泣き暮らすには暇すぎます
侯爵家の令嬢である私……アンリエッタは、本来ならばそれなりに忙しい。手紙を書いたり、次の茶会の手配をしたり、今流行っているものをしっかりと押さえて話題に出来るようにしたり、一般的な令嬢がするような諸々がたくさん……とまぁ色々あるのだ。
しかも婚約者であるアーデン様は第三王子でありながら将来は外交官として、王とはまた別の意味で国の顔となって働く予定がある。そのために、そちらの方面でも本当ならば忙しい。外交の場で失礼がないように、いくらだって忙しく出来る程には学ぶことは山ほどある。
そんなわけで、忙しい……はずなのである。
「……この上なく暇だわ」
忙しいはずだというのに、今現在はまったくもってすることがない。邸の外に出られるのなら出来ることも色々あるというのに、色々な事情があってアーデン様が戻ってこない限りは私は外に出ることが出来ないのだ。
ちなみにそのアーデン様であるが、これまた色々あって外国に出向いている。しかも、私ではないパートナーを連れて。婚約者である私ではない「女連れ」で、である。
普通なら、こんな風に長椅子に寝そべっている場合ではない。家だってもっと騒がしくなるだろう。でもまったくそんなことはなく、弛緩した空気が家の中にすら漂っている気がしてしまうほどだ。
思い返してみれば最初にこうなることを説明されたときから、真面目な話と言うにはどこかおかしかったように思える。
アーデン様はいたって真面目だったのだろうし、ふざけた話ではないはずなのにどうにもどこかおかしい気がしてしまう。それはやっぱり、あの言葉に理由があるのだろう。
「というわけなので……申し訳ないがしばらくの間、泣き暮らしてくれないか」
なにがというわけなのか。説明をされたところで、なにがなにやらである。正確に言うと話された内容と私が泣き暮らさねばならないことの因果関係がいまいち良くわからない。
泣き暮らさねばならないというのを置いておくとして話の中でわかったことは、性的な欲に忠実な人間というのは思ったよりたくさんいるということと、婚約者であるアーデン様がそんな人たちの対処のために私を置いて国外に行かねばならないと言うことだけだった。
行かねばならない国外とは最近少し揉めているある国のことで、性的な欲に忠実な人間がいるというのもその国の事である。
噂によると大変に好色な男が王位についてしまったらしく、あらゆる身分の女性に手を出すせいで国では貴族が適齢期以前に婚姻することで年頃の娘を外に出さないようになってしまったとか、平民も妻子を家の外に出さなくなったとか、なんとか。
どこまで本当かはわからないが、他国の美しい姫をしつこく国へ来るように誘いその国の王を激怒させたという正気を疑う噂まである。本当であれば大変なことであるが、かの国が国交を断ったのは事実であるので恐ろしい。
それに加えて最近「我が国を訪ねる際には妻や婚約者を"必ず"連れてくるように」なんて告げてくるようになったのだから、噂と思いたいがもう答え合わせをされたような気分になるのも仕方がないだろう。
しかし本当だとしたら手当たり次第にも程がある。あの国が無理を通せる程の大国でなかったことを感謝するしかない。どんなに大国であっても、こんなことをしていれば早晩滅びそうな気はするけれども。
そんな国に我が国が色々あって向かわねばならなくなった。船の寄港に対する条約について向こうが急にごねだして、条文を認めさせたければ外交官を来させろと馬鹿みたいな要求をしてきたのだ。
おそらく十中八九外交官が伴う妻が目的だろう。城に招かれた既婚者が妻をパートナーに連れていないのは外聞が悪くなる、というのを利用しようとしているのだ。なりふり構わないにしても、もうちょっとあるのではないだろうか。
あまりにも酷い噂……というには信憑性のありすぎる情報とそこまで重要な寄港地という訳でもないというところから、どうするにしても後回しでも……となっている辺りでもうひとつの事件が起こった。辺境伯領にて、ある魔女が捕らえられたのだ。
