pink
ピンクは人気者だった。彼女の母はマゼンタで父親は白だった。母は美しく、ピンクは母似と言われていた。父は世にも珍しい白、白というのは何万人に一人しか出生しないので、大層貴重がられた。俺は若い頃も今でもそれはもう引っ張りだこでね、とは、本人の談。マゼンタに耳を引っ張られながら。
そんな父が原色である母と結婚するのは、収まりのよいことであり、周囲はこれを祝福した。マゼンタと白。ここから生まれたピンクはサラブレッドであり、優等生であり、それはそれは美しい娘に育っていた。彼女のもとにはみんなが集まる。彼女にはいかな老若男女も釘付けにならざるを得ない。彼女はまた心優しく、誰しもに平等に愛を注いでいた。彼女の笑顔は周囲を幸せにした。
ピンクと釣り合う男がいるものか。この子を幸せにできるやつはどこにいるのだろう。父、白の頭を悩ませる課題だ。娘は少し夢見がちなところもあったので、慎重に見定めてやらねばと思っていた。
ある日、ピンクはオレンジを連れてきた。とてもチャラチャラした男であった。陽気で人懐こいのはいいが、礼儀がなっとらん。白は腕を組み、首を横に振るとオレンジを追い返した。その晩、ピンクは泣いたが、どうしようもないことであり、また父が私を思ってのことなのだと納得して静かに寝入った。それ以上、何も考えないように。
意気消沈するピンクを周囲は慰めたが、彼女自身の心が癒えるのには時間がかかるかと思われた。白はピンクに見合う男を早く探してやらねば、と思った。
街の中でピンクが出会った男は茶色だった。彼はオレンジとよく似ていたので、ピンクはすぐにでも心惹かれた。茶色はキザなところもあったが、いつでも優しくピンクの肩を撫でてくれた。ピンクはこの人なら大丈夫だろう、と安心しきって、彼女はときに尽くしたがりだったから、彼の言うことをよく聞いた。茶色がピンクに無理を強いることもまた、なかったのである。
その日、ピンクは茶色の命令で、後ろ手に手枷をつけられていた。ピンクは内心ドキドキしながら、目隠しも着けてもらった。しばらくしても何もされないのを感じ、はて、どこかへ行ってしまったのか。茶色は私をわざとこんなふうにしているのか、と、首をかしげた。
足音が聞こえた。茶色が帰ってきた。しかし、妙なことに、足音が一つ分ではないような気がする。目隠しを外された。
ピンクは叫んだが、その口もすぐに塞がれると、身体の中に茶色、緑、青、黄色、紫、水色、臙脂色、薄橙……いくつもの色を注ぎ込まれた。
ピンクが発見されたとき茶色は失踪していて、他の色たちも、ピンクが何も答えられない状態になってしまったので、とうとう見つからず終いだった。白は嘆き、マゼンタは失望した。ピンクを愛していた周囲の人々はひどく落ち込み、ピンクを哀れみ、慰め、軽蔑した。
少女を深いショックに陥れたのはそれだけではなかった。部屋にうずくまる彼女にやがて吐き気と腹痛が訪れた。彼女は一人、この事実を隠すべく、静かに街を去った。白とマゼンタはこの頃、娘を疎ましく思っていたので、彼らが部屋のドアを開けるのはだいぶ先の話である。
誰もいない樹海をピンクは彷徨った。ピンクの腹はいよいよ膨れ上がっていた。彼女は横たわると、最期の力で排出した。
さて、彼女の中から産声を上げたその嬰児は、何色だったのだろう? 真相が暴かれる前にも、嬰児は野犬に食われていた。
restaurant
レストランの前には人がたくさん並んでいた。私は整理券を取った。一万組待ちだった。この時間、この時代、まだ少ないほうだろう。
店の外で待つ。外はすこぶる寒く、私は大した防寒着を持ってきていないことを後悔した。
レストランの窓に待機者が張り付いている。「早く、早く入れてくれ」先ほどからうるさくてかなわない。彼は何分待っているのだろう。何時間、あるいは何年か。
私はポケットに手を突っ込むと、向かい壁の手すりにもたれた。窓からうかがえる店内は席が幾分か空いているようにも見える。一割ほどは空席なのではないか。店員も忙しいのだろう、ドアが開いて「二八七一番の四名様いらっしゃいますか」としきりに呼んでいる。来ない客は来ないのだ。これほど並んでいるのだし、早めに回してしまったほうがいい。
