32 「何だこの依頼?」
リンディア王国西部に位置する主要都市オリシス。
オリアリス公爵が治めるその都市は『公爵が治める都市』という事から『公都』と呼ばれている。
町には小高い丘が在り、そこに周辺一帯を治める領主であるオリアリス公爵の居城が建てられており、その丘を中心にオリシスの町並みは広がる。
長い歴史を持つこの町には歴史的な建物も多く、学術・芸術の町としても知られている。
その公都オリシスから東へ、自由都市クロスロードを経由して港町ゼオレグまで続くウォルビラ街道。
この時期にこの街道を行く者の多くはクロスロードを目指している。
目的はクロスロードで年に一度開催される大オークション。
掘り出し物を探す者、謎の品が大金に変え一攫千金を夢見る者、オークションに集まる者への商売で儲けようとする者。
狙いは様々だ。
そんな者達を乗せクロスロードへと向かう、とある馬車の一団。
観光目当ての一般人、オークション目当ての金持ち、金儲け目当ての商人、そして護衛のハンター。
そんな中の1人が、まだ見ぬクロスロードでの期待に胸を膨らませていた。
いや、正確には1人と1匹なのだが。
「何だっけ?シルクロード?そこには居るのかな?」
「いや、クロスロードね、何度言わせるのさ、覚える気無いの?」
「アハハ、ゴメンゴメン。で、居ると思う?」
「さあね。大体がこの広い世界で、たった数人を見つけ出せとか無理じゃね?」
栗毛の馬に乗り、馬車に併走しながら街道を進むその女性は、肩に乗る小さな狐のような相棒と話をしている。
ノアには人語を解する獣が存在する。それらは幻獣と称される。
当初は言葉を交わし合う彼女達に皆が驚いていたのだが、その小さな狐を幻獣と理解し納得する。
幻獣はその多くが聖獣や神獣と呼ばれる地域の守り神として敬われている。
その為か、幻獣に対して敵意や害意を持って接する事は忌避されている。
この一行の中には毎朝奉げ物を持って旅の無事を祈りに来る者すら居る。
「いつ着くんだっけ?クロスワードに」
「惜しい!あと一文字。というか、ここまでくるともうワザとだよね?」
この2人を見る限り、そんな高尚な存在の様には見えない。
この一行がクロスロードに着いたのは、オークション開催の3日前の事だった
△ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △
テーブルに並べられた3枚のカードをエリスが凝視している。
その内の一枚を指差し尋ねる。
「これは?」
「スローイングナイフだな」
『スローイングナイフ ☆☆☆【N】
投擲に特化したナイフ
使用限定カード
品質 普通
耐久値 100/100 』
指差したのはスローイングナイフのカード。
裏面に書かれた文字を穴が開くほど見詰めている。
「ムゥ、……読めない」
「だろうな」
文字は王国公用語のヘルサニル語では書かれていない。
読めるとすればレイと同郷の者だろう。
「これは?」
「鉄の槍」
『鉄の槍 ☆☆☆☆【N】
穂先が鉄製の槍
使用限定カード
品質 普通
耐久値 150/150 』
「これは?」
「ミスリルリング」
『ミスリルリング ☆☆☆☆☆☆【NN】
ミスリル製の指輪
ミスリルの効果により聖属性(微)補正
使用限定カード
品質 普通
耐久値 300/300 』
「むー」
エリスがカードを凝視しながら渋面で唸る。
最近になって分かった事なのだが、別にエリスは無表情という訳ではなかった。
分かりづらいだけで、僅かだがその柳眉に動きがあったり、頬や口元に若干の変化が出ている。特に目には感情が表れ易い様だ。
目は口ほどに物を言うという事か。
興味が有る事に対しては小鼻が膨らむというクセも偶然だが先程気付いた。
目下のところエリスの最大の関心事項はレイの能力だった。
この世界で起きる不思議な現象のほとんどが魔法の応用という事で説明がつく。
自分に再現出来るかどうかは別として、原理の推測すら出来ない事態というのは少なかった。
だが、レイの能力は、その説明がまるで出来なかった。
それがエリスには面白くて仕方が無かった。
未知への探究心。それこそがエリスの原動力だった。
「仕舞って」
「ん?もう良いのか?」
エリスが渡してきたカードを受け取ると、それをバインダーを出す事無く虚空へと仕舞う。
その様をエリスは凝視している。
「出して」
「え?」
「もう一回出して」
「あのなー」
「もう一回」
「………」
根負けしたレイが再びカードを取り出す。
「発動による魔力の乱流が見られない。制御が完璧?外部への流出の無い内部魔力循環による…」
手の動き、カードの現れた場所、出されたカード、それらを食い入るように見ていたエリスが再び渋面で考え込む。
なのに何故かとても楽しそうなのはレイの錯覚なのだろうか?
