第4話 私の席と、初めての討伐
「二人分に戻そう」
アルヴィン様が即座に指示を出し、騎士たちを外へ出させた。
もう一度、二人分の結界を張り直す。先ほどのような重圧はなく、今度はゆっくりと息を吸うことができた。
「これでしたら、半日でも保てます」
「全員を常に中へ入れておく運用はやめましょう」
セドリック様が手帳に素早くペンを走らせた。
「前衛は左右に展開し、遊撃。弓兵は普段は後方に置き、敵の遠距離攻撃や奇襲があった際のみ、リゼット殿の結界へ一時的に退避させる。配置図を組み直します。広げる合図はこちらからも出しますので」
人数と保てる広さの限界を細かく尋ねられ、王都騎士団での苦い経験を思い出しながら答えた。
怪我人を寝かせるには立っているときの倍以上の面積が必要なこと。パニックを起こして走ってくる人は、その人の体幅だけ空けても勢い余って外へ飛び出してしまうこと。
伝えたいことが次から次へと溢れ出し、少し熱弁してしまった。
セドリック様は嫌な顔一つせず最後まで書き留め、騎士たちへ次の指示を出した。
そのあとに行われた、剣術の手合わせは――あっという間に終わった。
アルヴィン様は、怪我をしていない右手一本。
対する私の木剣は、両手持ち。
しっかり構えていたつもりだったのに、軽く踏み込んで打ち込んだ瞬間、手首を払われ、気づけば木剣は宙を舞って足元に転がっていた。拾い直して挑んでも、二度目も三度目も結果は同じだった。
防御魔法を使っていいなら、いくらでも受け止められる。
けれど純粋な剣の腕前を見てもらっているのだから、そんな言い訳をしても始まらない。
「あの……剣の稽古も、増やした方がよろしいでしょうか」
木剣の切っ先についた土を払いながら、情けなくなってお尋ねした。
アルヴィン様は私の手元を見つめ、それから土手の奥に残っていた的を指差した。
「身を守るための稽古は続けよう。ただ、今日のうちに君の結界から動きながら撃つ感覚を掴みたい。もう一度、頼めるか」
顔を上げると、アルヴィン様はすでに私が前に入れるよう、半歩横へ避けて待っていてくださった。
私は木剣を握り直しかけて、やめた。
「……はい! では、右側から回り込みましょう」
木剣を棚の脇へ置き、自分の定位置へ立つ。
歩きながらの移動射撃では、方向を変える直前に声をかけてほしいと言われた。私が無言で急に向きを変えると、狙っていた的が私の肩に隠れてしまうからだ。
次は曲がる二歩手前で声をかけると、ちょうど三歩目を踏み出した瞬間に、背後から風が抜けた。
的が真っ二つに倒れる。
足を止めずに、もう一つ。
最後の的を倒し終えて振り返ると、アルヴィン様はまだ撃ち足りなさそうに次の的を探していた。
「閣下。本日はそこまでです」
セドリック様の冷静な声が響き、アルヴィン様はわずかに残念そうな顔をされた。
私も、もう一回くらい合わせたいなと思ったけれど、訓練場に伸びる自分たちの影は、始めたときよりずいぶん長くなっていた。
◇
案内された私のお部屋には、ふかふかの寝台と清潔な書き物机、それに私の小さな荷物にはあまりに大きすぎる立派な衣装棚があった。
「お一人で気兼ねなくお使いくださいね」
案内してくれた侍女さんにそう言われるまで、誰かほかの使用人の方との相部屋だろうと思い込んでいた。
一人で使うには広すぎる。
椅子に腰を下ろすと、今度は立ち上がるのが億劫になった。足が棒のようになっていたことに、座って初めて気づいたのだ。
しばらくして届けられた防寒用の外套は、手持ちの安物とは比べものにならないほど裏地が厚く、手触りが滑らかだった。朝の森は冷え込むので、明日の討伐から必ず着用するようにとのことだった。
留め金を外して羽織り心地を確かめていると、開け放たれた戸口からノックの音がした。
「丈はいかがですか」
セドリック様が受取書を持って立っていた。その後ろに、アルヴィン様もいらっしゃる。
私は慌てて椅子から飛び起きた。
「ぴ、ぴったりです! とても温かくて……ありがとうございます」
