9.ボスとの遭遇
よろしくお願いします!
森の奥は、日差しも届かず、木々のざわめきが妙に静かに感じられた。
「……ここ、だと思う」
リーナが木の根元にしゃがみ込み、倒木の裏に点々と残る爪痕と足跡を見つめる。その目は真剣だった。斥候訓練の成果が、確かに生きている。
「巣か……?」
カイルが辺りに目を配る。
風に乗って、微かに鼻をつく獣臭が漂ってきた。腐肉のような、それでいて焦げたような、異様な臭い。
「この先、何かいるわ。ゴブリンだけじゃない、たぶん……」
ヒューリの声が沈む。
魔力に敏感な彼女は、何かの“気配”を感じ取っていた。
三人は慎重に進んだ。
リーナが先導し、カイルが中央で警戒し、ヒューリが後方から魔法の準備を整える。苔むした岩を越え、曲がりくねった木の根の隙間を縫うように歩き、そして彼らはそれを見た。
――それは、小さな“開けた場所”だった。
木々に囲まれた自然の広場。その中央には、粗末な材木と獣骨で作られた拙い祭壇のようなものがあり、その周囲には焚き火の跡や、食い散らかされた獲物の残骸が散乱していた。
「間違いない……巣だ」
カイルの声が低くなる。そのときだった。
「ッ!? 伏せて!」
リーナが鋭く叫んだ。
直後、彼女の背後――ちょうどヒューリの足元が、バキン、と音を立てて沈んだ。
「きゃっ!」
罠だった。地面に隠された簡易の落とし穴に、ヒューリが足を取られかける。
咄嗟にカイルが彼女を抱き寄せ、穴から引き戻したが、それと同時に――
森が、動いた。
「ギギィィィィ!!」
木陰から現れたのは、ゴブリン数体。が、それだけではなかった。
祭壇の奥から、ひときわ大きな影が現れる。
全身に汚れた皮をまとい、鋭い歯を剥き出しにしたその巨体。
「ボスゴブリン……!」
カイルが構え直し、槍の柄をぎゅっと握る。リーナも短剣を抜き、緊張で喉が鳴った。
「ヒューリ、援護を頼む」
「わ、わかった……!」
ボスの目が、獲物を射貫くように三人を捉えていた。そして、森の中で咆哮が響く。
――戦いが、始まった。
ボスの咆哮と共に、左右の茂みからゴブリンたちが飛び出した。三体、いや四体――どれもナイフや棍棒を握り、殺気を滲ませている。
「リーナ、左を任せる! ヒューリは右の牽制を頼む!」
カイルの号令が響く。即座に動いたリーナが、左から迫るゴブリンへと跳びかかった。
「――はっ!」
低く身を沈め、短剣を横一閃。刃がゴブリンの膝裏を裂き、叫び声と共に一体を戦線から脱落させる。
「《迸る炎》!」
ヒューリの呪文が完成し、小瓶から弾ける火花が右側のゴブリンたちの目前で炸裂する。まぶしさと熱気に目を眩ませた敵は、ひるんだ隙にカイルの槍が一閃し、喉元を突いた。
「っ、速い……!」
だが、その背後。ボスが動いた。
獣じみた咆哮と共に、大人の背丈を優に超える巨体が、全力で突進してくる。腕には、金属のような刃が埋め込まれた棍棒。もしあれを受けたら、盾も骨も砕かれる。
「来るぞ……!」
カイルは後ろへ飛び退きつつ槍を構えたが、ボスの突進は止まらない。地面を抉り、木の幹をへし折りながら突っ込んでくる。
「こいつ、力が段違いだ……!」
槍を突き出すも、ボスは腕でそれを受け止め、振り払うようにカイルを吹き飛ばした。
「カイルっ!」
「大丈夫、まだやれる……!」
カイルはすぐに立ち上がったが、口元から血が流れていた。リーナがすぐにカバーに入り、ボスの背後へと回り込む。
(隙を……どこかに隙を……)
その目は冷静だった。斥候としての訓練が、無意識のうちに身体を動かしている。
「ヒューリ、援護魔法を!」
「いま……やるっ!」
ヒューリが取り出したのは、魔法強化の小瓶。
リーナの足元に投げると、淡い光が彼女を包み、身体能力が一時的に高められる。
「いける……!」
リーナはその力を借りて、一気にボスの背後へ跳びかかる。短剣を逆手に構え、肩口へと渾身の一撃を――
ガキン!
