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12 「あれがベヒーモスだ」

 それは当然の結果と言ってしまえば、ただそれだけの話だった。


「ハァ、ハァ、ハァ、強い」

「俺が強いんじゃねえよ。お前が弱いんだよ。俺の強さなんて十分の一も出てねえよ」


 地面の上に大の字で倒れているレイをクロードは見下ろしながら呆れたように言う。


 レイは果敢にクロードに向かい斬りかかったが、結果としてクロードを一歩も動かすに至らなかった。

 レベル150を超えるクロードにとって、レベル10に満たないレイは相手になる筈も無い。

 レイの攻撃などは足の不安などに全く関係無く、剣を振るうだけで弾き、逸らされてしまった。


「どうだい、レイは?」

「まぁ、Fランクならこんなもんだろ」


 マリーがクロードに歩み寄り感想を求める。

 クロードはそれに正直に答える。


「ただ、剣筋は悪くない。もうちょっと筋力、瞬発力なんかが付けばDランクまでは問題無いだろうな。

 取り敢えずは、地道にレベルを上げろって所だな」

「へぇ、スジは悪くないって事だね?」

「この段階で、スジの良いも悪いも無いだろ。壁に当たるのはCランクになってからだろ」

 そう言うクロードだったが、マリーは彼がFランクの駆け出しだろうが才能が無さそうだと感じれば遠慮なく「才能は無い」と言い切る男だと知っていた。

 そして、才能は有りそうだと思っても相手が慢心しないように、そうは言わない男だとも知っていた。


「アンタがダメ出ししないって事はそういう事だろ?」

「へ、まだまだって事には違いないさ」

 マリーの見透かした様な笑みにクロードは居心地悪そうに頬を掻く。


「坊や、まだEランクには遠いぜ」

「分かってますよ。レベル20が目安なんでしょ? どうせまだレベル9の素人ですよ」

「「えっ?」」

 その一言は意図せず2人を驚かせた。


「マリー、チョットこっちに」

「あ、ああ」

 2人はレイから少し距離を取り声をひそめ話を始める。


「お前、アイツのレベル知ってたか?」

「いや、初めて聞いた。ハウンドドックを難なく倒せていたからレベルは15前後だと思っていたよ」

 マリーも一度レイの狩りに付き合ったことがあった。

 そのとき偶々出くわしたハウンドドックをレイは一太刀で切り伏せてみせた。

 ハウンドドックの討伐適正レベルは13。それを一太刀で倒し事からレイのレベルは13以上だろうとマリーは予想していた。


「だよな。俺もその位かと思ったよ」

 ノアにおいてレベルは絶対的なものではない。あくまで強さの目安でしかない。

 しかし、百戦錬磨のクロードとマリーが、まだ素人同然のレイのレベルを読み違えるというのは珍しかった。


 しかしそれは無理からぬ事であった。

 レイが取得した初級剣術Lv5は普通ならばレベル25前後で身に付く物である。

 それを取得していた事で、レイの剣さばき自体は本来のレベルより遥かに高い物だった。

 本人の筋力、瞬発力の低さ故に、総合的な実力はそこまででは無かったが、マリーとクロードが実力を読み違えるのも仕方がなかった。


「ふむ、まぁアレでレベル10なら…」

「素直に褒めてやったらどうだ?」

「冗談、男を褒める趣味はねぇよ」


 内緒話を終えた2人が、いまだに大の字になっているレイに歩み寄る。


「いつまで寝てんだ?そろそろ戻るぞ」

「…はい」

「まぁ、悪かねぇ。ただ、今はまだまだだ。サボらず精進しな」

「おや、随分褒めるじゃないか?」

「うっせーよ」

 クロードが不貞腐れるようにそっぽを向く。


「おっ?何だ?」

 クロードがそっぽを向いた、その先に何かを感じた。


「ん?どうした?」

「いや、なんかこの先で戦ってやがるな」

 クロードには【気配察知】というスキルを持っていた。

 そのスキルにより離れた場所での戦いの気配を感じ取っていた。


「様子を見に行ってみるか?」

「そうだな、このまま戻って荷馬車まで襲われたら困るしな」

 無関係な戦いに首を突っ込まないというのは、ハンターにとって基本である。他人の獲物を横取りしないという事が不文律である以前に、自身の力で解決できない事態に首を突っ込まないというのが基本である。

