裏切りの代償は「喋る股間」 〜科学と腹話術で浮気彼氏を発狂させて捨てました〜
「ただいまー。あー疲れた、今日も部長の説教が長くてさ」
深夜零時。玄関のドアが開く音と共に、愛斗の軽薄な声が響いた。
彼はネクタイを緩めながら、いつものようにリビングに入ってくる。知らない女の香水の匂いがわずかに漂う。
付き合って三年。
大学時代から愛斗の浮気癖には悩まされてきた。
その度に彼は「かなでが一番だから」「もう二度としない」と、モデル顔負けの甘いルックスで涙ながらに謝罪した。
そんな彼の言葉を信じ、同棲すれば落ち着くはずだという淡い期待を抱いて一ヶ月。
現実は残酷だった。
盗み見た彼のスマートフォン。そこには同棲前から週三ペースで繰り返されている別の女との逢瀬の記録。
そして浮気相手へのメッセージにはこう記されていた。
『今の彼女? ああ、家事ロボット。飯は出てくるし掃除は終わってるし、都合よく動くからマジでウケる。あいつと結婚とかは絶対ありえないわw』
――家事ロボット。
その文字を見た瞬間私の中で何かが音を立てて崩れ、そして冷たく固まった。
泣くのはもうやめた。
私は精密機器メーカー勤務の意地にかけて機材をかき集め、ほとんどの時間をある「装置」の製作と「特訓」に捧げた。
ある装置とは、ターゲットの耳にしか音が届かない超指向性スピーカー。
それを取り付ける位置は決まっている。
私はキッチンから穏やかな、いつも通りの「家事ロボット」の微笑みを浮かべて振り返った。
「おかえりなさい、愛斗。お疲れ様」
今夜この男の人生を、その股間から終わらせてあげる。
「愛斗喉乾いてるでしょ? ビール持ってくるね」
私は努めて明るい声で言い、愛斗をソファの定位置に座らせた。
彼は上機嫌だった。酒の匂いをぷんぷんさせ、頬を少し赤く染めている。
「おー、気が利くね。さすがかなでだわ」
愛斗がだらしなくソファの背もたれに体を預ける。
私は装置の遠隔スイッチを入れた。
小型の超指向性スピーカー。特定の狭い範囲にだけ音を飛ばす音のレーザービーム。
その焦点は今、精密に愛斗のジッパーの少し下――いわゆる股間部分へと固定されている。
ビールをサイドテーブルに置き、私は愛斗の正面に立った。
三年間何度も騙されてきた。その度に、この男の綺麗な顔に惑わされてきた。
でも、もう今日で終わり。
「……愛斗、私に隠してること、ない?」
静かに問いかけると、愛斗はいつもの使い古された「誠実そうな笑み」を浮かべた。
「え、また? ないってば。今日だって本当に仕事の付き合いだよ。俺、かなでのこと信じてるし、かなでも俺のこと信じてよ。ね?」
その甘い声が空気に溶けかけた、その瞬間だった。
『……けっ、白々しい野郎だぜ』
低く、ガラついた、どこかドスの利いた野太い声がリビングに響き渡った。
「…………え?」
愛斗の動きが止まった。
声は間違いなく愛斗の足の間――ズボンの内側あたりから聞こえてきた。
「い、いま……、何……?」
愛斗が青ざめ自分の股間を二度見する。
私は驚いたふりをして、あえて何も聞こえていない体裁で首を傾げた。
「え? 何が? 愛斗、顔色が悪いけど大丈夫?」
「いや、いま……、なんか、おっさんみたいな声が……」
『おいおい、俺の持ち主よぅ。かなでさんが聞いてんだぜ? 正直に言っちまいなよ。さっきまで駅前のホテルで「マイたん」とかいう女とハッスルしてたってよぉ!』
愛斗が「ひっ!」と短い悲鳴を上げてソファから転げ落ちた。
彼の股間はなおも饒舌に語り続ける。
「な、なんだよこれ! 誰だよ! どこに隠れてるんだよ!」
