第三十一話 狂気、宥恕に牙す
———場面は月の都
広場まで戻ってきたアシャディは、冷徹に状況を見回していた。
民衆の悲鳴と怒号が響く。逃げようとしても兵士たちに押し込まれ、半ば監禁されている状態の民衆。アシャディはそんな悲劇を見下ろしながら、演台に取りつく。
「皆聞け! ……皇帝が反乱軍の手によって殺害された!」
その声の震え、凶行を反乱軍へ擦り付けるための計算された悲しみ。
兵と民衆の混乱が助長される。栄華を誇った白く美しい都は混沌がひしめく修羅場と化し、優雅な姿は見る影もない。
その様子を見て、アシャディは自身でも感じたことのないほどの愉悦を味わっていた。いつか玉座を手に入れ……いや、そうではなかったのだ。
自身の心を支配し続ける狂乱の獣がこの状況を喜んでいる。王家の破滅、いや、この月の都自体の破滅こそが、もとより自分の望みであったのだ。
その場にはあまりにも不適切な頬の吊り上がりを、なんとか抑える。
「このアシャディ、皇帝の崇高な志を引き継ぎ、輝かしい未来のために戦う! 皆、この怒りを受け取れ!反乱軍を根絶やしにし、正義を執行するのだ!」
その言葉を聞いた民衆、いや、兵も含めそこにいた全員の血の気が引く。亡き皇帝の志、愛の強さ、いや、何かそれとは別物の狂気を感じずにはいられない。
その時、アシャディのもとへ兵が駆け寄ってくる。
「……よろしいですか、アシャディ様」
「何だ貴様。邪魔をしようというのか」
「決してそのような! ファニが……逃亡したと報告が」
「何っ!!」
アシャディのその驚きの言葉は、放送に乗るほどに大きく発せられた。また何事かが起ったのかと、兵と民衆がともに、不安そうに見つめている。
「なぜすぐに知らせなかった!!!」
「お姿を見失ってしまい……申し訳ありません!」
「……ディランめ! もはや生死は問わぬ! ファニをここへ連れてこい!」
「ア、アシャディ様、声をおさげください」
「いえ、丁度良い……」
アシャディは演台へ向き直った。
「兵よ!民よ! あのけがらわしい王家の娘を見つけ次第、こちらへ連れてきなさい! もし奴らに与する者、見過ごす者があれば、共に首を並べるものと心得よ!」
傍らには慌ててアシャディを落ち着けようとする側近の姿があったが、もはや、アシャディを諫められる者などいない。
———突然、中央広場の映像装置が起動する。
「なんだ、あれ?」
「ん、あれは、アシャディ様じゃないか?」
民衆や兵から声が上がる。
そこには、美しい移民の青年たちを侍らすアシャディの姿。
アシャディの顔が青ざめる。
◇ ◇ ◇
ファニと田人は、王家の谷に到達しようとしていた。
「あそこです」
ファニが指差す先には荒漠とした丘陵地帯が広がっており、その丘陵に挟まれた谷の一部が基壇のように造形されている。ツクヨミが降り立つと砂ぼこりが舞い上がり、大きな円を為した。
田人はファニの手を取り、体を支え機体から降ろす。
「ありがとう……少し、歩けそうです」
ファニの足取りはまだ不安定だったが、その表情はどこか満足げであった。基壇の中心部に歩み寄り、跪く。床に積もった土を左右に払いのけると、起動装置のようなものが現れた。
「これですね……」
ファニが装置を起動すると基壇全体が揺れ始める。周辺の地面が土埃を上げながらせり上がり、演台のような構造物を形作る。
田人が息を呑む。
「これが……星間放送設備」
ファニが演台の中央に立つと、彼女の周囲の空間がかすかに光り始めた。
「王家の谷は王家代々の陵墓……ここは、かつて初代の王がここで建国を宣言し、宇宙の諸文明に向けて月の都の誕生を告げた地なのです」
田人は演台に立つファニの背中を見つめていた……
これだけ痛々しい姿をしていながら、その背中は、あの夜、月を見て嘆いていたかぐや姫の背中より、何倍にも大きく見えた。これが彼女の本来の姿。
わかっていたことではあった……最初から、身分が違うことなどは、身にしみてわかっていた。しかし、このように目の当たりにするとその存在があまりにも遠く、大きく感じられた。