「っ……!」
弾かれた。ボスの肩は硬い皮膚と骨で覆われており、刃は通らないようだ。
「グオォォォ!!」
怒りにまかせて振るわれた棍棒が、リーナの目前を掠める。寸前で身を翻し回避したが、地面に転がった勢いで、腰の短剣が転がった。
「っリーナ!」
カイルが間に入る。その槍が、ボスの腕を突く。だが、浅い。ボスの皮膚は、普通のゴブリンとは比べものにならない硬さだった。
「弱点が……!どこだ……!」
ヒューリも応援しようと呪文を構えるが、詠唱中にゴブリンの残党が迫ってくる。
「……はっ!」
ヒューリは即興で小瓶を投げ、爆裂煙を発生させた。白煙が視界を覆い、敵を一瞬ひるませる。
リーナは煙の中、短剣を拾いながら、ある一点を見た。
――ボスの腹。その下腹部、傷跡のようにわずかに凹んだ箇所。
(あそこなら……!)
リーナは、煙の中から走り出す。ボスの横腹へ、低く潜り込むように飛び込み、そして――
「――お願い…!」
叫ぶように、短剣を突き刺した。
ズガン。
硬い皮膚を突き破り、短剣がボスの腹に深く食い込む。
「ギ、ギギィィィィィィ――!」
ボスが悲鳴を上げる。暴れる腕がリーナを吹き飛ばした。転がった彼女の手には、折れた短剣の柄だけが残されていた。
「……やった、の……?」
そして、その巨体は、地響きを立てて崩れ落ちた。
辺りは静寂に包まれていた。
木々のざわめきも、遠くの鳥のさえずりも、まるでボスの絶命とともに息を潜めたかのようだった。
「リーナ……!」
駆け寄ったカイルが、地面に倒れ込んだリーナの肩を抱き起こす。
「……カイル……」
リーナの瞳が、彼の姿を捉える。安心したように小さく息を吐き、彼女は手の中に握った“柄だけの短剣”を見つめた。
「ごめん……壊れちゃった……」
その声は、どこか寂しげだった。しかしカイルは、首を横に振る。
「リーナ。あの一撃がなければ、俺たち全員やられてた。お前が決めたんだ」
「……うん……」
ゆっくりと、リーナが頷いた。
「それに――よくやった、リーナ」
その一言に、彼女は涙をこぼすでもなく、ただ静かに微笑んだ。
やがてヒューリも近づいてきて、しゃがみこみながら小さく言った。
「本当に……無事でよかった。リーナも、カイルも」
その目にも安堵の色が宿っていた。三人はしばし、森の静けさの中で身を寄せるようにして座り込んでいた。
◇◇◇
小一時間後、周囲の安全を確保した彼らは、ゴブリンたちの死体を確認し、証拠として耳と装備品を回収した。
「これで……任務完了、だね」
ヒューリが呟いたその声に、リーナも小さく「うん」と頷く。
「それにしても……リーナ、あの最後の突きはすごかったよ。普通なら怖気づくところなのに」
「怖くなかった、わけじゃないの……でも、あのままだったら……誰かがやられてた」
言葉の端々に、彼女の中の“冒険者としての覚悟”がにじんでいた。
「それに……」
リーナは、折れた短剣の柄を両手で包むように持ち上げた。
「この剣が、守ってくれたんだと思う」
短剣はもう刃が半分以上折れ、戦闘には使えない。だがその役目を果たし、持ち主を生かした。
「帰ったら……鍛冶師さんのところに行って、新しいのを作ってもらう」
そう言った彼女の顔には、もう迷いはなかった。
ありがとうございました!