愛斗はソファから転げ落ち、這いずるようにしてリビングの隅へ逃げた。しかし、私が操作する指向性スピーカーの焦点は逃げる彼の股間に吸い付くように追尾する。
『逃げたって無駄だぜ、愛斗。俺はお前の股間に生まれた時からずっと居座ってる「ムスコ」なんだからよぉ!』
「ひっ、ひぃぃ……! 股間が、俺の股間が喋ってる……!?」
愛斗は股間を両手で押さえ、信じられない物を見るような目で自分の下半身を見つめている。私は無表情を保ち、あえて首を傾げてみせた。
「愛斗、さっきからどうしたの? 一人で騒いで。お酒、飲みすぎたんじゃない?」
「かなで、聞こえないのかよ! この、おっさんみたいな声が!」
『かなでさんに聞こえるわけねぇだろ、俺はお前の不誠実さに愛想が尽きたお前の一部なんだからよ!』
私は「特訓」した腹話術のスキルを全開にする。喉を震わせ、スピーカー越しにドスの利いた声を愛斗の股間へ叩き込んだ。
『おい愛斗! 昨日の昼休み給湯室で後輩の女とイチャついてただろ。俺はな、お前の狭いズボンの暗闇の中で、蒸れに蒸れながらお前の不潔な会話を全部聞いてたんだよ! 「かなでは家事ロボットだから楽勝」だぁ? 笑わせんな、恥ずかしくて縮み上がったぜ!』
「な、ななな、何だこれ!? 呪いか!? 妖怪か!?」
愛斗はパニックになりズボンを引きちぎらんばかりに振り回している。その滑稽で情けない姿を私は冷徹に観察し続けた。
『今更かなでさんに隠したって無駄だぜ。お前のカバンの中には浮気相手からもらったネクタイが入っているんだからな! 俺は誠意がなくて平気で嘘をつくヤツが一番嫌いなんだよ! 俺の持ち主としてお前はもう失格だ!』
「やめろ、やめてくれぇ! 黙れよ!」
愛斗はついに自分の股間に向かって拳を振り下ろそうとした。
あまりの恐怖に自分自身を攻撃しようとするほど追い詰められている。
「やめろ、黙れ! 頼むから静かにしてくれ!」
愛斗は狂ったように自分の股間を叩き、クッションで必死に押し潰そうとした。だが私の指先一つで操作される音のレーザーは、逃げ惑う彼の中心部を正確に射抜き続ける。
『無駄だ無駄だ! 叩いたって俺が消えるわけがねぇぞ。お前がスマホの秘密のフォルダに隠している色んな女との破廉恥な写真! 俺はレンズ越しにお前と全部見てきたんだからなぁ!』
「ひっ、あああ……!」
『それから今月だけで五人か? 大したもんだな、この不誠実野郎! お前がかなでさんに「残業だ」ってLINEしてる間、俺はお前のズボンから別の女とこんにちはしてたんだよなぁ! 不潔極まりねぇぜ、お前という男はよぅ!』
愛斗の顔から血の気が完全に失せ、ついにその場に崩れ落ちた。彼はガタガタと震えながら縋るような目で私を見上げ、それから自分の股間に向かって額を床に擦り付けた。
「ごめん、かなで! 嘘だよ、仕事なんて嘘だった! 俺、浮気してた! 頼む、助けてくれ! 俺、呪いにかかったみたいなんだ! 俺のムスコが、俺のムスコが勝手に浮気のことを全部喋ってくるんだよぉ!」
愛斗は涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながら、自分の股間と私に向かって交互に絶叫した。その「自分の股間に向かって必死に許しを乞う」という前代未聞に醜く、そして滑稽な姿。私は冷めた手つきで、あらかじめ固定しておいたスマホの録画ボタンを確認した。画角は完璧だ。
「……愛斗、何を言ってるの? そんなに怯えて。呪いなんてあるわけないじゃない」
「あるんだよ、現に今も喋って……!」
『今更謝ったって、もう遅ぇんだよ!』
私の腹話術が今日一番の低音を響かせる。