機器が唸る。演台を取り囲むように、周辺の床面から柱が突き出てくる。
「これで皆に……」
そう呟くファニ。
田人はその肩越し、まだ遠方の空に追っ手の航空隊と思われる機影を視認した。
「……王女様、我は偵察に行ってきます」
ファニは田人に申し訳なさそうな表情を向け、小さくうなずく。
「あの……気を付けてくださいね」
「王女様も。では」
田人はすぐさまツクヨミに乗り込み、再び飛び立つ———
ツクヨミには、攻撃の手段など積まれていない。月の結界を超える、それがツクヨミに課せられた最重要機構であり、武器など積めば、結界で自爆することとなる。
とはいえツクヨミの機動力があれば、月の都の航空機を凌駕するほどの速さが出せる。この強みを生かせば、攪乱や陽動はできる——
◇ ◇ ◇
さて、中央広場では、数々の悪事を暴かれたアシャディが声を荒げている。
映像には横領の数々の証拠、そして、有史以来、月の都の最大の悲劇と言われている前王、その王妃、前将軍の爆殺事件の真相――当時移民の犯行とされていたこの事件が、実はアシャディが主犯となって行われたという、王族暗殺計画の証拠が映し出されていた。
……これまで月で発生していたすべての違和感への、明確な答え。それは民衆の王家への不信を拭い去るだけでなく、そのかつての絆を再び暖かく照らすものとなっていた。
「誰か!誰かいないか!この映像を消せ!作り物だ!」
映像を見て、絶叫するアシャディ。
———その時、映像が再び切り替わった。そこに、演台に立つ一人の女性の影が映る。無造作に切られた髪、痛めつけられやつれた頬、しかしその瞳に宿る揺るぎない意志の光。民衆がそれがファニであると気づくまでに、さほど時間はかからなかった。
「王女だ!」
「ファニ様だ! 逃げ延びたんだ!」
「な、何というお姿……」
民衆が驚きの声を上げている。
「おい消せ!なんだこの映像は!消せ!」
アシャディの声は、もはや周囲の者にしか届いていない。
この映像設備だけではない。放送、映像、通信……すべての設備がこの、王家の谷の装置「星間放送設備」によって、強制的に接続が切り替えられていた。
これまで鳴り響いていた警報まで停止する。まるでファニの言葉に、耳を傾けるかのように――
――――――――――――――――――――――――――――
「……愛する民よ」
ファニの声が、静かに響く。
民衆と兵が息を呑む。アシャディの狂乱とは対照的な、落ち着いた声。
「私はファニ・チャース・トア。王女として、皆さんに伝えたいことがあります……
王宮を追われてからこの時まで……どれほどあなたたちを想っていたか……言葉では表せません。
今行われている帝国軍の振る舞いや他文明への侵略を、とても悲しく思っています。
そして兵たちよ、あなたたちも私の愛する民です。
不本意にも、力に従わざるを得ず、武器を取り、故郷を離れ、家族と別れ、どれほど辛い思いをしていることでしょう
もう十分です。もう帰りましょう。愛する人のもとへ」
「殺せ!」
中央広場の民衆は、演説を妨害しようと叫びをあげるアシャディを唖然と見つめていた。先ほどまで「皇帝の死を悼む悲しい皇妃」を演じていた女性が、取り繕いもなく狂気を露わにしている。その無惨な存在は、月の民の品位を貶める粗悪な陰刻のようであった。
ファニの言葉は続く……
「長い歴史の中で培われた知恵、互いを思いやる心、そして何より、愛し合う力。
これこそが私たちの誇りです。これこそが私たちの宝です。
もう十分です。もう帰りましょう。愛する人たちのもとへ。
私たちには、争う理由などありません……
そう……この……月は——とても美しかった。
この月を見上げては……その美しさに心が震え、勇気をもらいました……」
ファニの頭の中に、地上での記憶が蘇ってきた。
(この記憶……そうだった! 自分はあの星に送られ、そこからこの月を見上げていた。)
地球で出会った人々。思い出が急激に巡る。思い出の数々、笑顔。
(「希望を捨てたのですか……!」 そう、あの青年は……田人っ!)
