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安価で俺の人生変わった件について。  作者: ドラドラ
安価で俺の人生変えたかっただけだった

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18/21

十一月十一日 月曜日② 安価

 スマホの画面を見つめたまま、俺はしばらく指を動かせずにいた。


 送信したばかりのスレッドタイトルが、やけに主張してくる。


 【安価で俺の人生変えたい件について】


 勢いで立てたとはいえ、冷静になって眺めると、あまりにも無防備だ。

 人生、なんて大げさな言葉を使っておいて、中身は何もない。

 それなのに、もう取り消せないところまで来てしまった。


 ワンルームの部屋は静かだった。

 冷蔵庫の低い唸り声と、換気扇の回りきらない音だけが、やけに現実を主張している。

 さっきまで気にならなかったはずの沈黙が、今は妙に重たい。


 まずは自己紹介だろうと思って、俺はスマホのキーボードを叩き始める。

 年齢。見た目。職業。趣味。

 淡々と、事実だけを並べていく。


 文字にして並べてみると、ひどく簡素で、ひどく貧相だ。

 誇れる要素も、笑いに変えられる武器もない。

 人生のステータス画面があるとしたら、すべてが初期値のまま、三十年放置されている感じがする。


 それでも、送信する。


 画面に自分の書き込みが反映された瞬間、心臓が一度だけ、どくりと鳴った。

 別に誰かに殴られたわけでもないのに、胸の奥が妙に痛む。


 反応は、すぐには来なかった。


 俺は缶ビールを手に取り、残りを一気に飲み干す。

 アルコールが喉を焼く感覚はあるのに、味はあまり感じなかった。

 苦さも、さっきほどではない。


 誰も来なかったらどうしよう。

 スルーされたら、やっぱりやめよう。


 そんな弱気な考えが浮かぶたびに、更新ボタンを押す。

 理由もなく、何度も。


 そして、数回目の更新で、画面に新しい文字が表示された。


 胸が、わずかに跳ねる。


 来た。


 俺は短くレスを書き込む。


 本気。


 たった二文字。

 それだけなのに、指先に変な力が入った。


(本気だ。逃げない。今度こそ)


 何をすればいいか、安価を取る。

 最初だから、できれば簡単なものを。

 そんな都合のいい願いを抱きながら。


 ◇   ◆   ◇


 15:名前:名無しの使い魔

 美容院行け

 床屋じゃなくてな


 ◇   ◆   ◇


 一瞬、拍子抜けした。


 もっとひどいことを言われるか、ネタにされるか、無視されるか。

 それに比べれば、あまりにも現実的で、まともな安価だった。


 思わず、息を吐く。


(なんだよ。普通じゃん)


 心のどこかで、安堵している自分がいた。

 一発目にして、地獄みたいな選択肢を投げられなかったことに。


 画面の向こうで、誰が書き込んでいるのかは分からない。

 学生かもしれないし、俺より年上の社会人かもしれない。

 もしかしたら、俺と同じように、何も変えられずにいる誰かかもしれない。


 でも、その正体不明の誰かが、俺の人生に口を出してきた。


 それだけで、現実がほんの少しだけ、動いた気がした。


 生まれてこの方、美容院なんて行ったことがない。

 俺が通っていたのは、近所の床屋だ。

 椅子に座って、いつもので、と言えば通じる場所。


 それで十分だった。

 いや、十分だと思い込んでいた。


 だが美容院となると話は別だ。

 おしゃれな空間。分からない専門用語。


 考えただけで胃が少し痛くなる。


 だが、これが安価だ。

 俺が選んだわけじゃない。

 誰かに選ばれた。


 だから、行く。


 更新ボタンを押すと、また新しいレスが増えていた。


 ◇   ◆   ◇


 27:名前:名無しの使い魔

 どうせなら髪色も変えろ

 安価で決めようぜ


 ◇   ◆   ◇


 それを見た瞬間、思わず笑ってしまった。


(これだよ、これ!)


 無責任で、軽くて、完全に他人事。

 でも、だからこそ、俺はこのスレを立てた。


 自分一人だったら、絶対に選ばない。

 いや、選べない。


 だから、髪色を安価に任せる。


 更新。

 更新。

 更新。


 くだらないレスが増えていく。

 関係ない雑談。

 煽りとも取れる一言。


 それでも、不思議と嫌じゃなかった。


 誰かが見ている。誰かが反応している。

 俺の人生を、暇つぶしに眺めている。


 それだけで、今日は少し違う日になっていた。


 そして、決定的なレスが表示される。


 ◇   ◆   ◇


 35:名前:名無しの使い魔

 銀。


 ◇   ◆   ◇


 一瞬、意味が分からなかった。


「おい、ふざけんなよ……」


 思わずスマホに向かって呟く。


(銀髪? アイドルか、コスプレか。三十歳の溶接工だぞ、俺は。他人事だと思って、適当言いやがって)


 苛立ちと、情けなさが、一気に込み上げてくる。


 スマホを投げそうになり、寸前で止める。


(何かを変えるために、始めたんじゃないか。逃げないって、決めたばかりだろ。嫌だから、怖いから、恥ずかしいから。そうやって目の前の選択から逃げ続けた結果が、今の俺じゃないか)


 三十歳。童貞。割引ケーキ。


(ここで逃げたら、また同じだ!)


 俺は検索画面を開く。


【東京都 美容院 評判 男 初心者】


 出てきた候補の中から、少しだけ背伸びをした場所を選ぶ。

 恵比寿。

 自分とは縁がなさそうな街。


 指が震えながら、予約画面を開く。


 明日は、有給だ。仕事が暇だから取っておけと言われた、有給。


 カラー、カットという入力欄に、銀、お任せと打ち込み、確認ボタンを押す。


 予約完了の文字が表示された瞬間、全身から力が抜けた。


(やっちまった)


 でも同時に、胸の奥に、得体の知れない高揚感があった。


 怖い。

 恥ずかしい。

 後悔するかもしれない。


 それでも。それでもだ。


 俺は、逃げなかった。


 画面の向こうで、誰かが笑っているかもしれない。

 面白がっているだけかもしれない。


 それでもいい。


 その瞬間、胸の奥が、少しだけ軽くなった。


 十一月十一日。


 俺の三十歳の誕生日は、こうして、安価と一緒に転がり始め、終わりを迎える。

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