『散々かなでさんを家事ロボット扱いしてコケにしておいて、都合が悪くなったら泣きつくのか? 情けねぇ。男の風上にも置けねぇ。俺はお前みたいなクズとは今日限りでおさらばだ! 二度と使い物にならねぇようにしてやるからな!』
「ぎゃあああああああ!」
愛斗は股間を押さえたまま、まるで魂が抜けたように白目を剥いてひっくり返った。
「愛斗、また浮気をしてたなんて……。本当に最低ね」
私が氷のように冷たい声をかけると、愛斗は「違うんだ、呪いが、こいつが勝手に!」と、自分の股間を指差して狂ったように釈明を始めた。
私はあらかじめパッキングしておいたスーツケースを手に取った。大きな荷物は一週間かけて少しずつ運び出しており、これは残っていた最低限の荷物だけだ。
「な、かなで!? どこ行くんだよ、置いてかないでくれ! 怖いんだよ、俺の身体が変なんだ!」
愛斗が這いずるようにして私の足元に縋り付こうとする。
『かなでさんに触んじゃねぇって言ってんだろ! このクズ野郎!』
スピーカーから放たれる腹の底に響くような怒号。
愛斗は「ひぃっ!」と短い悲鳴を上げ、まるで感電したかのように跳ね返って腰を抜かした。
「……愛斗、私、今までは許してきたけど、これ以上浮気を繰り返す人とはもう無理。それに、自分の股間が喋るなんて言うような変質者となんて一秒も一緒にいたくないわ。気持ち悪い」
「ち、違うんだ、かなで! これは……!」
「さよなら。二度と連絡してこないで」
私は一度も振り返らず玄関のドアを開けた。背後からは「行かないでくれ!」「黙れ! 喋るな俺のムスコ!」という愛斗の絶叫と、自らの股間と格闘する虚しい物音が聞こえていたが、それもドアの閉まる音と共に遮断した。
夜風が心地いい。
私はタクシーに乗り込み、事前に契約していた新居へと向かった。
数日後、ネット上の限定公開コミュニティや共通の友人のLINEグループに一本の動画が投稿された。
タイトルは『【閲覧注意】自分の股間に土下座して浮気を謝罪する男』。
そこには半狂乱で自分の下半身に「許してくれ!」「もう浮気しないから!」と泣き叫ぶ愛斗の、あまりにも無様で滑稽な姿が収められていた。
動画は瞬く間に広まり、愛斗は職場でも「股間男」という不名誉な仇名を付けられ居場所を失ったという。
愛斗は今でも街中で低い男の声が聞こえるたびに真っ青になって股間を両手で押さえ、周囲をキョロキョロと見渡す不審な行動を繰り返しているらしい。
彼は一生種明かしをされることはない。
「自分のムスコに裏切られた」という恐怖と共に、二度と女を誘うことのできない惨めな余生を送るのだ。
一方、私は。
引っ越したばかりの真っ新な部屋で、お気に入りのアールグレイを淹れ平和なティータイムを楽しんでいる。
膝の上には新しく購入した腹話術人形。とびきり紳士的な顔立ちをした執事風の男の子だ。
「ねえ、セバスチャン。あんなに必死に自分の股間に縋り付くなんて、滑稽だと思わない?」
『全うな人間なら、まずは自分自身の心に問うべきでしたな。自業自得という言葉さえ彼には勿体ない』
スピーカー越しではない、私自身の喉から発せられた完璧な腹話術の声。
三年間愛斗の身勝手な言い訳に耐え、押し殺してきた私の「声」は、今やこんなにも自由で、こんなにも鋭い武器になった。
「ふふっ。次はどんな面白い『声』を磨こうかしら」
私は優雅にカップを傾け、窓の外に広がる景色を眺める。
どこか遠くの街角で、今も股間を押さえて怯えているであろう男に、心からの蔑みを込めて乾杯を捧げながら。
(完)
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『喋る股間』というパワーワードが書きたくて一気に書き上げました。スカッとしていただけたら幸いです!