何故こうなったのかと言えば、運が悪かったという事になるだろうか? でなければレイの不注意という事になるだろう。
オークションの開催を2日後に控えたクロスロードの大通りは、普段の5割り増しの人が歩いている。
人混みがあまり好きではないレイは出歩かずに部屋でカードの整理を行っていた。
バインダーには自動整理機能が無い為に自分の手で整理しないと直ぐに何が何枚有るかが分からなくなってしまう。
暇を見つけては時折整理するように心がけていた。
コンコンコン!
カードの整理作業をしていたレイの背後でドアがノックされる音が聞こえた。
ハクレンはノックせずにドアを勝手に開けるという事をしない。
今日までの付き合いでその事を知っていたレイは、飲み物を買いに行ってもらっていたハクレンが戻って来たのだと思い、振り返る事無くレイは「どうぞ」と入室を許可した。
「悪いな。もう直ぐカードの整理が終わるから、ちょっと待っててくれ」
背後に立つ人の気配に断りの声を掛ける。
「別に良い。でもそのカードは何?」
「ッ!?」
予想していたものとは違う声にレイが固まる。
「…エリス?」
油の切れたブリキ人形の首の様に「ギギギギ!」そんな音が聞こえそうな動きで振り返るレイ。
輝くような銀髪と透通る様な青い瞳の少女がそこに居た。
「ん、正解。で、それは何?」
テーブルの上を指差すエリス。その目は好奇心に輝いていた。
「いや、これは…」
「これは?」
「えっと、そのー」
「そのー?」
「……これが俺の能力。的な物?」
「ホウ、情報の開示を要求」
完全にロックオンされたレイに逃げ場など無かった。
正規にパーティを組んだのだから、いずれは説明しようとは思っていたのだが、予想外の状況で説明する事となった。
「フム、現象は理解」
「何か分かったのか?」
気の済むまでカードを眺め回し、出し入れする様を観察したエリスが頷く。
「原理は不明。考察にも情報が不足」
「いや、俺にもどういう原理かは説明出来ないぞ?」
「いい、謎は解く為に考えている時が一番楽しい」
そう言うエリスは確かに楽しそうだった。
「レイ、一枚欲しい」
「カードをか?」
「ん」
コクコクと頷いたエリスが詰め寄る。
これが目を潤ませた上目遣いならば、あざといと思って断るだろう。
だがエリスの場合、その目は真摯な物だ。
「一枚で良いのか?」
「ありがとう」
レイの渡した『ミスリルリング』のカードを受け取るとエリスは嬉しそうに、はにかむんで微笑む。
見慣れないその笑顔にレイが見惚れる。
(改めて見ると美少女なんだよな)
最近忘れがちだった事を思い出す。
「ご主人様!」
そんなレイをハクレンが呼び戻す。
「そろそろギルドに行かれた方がよろしいのでは?」
「ん? あぁ、そうか、込み合う前に行かないとな」
夕方になると依頼や迷宮に行っていたハンター達が戻ってきてギルドは込み合う。
その為レイは朝の早い時間帯か、昼過ぎから夕方前にギルドに行く事が多い。
「じゃあ、行こうか。中級迷宮の入場許可を貰っておかないとな」
初級迷宮を走破した者には中級迷宮の入場許可証が与えられる。と言ってもハンターカードにその旨が記されるだけなのだが。
初級迷宮には入場に制限は無い。だが中級以上の迷宮には入場する為には許可証が要る。
この許可証を持っている事で、どこの中級迷宮でも入る事が出来る。
レイ達もフェルドリッヒの迷宮を走破した事でギルドに申請を出していた。それが受理され許可証が発行されたので取りに来る様に言われていた。
すぐに行く予定は無いのだが、そうなる可能性が無い訳ではない。早めに許可だけは貰っておいても損は無い。