しかも捕まった理由というのが魅了魔法を用いて辺境伯領の騎士団を魅了し酒池肉林を目論んだから、というなんともどうしようもないものだった。ちなみに未遂だったそうだ。そんな馬鹿みたいな欲で護りの要を狙わないでほしい。
奇しくも同時期に頭に性欲がパンパンにつまっているような存在が二人も迷惑をかけてくる状況に国王陛下は頭を抱えたが、直ぐによいことを思いついた。簡単に言ってしまうと「使えるものは魔女でも使え」ということである。
この国の王家の血は精神干渉に関する魔法に抵抗がある。辺境伯領で未遂で捕らえられたのは現当主が降嫁した王女を母に持つ国王陛下の従弟であるから、という理由があったのだ。北方の護りに万が一でもあってはならない、と結ばれた婚姻の万が一が起こった形である。
現国王陛下もそんな先見の明を持っていた過去の国王陛下の血をひいてらっしゃる方ではあるが、それにしても判断が早い。知らせが届いてすぐに手の者を向かわせて内々で魔女と交渉し、この国から出てとある国に行くのなら罪を不問とし投獄や労役を課すこともしないがどうする?と話を持ちかけたのだそうだ。
魅了の魔女は一も二もなく頷いた。どうにも魅了を得意とする魔女は他の魔女と比べて享楽的で、楽しそうや面白そうで大惨事を引き起こすこともあるとかないとか。今回はそれがいい方向に働いたというわけなのだ。それも陛下はわかっていたのかもしれない。
しかし困ったことがここで一つ。魅了の魔女の好みは現辺境伯であり辺境伯領の騎士団長であるヴァルカン様、つまりは逞しくて渋くて髭の似合う既婚者……らしいのだ。そんな理由で騎士を狙ったのかと思うと頭痛がするが、問題はそこではない。
我が国の外交官の方々は、みんなどこかしらが引っかかる。魔女の行動を制限して魅了を防ぐ手段は用意するものの、秋波を送り続けている魔女と旅をし続けるというのはかなりの精神的負担になるだろう。
そこで白羽の矢が立ったのが私の婚約者であるアーデン様だ。母親である王妃殿下に似たアーデン様は線が細く、若く、髭も生えてない上に婚約はしているが結婚はしていない。
その上王家の血で万が一講じた対策が無意味になっても魅了されないというおまけ付きなのだ。これ以上ない適任、とされてしまうのも仕方がないとさすがの私も納得する。本人はとても嫌そうだが、拒否が出来ないというのも良くわかる適任者だ。
一応筋書きとしては婚約者である私が体調不良で同行できないため、アーデン様が別の女性をパートナーとして同行させる、ということになっているらしい。
なっているらしいというのは、私はアーデン様に帰ってくるまで泣き暮らしておいてくれ、という訳のわからない要求をされてしまったための食い違いの分だ。詳しいことを教えてほしいものである。
どっちにせよアーデン様が戻ってくるまで外に出れはしないのだから私が暇なことは変わらない。変わらないが、なんだったんだろうあれという疑問は残る。
ちなみに魅了の魔女とは少しだけ会って言葉を交わした。なにがあったのかは知らないが、アーデン様のことがものすごく嫌いらしく開口一番男の趣味が地を這うくらい悪い女扱いを受けた。大変に失礼である。
見た目は可憐だったが「チビデブハゲでも王様ってお金持ちなんでしょ?王城なら騎士もつまみ食いできるし、最高じゃない!」と言う姿は可憐とは言いがたかったことも印象に残る。アーデン様は虫を見るような目で魔女を見ていた。
橋を建設するための費用の補助を求めていた男爵家に取り引きを持ちかけたため、魔女は男爵令嬢になり新しく名前もつけられたとか。魔女は基本的に名乗らないものだそうなので、他国に入国するためにも仮名は必要だろう。あの国は美女なら素通しかもしれないけれども。
迷惑なものに迷惑なものをぶつけるためにあらゆるところを調整して三方どころか全方位良しにする勢いの陛下はなんとも頼もしい。頼もしいが、その結果として私は大変に暇である。
