5.ゆれる選択
よろしくお願いします!
リオストの街に到着して数日が経った。
リーナは冒険者ギルドでの仮登録を済ませ、宿屋「赤い風車亭」を拠点に新たな生活を始めていた。
朝日が窓から差し込み、鳥のさえずりが聞こえる中、リーナは目を覚ました。
ぱしっと頬を両手で叩く乾いた音が、狭い部屋に響く。
「今日こそ、初めての依頼を受けよう」
心に決め、身支度を整えてギルドへ向かう。
石畳の道を歩きながら、街の活気に胸が高鳴る。
ギルドの扉を押し開けると、すでに多くの冒険者たちが集まっていた。
「おはようございます、リーナちゃん」
受付嬢のエミリアが微笑みかける。彼女は優しく、リーナも少しずつ緊張が解けてきていた。
「おはようございます。今日は依頼を受けに来ました」
「そうね。初めての依頼だったら、これはどうかな?」
エミリアは数枚の依頼書を差し出す。その中には、薬草の採取や小型魔獣の討伐など、Fランク向けのものが並んでいた。
「この『薬草の採取』をお願いします」
「わかったわ。そしたら詳細伝えるわね。」
依頼内容は、リオストの北に広がるグリーンウッドの森で、ヒールハーブという薬草を10束採取するというものだった。エミリアは地図を広げ、採取ポイントを丁寧に教えてくれる。
「この辺りは比較的安全だけど、油断は禁物よ」
「はい、気をつけます」
◇◇◇
ギルドを後にし、リーナはグリーンウッドの森へと向かった。道中、街の喧騒が次第に遠のき、代わりに自然の静寂が広がっていく。
森の入り口に立ち、深呼吸を一つ。
「よし、行こう」
森の中は木漏れ日が美しく、鳥のさえずりや小川のせせらぎが心地よい。地図を頼りにヒールハーブを探し始める。しばらく歩くと、目的の薬草を見つけ、慎重に採取を始めた。
「これで5束目……あと半分」
順調に作業を進めていたその時、背後で草むらが揺れる音がした。リーナは即座に振り向き、剣の柄に手をかける。
「誰かいるの?」
緊張が走る中、草むらから現れたのは、一匹のベアウルフだった。灰色の毛並みと鋭い牙が特徴的で、通常の個体よりも一回り大きい。
「こんなところに……」
ベアウルフは低く唸り声を上げ、今にも飛びかかってきそうだ。リーナは剣を抜き、構えを取る。
「落ち着いて……冷静に……」
ベアウルフが突進してくる。リーナは横に跳び、攻撃をかわすと同時に剣を振るう。しかし、ベアウルフの動きは素早く、刃は空を切った。
「くっ……」
再びベアウルフが襲いかかる。リーナは必死に応戦するが、経験の浅さからか、次第に追い詰められていく。足元が滑り、バランスを崩した瞬間、ベアウルフが飛びかかってきた。
「しまった……!」
その時――
「ハァッ!」
突如、槍がベアウルフの進路を遮るように突き出され、地面に倒れ込んだ。リーナが驚いて顔を上げると、そこには赤毛の少年が立っていた。
「大丈夫か?」
少年は槍を構えたまま、リーナに声をかける。リーナは息を整えながら答えた。
「え、ええ、ありがとう。でも、あなたは?」
「俺はカイル。そっちは?」
「リーナです」
カイルが興味なさそうな顔でウルフに視線を戻す。
「こいつ、まだ動くぞ。気をつけろ」
ウルフは再び立ち上がり、今度は二人に向かって唸り声を上げる。その時、別の方向から冷静な声が響いた。
「フリーズ」
青い髪の少女が現れ、杖を振ると、ウルフの足元が凍りついた。動きを封じられたウルフに、カイルがとどめを刺す。
「これで終わりだ」
ウルフは息絶え、静寂が戻る。
リーナは安堵の息をついた。
「助けてくれて、ありがとう」
青い髪の少女が近づいてくる。
「私はヒューリ。大丈夫?」
「ええ、本当に助かりました」
カイルが笑顔で言う。
「こんなところで一人で何してたんだ?」
「ギルドの依頼で、薬草を採取していたの」
「なるほど。でも、一人じゃ危険だぞ」
リーナは少し俯きながら答える。
「そうかもしれないけど……」
ヒューリが優しく微笑む。
「私たちも同じ依頼を受けているの。一緒にどう?」
リーナは驚きつつも、二人の優しさに心が温まるのを感じた。
