65535、「わたしは、帰らなくてはならないのでしょうか?」
「あなたは、わたしの知り合いなのでしょうか?」
小さく首を傾けて少し大きな小さな少女に問いかけると、彼女は何度か瞬きをして首を傾げた。
「え、ちぃのことわからない?」
「あなたは、チィさん、とおっしゃるのでしょうか?」
まだはっきりしない記憶を探るが、その名前に覚えはないようだった。
しかし、チィ、という名前が自分のキィという名前とよく似ていることに気がついた瞬間、もしかしたらと思いあたることがあった。
「ちぃは、ちぃだよ。きぃちゃんの、妹みたいなものかな」
「そうなのですか」
わたしの記憶にある範囲ではわたしに妹などいなかったはずだけれど、たぶんちいさいからチィ、と名づけたのだろうと思われる安易な名前の付け方に苦笑する。
わたしのキィという名前はきぃきぃと鳴る胸の歯車の音が由来だし、ずいぶんと適当に名前を決めてしまう、そういうところがあの人らしい、と思って、あの人というのは誰だろうと首を傾げた。
「んーっと、もしかして、過去に戻る前のきぃちゃんだったりする?」
「過去に戻る?」
どういう意味だかわからなかった。
チィさんは腕組みをしてわたしの顔を見上げて、それからわたしが抱いているわたしの首に気がついて「あ」と声をあげた。それからぐるりと回りを見回して、床や壁のわたしを見て、小さくうなずいた。
「そっか……。ここがはじまりなんだ」
「……?」
「だとすると……」
言いながらチィさんはちらりと部屋の中を見回して、コウとノゾミの姿に気がつくと、はあ、と小さく息を吐いた。
「今言ってもしょうがないことかもしれないけれど」
コウをびしりと指差してチィさんが不機嫌そうにつぶやく。
「ぜんぶあんたのせいなんだからねっ!」
「いきなり出てきて、なんなんだおまえはいったい」
指差されたコウが不満の声を上げるが、チィさんはそれに答えることなく台の上のわたしの所へ行き、その身体をなにやらごそごそをさぐり始めた。
「あ、あの、チィ、さん。その、くすぐったいのですが」
バラバラになっているので台の上のわたしの身体を動かすことは出来ないが、触覚は壊れていないのでベッドの上のわたしはそのくすぐったい感触に耐えるとこができなかった。
「あー、そか。んー、きぃちゃんさ、この部屋中に広がっちゃってるみたいだけど、そろそろどこか一箇所にまとまった方がいいんじゃない? 窓もあいてるしー」
「まとまる?」
「え? いや、そんな風にこの部屋いっぱいに広がってたらさ、感覚おかしくならない?」
「……?」
チィさんが言っていることはよくわからなかったけれど、この部屋全体がわたしだと感じているのは確かで、だとするならばまとまると言うのは。
「おいチビスケ、おまえは何を言ってるんだ?」
コウが声をあげると、チィさんはコウのことを馬鹿にするかのように小さく鼻を鳴らした。
「……あきれたー。あんたそれでもコウなの? 何代目か知らないけど、そんな知識も失われちゃってるわけ?」
「僕のことを、いやうちの家系のことを知っているのか?」
「とーぜんでしょ。ちぃは初代のコウにつくられた自動人形なんだし。もっとも何百年か前に何代か前のコウとケンカして飛び出しちゃったから、今のあんた達がちぃのこと知らなくってもしかたないけどさー、それでもキィちゃんのこと、その知識が失われてるなんてもぅ、あきれてものも言えない!」
不機嫌そうにチィさんは、台の上のわたしの身体をさぐりつづける。
「……!!」
ちょっとくすぐったさに耐え切れなくなってきた。
「そのくせキィちゃんを勝手に修復とかしちゃうんだから、もうね、これが世界の選択ってやつなのかーって、ちぃはもう、ほんと、運命のイタズラってやつにイヤになっちゃってるとこなの。……あ。あった」
台の上のわたしの胸元をごそごそまさぐっていたチィさんが、「よいしょ」といいながら何かを台の上のわたしの胸から剥ぎ取った。
「あ、こらチビスケ! 壊すな!」