一応最初の二、三日は窓辺で憂いを帯びた顔をしながら遠くを見たあと顔を覆って部屋の中に下がったり、ベランダで一人泣いているようなポーズをとってみたりと泣き暮らす努力はしたのだ。
努力はしたものの、私は泣き暮らしたような経験などないので泣き暮らすという行為の引き出しが少なすぎる。早々に万策尽きてしまい、こうして部屋で暇を持て余すことになったのだ。
友人にとても悲しいと言う手紙を送れるのであればもう少しやることもあったけれど、今回のことは公にされているわけでもないので難しい。
察しの悪い人は私の体調不良を言葉通り受け取り、察しの良い人はなにか理由があるのだと理解し、更に加えて勘まで良い人は辺境伯領の魔女の噂と結びつけてなるほどなと頷く、そんな状況なのだ。
なにを言っても不味いような状況では、シンプルなワンピースのまま長椅子に寝そべってもう三回は読んだ外国語の詩集たちを読み返すくらいしかすることがないのも仕方がないだろう。本当にもうすることがなくて暇で暇で仕方がない。
外に出れない手紙が出せない人を呼べないでここまですることがなくなるとは思わなかった。もう少し早くに知っていれば家で出来ることも増えたのに、急なことでは手配するために動かすこともままならない。
おそらく私が弱っているだとかアーデン様と不仲であるとか、そういったことがなにかしらの役に立つのだろうとは思うものの詳細がわからない状態ではただの暇人である。
せめて暗唱できそうになってきた既読の詩集ではなく外国語で書かれた未翻訳の本でもあればやることもあったのに、新しい異国の本を手に入れるのは出向くか人を呼ぶかしないと難しい。アーデン様もここに来たときに仕事のひとつやふたつ置いていってくれたらよかったのに。
「せめて、ついでになにを解決しようとしてるのか教えていただければ泣き暮らす励みになりますのに」
私が精一杯泣き暮らすことで問題ごとがひとつ解決するのなら、中身のない引き出しをひっくり返してでも泣き暮らす努力をしたと思うのだ。準備期間があれば、さらにうまく泣き暮らせたと思う。
やりたくない仕事のために一緒にいたくない魔女を連れて行きたくない国に行っているアーデン様の方が大変なのはわかってはいる。わかってはいるが、もうちょっとなんとかなりませんでしたかとはなってしまう。
「お嬢様、お手紙が届いております」
「お友達からのお見舞いかしら?アーデン様が戻ったらお返事を書くから、いつも通りにしておいて」
「それが、その……」
歯切れの悪い返答と共に渡された複数の封筒の差出人の名前を目にして、やっと求められている役割が理解できた。そしてそれをアーデン様が言わなかったことも、なんとなくであるが理解した。
これはお父様からアーデン様へのちょっとした嫌味か、暇を持て余して困り果てている娘への配慮なのか。どちらにせよおそらく本来ならば私の目に入るはずのなかったものだろう。
「なるほど、どうりで……あの方は理由を言わないはずだわ」
お父様がせっかく暇を潰せそうな新しい「おもちゃ」を用意してくれたのだから、私は大人しくそれで遊ばせてもらうことにしよう。暇を持て余す日々とはおさらばだと思えば笑みも浮かぶものだ。
ついでにアーデン様の苦虫を噛み潰したような顔も脳裏に浮かんできたけど、なにも言わなかった弊害だと思って受け入れて欲しい。何も知らないままでは、泣き暮らすには暇すぎるのだから。
アーデン様が無事に魔女を置いて帰ってきたのは、それから二週間ほどたった頃だった。そこから私を訪ねてきたのはさらに二日たってから。その二日で休めていればと思ったけれど、まだ顔には疲労の色が見える。
報告書を書くのも大変そうなお仕事だったものね、と労う気持ちはある。でも暇を持て余していた私は、お疲れのアーデン様にはあまりありがたくない一仕事を携えて彼を待ち受けていた。
