙い目の品の報告をしていた。

 そしてその最後の報告を聞き伯爵の眉間にシワがよる。


「はい。本年度のオークションに白狼族の奴隷は出品されないようです」

 この報告をすれば自分の主の機嫌が悪くなる事は分かっていた。

 しかし、報告をしなければ後にもっと機嫌が悪くなる。それも分かっていた。

 男はそれほど長い年月仕えてきた訳ではないが、伯爵の人となりはよく理解出来ているつもりだった。

 結果、まだましな今のうちに報告しておく事にした。


「どういう事だ?確かな筋の情報だったのではなかったのか?」

「はい。確かに今回のオークションに出されるという情報だったのですが、事前公開のリストには載っておりませんでした」

「どういう事だ?」

「………」

 少しは自分で考えてみたらどうだ?その頭は飾り物か?だとしたら随分と趣味が悪いな。

 男は内心でそう罵り、どう機嫌を損ねない様に話すかを思案していた。

 この直立歩行が出来るブタの様な伯爵は、察しは悪いが自尊心は高い。

 下手な事を言えば烈火のごとく怒りだす。


「どういう事かと聞いているのだ!」

「出品するつもりでいたが、事情が有って出品しなくなったのではないしょうか」

「気が変わったという事か?」

「もしくは、オークション前に売れてしまった。といったところでは」

「フン。だろうな」

 散々説明を求めておきながら、まるで「そんな事は分かっていた」と言わんばかりの態度に怒りを通り越して呆れてしまう。


「それで?だからそれが何だというのだ?その奴隷なら買わんで良いと言っておいた筈だ。今更それを気にかけてどうする?」

 馬鹿な奴だ。とでも言いた気な主の言葉に、あぁやっぱりコイツの頭は飾りなんだな。と実感する。


「伯爵様、その白狼族の奴隷がオークションに出ないとなると若干よろしくない事になるのでは?」

「なに?どういう事だ」

 またそれか。内心でそう溜息を吐いて説明し始める。


「白狼族の奴隷はスタンフォルツ家のエディアル様が欲しがられていらっしゃるとか?」

「ああ、そうだ。だから譲ったのだ」

「では、それがオークションに出ないとなると、エディアル様はご気分を害されるのでは?」

「かもしれんな」

「そうなるとエディアル様と伯爵様の友好関係にも害が出てくる事が考えられます」

「なに!?何故だ!」

「当然、伯爵様に何か非が有る訳ではありませんが、八つ当たりの相手に事情を知る者が選ばれる可能性は高いのではないしょうか?場合によっては伯爵様が出し抜いたのではないかと疑われるかもしれません」

「むう、それは…」

 実際のところは権謀術数に長ける高位の貴族たる者がそんな短絡的な行動に出る筈は無いのだが、存在自体が軽慮浅謀と言わざるをえないこの伯爵に見慣れている男は、大方の貴族もその様な者ではないのかと考えていた。


 ちなみにスタンフォルツ家は神官・司祭の家柄であって貴族ではない。

 厳密には特権階級という訳ですらないのだが、貴族との違いはよく分からない。


「確かにアレにはスタンフォルツの若造も執着しているようだったな。手に入れ損なえば折角の伝手がご破算になってしまうかもしれんな」

 渋い顔で考え込む伯爵に、配下の男は、どうせ何も良い案は出ないだろう。と読み切っていた。


「おい、どうにかしろ!」

 やっぱりな。もはや予想通りの展開に男は呆れる事すらなかった。


「僭越ですが伯爵様、これはチャンスでもあると思われます」

「なんだと?」

「欲しかった物が手に入らなかった。と落胆したところに、伯爵様がそれを手土産に現れれば…」

「……ワシの株が益々上がる。と言う事か?」

「御意」

 ゴマをすることに関しては察しが良い。男は伯爵から見えない様に頭を下げてほくそ笑む。


「まずは、白狼族を出品する予定だった、アストンという奴隷商人に直接話をお聞きになっては?もし手元に残してあるのなら買い取る事も出来ますでしょうし、既に売れていたとしても、その相手を聞きだす事も出来るでしょう」

