外伝 巫女と勇者と狂科学者 3
「アスカが消えた?」
その報告がジークフリードの元に届いたのは、彼がロンターギスに着いた3日後の夕方だった。
怪物調査のためにロンターギスを訪れた者の中にはラディウス教の敬虔な信者が幾人も居た。
その中は枢機卿公認の聖獣であるコンへの挨拶を欠かすべきではないと考える者も居た。
当然ながらその居場所の把握は基本的な事として押さえられていた。
つまり、アスカの泊まる宿もその部屋番号までもが調べはついている。という事だった。
「はい。昨日、一昨日と宿に戻っていないそうです」
そんな敬虔な信者達が姿を見せないアスカとコンを心配し調べそれに気付いた。
「うん、まぁそういう事もあるんじゃないか?」
ノエルの報告にジークフリードは特に気にした風でもなく答える。
アスカ・スドーはハンターだ。当人がそれほど優れた力を持っていないとしても単なるか弱い一般女性ではない。
しかもその身は九尾の狐であるコンによって守られている。
彼女を害しようとして成功する者は少ないだろう。
数少ない真実を知る物の一人であるジークフリードはそう考えた。
「しかし、彼女はこの町に知己は居ない様ですし、ギルドで依頼を請けて出掛けた訳でもないようです」
アスカがロンターギスに来るのが初めてである事は到着時の彼女を見ていれば分かる。
また、ギルドで依頼を請けて外出したのであれば調べれば分かる。ギルドの内部にも協力者はいる。金を握らせた者と敬虔な信者の2通りだ。
だが、そのどちらからもアスカが依頼を請けたという情報は出てこない。
「しかも、彼女は部屋を借りたままです」
「ム、……」
その言葉に初めてジークフリードの眉間にしわが寄る。
アスカは倹約家だ。上手い食事や贅沢品の一切を買わないという程ではないが、無駄な出費は嫌う性質だ。泊まらない宿は解約するだろう。
となれば、何か理由があるように思える。
本人にとって意図していなかった何かがあった可能性は否定できない。
「フゥ、そっちの調査も並行して行っていくしかないね」
「……はい。彼女を守る事も任務ですからね」
ノエルにとっては気の進まない事でもあるが、そういう指示も受けている。
全く予期せぬ事であったのだが、アスカとコンの存在は神殿内部の権力争いの駒として巻き込まれつつあった。
『勇者』に続く人気集めの道具として『聖獣』と『巫女』は利用され初めている。
勇者の名を高める事。そして、その傍らに聖獣とその巫女が居る事。それが次期教皇の輩出を狙うブルーデン派の戦略の一つだ。
その為にセットとして色々な場所に送られている。
当然、それを快く思わない相手が存在する事も承知の上でだ。
「意外と怪物の調査を独自にしているかもね」
「まさか。彼女がお金にならない事を進んで行うとは思えません」
「確かに。まぁ、滅多な事はないと思うけどね。私も今日から山の調査に加わるから、ついでに彼女も探しておくよ」
「はい。ご無理をなさらないようにお願いします」
一礼して部屋を去るノエル。
「無理なんかしないさ。今日だって出来れば寝ていたいぐらいさ」
その後姿に彼は呟く。
本来彼は怠け者ではない。
だが、失意の底から立ち上がろうとした直後に災害に遭った。
望んだ訳でもなくやってきた異世界で、気付けば今の場所に居た。
――どうすれば良い?
――何をすれば良い?
――何がしたい?
それが分からないままに。
新しい世界での新しい生き方を決め切れていない。
流されるままに生きてきた。
――どう生きる?
――何の為に?