「靴は足の寸法をきちんと合わせた方がいいので、次の休養日に町の靴屋で選んでください。店への紹介状を用意しておきます」
今の靴も、まだ底に穴は開いていません。
そう言いかけたが、つま先には王都からの徒歩の旅でついた深い擦り傷があった。咄嗟に踏み直すことの多い仕事なのだから、靴底が擦り切れて滑るまで我慢していては、公爵様の命に関わる。
「お心遣い、感謝いたします」
机を遠慮がちに借りるまでもなく、ここはもう私が自由に使っていい部屋なのだった。机の上に受取書を広げ、備品の品目を確かめて署名する。
アルヴィン様は扉の脇に佇みながら、何気なく左腕の袖口を下ろそうとされた。
白い包帯が隠れる直前、セドリック様の鋭い視線がそこを射抜いた。
「……血は滲んでいませんね」
「軽く訓練をしただけだ。問題ない」
「訓練でも傷口は開きます。前回の教訓をお忘れなく」
アルヴィン様は袖口のボタンを留め、言い返す代わりに小さく息をついた。私は署名した受取書を両手で差し出した。
セドリック様はそれを受け取り、「これで明日の討伐予定を白紙に戻さずに済みます」と小さく呟いた。
「夕食までは体を休めてくれ。時間になったら迎えを寄越す」
アルヴィン様の優しいお言葉に甘えて、私は父への手紙を簡単に書き、それから寝台に少し横になった。
ほんの少し目を閉じるだけのつもりだったのに、扉をノックする音で跳ね起きた。
慌てて髪の乱れを直し、迎えの侍女さんについていく。食堂の前に着くと、中から明日の出発時刻や人員配置を話し合う声が聞こえてきた。
アルヴィン様とセドリック様のほかにも、昼間に訓練場で顔を合わせた騎士たちがいる。
私は入口で気後れして足を止めた。
長い長方形の卓の、アルヴィン様の斜め向かいあたりに、一つだけ空いた椅子があった。
温かい料理が盛られた皿と匙が置かれ、その脇に、小さな木製の札が立てられている。
リゼット・エルン。
丁寧に書かれた自分の名前を見つめていると、アルヴィン様が顔を上げられた。
「そこだ、リゼット。外套は重くなかったか」
「あ……重さはまったく気になりませんでした。とても温かかったです」
給仕の方が椅子を引いてくださり、恐縮しながら腰を下ろした。
隣に座っていた騎士の方が、パンの籠をこちらへそっと寄せてくれたので、お礼を言って一ついただく。目の前の深皿から立ち上るスープの湯気が、冷えた鼻先をくすぐる。明日の作戦会議は、食事の間も活発に続いていた。
私は名札を、水差しの滴がかからない場所へ少しだけ寄せてから、匙を取った。
◇
いただいた外套は、朝靄の立ち込める森で大いに役立った。
ただ、首元の留め金を一番上までしっかり閉じると、周囲を警戒して振り返ったときに顎が引っかかる。少しだけ金具を緩め、腰の短剣の柄に裾が絡まないよう手で払っていると、隣を行くアルヴィン様が足を止めた。
「歩きにくいか?」
「いえ、大丈夫です。少し裾を払っていただけですので」
旧街道の入口までは馬で進み、ここからは徒歩での行軍だった。石畳の継ぎ目からは頑固な雑草が伸び放題になり、路肩には折れた太い枝が何本も折り重なっている。来月にはここに荷馬車の車列を通すというのだから、魔獣を駆除するだけでも大仕事なのに、そのあとの道の補修作業も途方もない規模になるはずだ。
実家の父なら、真っ先に折れた枝を見て「いい薪になるな」と呟くところだろう。
私はその向こうに、いざというとき足を取られない安全な足場があるかを目で探していた。
昨日の訓練の取り決め通り、アルヴィン様と私が中央、剣と槍を持つ護衛の騎士が左右に展開する。弓兵二名は少し離れた後方に控えているが、私の結界の中に常時入れておく配置ではない。
先頭を偵察していた騎士が音もなく戻り、声を潜めた。
「四頭です。この先、道幅が広くなっている地点に陣取っています」
アルヴィン様が無言で頷く。
私は外套の袖から両手を出し、彼の前へ一歩進み出た。
左右の茂みが、同時に大きく揺れた。
正面から来ると思っていた魔獣が、私たちを囲むように散り始めていた。