「ならそう手配しろ。今すぐにだ!」


 チクショウ!最後の最後で読み違えた。まさか今すぐにと命じられるとは。やっぱりアイツは最低のブタ野郎だ。

 ある程度の金が溜まったら、さっさとこんなところ辞めてやる。

 前任者とそのまた前の前任者と同じ事を考えながら、ルクセイン伯爵家の使用人は日の落ちかけたクロスロードの街を走るのだった。


 △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △


「う、うーん。あー、宿の部屋か?」

 レイが目覚めたのはベッドの上だった。

 部屋の内装や、ベッド周りに見覚えがあった。


「ご気分は如何ですか?ご主人様」

 バッド脇で椅子に腰掛けレイの様子を伺っていたハクレンが笑顔で声を掛ける。


「水を貰えるかな?」

「はい、お持ちします」

 レイの言葉に水差しを取りに行くハクレン。

 レイが目を覚ました事が嬉しいのか、その尻尾がパタパタと振られている。


「あれからどうなった?」

「砕け散った破片の中に何か目ぼしい物が無いか探しましたが、特に見つかりませんでした。エリスさんの魔眼でも特に強い魔力を発する物は見つけられなかったので、諦めて帰ってきました」

「ありがとう。そうか、悪い事したな」

 水の入ったコップを受け取るとレイはそれを一口飲み、若干の後悔を口にする。


「まさかあの像の中に宝物が有ったなんて誰も予想出来ませんでしたから、仕方無いです」

「まあね。でもやり過ぎたのは事実だよ」

 別にあのドラゴンゴーレムを粉砕する必要などは無かった。

 マルスの能力とグラムの切れ味を考えれば、首を刎ね飛ばす程度は何の問題も無く出来た。

 そうしていれば、胸の中に有った筈のエージ・ユーキの遺産は無傷で手に入っただろう。

 そうしなかったのは単純に『派手に決めたかった』からだ。


「良い所見せようと張り切り過ぎたよ」

 言ってしまえば格好付けたかっただけだ。

 レイは残っていた水を飲み干し、コップをハクレンに手渡す。


「アスカ達は?」

「今日はもう不貞寝するそうです。明日ハンターギルドに来てくれとの事です」

「分かった。俺達も今日はゆっくりしよう」

 会話が一段落したところで、見計らったかの様にレイの腹の虫がグーとなった。


「そういえば今何時?」

「20時を過ぎた頃だと思います」

「夕飯は、…食べてないね」

 ハクレンは寝ている主を残し食事をしに行く様な事はしない。

 その事は確認するまでも無く確信出来る。


「じゃあ夕飯に行こうか。何か食べたい物は?」

「御心のままに」

 ハクレンは食事のメニューに口出ししない。

 それどころかレイの前で食事をする事すら難色を示していた。

 奴隷が主の前で物を食べる事など有り得ないのだそうだ。


 奴隷など存在しない人生を送ってきたレイには、この世界の奴隷への常識は理解し難い物だった。

 レイの感覚では背後に女性を立たせ、自分だけが食事をする。その方が有り得ない事だった。

 結局は命令する形でハクレンを同じ食卓に着かせた。


「よし、今晩は麺にしよう。ケテルホッチャが良いな」

「はい」

 レイの言葉にハクレンは特に大きな反応を示さなかった。

 だが、ミートソースのパスタによく似たケテルホッチャという食べ物が彼女の好物の1つだとレイは気付いていた。

 その名が出た途端に背後の尻尾が大きく振られ始めていた。

 顔は努めて平静だが、その感情が分かり易いのがハクレンの良い所だ。


「あの、ご主人様」

「ん、なに?」

 準備を整え、いざ出発しようかとしたレイをハクレンが呼び止める。


 レイが振り返ると、若干モジモジとしたハクレンが躊躇いがちに言う。

「あの、その…。格好良かったです」

「うん?」

「あんなドラゴンを圧倒するなんて凄いです。とても格好良かったです」

 昼間の事を思い出し再び興奮したのか、若干顔を赤らめたハクレンが笑みを浮かべている。


 元々ハクレンの事が大好きなレイが、そんな表情に耐えられる筈もなく、無言で抱きしめ、その唇を奪う。

 そしてそのままベッドへと倒れこんだ。


 2人が夕飯を食べていない事を思い出すのは、空腹に目が覚めた夜中の事だった。


 ちなみに夕飯(夜食?)はベッドの中でドライフルーツと干し肉を互いに食べさせ合った。

 こんなのも偶には良いかなと思うレイであった。

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