2.焔を抱いて
よろしくお願いします!
朝靄がまだ村を包んでいた。
焼け焦げた木材の匂いは、時間が経っても消えずに鼻を突く。村の広場は静まり返っていた。
だがその静けさには、誰もが気づいていた――それが、ただの静けさではないことに。
村を襲った黒い魔物の爪痕は、土地だけでなく、人の心にも深く刻まれていた。
立ち上がることすら忘れたように、地面を見つめる老人。
何も言わず、焦げた家の跡で瓦礫を片付ける若者。
誰もが生き延びたことを喜ぶよりも、喪ったものの重さに沈んでいた。
リーナもまた、その一人だった。
祖父の遺体は、焼けた畑の片隅に埋めた。
墓標代わりに、焦げ残った鍬を立てると、ぽつりと空を見上げた。
空は高く、青く、あの日と同じだった。
「……おじいちゃん、ごめん」
呟いた言葉に返事はなかった。
あの日、村を襲ったのは、漆黒の鱗を持つ巨大な魔物だった。
冒険者がたまたま近くを通っていて、命がけで立ち向かい、なんとか追い払ってくれた。
だが、魔物は逃げただけで、完全に倒されたわけではない。
そして、祖父はあの日、あの場所でーー家ごと、業火に呑まれた。
「次はないと思え」
冒険者の男が去り際に残した言葉が、リーナの胸に棘のように刺さっている。
次があるかどうかなんて、もうわかってる。次はない。だから、自分がやるんだ。
もう、誰も喪いたくない。
リーナは瓦礫の下から見つけ出した、黒く煤けた箱を開けた。中には古びた剣と、すすにまみれたペンダントが入っていた。
剣は、祖父が昔使っていたものだった。
刃は欠け、柄の部分にはひびが入っていたが、それでも彼女には宝物に見えた。
そして、銀の鎖のペンダントは母の形見。中には小さな家族の絵が入っている。
「私、行くね」
墓標に向かってそう告げると、リーナは立ち上がった。
荷物は少ない。
手紙一通と、水、保存食。
腰に剣を差し、ペンダントを首にかけ、家を後にする。
村の出口に向かう途中、広場を通ると、人々がちらほらと作業の手を止めて、彼女を見た。
「リーナ……本当に、行くのか」
誰かの声が聞こえたが、彼女はただ小さく頷いた。
その時、鍛治場の前に立つひとりの男が、彼女を呼び止めた。
「おい、待ちな」
無骨な声だ。
振り返ると、鍛治師のガロが腕を組んで立っていた。
長年村に住んでいる老人で、無愛想だが、村の誰よりも頼れる人物だった。
彼はゆっくりと歩み寄り、一振りの短剣を差し出した。
「これを持ってけ。前にお前の爺さんが鍛冶場に持ち込んだ、修理途中のやつだ。刃は短えが、鉄は良い」
リーナは目を見開いた。
「でも、そんな大事なもの……」
「命が惜しけりゃ持ってけ。……それだけだ」
彼はそれ以上何も言わず、背を向けた。だが、その背中には明らかに、「いずれ帰ってこい」という言葉が刻まれていた。
リーナは短剣を受け取り、腰のベルトにそっと挿した。刃の重みが、彼女の決意を支えてくれる気がした。
そして村の入り口に立ち、最後に一度だけ振り返った。
焦げた屋根。黒く変色した大地。けれどその奥には、人の暮らしがまだ残っている。
「ぜったいに、戻ってくる」
そう呟いて、リーナは歩き出した。
遠く、まだ見ぬ世界へと向かって。
剣と、ペンダントと、誰かの想いを胸に抱いて――。
ありがとうございました!