十一月十三日 水曜日① 反応
目覚ましが鳴るより少し前に、目が覚めた。
意識が浮上した瞬間、胸の奥がざわついているのが分かる。
天井を見上げたまま、しばらく動けなかった。
昨夜、何度も鏡で確認したあの色が、まだ夢の続きみたいで、現実感が追いついてこない。
ゆっくりと体を起こし、洗面所へ向かう。
スイッチを入れると、白い光が狭い空間を満たし鏡を見る。
――銀だ。
昨日と同じ。当たり前のはずなのに、その事実に小さく安堵している自分がいる。
(逃げていない。ちゃんと、向き合った)
水で顔を洗うと冷たい感触に、少しだけ現実に引き戻される。
顔を拭きながら、心臓の鼓動が耳に残る。
いつもより、少しだけ早い。
今日は、出勤日だ。
職場で、どう見られるだろう。笑われるかもしれない。引かれるかもしれない。
そう考えるだけで、胃の奥がきゅっと縮む。
それでも、もう戻れない。黒に戻す選択肢は、頭のどこにもなかった。
銀色は、もう俺の一部だ。
◇ ◆ ◇
作業着に着替え、アパートを出る。自転車に跨り、ペダルを踏む。
朝の空気が、頬を刺す。
ヘルメットを被った瞬間、内側で髪が擦れる感触があった。
(いつもと、違う)
それだけで、また心拍数が上がる。
工場のシャッターが見えた瞬間、心臓が一段、強く跳ねた。
(行くしかないだろ。もう、ここまで来たんだ)
自分に言い聞かせるように、足を止めずに進む。
事務所に入り、タイムカードを押す。
カチリという音が、やけに大きく感じた。
その直後、聞き慣れた声がした。
「あら――」
経理のおばちゃんの声が、途中で止まった。
視線が、俺の顔――正確には髪に吸い寄せられるのが分かった。
一瞬の沈黙。
「……え? 誰かと思ったら」
次の瞬間、目を細めて笑う。
「けいちゃんじゃないの」
胸の奥が、ふっと緩む。
「おはようございます」
声が、思ったよりも普通に出た。
「びっくりしたわよ。朝から知らない人が来たかと思ったじゃないの」
冗談めかして言いながら、じっと俺を見る。
「それ、どうしたの?」
視線は率直だが、嫌な感じはしない。
「気分転換、です」
少し照れながら答えると、おばちゃんは小さく頷いた。
「へえ……長いこと、ここで働いてるけど、銀は初めて見たわ」
一拍置いて、にっこり笑う。
「いいじゃない。似合ってるわよ」
背中が、じわっと熱くなる。
「ありがとうございます」
その一言で、ここに来てよかったと思えた。
工場に入ると、すでに何人かの同僚が作業の準備をしていた。
「おう」
同僚たちに声をかけられ、振り向く。
「……おお?」
一瞬、誰だか分からなかった、という顔。
「いい色じゃないか、それ」
「ほんとだ。銀かよ」
からかい半分だが、そこに悪意はなかった。
「似合ってんじゃん」
その一言で、胸の奥に溜まっていたものが、少しだけ軽くなる。
周りを見渡すと、改めて気付く。
茶髪。金髪。ピアス。
溶接面を外せば、意外と自由な頭ばかりだ。
(……こんなもんか)
俺だけが特別、というわけじゃない。
勝手に大騒ぎしていた自分が、少し可笑しくなる。
拍子抜けしながら、作業に入る。溶接の火花が散り、いつも通りの音と匂いが広がる。
身体が覚えている動きは、何も変わらない。
世界も、仕事も、昨日と同じだ。
◇ ◆ ◇
昼休みに弁当を片手に、スマホを開く。
掲示板に、職場の反応を書き込むと、すぐにレスが流れる。
思っていた反応とは違うという流れを眺めて、思わずくすっと笑った。
(だよな)
同じ感想を持っている人間がいる。
それだけで、肩の力が抜ける。
不安を共有できる場所があるのは、ありがたい。
でも――
(ここからが、本番だ)
俺は、改めてスレにどこで出会いを探すかの安価を書き込む。
指を離した瞬間、胸が少しだけ締め付けられた。
仕事に戻ってからも、そのことが頭の片隅に残る。
溶接の音の裏で、早く更新を見たいという気持ちがうずく。
(集中しろ。仕事だ)
そう自分に言い聞かせながら、手を動かす。
◇ ◆ ◇
定時になり工具を片付ける。
早く見たいが、いつもの生活を崩すのは、まだ少し怖かった。
コンビニで弁当を買い、ビールを一本取り帰宅。
部屋に戻り、靴を脱ぐなり、スマホを手に取った。
通知の数が、多い。
「……え」
思った以上のレス数に、思わず声が出る。
スクロールしながら、安価結果を探す。
途中で、目が止まった。
◇ ◆ ◇
132:名前:名無しの使い魔
恵比寿駅。
147:名前:名無しの使い魔
あーこの前の画像な
この美容院わりと有名だから、俺は勝手に恵比寿だと思ってたわ
◇ ◆ ◇
(なんでわかるんだよ……)
背筋がぞっとする。
正直怖いなと、打ち込みつつ、さらに遡る。
そして、安価結果が見えた。
◇ ◆ ◇
130:名前:名無しの使い魔
街コン
◇ ◆ ◇
画面を見つめたまま、しばらく動けなかった。
(……街コンか)
正直、縁がないと思っていた言葉だ。
さらに、その下、服装の安価をする事まで、すでに決められている。
やれやれ、と小さく息を吐く。
でも、不思議と嫌じゃなかった。
俺は服装安価を打ち込み、街コンを検索する。
知らない世界が、画面の向こうに広がっていた。
怖い。正直、かなり怖い。
それでも、昨日より、ほんの少しだけ、前を向いている自分がいる。
銀色のまま、俺は画面を見つめ続けた。