我が家の応接室でにっこりと微笑んで婚約者を迎え入れた私と対照的に、対面に座るアーデン様は想像していた通りの苦虫を噛み潰したような顔をしていた。してやられた、とでも言ったところだろうか。
お父様に口止めをしていたようだけれど、それはアーデン様の都合であって私が知ってはいけないというわけでもない。そして理由が理由なので、そう強く言い返せもしない……と言ったところだろうか。
「私が泣き暮らしている間に『素敵な』お手紙を送ってくださった方々ですわ」
「……君には渡さないと聞いていたが」
「暇を持て余す娘に、ちょっとした暇潰しを与えてしまった父を責めないでくださいませ」
そう返せばアーデン様は黙って紅茶を口にした。言葉の通り手紙は本当に便箋からインクの色、それにつける香りまで考えられた一般的な感性を持った人間が素敵と思うようなものであるからだ。
アーデン様からすればそういう話じゃない。と言いたくなるだろう。なにせ私に届いた手紙たちは素敵になるよう手を加えてあればあるほど問題のあるものだからである。
「婚約者がいるというのに、求婚者が列をなすとは思いませんでしたわね」
「手紙を出す不届きものの多さは、俺からしても想定外だ」
「あら、目当てはディーレッド侯爵家の方かしら?それともルーバン皇国の方かしら?」
「……それとカテナヤ伯爵家もだな」
なるほど、確かにあの家からの手紙は熱心だった。新興の伯爵家であるから古い家との繋がりを渇望しているのだろうかと考えたけれど、熱心さの理由はどうにもそれだけではなさそうだ。
私が手紙の差出人と要点を簡単にまとめたものに目を通しているアーデン様は、眉間の皺をいっそう濃くして紙をめくっている。これでも無駄な美辞麗句は省いたのだから、感謝してくれてもいいのだけど。
「ルーバン皇国はおそらく放っておいても、申し込んだ当人ごと無かったことになる。野心を隠すのが下手な競争相手ほど追い落とすのに楽なものはない」
「私をこれが好機と狙う時点で、あまり良い部下もお持ちでないようですからね」
「カテナヤ伯爵家も似たようなものだな、優秀な後継者候補は別にいる。だがこちらは可能性を考えて、表立って抗議をした方がいいだろう」
「後継者の方はまだ地盤がしっかりしてらっしゃらないのですね?」
必死に私を求めたのが焦りからだとすれば、無かったことにした結果もうこれしか手がないと力ずくでの排除に踏み切る可能性もある。王家と繋がる侯爵家からの名指しの抗議は希望の芽を摘むには十分だろう。
優秀な後継者候補がいると知っているということは、王家も気にかけているということ。支持者が減った状態で凶行に及んだところで、体よく排除される手筈は整えられているはずだ。
「問題はディーレットだ」
「ここしばらく、あまり良い評判を聞きませんわね」
「先代は優秀だったらしいが後継者選びに失敗したな。次も期待できそうにない、と聞いている」
「ですがそうなると……この手紙は妙ですわね?」
ディーレットの家からの手紙は、あまりに「できすぎて」いる。よくある文体でなく、きちんと詩の引用までされた考えて書かれたのがよくわかる手紙で、代筆に頼んで簡単に出来上がるものでもない。
実際に私が上げた家以外はほとんどがよくある文体もので、同じ手本を使ったのか内容がほぼ変わらないという求婚にはお粗末なものもあったのだ。
これを書ける人間が最近では良いところのないはずのディーレット侯爵家にいるのだとしたら、と考えると調べる価値があると思えるほどの知性を感じる。
「だが、ここから先は兄上の仕事だ。アンも義父上に話をしたら手を離していい」
「そうなのですか?てっきりアーデン様が動かれるのかと」
「あの魔女を愚王に届ける仕事だけで一月は休みがほしいくらいなのに、婚約者にたかる羽虫の相手などしていられるか」
まとめた書類をテーブルに放り出して、アーデン様は疲れたと言わんばかりにため息をついてソファーに深々と座って天を仰いだ。どうやら旅の疲れだけではない、精神的な疲労でやる気もなくなっているようだ。