「……ペンダントが焼きついて肌に貼り付いてただけなのっ! その程度のこともわからないなんて、ほんとにもう、一度徹底的に教育しちゃったほうがいいのかな?」
言いながらチィさんは剥ぎ取った真っ黒なペンダントをわたしに差し出してきた。
「はい、きぃちゃん」
「これは?」
差し出されたそれをベッドの上のわたしの手で受け取りながら、首をかしげる。
もしかしたら、さきほどの小さな少女達が言っていたペンダントというのはこれのことなのだろうか。……これに、わたし自身を入れろ、とか言っていた様な。
「現状で一番まともそうなのがベッドの上のきぃちゃんだし、ちぃの知っているきぃちゃんの姿だから、たぶんその身体にまとまるのがいいと思うよ?」
「……?」
「……あー。そか、こないだまで一緒だったからつい忘れちゃうけど、たぶん、今のきぃちゃんって、何も知らないんだよね」
こほん、と小さなセキをしてチィさんがベッドの上のわたしの膝の上に腰掛けた。
「説明するから、そこのボンクラもよーく聞いておくように。あんたらの身体にもかかわることなんだからね?」
「偉そうだなチビスケ! だが興味があるので大人しく聞いてやる」
コウが不機嫌そうに腕を組んだ。
なんだかとても偉そうだ。
チィさんは、いーっ、っと歯をむき出してコウを睨みつけてから、一度小さく深呼吸をして話し始めた。
「今の世の中でKEY型って言われてる自動人形と、ほんとうのきぃちゃんの違いは、その本体なの。きぃちゃんの本体は、その身体を満たす血液であるナノマシンで、今それはこの部屋中に広がっちゃってる。それがここに転がっているいくつものきぃちゃんの身体に入り込んで動かしている。だから、きぃちゃんは今、自分の区別がついていないでしょう?」
言われた状況が、確かにわたしに当てはまる。
コウの推測によると、今わたしが「わたし」だと認識している意識というものは、台の上の壊れたわたしのものであるらしい。そうすると、台の上の壊れたわたしの身体から漏れ出したナノマシンが部屋中に広がって、そうしてベッドの上のわたしや、床や壁のわたしを自分自身だと認識してしまっているのだとするのならば。
そこまで考えて、ふと違和感を覚えた。
……しかしそれがなんのか、すぐにはよくわからなかった。
「今KEY型って言われている自動人形は、ヴィスさんがオリジナルのきぃちゃんをマネして作ったものなんだよ。だから、似てるけどほんとうのきぃちゃんとは全然違う。KEY型の自動人形は人工生命体と自動人形の技術の融合で作られた、半生体の自動人形なんだ。だから、血が本体のきぃちゃんとはまったくの別物。KEY型は半分生体なだけに、人間と交配も出来ちゃうっておまけ付き。オリジナルのきぃちゃんは同型の血と血を混ぜ合わる方式で子孫を作成するから、その意味でもまったく別の存在だよ」
「……あの、チィさん。ベッドの上のわたしの身体は、KEY型らしいのですが」
すべてわたしだと認識していたから、まったく考えもしなかったけれど。
KEY型と呼ばれるものとオリジナルのキィがまったく構造が違うモノで、そうしてそのキィがほかのKEY型の身体を動かしているのだとするのならば。
「みたいだね。でも気にすること無いんじゃない?」
「いえ、こうしてお話している”わたし”は、そこの台の上の、チィさんの言われたオリジナルの”私”のもののようなのですが、そうすると今ベッドの上にいるわたしの、KEY型である身体の意識という物はどこに、あるのでしょうか?」
「心がどこにあるか、というのは多分に哲学的なもんだいだねぇ?」
チィさんは、ちいさく笑って腕組みをした。
「べつに幽霊みたく取り憑いているってわけでもないし。そうだねぇ、そのKEY型のボディに意識があるのだとすれば、それはそのまま今のきぃちゃんのこころなんだと思うけれど」
チィさんが意味ありげな視線をコウに向けると、腕組みしたままのコウはふむ、とひとつうなづいた。
「なるほど、そういう考え方もあるわけか。つまり、知識や記憶はオリジナルの物で、今こうして会話できる主体である意識そのものはKEY型のボディのものというわけか?」
