3.はじまりの森
よろしくお願いします!
リーナの旅は、村を離れたその日から始まった。
焦げた屋根と黒ずんだ大地。かつての故郷に背を向け、歩き出した少女の胸には、熱を帯びた決意と、冷たい不安が混ざり合っていた。剣の重みが、背中を押す。
ーーでも、そんな不安も、母のペンダントのぬくもりが取り除いてくれる気がする。
村の周辺に広がる大地は、昔から何も変わっていなかった。
野原、丘、そして、森。
けれど今、目に映るそれらはどこか遠く、見知らぬもののようにも感じた。旅の最初の目的地は、村の北に広がる「風切りの森」。
そこは魔物が出るとされており、近年は人の出入りも減っていた。
冒険者になるためには、まず実績を示す必要がある。魔物の素材をギルドに持ち込み、討伐の証として認められることで、ようやく冒険者として登録できるのだと、村の長老が話していた。
そして、村を越えた先にある冒険者の街『リオスト』。
冒険者になるには、そこまでいかなくてはならない。
リーナは森の入り口で立ち止まり、深呼吸をした。
「よし……行こう」
低く呟くと、踏みしめるように一歩を踏み出す。木々は鬱蒼と茂り、昼間でも薄暗い。
足元には枯れ葉が積もり、時折、枝が風に揺れて不気味な音を立てた。
何も起きない。
けれど、何かが起きる気配はずっとある。
緊張感は、肌に張りつくように重たかった。
◇◇◇
森に入ってしばらくして、リーナは木の根元で昼食をとった。
村から持ってきた干し肉とパン、水筒の水。
素朴な食事だったが、喉を通すたびに、少しずつ心が落ち着いていくのを感じた。
食べ終えた後、ふと顔を上げたその時だった。
――ガサッ。
何かが茂みの中で動いた。
すぐに腰の剣に手を伸ばす。手のひらが汗で湿っていることに気づいた。
緊張で、心臓が高鳴る。
ゆっくりと、茂みが揺れる。そして現れたのは――
「……イノス?」
それは、猪に似た小型の魔物だった。額に短い角が一本、背には硬い毛が立ち並んでいる。牙を剥き出しにして、こちらをじっと見ていた。
――戦うしかない。
リーナは覚悟を決め、剣を抜いた。
イノスが突進してくる。
素早い。
リーナは横に転がって避ける。地面に背中を打ちつけた衝撃に呻きながらも、すぐに立ち上がり、剣を構える。
イノスは振り返り、再び突進してきた。今度は正面から来る。
「くっ……!」
リーナは剣を前に突き出した。刃がイノスの肩に浅く刺さり、魔物が悲鳴をあげて後退する。だが、倒れない。血が滲んでもなお、敵の目はギラついていた。
まだ動ける。リーナも、イノスも。
何度目かの突進を再びかわし、斜め後ろから剣を振り下ろす。刃はイノスの脚をかすめ、今度は大きくぐらつかせた。隙を見て、リーナは短剣を抜く。鍛治師ガロからもらった、祖父ゆかりの武器。
それを握る手に力を込め、最後の突撃に備える。
「……お願い、もう、やめて」
イノスが再び吠えた瞬間、リーナは思いきり踏み込んだ。短剣が、魔物の首元に深く突き刺さる。咆哮が喉で止まり、イノスはその場に崩れ落ちた。
しばし、森の中に静寂が戻った。
◇◇◇
リーナは、荒くなった呼吸を整えながら、しばらくその場に座り込んでいた。
倒した。初めて、自分の手で魔物を倒した。
剣も、短剣も、手が震えている。それでも、胸の奥で何かが確かに灯っていた。恐怖も、痛みもある。だけど、それ以上に――
「……生きてる」
ぽつりと呟いたその言葉に、涙がこぼれた。
自分は、まだ弱い。
けれど、生きている。
そして、進んでいる。
倒したイノスの牙と毛皮の一部を切り取り、布に包んで背負い袋に入れる。ギルドに提出する討伐の証になるはずだ。ペンダントの中の小さな家族の写真を見つめる。
「……見ててね、おじいちゃん」
◇◇◇
その夜は、森の中の大木の根元で野宿をした。火は焚かず、食事も簡素に済ませる。満天の星空が、木の隙間からちらちらと覗いていた。
寒さと、疲労と、心細さに耐えながら、リーナは目を閉じた。
まだまだ先は長い。でも、始まりは確かにここにある。
少女の冒険は、ようやく一歩を踏み出したのだった――。
ありがとうございました!