4.冒険者たちの街
よろしくお願いします!
風切りの森を越えた先に、その街はあった。
石造りの高い外壁と、頑丈そうな門。開け放たれたその入り口からは、荷馬車や旅人、そして剣を背負った冒険者たちが次々に出入りしていた。リーナはその門の前で立ち止まり、ひとつ息をついた。村を出てから数日、ようやく辿り着いた冒険者たちの拠点――リオストの街。
「……ここが、冒険者の街……リオスト」
思わず漏れた声は、街の喧騒にあっさりと掻き消された。それでも、リーナの胸の中には、小さな震えのように確かに残っていた。
街に足を踏み入れると、空気ががらりと変わった。屋台の香ばしい匂い、どこかで鳴る楽器の音、通り過ぎる人々の話し声。そのすべてが、リーナにとっては初めての感覚だった。
裸足に革靴を履いた旅人、肌の色も言葉も違う商人、鎧に身を包んだ冒険者たち。それぞれが、それぞれの物語を背負ってこの街に集っている。
リーナは腰に差した剣と短剣にそっと手をやった。祖父の形見と、鍛治師ガロの餞別。心の中に、確かな熱が灯る。
「……よし、ギルドへ行こう」
街の中央にある広場には、ひときわ目を引く建物があった。木と石を組み合わせた重厚な造りに、堂々と掲げられた看板。そこには獅子の紋章と「リオスト冒険者ギルド」の文字が刻まれていた。
扉を押すと、酒場のような賑やかさと、暖かな灯りに包まれる。冒険者たちがテーブルを囲み、笑い声と酒の音が響いている。
「ようこそ、リオスト冒険者ギルド支部へ!」
明るい声がカウンター越しに飛んできた。振り向くと、受付にいた若い女性が笑顔でこちらを見ていた。赤茶の髪を後ろでひとつに結び、制服姿がきびきびとしている。どこか安心感を与える優しげな雰囲気があった。
「……冒険者になりたくて、村から来ました」
リーナは少し緊張しながら一歩前へ出た。女性は一瞬目を丸くし、それから穏やかに頷いた。
「そうなのね。じゃあ、まずは仮登録からね。身分証はある?」
「はい。これ……」
リーナは懐から村長の書いた紹介状を差し出し、さらに腰のポーチから、小さな布に包まれた何かを取り出してそっと差し出した。
「それと……これも。イノスっていう魔物を倒しました」
「……えっ?」
女性は思わず息を呑み、包みを開いた。そこには、黒く光る獣の牙が、鋭く冷たく輝いていた。
「これ……間違いない、イノスの牙……本当に、あなたが一人で?」
「はい。死にそうだったけど、なんとか……」
あの夜を思い出すと、胸の奥が冷たくなる。だが、目は逸らさずにリーナは答えた。
女性職員は一瞬唇を噛み、それから顔を上げてふんわりと微笑んだ。
「すごいわ……普通はパーティでも手こずる相手よ。あなた、ただの初心者じゃないのね。紹介状もあるし、特例で見習い登録してあげる」
そう言うと、彼女は手際よく紙とペンを取り出し、さらさらと何かを書き始めた。
「名前と年齢、それから住所は……まだ宿決めてないのね?」
「はい。どこか、おすすめありますか?」
「そうねえ、広場の西側に『赤い風車亭』って宿があるわ。初心者でも安心して泊まれる、いい場所よ。食事も評判なの」
「ありがとうございます。行ってみます」
「それと……はい、これが仮のギルドカード。冒険者ランクはFから始まり、一番上はAランクだけど、そこはまだまだ先の話ね。登録番号はすぐ反映されるから、どこに出しても大丈夫。無くさないようにね……リーナちゃん。私はエミリアよ。また何かあったらすぐきてちょうだいね」
「はい!」
受け取ったカードは手のひらほどの板で、中央にはうっすらと彼女の名前が浮かんでいた。
それは、間違いなく――冒険者としての第一歩だった。
ギルドを後にして、リーナは紹介された赤い風車亭を目指した。
◇◇◇
広場の西側にひっそりと佇むその宿は、赤い羽根の風車が軒先で静かに回っていた。
外観はこぢんまりとしていたが、木造の温もりと洒落た花飾りが、どこか安心感を与える。
扉を開けると、柔らかな灯りと木の香りがふわりとリーナを包ん だ。
「いらっしゃい。ひとり旅かい? ……ん? 冒険者だね?」
番台にいたのは、丸っこい体に割烹着姿の中年女性だった。顔いっぱいに笑みを浮かべ、ふっくらした手でカウンターを軽く叩く。
「ギルドの子から聞いてるよ。あんたみたいな子が来るってね。ほらほら、荷物置いたらごはんにしよう。ちょうどいいのが出来てるところだ」
「あ、ありがとうございます……!」
リーナは少し戸惑いながらも、案内された部屋へと向かった。
