6.訓練という名の戦場
よろしくお願いします!
朝霧がまだ街路を包んでいた。
リオストの街が本格的に目覚める少し前、ギルドの裏手にある広場には、すでに幾人かの冒険者の姿があった。
リーナもその一人だった。
木剣を片手に、簡素な布の訓練着に身を包んだ彼女は、緊張と期待を胸に、広場の中央に立っていた。
――今日から、訓練が始まる。
ギルドで受けられる初級冒険者向けの訓練プログラム。その中でも、三人一組で実践形式の模擬任務をこなすという形式は、新人たちの間で「洗礼」とも呼ばれていた。
「……なんであたし、こんなに緊張してるんだろ」
小さく呟いた声に、朝の冷たい風がそっと応えた。
そこに、カイルの声が響いた。
「おーい、リーナ! こっちだこっち!」
快活な槍使いの少年が、笑顔で手を振っている。
短い赤髪が跳ねて、朝から調子がいいことが伺える。
隣には、相変わらず落ち着いた表情の青いおさげの魔法使い――いや、ヒューリが静かに佇んでいた。
「おはよう、二人とも」
「おっ、元気そうだな! 今日からチーム訓練だってのに、顔がこわばってるぞ?」
「うるさい」と返しかけて、リーナは少し口を噤んだ。……本当は、不安があった。
誰かと行動を共にする。それは、家族を喪ってから避けていた「つながり」だったから。
訓練の始まりを告げる鐘が鳴った。
ギルドの訓練官が数人、広場の前方に並び、新人たちへと声をかけた。
「お前ら! 本日から三日間、基礎訓練を行う。三人一組の班で模擬任務をこなし、最終日には成果を報告してもらう」
説明は簡潔だったが、その声には実戦経験者ならではの重みがあった。
「第八班、カイル、ヒューリ、リーナ」
名前を呼ばれ、三人は互いに目を見合わせ、軽く頷いた。
こうして、三人の訓練が始まった――
◇◇◇
三人での訓練初日。
与えられた任務は、模擬的な「遭難者の捜索と救出」だった。
広場の裏手に広がる小さな森――訓練区域とされているそこに、ギルドの訓練官が“遭難者役”として潜んでいる。三人は地図と指示を手に、協力してそれを探し出さなければならない。
「森って言っても、見た感じそんなに広くないしな。サクッと見つけて、早く休憩したいところだな~」
カイルが軽口を叩くが、ヒューリはすでに地図を見ながら思案していた。
「でも簡単にはいかない。これ、地形が不自然……たぶん、見落としやすい谷がある」
リーナはふたりのやり取りを聞きながら、ふと足元の痕跡に目を留めた。
――土が、わずかに沈んでる。
しゃがみこんで触れてみると、草の上にうっすらと足跡が残っていた。重い荷を引きずったような跡。それは地図上には記されていない小道へと続いている。
「……こっちかも」
「えっ?」
リーナが指差した先に、カイルとヒューリも視線を向けた。
「足跡があるの。たぶん、訓練官の人が通った……」
そう口にした瞬間、遠い記憶が蘇った。
◆◆◆
『足元を見ろ、リーナ。葉の上に露が残っているなら、ここは今朝、人が通っていない。逆に踏み荒らされた草は、時間の経過で戻る。だが――』
『戻らない草もある。そういうのを探せ、でしょ?』
祖父と森を歩いた、あの夏の日。狩猟に必要な技術として、彼は斥候の基礎を教えてくれた。言葉少なだった祖父は、獣の気配を読む力を育てるよう、繰り返し根気強く教えてくれた。
◆◆◆
(まさか、こんなところで役に立つなんて)
内心、驚きつつも、リーナはその記憶を頼りに痕跡を追っていった。
やがて、急斜面の陰にある小さな洞へと辿り着く。その中に――
「いた!」
ヒューリの声と共に、洞から訓練官が姿を現した。
「お見事。誰かが痕跡を見抜いたな?」
リーナが一歩前に出ると、訓練官の男は目を細めて彼女を見つめた。
「お前……斥候向きだな。視線と足の運び方が、それだ。誰かに習ったか?」
「……祖父に。昔、森で」
「なるほどな。斥候は、ただ隠れて敵を探すだけの役じゃない。味方に“安全な道”を示す、縁の下の要だ。そういう力は、戦場じゃ何より大事になる」
その言葉に、リーナは胸の奥で何かが静かに動くのを感じた。
(わたし……斥候、向いてるのかな)
訓練は順調に進み、その日最後の評価で、三人の班は訓練官から高い評価を受けた。
「明日からは少し内容が厳しくなるぞ。楽しみにしてろ」
そう言い残して、訓練官たちは去っていった。
広場に残った三人。カイルがぽん、とリーナの肩を叩いた。
「リーナ、あんなの見つけるとかマジですごいじゃん。何者だよ」
「……ちょっと、森には慣れてるだけ」
リーナは照れたように答えるが、その顔はどこか誇らしげだった。
ヒューリも静かに言葉を添えた。
「リーナ、あなた……観察力がある。斥候向きよ。ちゃんと活かせば、あたしたちの動きがもっと正確になる」