 しかし、商人であるクロードにとって大切なのは、自身の取り扱う商品である。

 その荷を守る為には、今すぐそこで起こっている戦いが、飛び火してこない事を確認する必要が有る。

 勿論、そこには『この場所に出る魔物くらい、マリーと自分でどうとでもなる』という自信が有るからでもあった。


 その判断が大きな分岐点であった事を知るのは、まだ暫く後の事だ。





「チクショウ!何なんだコイツ等は、次から次に湧いてきやがって!」

 その男は1体の魔物を切り捨てると、そう怒鳴り声を上げた。

 周囲には今切り捨てた魔物とよく似た魔物が何体も倒れていた。


 それでもその魔物は次から次へと現れる。



 それを少し離れた岩陰からクロードの【不可視化インビジブル】で姿を隠したレイ達が見ていた。

「何だいアレは?ワイルドボアーの変異種か?」

 その魔物は角の生えた大きな猪のような姿をしていた。


「アレを見るのは、初めてか?」

「え?ああ、見たこと無いね」

「そっか、なら良く覚えておけよ」

 クロードの声は真剣な物だった。


「あれがベヒーモスだ」


 ベヒーモス。それは厄災の象徴にも上げられる危険な魔物。

 その巨体は1日で森1つを食べ尽くし、どんな堅固な城壁も打ち壊す。

 そんな物騒な噂が囁かれる。

 このベヒーモスが恐ろしいのは、伝説で語られる発見例がほとんど無い魔物ではなく、数年に一度は討伐される実在の魔物だという事だ。


「俺も一度だけ、しかも討伐された死体しか見た事は無いが、あれはベヒーモスの分身体、通称ミニーモスだ。ミニーモスは本体からそう遠くには離れない。近くにベヒーモスの本体が居るだろうな」

 岩陰に身を隠しながら、クロードが説明を続ける。


「ベヒーモスは視覚、嗅覚、聴覚が優れている訳じゃない。ミニーモスを周囲にバラ撒いて辺りを探っている。ミニーモスが獲物と遭遇すると自身もその場に向かう。すぐにこの場所にもやってくるだろうな」

 その時クロードの言葉通り、彼方に動く巨体が見え始めていた。


「馬鹿!こっち来んな」

 それまでミニーモスの相手をしていた男がベヒーモスに気付き逃げ出した。

 運の悪い事にレイ達の潜んでいる方向に向かって。


 しかし、その行く手を阻むようにミニーモスが立ちはだかる。

 先程までより大分近い位置で戦闘が繰り広げられている。


「ミニーモスだけなら大した事は無い。マリーなら20や30問題なく倒せるだろうが、ベヒーモス本体は無理だ。あれはAランクでも上位の魔物。Aランクのパーティが複数で掛かるか、Sランクのハンターでもなきゃ手に負えない。俺が万全でも手に余る」


 その間にもミニーモスと男の戦いは続いていた。

 数で勝るミニーモスはどれだけ仲間が倒されても気に留める事無く次々と襲い掛かり優位に立っていた。

 そして、程なく男は力尽きた。


「ミニーモスは魔物としてはCランクの下位ぐらいだ。それをあんだけ1人で倒したんだ、あの男もBランクに近い実力があったかもな。

 つまりは、マリーも1人ならあの男の二の舞いになるって話しだよ。俺も1対1ならともかく、同時に多数を相手にするのは難しい。坊やに至っては論外だ」

「なら、逃げの一手だね。『勝ち目が無い相手とは戦わない』がクローの信条だろ」

「そうなんだが、そうも言ってられ無いんだよ。俺の【不可視化インビジブル】はその場から動いたら効果が無くなる。逃げ出した途端に見つかりそうだ」

 ベヒーモスはすぐ目の前で、力尽きた男を貪っている。

 その周囲を巡回するようにミニーモスが新たな獲物を探している。

 

「それに…」

 クロードは残念そうに自身の左足を叩く。

 逃げるとなれば、走れないクロードは足手纏いになる。


「私が背負うよ。クロー1人背負ったぐらいで鈍るような鍛え方はしてないよ」

「そいつは、ありがてぇ。けど、何処へ逃げる?ゼオレグだろ? ベヒーモスは当然追いかけてくる。結果ゼオレグを危険に晒す事になりかねない」

「どの道ここは街道に近いんだ。遅かれ早かれだろ」

「なら、遅いにこした事はないだろ。準備する時間は少しでも多くないとな。誰かが残って連中を足止めする。その間に馬車まで戻って町に危険を知らせに行く。

 そんで、残るのは俺の役目だ。本当は逆方向に引張って行く位はしたいんだが、そこまでは無理だろうな」

 その間に馬車まで戻り、町に危険を知らせに行く。

 駐屯軍とハンターギルドの総力を合わせれば、ベヒーモスの討伐も出来る。

 ゼオレグに被害を出さないようにするには、それしかない。

 これがクロードの考えだった。


「なら、私が残る。その方が時間は稼げるし、逆方向に連れ出す事だって可能だ」

「マリー、それは無い。確かにその方が時間は稼げるが、俺がトロトロ歩いてたら台無しになっちまう。馬車までは素早く移動しなきゃならない。『俺が馬車まで戻る』その選択自体が無しなんだよ。