それが見つかるのはまだ先の事になりそうだ。
△ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △
「へぇ、じゃあその勇者君も転生者なの?」
「そうですよ」
「へぇ、ふーん」
「……」
アスカはこの自称『科学者』が苦手だった。
アスカの直感では、シイナは悪い人間ではない。
だが、思考が読めない。常に二歩三歩、もしくはそれ以上を深読みしているのか、シイナは今の話題とは一見無関係とも思える思考を巡らせていたりする。
そして、彼女は思考の途中経過を省いて結論を述べる事がある。
結果、シイナとは話が噛み合わない事が多い。
今の返事も一見すると興味なさ気に取れるが、その実は何か企んでいる様にも取れる。
要は『油断ならない人物』だという事だ。
「ていうか、シイナさんなら分かるんじゃないですか?『勇者は転生者』で完全なる答え合わせを発動すれば」
「んー、嫌なのよね。そういうの」
「はい?」
「答え合わせをするのは思考した結論じゃないと。何でもかんでも正否だけ分かってもね」
異世界に転生した直後の事だった。
それまで取り組んでいた研究の答えを完全なる答え合わせで試してみた。
結果として自身の研究が未完成ながら最終的には正しかった事を知った。
そしてその興奮のまま興味のあった研究の答えまでも確認しその正否を知った。
冷静になった後でそのことを後悔した。
「結構多いのよね、答えは分かっているけど過程が分からない事って。過程を解き明かす事が大事な研究も多いんだけど、正しいと分かったら研究する意味がない物もあるのよね」
『知る』という事と『分かる』という事は別物である。
シイナが望むのは『分かる』方だった。
以来、シイナは根拠のある答えを確認する以外に完全なる答え合わせを使用していない。
「それより、本当にダメ?」
「ッ!?」
「ダメ!」
シイナの発言にコンは逃げるようにアスカの背中へと逃げ込む。
「ちょっとよ。パッと開いて確認したらサッと閉めるから」
「そういう問題じゃない!」
コンを背に隠しアスカは後ずさる。
それを逃がすまいとシイナがにじり寄る。怪しく蠢く指が恐怖心を煽る。
昨日から幾度となく繰り返されているやり取り。
魔法の解明、科学的なアプローチによる解析。それがシイナの現在の研究だった。
その為に強力な力を持つコンを調べたいのだという。外からも内からも。
「ちゃんと練習したから。大丈夫、失敗しない筈だから」
山の動物で解剖の練習をしたらしい。
昨日、アスカが見たのはそれからの帰りだったらしい。
「筈、とか怪しい! ていうか、成功率の問題じゃない!」
コンを抱えアスカは壁際まで逃げる。
「フム、では何が問題なの?」
コンを解剖しようと迫るシイナ。
何が問題なのか分からないと首を傾げる。
「解剖する事自体ダメなの!」
「そうなの!?」
「当たり前でしょ」
「フム」
アスカの言葉にシイナは顎に手を当て考え込む。
何を考えているのは全く予想できない。
「分かった。諦めましょう」
「ホント?」
「えぇ、当面はね」
「当面!?」
完全には諦めてくれないらしい。
「ところで、コレ何?」
アスカが指差すのは、今自分の目の前でお茶らしき物をカップと共に持ってきた物体。
銀色の光沢を持つ人型のソレは滑らかな動きでカップに飲み物を注いでいる。
それが終わると足の裏に車輪でも有るのだろうか歩く事なく滑るように離れていく。
「ん? P-3COよ」
「パクリぽい!」
某SF大作に出てくる名前に似ている。
「イメージし易さが大事でしょ? それに本家より高性能よ」
シイナもそれを否定する気はないようだ。
「ゴーレムみたいなものなんですか?」
「まぁ、分類としてはそういう事になるのかしらね」
シイナとしてはアンドロイドと言いたい所なのだが、その制作方法は錬金術によるゴーレム作成に他ならない。
「錬金術かー。錬金術スキル持ってないのよね。出来たら便利なのかな?」
アスカが何気に呟いた一言は、ある意味で地雷だった。
「錬金術の基本って知ってるかしら?」
まさに目を輝かせたシイナが身を乗り出すように聞いてきた。
「き、基本? あー、いやー、なんでしたけ」
「ハァ、等価交換。だろ」
アスカに肘で突付かれコンが面倒そうに答える。
目の前の女性は解説好きの説明魔だ。特に、知らないという人間に懇切丁寧(当人にとっては)に教えるのが楽しいらしい。
多少なりとも知っているという姿勢を見せる事が予防策となる。
だが、それも今回は無駄な足掻きだった。
「そうの通り。等価交換こそ錬金術の基本にして真髄。ただ、その『等価』というのが問題なのよ」
シイナはテーブルの上の鳥の燻製肉を挟んだパンを1つ取る。
「このパン一個を10ギル、大銅貨1枚で買う?」
「え? えーと、10ギルなら、はい」
「つまりアスカちゃんにとってはこのパンは10ギルと交換する価値がある。即ち等価交換が成り立つ。という事ね。私も10ギルなら売っても良いと思うわ」
そう言ってシイナは今度は懐から大銅貨を1枚取り出す。
そしてパンと大銅貨を並べる。
「でも、この2つでは等価交換は成り立たないの」
「はい?」
「売り手がこのパンを10ギルで売っても良いと思うのは、10ギルで売れば利益が出るから。即ち、パンの価値+利益=10ギル。となると、パンの価値<10ギルという事になるわけで、等価交換は成り立たない」