二人親子がやってきた。「すみません、娘がもう限界なんです。入れてやってください」父親らしき人物が言う。店員は「申し訳ございません、順番ですので」「そこをなんとか、娘だけでも店内に」「大変申し訳ございません」丁重に頭を下げていた。父親の背負う子どもは頬も痩せこけて、見るからに死んでしまいそうである。仕方がない。そういうこともあろう。
「二八九九番の一名様、いらっしゃいますでしょうか」「はい、ここに」一人の青年が名乗り出た。青年は整理券を提示する。「お待たせしました、どうぞこちらへ」店員が案内した。青年はニタリと笑って店に入った。店の前の大勢の待機者は、指をくわえてその入店者を見ていた。
次の番号が呼ばれる。しばらく経って、また次の番号が。「あれ、俺二八九九番なんだけど、呼ばれてない?」息を切らした男が店のドアを開けると、店員に訊いた。「二八九九番様はすでにご案内済みです」「えっ、おかしいな、俺が二八九九番なんだけど」「ご案内済みです」男と店員はやり取りを交わした。男の声が段々大きくなってくる。
「俺が二八九九番だぞ!」「はい、ご案内済みです」埒が明かない。とうとう男は店を追い出された。男は「クソ! ざけんな!」と叫びながら新しい整理券をもぎった。最初から並び直すのだろう。それ以外にはないのだ。
ドアから食べ終えた客が出てくる。「美味しかったねえ」腹をさすりながら満足げに跳ねる二人の子ども。家族連れだ。兄弟らしき二人のうち、一人の腰のポシェットにヘルプマークが付いている。兄弟は二人とも母親の足元にまとわりつき、その後ろから父親が歩いてきた。父親は子どもたちのために店のドアを開け放し、子どもと妻が出た後にそっと閉めていた。
店内はテーブル席に一人の女性がイヤホンを付けてコーヒー一杯をちびちびと飲んでいれば、席にパソコンを拡げている人もいた。中年女性三人組は先ほどから角の席で何も頼まずに喋っている。店の外の待機者らは大概が携帯をいじっているが、中には窓を引っ搔き過ぎて爪が剥がれている者もいた。横になって動かない者もいれば、頭を掻きむしり、独り言を呟き続ける者もいる。ときおり発狂する者も。
「六二六四番のお客様」店員は呼ぶ。待機者が一人、二人と入店していく。店から満足した客が出てくる。彼らはやがて帰途につく。
私は立ちっぱなしの膝が痛くなってきた。腹も減ってきて気が狂いそうだったが、店のドアから出てくる満足げな客の顔を見ると、やはり気を引き締めて、自分の番号が呼ばれるのをひたすらに待つのだった。
「八〇〇二番のお客様」まだ呼ばれない。「九二八七番のお客様」まだ呼ばれない。「一一二二三番のお客様」まだだ。「一一四九二番のお客様」「一一七〇三番のお客様」まだ。「一一九〇八番のお客様」「一一九九六番のお客様」「一二四二七番のお客様」「一二七二五番のお客様」「一二八六一番のお客様」……。
「一三〇〇七番のお客様」──呼ばれた。呼ばれた! 私は急ぎ足でドアに向かった。店員に番号札を見せ、案内される。私はようやく席に着いた。腰を深く落ち着けると、木の椅子の布の座面に沈み込むような感触だった。
水を持ってくる。メニューを眺める。窓の外に待機者が連なっている。私は、じっくりと、メニューを眺める。
bottle
カナコは友達がいなかった。いじめられているわけではない。彼女の友達の少なさは彼女自身のコミュニケーションスキルにおける課題であり、それに対して誰かを責める資格も権利もないし、悔やむ道理もないのだった。
が、中学生女子というのは、最も孤独を嫌う人種であるから、彼女もまた日々仲間のいないつらさに苛まれていたのである。
ある暑い夏の日、彼女は夢を見た。夢の中には悪魔がいた。「友達が欲しいか?」悪魔は言った。
「是非とも」カナコは答えた。悪魔は頷くと「よろしい、このボトルを満杯にしなさい」「これは?」「友達ボトル」ウォーターサーバーの脳みそのようなそれを提示してきた。