「でも、私、足手まといになるかもしれない」
カイルが肩をすくめる。
「そんなこと気にするなよ。仲間がいれば心強いだろ?」
リーナは少し考えた後、頷いた。
「……わかった。よろしくお願いします」
◇◇◇
三人は協力して薬草を集め、無事に依頼を完了させた。帰り道、カイルが楽しげに話しかけてくる。
「いやあ、でもあのベアウルフはちょっと焦ったな。あんなサイズ、Fランク依頼には出てこないはずなんだけどな?」
ヒューリも頷く。
「最近、このあたりでも魔物の動きが不自然なの。異常行動、というべきかしら」
リーナは足を止めて、ふたりを見つめる。
「それって……“黒い魔物”と関係あるの?」
ヒューリが静かに頷く。
「可能性はある。私たちもそれを調べて旅をしているの」
カイルが少し真剣な表情になる。
「黒い魔物、って言っても情報が少なすぎるんだ。でも、俺ら、ある村でそいつに襲われたって人と会ってな」
リーナの瞳が揺れる。
「……私も、村を焼かれた。黒い魔物に」
一瞬、空気が張りつめた。しかし、カイルはふっと笑って言った。
「なら、なおさら一緒に戦おうぜ。俺たちも、そいつを見過ごす気はないからな」
リーナは少し俯き、それから静かに頷いた。
「……ありがとう」
こうして、三人はリオストの街へと戻った。
◇◇◇
冒険者ギルドでは、いつものようにエミリアが笑顔で迎えてくれた。
「お帰りなさい。初めて依頼は緊張した?」
リーナは採取した薬草を手渡しながら、小さく笑った。
「……少し怖かったけど、なんとか終えました」
「そう。でも、ベアウルフが出たと報告があったわ。通常、この地域では稀ね。次回からはパーティでの活動を勧めるけど……」
ヒューリが一歩前に出る。
「それについては、今後は私たちが同行します。ギルドにパーティ登録をお願いします」
エミリアは軽く目を見開き、それから嬉しそうに微笑んだ。
「よかった。では、仮パーティ『暁の灯』として登録するわね」
リーナは驚いた顔をする。
「名前、もう決まってたの?」
カイルが笑いながら肩をすくめた。
「ヒューリが考えたんだよ。『誰かの夜を照らせるように』ってな」
リーナはその言葉に胸を打たれ、小さく頷いた。
「……素敵な名前」
依頼達成の報酬と、ギルドからのわずかな評価アップがリーナの手元に届く。それはほんの小さな一歩だったが、確かな前進だった。
「これからが本当の冒険よ、リーナちゃん」
エミリアのその言葉が、胸の奥に温かく残る。
◇◇◇
その夜、赤い風車亭の食堂では、リーナ、カイル、ヒューリの三人が揃って夕食を囲んでいた。
焼きたてのパンに、香草の効いたスープ、じっくり煮込まれた肉のシチュー。リーナはスプーンを口に運び、思わず目を見開いた。
「……おいしい……」
その味は、懐かしさと温かさが混ざり合ったような、心をほどいてくれるものだった。じんわりと胸にこみあげてくる感情に、リーナは思わず目を伏せた。
ヒューリが優しく問いかける。
「泣いてるの?」
「……ちょっとだけ」
それを聞いたカイルが、おどけたように言う。
「リーナが泣くほどの料理ってことは、ここの亭主、相当な腕前ってことだな」
厨房の奥から、「そりゃどうも!」という元気な声が返ってくる。リーナは笑いながら涙を拭い、心からの感謝を呟いた。
「ありがとう……生きててよかった」
◇◇◇
翌朝。街に立ち寄った旅の商人がもたらした情報が、リーナたちの運命を揺り動かす。
「南のカンロス地方で、“黒い魔物”に似た存在が目撃されたって噂があるぞ」
ギルド中がざわつく中、リーナは真っすぐにその声に耳を傾けていた。
不安と恐怖、そして――決意。
彼女の中で、何かが静かに、けれど確かに芽吹いていた。
「……いつか行けるといいね」
呟いたその声に、ヒューリとカイルが頷く。
「カンロス地方、ね。面白そうじゃないか」
「まずは訓練しないとね。今のままだと危険だわ」
少女の瞳に宿ったのは、孤独の中に立つ炎ではない。隣に立つ仲間たちと、ともに歩む決意の光だった。
ありがとうございました!