「ハァ」
「でも、アスカちゃんにとっては、パンの価値=10ギルとなり、等価交換が成立する」
シイナは自分の前に置いたパンと大銅貨をアスカの前に押しやり大仰に両手を広げる。
「こうなってしまうと人の持つ価値観によって等価交換が出来たり出来なかったりしちゃうのよ。それが錬金術の出来栄えに影響する。となると価値の定量化が錬金術の鍵になる」
同じ条件下で行えば誰がやっても同じ結果がもたらされる。それが科学の力だとシイナは考える。
人の価値観という定量化出来ない物によって結果を左右される錬金術は「非科学的だ」と言わざるを得ない。
だからこそ、「非科学的な物を科学的に解明する」それこそが科学者の使命だと燃えていた。
「そこで私は先ずその等価交換を科学的な見地からアプローチしてみたのよ」
活き活きとしたシイナが今度はこぶし大の石とそれよりは小ぶりの金色の物体をを取り出した。
「E=mc^2これはアインシュタインの相対性理論の有名な式の1つで『質量=エネルギー』を示すものよ。これは……(略)」
シイナが語り始めた説明を溜め息混じりにアスカとコンは聞き流す。
真面目に聞いても理解できないのだ。疑問や質問を口にしようものならそこから更に難解な説明が続いていく。
満足いくまで勝手に説明させるのが最短で終わらせる方法だと気付くのにそう時間はかからなかった。
「量子力学的に突き詰めていけば極論、エネルギー=物質と言える。それはつまり……(略)」
「そういえば、怪物の調査どうなってるかな?」
「まぁ、神殿の連中が何とかすんだろ」
「町の人達はあんまり気にしてないみたいだったけど?」
「人的被害が今のところ無いらしいから楽観視してんだろ」
アスカとコンはシイナの話を聞き流しながら別の話を密かにしていた。
このシイナの研究室は山中の地下にひっそりと建てられていた。
もしかすると謎の怪物の事を知らないかと聞いてみたが、怪物の情報どころか、その噂すら知らない様だった。
「そして、E=mc^2という式には物質が何であるかは関係ない。つまり、100グラムの石と100グラムの金は同じエネルギー量であるという事。つまりエネルギーという観点から言えば同質量の物体は等価値であると言える」
シイナの方はクライマックスを迎えたのだろう、論調に熱が入り始めていた。
「即ち、石ころと金塊の等価交換は出来て当然と言える」
「マジで!?」
「金塊」という単語にアスカが反応を見せる。
「も、もしかして、それ金?」
テーブルの上に無造作に置かれた金色の物体を指差しアスカは恐る恐る聞く。
「そうよ。山で拾ってきた石を錬金術で変換した物よ」
「マジで!?」
「金どころかダークマターや反物質だって理論上は可能よ」
エッヘン! と胸を張るシイナにアスカが目を輝かせる。
石を金に変える。その術を覚えれば今後一切お金に困る事はない。
文字通り金を生む術だ。
「この理論を元に軽くて硬くて強靭な金属を錬成して生み出したのがP-3COよ!」
ババン! という効果音付き(心の中で)でシイナはP-3COを指差す。
指し示されたP-3COも心なしか胸を張っているようにも見える。
ちなみに使用されている物質は偶々生み出された謎物質らしい。
再現する事は可能だが、それが一体何なのかを調査する事が出来ないので取り敢えず放置している様だ。
「凄いでしょ? 私の自慢の護衛兼助手兼雑用係よ」
「そんなトンデモ兵器に給仕させてるんですか? もっと有効な使い方があるでしょ?」
「んー、そうね、護衛が必要なほど危険なところには行かないし、助手が要るような実験もほとんどしてないからメインは食料調達とかになっちゃうのよね」
「まさかのお買い物要員!?」
「そんな、まさか。自然調達よ」
「自然調達?」
その言葉にある考えがアスカの脳裏を横切る。
「山で、動物や魔物を狩ってくるんですか?」
「えぇ、そうよ。後は力仕事とかにも便利よ。それからこの外殻の……」
シイナのP-3CO自慢を聞き流しながらアスカは考える。
ロンターギスの町で噂の怪物の事だ。
「もしかして、そういう事?」
段々と事情が見えてきていた。
「町に行かせた事は?」
「ん? ないわね」
「人を襲う事は?」
「人に危害を加えないことを最優先に設定してあるわ。ロボット三原則よ」
「……」
ほぼ決まりと言って良さそうだった。
「ロンターギスで怪物の噂の話し覚えてます?」
「ん? この前の話? 町にはあまり行かないから噂とか疎くて。 どんな怪物かしら?」
「えーとですね『外見は人に似ている』『鉄の矢を弾く』『山でよく見かける』『人とは思えない動き』『人的被害は無い』後は……」
「あぁ、もういいわ。大体分かったから」
シイナの視線がP-3COへ向く。
釣られる様にアスカの視線もそれに続く。
「勇者君の派遣理由って、それだったりする?」
「……はい」
「そう……」
その事を聞くとシイナは何やら悩むように俯く。
「それは……ラッキーね」
「ラッキーなの!?」
計り知れない思考回路にアスカは開いた口が塞がらない。
アスカの胸の内に何かが起こる予感が芽生える。
それが良い事にしか思えないのが困り所だった。
作中の理論は私の妄想です。何の科学的根拠もありません。
間違いかもしれませんが、フィクションです。
ご容赦ください。