「これを満杯にしたとき、友達を得られる」
「どうやったら満杯にできるの?」
「痛みだ。痛みを溜めていくのだ」
目が覚めたカナコの枕元にボトルが置いてあった。
カナコが忘れ物をして先生に怒られたり、授業で当てられて答えられず恥をかいたりすると、ボトルの中に黒い液体が溜まっていった。が、微々たるものである。これでは何十年もかかってしまうかわからない、カナコはもどかしく爪を噛んだ。席替えがあって、このイベントは彼女を沈鬱にさせた。なぜならば、かろうじて築き上げてきた班員との関係性がすべてパーになるからである。彼女は教室ではハブられるともつかない微妙な立ち位置で、クラスメイトは彼女にしばしば笑顔を向ける。けれど、やんわりとした距離があった。親友と呼べる者はおよそいないし、体育の時間などで二人組を作ろうものなら必ず最後まで余る。ときには構築済みの二人の間に入らせてもらい、三人組の一員となるのだった。そのたびにカナコには水を差すようで申し訳ない気持ちと、逆上にも似た腹立たしさ、悔しさが襲うのだった。
そういった日々の細々は、しかし申し訳程度の液体にしかならなかった。ボトルはいつまで経っても満ちる気配がない。自らが痛みに、もはや慣れてしまっているのだと気づいた頃には、一学期も終わりかけていた。カナコは疎外にも、自己生産の卑下にも親しみを持っていた。
ボトルが埋まらない。友達ができない。いよいよカナコは焦り出した。一学期が終わり夏休みに突入すると、彼女は一つの策を思いつく。そうだ、痛みがないのならば、作り出せばいい。
これが功を奏して、ボトルには液体がみるみる溜まっていった。カナコが何をしたかというと、なんてことはない。液体は彼女の腕から流れる赤黒いものだったのだ。ちょうど、あくどい酪農家が牛乳に水を足すのと同じように。ボトルが満ちていったのは、事実である。
少し失敗だったと思ったのは、夏であったことだ。夏休み明け、二学期。少女は半袖の左腕をひっそりと覆いながら登校した。しかし、誰にも何も言われなかった。これが現実だった。
先生もクラスメイトも、彼女が腕へ赤い線を増やしていったことに、まるで気づかないみたいに何も言わなかったし、何も指摘しなかった。カナコにとってこれほど都合のよかったことはない。安心して、思いっきりボトルを溜めることができる。ボトルの空白は、残すところ一割前後かと思われた。
転校生がやってきたのは、九月も半ばの、言ってしまえば中途半端な時期だった。家庭の事情とやらで教室に自己紹介を撒いたリエは和歌山だか三重だか、その辺りから来たらしい。明るい彼女のパーソナリティはクラスにすぐにでも順応した。女子中学生というのは、ときとして目新しいものを好むので、転校生と聞くだけでも心がフレッシュになるのである。新発売のチョコレートとか、韓国アイドルの新曲のようにその転校生を持て囃した。リエのほうもまた、チョコにも韓国アイドルにも人並みに精通していたので、やはりクラスの一員となるのに何の過不足もなかったのであった。
カナコは掃除の時間でリエと一緒になった。ごみ箱は燃えるごみ、燃えないごみ、紙ごみとあったので、カナコが小さいの二つ、リエが大きいの一つを持って外のごみ捨て場に来ていた。
「前々から思ってたんだけどさー」リエが脈絡もなく口を開く。「その腕ってなんか怪我してんの?」カナコの左腕を指した。カナコは一瞬ドキッとした後、
「猫に引っ搔かれたんだよ」
「うそ、猫飼ってんの? やばっ。可愛いー」
「……えっと」
カナコは嘘をつくのが下手だった。彼女の内心はすぐに音を上げて真実を口走った。
「ボトル?」
「そう。ボトルを満杯にすると友達ができるの。もうそろそろで満杯になるんです」
「なにそれ、チョーウケる」
カナコはムッとした。何がウケるのか。何がそんなに面白いのだろうか。すると、ごみ箱を地面に置いたリエが笑った。
「自分自身傷つけるやつに、友達なんかできるわけないじゃん」