「ん、私も行く」
「あら?エリスさんはカードの調査をなさるのでは?」
「それは後でも構わない」
「許可証の受け取りこそ、後でも良いのでは?」
「一緒の方が良い」
ハクレンは笑顔で話をしているのだが、何故か背後に青い炎が見える。
レイは冷や汗が止まらない。
速やかにこの場を離れギルドに向かおうとするレイ。
「それに、カードのお礼を体で払わないといけない」
「「なっ!?」」
エリスの一言が更に場の空気を凍らせる。
「ご主人様、少しお話があります。宜しいですか?」
「いや、違うぞ。今のはそういう意味じゃなくてだな…」
ニコニコと貼り付けたような笑顔で迫るハクレンに、冷や汗のレイが後ずさる。
「何故お逃げになるのですか?」
「いや、だってなんか怖いし」
「どこがですか?何かやましい事でも?」
「さぁ、時間も無いし、サッサと行こうか」
「あ、逃げないで下さい!」
「機嫌を取るのは夜にしよう」そう考えてこの場はとりあえず逃げる事にしたレイをハクレンが追いかけ部屋を出る。
その後を「中々面白い反応」と何やらメモを取っていたエリスが続く。
「やっぱり依頼票の数が少ないね」
「そうですね。やはりハンターの数が増えているんですね」
ギルドにて無事に中級迷宮入場許可印の入ったハンターカードを受け取ったレイ達は、掲示板の依頼票の確認をしていた。
大通りの人手が増えているようにハンターの数も増えているのだろう、いつもより掲示板に貼られている依頼票の数が少ない。
迷宮に行かずに普通に依頼をこなすハンターも多いのだろう。
「ふむ、しょうがないな。オークションに参加でもしてのんびりしようか」
この様子だと森に薬草採取に行っている者も多いだろう。
別に金銭的に困っている訳でも無いので何が何でも働かなければ行けないという訳では無い。
「良いと思います! 依頼なんか受けないでのんびりするのをオススメします」
「…ギルド職員のセリフじゃないな」
背後からの賛同の声は、ギルドの不良看板娘だった。
「だって、今日も朝から働きづめですよ?この時間だってのに受付には列が出来ているんですよ?」
リザリーの言葉の通り、いつもであれば空いている時間に来たのに予想外にギルドは混んでいた。
「しかも、土地勘の無いハンターが増えて失敗率も高くなるし」
もしハンターが依頼に失敗すれば、失敗したという処理をした上で再度その依頼を出し直さなければいけない。
それはまさしく二度手間だ。
「まぁ、分からんでも無いが、そこは頑張れよ」
「頑張ってるじゃないですか。こうやってちゃんとお仕事してますし」
リザリーはそう言って掲示板に依頼票を貼っていく。
「ふむ、右が僅かに高いですかね?…今度は左が……」
無意味なほど丁寧に。
「頑張るポイントが間違ってるけどな」
普段はただ単に鋲で止めてあるだけの依頼票を一枚一枚丁寧に貼っていくリザリーを苦笑いで見守る。
しかし、彼女の貼った1枚の依頼票にレイの目の色が変わる。
「おい、リザリー。何だこの依頼?誰がこんな物を?」
「え?どれですか?……えーと、依頼が出されたのは昨日ですね。依頼人は、匿名希望みたいです。変な依頼ですよね、暗号文の解読なんて」
その依頼票は
『依頼 暗号文の解読
内容 暗号文で閉じられた扉の開錠
報酬 扉の向こうの財宝の一部(応相談)
期限 オークション開催期間中 』
という物だった。
確かに珍しい依頼と言えばその通りなのだが、レイの目が引かれたのは依頼票の下の空白部分に書かれた暗号文の一例だった。
それは
『日本の首都は?』
という漢字とひらがなを織り交ぜて書かれた日本語だった。