記憶が押し寄せる!
「そう、最後まで……希望を捨ててはなりません!!!」
その瞬間、ファニの目に、涙があふれる。
(あなたは、くじけそうな私を奮い立たせてくれた……そして、今も、こうして私を助けに……)
――――――――――――――――――――――――――――
田人はこの時、ファニの言葉を機内で聞いていた。あまりに崇高な民への愛を表すファニ。
そのような大いなる存在の愛に対し身勝手な嫉妬を抱く自分が、やたらと矮小な存在に感じられてしまっていた……当然、彼女が自分のことを思い出したことも知らずに……
――その時、親衛隊の飛行隊が、王家の谷に向けて爆撃弾を放った。
田人の陽動をすり抜け、ファニの姿を目視した一機の航空機。王家の愛を思い知り、謀叛に加担してしまった自分の未来に絶望した、アシャディに全てを狂わされた者の、錯乱の一矢。
演台にいたファニがその存在に気付く。が、逃げる間など、あるはずもなかった……
——爆撃弾は煙を噴き出しながら、王家の谷に向け一直線に加速していく。
着弾するか否かの刹那、白き影が割り込んだ。
閃光がほとばしり、爆音が鳴り響く。
激しい風圧に、ファニの体が綿毛のごとく吹き飛ばされる。ファニの盾となった白き影は、爆発の衝撃を受けその体を地面に擦り付け大きな音を立てながら、一直線に谷の岩壁へ吸い込まれていった。
鈍い激突音が谷間に響き渡る。
大地を揺らす振動、舞い上がる砂塵と激突音の残響。その様子は中央広場にも映し出されていた。ある者は叫び声をあげ、ある者は耳をふさぎ、ある者は目を覆う。
アシャディは絶叫のまま白目をむくと、とうとう気を失い倒れこんだ。
———爆煙が段々と薄れていく。
激痛に意識を取り戻すファニ。衰弱した体、さらに今の衝撃による打撲で、体が支えられず、もはや立ち上がることができない。
それでも、必死に這い寄る。
ファニの頭の中に、田人とのこれまでの想い出が駆け巡る。
目がかすむ。
涙がにじむ。
体中に痛みが走る。
力が抜ける。
目線の先には、谷間に突き刺さり、煙を上げる白き影、そう、ツクヨミがあった。
「いやっ……いやああああっ……!」
その悲痛な叫びを打ち消すように、谷間へ帝国軍の空挺が着陸してくる。親衛隊が次々と降りたち、隊列をなすと、一気に基壇を駆け上がり、乗り上がってきた。
「どうなった……?」
「わからない……探せ!」
あたりを見回す兵士達。飛び散ったミサイル弾の残骸。演台やその周囲には人影が見当たらない。航空隊からは、爆撃弾が演台へ直撃したように見えていた。
「あっ!あそこ!……生きている……?」
親衛隊が、土にまみれ這いずっているファニを発見する。
「よし、捕らえろ!殺すなよ!」
その言葉を合図に、何十人もの親衛隊がファニへ駆け寄っていった。
帝国がどのような状態になろうと、この王女され捕えられれば、幾分か有利な交渉が出来るはず……彼らがファニを捕らえようとする動機はもはや、帝国への忠誠心などではない。自分たちの生存を賭けているのだ。
ツクヨミに向け必死に這いずるファニを、親衛隊が取り囲んだ————
後書き
次回をお楽しみに。
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