二階の端にある小さな部屋は、簡素ながらも清潔で、陽の光が優しく差し込む窓がついていた。
荷物を置くと、急に足が軽くなった気がして、彼女はひとつ深呼吸をした。
――やっと、休める。
階下に降りると、木製のテーブルが並ぶ食堂には香ばしい匂いが立ち込めていた。奥の厨房からは湯気が立ちのぼり、炒める音やスープを注ぐ音が心地よく響く。
「はい、お待ちどうさま。今日の夕餉は、山菜と香草のグリル、それにほろほろ肉のシチューと、焼きたての黒麦パンだよ」
テーブルに置かれた料理を見た瞬間、リーナは思わず息を呑んだ。山菜は丁寧に焼き色がついており、香草の香りが鼻をくすぐる。シチューはとろみのある茶色で、スプーンですくうだけで肉がほぐれそうだ。そして黒麦パンは湯気を立てながら、ほんのり甘い香りを漂わせていた。
ひと口、スープを含んだ瞬間、リーナの目に涙が浮かんだ。
――おいしい……。
身体の芯まで染み渡るような優しい味。家族と囲んだ食卓をふと思い出し、涙が頬を伝った。中年の女性が、そっと椅子に腰を下ろして隣に座る。
「……ああ、ごめんね。ちょっと味が沁みすぎたかい?」
「ううん……違うんです。美味しくて……それだけ、なのに……」
声が震え、リーナは手で口を押さえた。女性はそっと彼女の背を撫でた。
「つらいことがあったんだね。でも、ここじゃゆっくりしていくといい。泣いても、怒っても、笑ってもいい場所さ。宿屋ってのは、そういう場所だから」
リーナは、こくりと頷いた。胸の奥のなにかが、ふっと溶けるような気がした。
その夜、部屋に戻ったリーナは、ペンダントの中の家族写真を見つめていた。
「……おじいちゃん。あたし、ちゃんと生きてるよ」
◇◇◇
翌朝。
まだ街が静まり返っているうちに、リーナは目を覚ました。
昨夜の温もりがまだ残るような部屋の中で、彼女は窓を開け、ひんやりとした朝の風を顔に受けた。
風が髪を揺らし、遠くからは屋台の支度を始める音がかすかに聞こえてくる。
身支度を整えると、リーナは一階へ降りた。食堂ではすでに朝食の支度が始まっていて、昨日の女将がにこやかに迎えてくれた。
「おはよう、よく眠れたかい?」
「はい。……とても、あたたかい宿です」
「そう言ってくれると嬉しいね。ほら、今日は粥にしたよ。胃にもやさしいし、体がすっと起きるからね」
差し出された朝粥は、ふんわりと湯気を立て、刻まれた野菜と少しの鶏肉が色合いを添えていた。箸をつけると、ほろりと優しい味が口いっぱいに広がる。リーナは静かに目を細め、ひと口、またひと口と大切に味わった。
食事を終えると、女将が包みをひとつ差し出した。
「これは昼用の包み。冒険者は忙しいだろ? ちゃんと食べなきゃ、強くもなれないよ」
「……ありがとう、ございます」
リーナは深く頭を下げ、包みを両手で受け取った。これだけ人のあたたかさに触れたのは、村を出て以来、初めてだった。
「昨日は言い忘れてたけど、宿泊代とかはいらないよ。ここリオストではね、冒険者はギルドカードを登録してから1ヶ月間は紹介された宿屋の宿泊費、食費が免除されるんだ。と、言ってもギルドからはその分お金はもらうけどね」
「そうなんですね」
「だから、慣れるまでは遠慮せずになんでも言ってちょうだいな」
女将は、まだ幼さが残る彼女のことを最後まで見送っていた。
◇◇◇
街の中央にあるギルドへと向かう道すがら、リーナはふと昨夜の夢を思い出した。焼け落ちる村、紅く光る魔物の目。そして、家族の笑顔。そのすべてが、今の自分を支えている。
ギルドの扉を開くと、いつものように活気ある喧騒と、人々の声が出迎えてくれた。カウンターにいた女性職員――赤茶の髪を後ろでまとめた、エミリアが、リーナに気づいて微笑んだ。
「おはよう、リーナちゃん。今日はどうしたの?」
「私、まだ見習いもいいところで……これからも、もっと強くなりたいんです!」
その言葉に、エミリアは嬉しそうに頷いた。
「なら、まずはいろんな依頼をこなすことね。焦らず、でも一歩ずつ。いつか、あの黒い魔物にも届くように」
リーナは目を見開いた。――なぜ、そのことを?
だがエミリアはそれ以上は何も言わず、にこりと微笑むだけだった。
ギルドを出ると、朝の陽光が石畳をまばゆく照らしていた。リーナは剣の柄に手を添えながら、前を見据えた。
これから始まる本当の冒険。そして、その果てにある“あの魔物”との再会。
まだ道は遠い。
けれど、ーー進むべき道は見えている。
ありがとうございました!