 誰かが残るんなら、俺以外は無い」

「だけど!」

「マリー! 俺は犠牲になる訳じゃないぞ。あの時も、今回も。俺自身が一番良いと思う事をやるだけだ。誰かの為じゃない」

 それはクロードが大怪我を負った時の話しだ。

 マリーにはクロードを犠牲に助かった経験が有った。


「俺の安全を優先するなら、このまま【不可視化インビジブル】で隠れてるのが一番だ。ベヒーモスもいつかはどこかに行くだろう。

 だが、その場合、危険なのはリックだ。マリーが知らないんだから、リックもベヒーモスは知らないだろう。アイツは律儀に荷物を守る為に、俺達の帰りを待つ為に、ミニーモスと戦って、ベヒーモスを呼んじまうだろうな」

「それは…」

「無しだろ?なら、リックの為にも危険を承知で馬車まで戻るしかない。そしたら、時間稼ぎに残るのは俺しか考えられないだろ」

「………」

 クロードの言葉にマリーが黙り込む。


 方針が決まりかけたその時だった。

「あのー、案というか、試してみたい事があるんですけど」

 レイが言葉を発した。


「ん?何だ?お前が残るとか言うなら論外だぞ。10秒の時間稼ぎにもならないからな」

「そうだよレイ。アンタは逃げて生き延びる事だけ考えな」


 2人に『役に立たないから引っ込んでろ』と言われたレイだが、引く気は無かった。


「それが、とっておきの切り札が有るんです」

 そう言うとレイは、バインダーから神剣グラムを取り出した。

 若干幅の広い、両刃の直剣。華美な装飾は無いが、その剣自体が優雅な美しさを持つ芸術品の様な逸品。


「それは…」

「なっ!おまっ!?」

 長年ハンターとして剣を振るってきた2人は、一目見ただけでその剣の凄さを理解した。


「グラムと言います。俺はまだ全然能力を引き出せないんですけどね」

「ちょっと貸してくれ」

「どうぞ」

 クロードはグラムを握り、軽く一振りしバランスを確かめる。そして、そのまま目の前の岩に軽く当てる。それだけで刃は僅かに岩に食い込む。そのまま振り下ろすと、岩の一部が綺麗に切り落とされる。


「岩が粘土みたいに切れやがる。伝説レジェンド級か? で、これが切り札か?」

 グラムの切れ味にクロードが唖然とする。


「いえ、それよりワンランク上です」

「な、なんだと!?これより上?」

「はい。ただ、使った事が無いんで、どうなるかは不安なんですけど」

 レイは【神威カムイ】を使う気でいた。

 まだ試していないので一抹の不安は有ったが、何故か『大丈夫だ』と思っていた。


「おい、マリー、コイツおかしいぞ? こんなの、ルーキーの所持品じゃないし、コレ以上の切り札が有るとか、何者だ?て話しだぞ」

 クロードが呆れたように言いながらグラムをレイに返す。


「しかも、試した事も無いのに大丈夫だ、とか」

「良いじゃないか、私は嫌いじゃないよ。分の悪い賭けは儲けがデカイ。ぶっつけ本番上等じゃないか」

 呆れたように肩をすくめるクロードと、面白そうに笑うマリー。


「あ~あ、分かったよ。やってみな、坊や。骨は拾って…はやれないだろうけど、最期は見取ってやるぜ」


 クロードの言葉に背中を押され、岩影から出るレイ。

 まるでダンプカーの様な巨体のベヒーモスの4つの目がレイを捉える。


「へー、ベヒーモスにビビリもしねぇ。案外もしかするかもな」

「あの子は何か特別なのかもね」

 普通であればFランクの新人など、ベヒーモスから発せられる威圧感と、その恐怖で何も出来なくなる所なのだろうが、不思議とレイは落ち着いていた。

 それが神剣グラムの特殊効果の1つである事は、レイ自身もこの時はまだ気付いていなかった。 


「フー。んじゃ、行くか! 神威カムイ建雷命タケミカヅチ】」

 息を一つ大きく吐くと、覚悟を決め神威カムイを発動させる。


「グア!」

 発動させた瞬間、レイの体を電撃のようなものが駆け抜ける。


 そして全てを理解する。

 建雷命タケミカヅチの能力と使い方。何をどうすれば良いのか、何が出来るのか、そしてその結果がどうなるのか。


「これが神威カムイか。ちょっとチートが過ぎるんじゃないか?」

 レイは理解していた。

 目の前のベヒーモスが既に何の脅威でも無い事を。

ベヒーモス、討伐するとなれば、魔術師を中核にした千人規模の軍を編成しなければいけない魔獣です。

そんなのが突然出てくる辺りは、別にウラがあるわけではなく、神威の実験相手みたいなものです。


次回、漸く神威の実態が明らかに(ならない可能性もありですが)



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