「その可能性もあるというだけの話だねぇ。仮にそうだとしても、そうでなくても、どちらにしたってきぃちゃんがきぃちゃんであることには変わらないはず。そもそもそのKEY型の身体だって、きぃちゃんのために作られたものだと思うし」
「……よくわかりません。わたしは結局のところ、誰なのでしょう?」
「それを決めるのはきぃちゃんだよ」
チィさんはベッドの上のわたしの膝の上で小さく微笑んだ。
「……その上で、選ばなきゃいけないことがあるから、伝えておくね」
んしょ、と小さくつぶやきながら立ち上がったチィさんは、ふわりと宙に浮き上がってベッドの上のわたしの頭の上でうつぶせになった。
「さっき渡したペンダント。あれを使うときぃちゃんは過去に戻ることができる」
チィさんは言いながらわたしの頭の上から、手のひらの上の黒いペンダントを指差した。
「最初のきぃちゃんは、事故でこわれちゃった。修復することは不可能じゃなかったけれど、それはボディの話であって、きぃちゃんの本体である血液であるナノマシンは、大部分が失われてしまって、きぃちゃんとしての意識を保てなかった。無理に修復を行うと、新しいナノマシンで薄めることになって。それは、結局のところきぃちゃんじゃなくなることを意味してたから。だから、コウさんは自然に回復するまできぃちゃんを眠らせることにした。だって、そのときには未来からきぃちゃんが来てたから、いつか必ずきぃちゃんが元に戻ることはわかっていたし」
「先ほども話に出ましたが、過去に戻るというのはどういうことなのですか?」
「言葉通りだよ。そのペンダントは、そのペンダントが作られた瞬間の時間、空間とつながってるの。だからきぃちゃん。きいちゃん自身をこのペンダントの中に入れれば、そうすれば、きぃちゃんはあのときの、あの場所に、帰ることができるんだよ」
言われて記憶を探る。あの時のあの場所というのは、いったいいつのことなのだろうか。
……そもそもそのペンダントをもらったという記憶さえ思い出すことが出来なかった。
「それとも、この場所に、この時間に何か未練でもあるのかな?」
「……わたしは、帰らなくてはならないのでしょうか?」
「え」
チィさんが目を丸くした。わたしは何か変なことを言ってしまっただろうか?
「チィさんのお話によるとわたしが過去に戻ったというのは既に起こった事実のようですが、今のわたしにはそもそなぜ過去に戻る必要があるのかということの必要性がわからないのですが」
わたしの言葉に、チィさんは腕組みをして頭を斜めにした。
「……コウさんに、会いたくはないの?」
問われた言葉に、今度はこちらが首をかしげる。
「コウなら、そこにいますが?」
椅子にふんぞり返っているコウを指差すと、チィさんは眉をひそめてため息を吐いた。
「きぃちゃんにとって、コウさんってその程度の存在だったのかな……?」
「意味がよくわかりません」
過去に戻って会うということは、チィさんのいうコウというのは、おそらく初代のコウという人のことなのだろう。今のわたしの記憶が不完全であることは自覚していたけれど、その初代コウとわたしの関係性がよくわからなかった。
――何かが、足りない。
チィさんの口ぶりだと、初代コウとわたしはかなり親しい間柄だったように思われる。
しかし、今のわたしにはそんな人の記憶はなかった。
「コウの最後、看取ってあげるんじゃなかったの?」
「質問があります。チィさんの言われる、初代のコウとわたしの関係というのはどのようなものだったのでしょうか?」
「……え。もしかして、それ忘れちゃってるの?」
あんぐりと口を開けてチィさんが固まった。
待っていた方もほとんどいらっしゃらないでしょうけれど、大変長らくお待たせしました。後半戦その3です。
遅くなった原因は、初期のタイトルが「わたしは帰らなくてはなりません」だった、といったらわかっていただけますでしょうか……?
次の更新も、まただいぶ先になりそうです……。