少しずつ、認められていく感覚。それはリーナにとって、久しく味わったことのない温かい気持ちだった。
(ここでもっと、強くなれるかもしれない)
そう思いながら、リーナは沈む夕陽を見上げた。
◇◇◇
訓練が続く日々のなかで、三人の連携も徐々に形を成していった。
カイルは槍を振るい、前衛として敵を引きつける。ヒューリは冷静に魔法で援護を重ね、リーナは斥候として地形を読み、敵の奇襲や罠を事前に察知する役を担った。
「こっちに足跡が集中してる。たぶん、敵の待ち伏せがある」
そうリーナが言えば、ヒューリが魔法で地形を炙り、カイルが先手を取って進む。
三人の動きは、まるで長く共に戦ってきた仲間のようだった。
「このチーム、けっこう良い線いってるんじゃない?」
カイルの言葉に、ヒューリも「悪くないわね」と頷いた。
リーナは、その二人のやり取りを見ていて――ふと、自分の中に生まれている変化に気づいた。
(この人たちといるの、嫌じゃない)
家族を喪い、村を焼かれてからというもの、誰かと一緒にいるのが怖かった。大切に思えば思うほど、また失うのが怖くなる。
でも。
(この人たちは、違う)
リーナはまだその感情に名前をつけられなかったけれど、ほんの少し、心が軽くなった気がした。
訓練期間の最終日。ギルドから与えられた最後の課題は、実戦さながらの模擬戦闘だった。
訓練官が指揮するベテラン冒険者チームと、訓練を終えた若手チームがぶつかり合う。
「相手は経験豊富な連中だ。油断すれば一発でやられるぞ」
ギルドの訓練官はそう告げて、模擬戦の合図を送った。
リーナたちは、地形を活かした陽動と側面攻撃で挑んだ。
リーナは木陰から動かず、敵の動きを読みながら仲間に合図を送る。カイルは正面から挑発し、ヒューリはリーナの指示に従って魔法で狙撃する。
作戦は、驚くほど綺麗に決まった。
「まさか……あの三人にここまでやられるとはな!」
訓練官が苦笑交じりに言い、最後には満面の笑みを浮かべてこう言った。
「よし、認定だ。お前たちは、立派なチームだ。これからは実戦に出られるよう推薦しておく」
その言葉に、リーナの胸が熱くなった。
――戦える。
――仲間となら。
その夜。訓練場近くの小さな酒場に三人で立ち寄り、簡単なお祝いをすることになった。
「お前、マジですごいよな。リーナがいなかったら、俺たちぜってー負けてたぞ」
カイルがジョッキを持ち上げて言う。
「確かに。あんたの読みがなかったら、あたしの魔法も無駄だった」
ヒューリもジョッキの縁を指でなぞりながら呟いた。
リーナは、小さく微笑んで――そして、言った。
「……ありがとう。わたし、ずっと一人で戦わなきゃって思ってた。でも……今は、ちょっと違うかも」
「なんだそれ、青春っぽい!」
カイルが笑い、ヒューリがちょっと赤面して視線をそらす。
そんな、ささやかな時間が愛おしかった。
訓練を終えたリーナたちは、ギルドの裏庭に並ぶ木陰のベンチに腰を下ろしていた。
夕陽が赤く街を染める中、ヒューリが水筒を回し飲みしながら言った。
「……今日のリーナ、ちょっとすごかったね。敵の動き、あんなに早く見抜けるなんて」
リーナは少し戸惑いながらも、うつむいて微笑んだ。
「……多分、おじいちゃんのおかげ。昔、よく一緒に森を歩いたの。足跡の見方とか、風の向きとか、そういうのをたくさん教えてもらってたから……」
カイルが満足げに頷く。
「なるほどな。やっぱ斥候役はリーナで決まりだな!」
思わず笑いがこぼれた。少し前まで一人で剣を握っていた自分が、今ではこんなふうに仲間と笑い合っている。そんな時間が、どこか夢のようだった。
ギルドの入り口から、訓練官がこちらを見て手を振った。明日からは実戦を想定した訓練が始まるらしい。
「本番はこれからだな」カイルが腕を伸ばしながら言った。
「うん。でも……ちょっと楽しみ」
リーナは、日が傾いた空を見上げた。黒い魔物を討つ旅の始まりは、まだ遠いかもしれない。けれど、その道の先には必ず辿り着ける。そう信じられるようになっていた。
ギルド訓練場の片隅で、リーナはひとり空を仰いでいた。
頭上には雲が流れ、街の喧騒が遠くに聞こえる。
あの森で剣を握った日から、ほんの少しだけ、自分の歩幅が変わった気がしていた。
カイルやヒューリと過ごした訓練の日々。
ひとりでは届かなかった視界が、いま、少しずつ広がっていく。
「遠い道のりでも、歩く覚悟はできている。今の自分なら、きっと」
リーナはそっと短剣の柄に触れた。
祖父にもらった、あの剣の温もりが、心の奥でまだ息づいている。
そしてその横には、仲間の声――新しい命の気配があった。
ありがとうございました!!