隣に移動すると、最初からそうするつもりだったようにアーデン様が私の太ももに頭を預けて寝転がる。もう今日は仕事の話などしたくない、という意思表示も兼ねていることを私は知っている。
「魔女はどうなりました?」
「大喜びであの国に残った。愚かな王は鼻を伸ばしていたが、あれのどこがいいのか俺にはわからん」
「アーデン様はああいう女性はお嫌いですものね」
「アンになれていると、あまりの知性の無さに目眩がする」
目を閉じてしまったアーデン様の髪を顔にかからないようにそっとよけると、くすぐったかったのかわずかに眉間に皺がよる。うっすらと隈もあるようなので、あまり眠れてもいないのかもしれない。
魔女を置いてきたならのんびり帰ってきてもよかったのに、とは言うまい。アーデン様が急いで帰ってこなければならない理由は私なのだから。
「私に求婚者のことを知られたくなかったのですね?」
「なにが悲しくて婚約者に他所の男が書いた恋文を読ませなければならないんだ」
「そのせいで随分とおかしなお願いをされてしまいました」
「泣き暮らすのははじめてだろう、出来はどうだった?」
分かりやすく野心ある相手が私に求婚する隙だと思うような行動をしてくれ、と言ってくれていたのならもっと上手にできたと思う。しかし実際はなんともお粗末なものだっただろう。
なにせ生まれてこの方ありがたいことに、傷心のあまり枕を濡らすという経験をしていない。多少は傷つくこともあるので繊細さが足りないというわけではない、たぶん。
「私の婚約者は今まで泣かせるようなことをしてこなかった方なので、泣き暮らし方なんて皆目検討がつきませんでしたわ」
「ご令嬢の婚約者は、随分といい男みたいだな」
「ヤキモチ焼きのかわいい方ですのよ」
「……かわいくはないだろう、こんなだぞ」
たしかにアーデン様は見た目だけなら見目麗しく少し冷たい印象のある方ではある。でも幼い頃からの婚約者である私は見た目ではない部分もたくさん知っているのだ。
実はコーヒーよりも温かいショコラが好きなこととか、私にバラを贈ろうとして棘を指に刺してからしばらくバラ園に近づかなかったこととか、他にもたくさんある。
「今度泣き暮らす時は、暇を潰せるものを用意してくださいましね」
「ろくでもない求婚者の手紙より、面白いものを用意しておく」
「あら、泣き暮らさせはしないとは仰らないんですか?」
「俺はさせたくないが、結婚後の面倒を減らすと言われれば受ける以外にないだろう」
魔女を置いてきた国を後回しにする程度には、この国も平和というわけでもない。国内だけでも色々あるが、近隣諸国では私に手紙を送ってきたルーバン皇国で継承者争いが激化しているようで気は抜けない。
私一人が多少不自由な思いをするだけで今回のようになにかしらの問題が解決に向かうのならばそれでよしと判断されるのも仕方がないだろう。
王子の婚約者というのは、扱い的には準王族なのだ。国のためになるのだとすれば、余程のことでなければ力を尽くす以外に選択肢はないだろう。
とはいえ私が協力するにしても下手くそな泣き暮らす演技と部屋で暇を持て余すことくらいしか出来そうにないので、あまり偉そうなことは言えないのだけれど。
「泣き暮らすのが上手にならない程度に納めてくださいね」
「そうなるようなら、流石に兄上と父上に抗議して……いや、いっそ逃げるか」
「まぁ、どこへ?」
「君と二人なら、どこでも苦にはならんだろうさ」
しばらくして手の離れた手紙の件が解決するほどに時間がたっても、幸いにして私がまたアーデン様と離ればなれになって泣き暮らすのに慣れる必要があるようなことは起こらなかった。
しかし今の私は本人が我が家の邸に隠れているのに行方不明の婚約者を案じて物憂げに日々を過ごす……という慣れない立ち回りに頭を悩ませているので、泣き暮らすのは後にしたいものである。
素敵なチェスの相手がいることは求婚者の手紙よりもずっと面白く過ごせる暇潰しではある、ということだけが目下の救いだ。