~6.リーチ後の放銃は仕方ない?~
凛先輩は麻雀が強い、と思う。
でも正確にどう強いのかは、僕にはわからない。『自分より強いプレイヤーの実力を正確に測ることはできない』……というのも凛先輩が言っていたことだ。
麻雀サイト的には、少し前に『天峰』だと10段、『雀心』だと天域LV.14ぐらいだとかなんとか言ってた気がするけど、どれくらい凄いのかはよくわらかない。
灼先輩に会ってから、凛先輩の過去が(前より)気になった僕は、凛先輩について軽くネットで調べてみた。すると、普通に名前が出てきた。
中学3年次、全中(全国中学生大会)2位。ついでに灼先輩が4位だった。
他にも(全中より規模の小さい)中学生大会では複数回優勝していたり、全年齢参加OKの大会でもちらほら名前が見える。
大会運営者のSNSを調べると時折顔が出ていて、当時の凛先輩の雰囲気がわかってちょっと嬉しい。歳が上がるにつれ笑顔が下手になっているような気がするのが面白い。大人になるってこういうことなのだろうか。
賭けない麻雀なら、誰でもお店で打てる法改正が行われて、結構な時が立つ。
今では一部の学校の授業に麻雀が取り入れられたりして、シンプルにすごい人気だ。僕は普通に高校生なので麻雀の歴史には詳しくないけれど、なんだか色んな人の色んな努力があったんだろうことはなんとなく想像できる。
「人が増えるということは、思想が増えるということです。基本的には喜ばしいことですが、衝突が生まれやすい、ということでもあります。特にSNSが発達した昨今では尚更ですね」
凛先輩は、「ウナギ本『紫』」(麻雀の牌効率──効率のいい打ち方? について書かれた本)を開きながら、似たような手牌を三つくらい実際の牌で並べ、見比べて深く考えこんでいる。よく見ると牌の背の色がまちまちなのは、麻雀牌のセットを複数使わないと牌が足りないせいだ。
「その言い方だと、昔の人っぽいですね」
僕が何気なく突っ込むと、凛先輩はむ、と顔を上げて、
「もちろん、私の話も先達の教えを自分なりに解釈したものですから…真に身の丈にあったものとは言えないでしょう。早く大きくなりたいですね」
様々な感慨がこもっていそうな声音でそう言って、しみじみと頷いた。
それが単純に、身長や年齢のことだけを指すものではないことくらい、僕にもわかった。
「いやぁ、凛先輩は充分強いと思いますけど……」
凛先輩の過去を調べたことは、なんだか気恥ずかしいので言いづらい。
しかし凛先輩は、僕の濁したような反応を察して、少し探るような目つきになった。
「……もしかして、調べました?」
「……ちょっとググりました。すみません」
「いえ、隠してはいませんから。ただ、一般的な忠告として、ネットに公開されている情報を鵜呑みにしないこと、とは言っておきます」
凛先輩は淡白に言った。そこまで深くは調べなかったけれど、もっと調べると色々あることないこと書かれているのかもしれない。有名人? は大変そうだ。
当たり前のことだけど、凛先輩には歴史がある。
過去があって今がある。なんらかの理由で麻雀を始めて、もしかしたら誰かに教わって、友達ができたり、喧嘩をしたり、楽しかったり、悔しかったり……色々あったんだろう。
大人から見れば高校一年も三年も変わらないように見えるかもしれないけど……僕にとっては、二年の差はとても大きなものに感じられた。
「やっぱり、経験の差って出ますよね?」
見た限り、高校生大会は三年が優勝することが多い。稀に一年が勝っていたりしてビックリするけど。
「否定はしません。機械工などの職業を例に挙げるまでもなく、繊細な部分に正しく触れられるかは、経験が強く作用する部分でしょう」
「それに、そうであって欲しいとも思います」、と凛先輩は小さく付け加えてから、
「ただ、経験から間違った学習をする可能性がある点には注意が必要です。『三回連続、追っかけリーチに放銃した』からと言って、『追っかけリーチをされないために先制リーチをやめよう』、と学習するのは明らかな誤りです。仮に、段階を『現象』と『分析』と『対策』に分け、それぞれを以下のように行ったとします」
凛先輩は部室にあるノートにサラサラと左手で文字を書く。綺麗でわかりやすい、お手本のような文字だ。
『現象』→『三回連続、追っかけリーチに放銃した』
『分析』→『先制リーチをかけたせいで、追っかけリーチをかけられることになった』
『対策』→『先制リーチをかけなければいいのでは?』
凛先輩は、最後にデフォルメされた悩んでいる人の顔のイラストを付け加え、うんうん、と満足気に頷いてから、
「さて、カケルさん。間違えているのはどこですか?」
「えっ、と……」
僕は考える。
「『現象』は、そういう前提のお話しだから合ってます……よね?」
「そういうことにしましょう。細かい設定を詰めることはできますが、ややこしくなりますから」
「『分析』も、間違ってはいませんよね? なら、『対策』だけ……?」
「なるほど……」
凛先輩は、そこで深く考え込んだ。僕の答えをゆっくり吟味しているような間。
ま、間違えたのかな? 失望させちゃったかな? と僕はとても不安になる。
「……少し、質問を変えますね。この『対策』がおかしいのはわかると思いますが……カケルさんならどうしますか?」
「そうですね……でもリーチ後の放銃って、仕方なくないですか?」
リーチ後に放銃、つまりロンされるのは、避けようがない。いわゆる運要素じゃないだろうか。
「そうですね。『リーチをかけた後に相手の当たり牌を止めることはできない』は真です。では、『この局の、リーチをかけて、追っかけリーチをかけられて、放銃した、という展開の中で自分の行った行動について、反省すべき点はない』は真ですか?」
「ちょ、ちょっと待ってください?」
「どうぞ」
僕が凛先輩の言葉を理解しようと唸っている間、凛先輩は穏やかに熱茶(僕註:麻雀用語で熱いお茶のこと。凛先輩は熱めが好き)をすすっている。
当たり前のことだけど、リーチをした後に手は変えられない。
だからリーチを打って負けた時は、よく運ゲーだとか言われる。
でも、今の凛先輩のような言われ方をすると……そうでもないような気がしてくる。
「ええっと……リーチをかけなければよかった、ってことですか?」
「部分的に正解です。正確には、『リーチをかけてよかったかは検討の余地がある』、ということです。他にはどうですか?」
リーチの後はしょうがない。
リーチの瞬間は検討の余地がある。
となると、残りは……。
「リーチまでの手順が合ってたかどうか……?」
「いいですね。その通りです。リーチのタイミングが一巡違うだけで、話は全く変わってきますから。
つまり……『リーチ後の放銃については、リーチそのものと、リーチまでの手順については検討すべき』、ということです。第一層では」
出た、第一層。
最近気づいたけれど、これを言い出した時の凛先輩は、続きを聞いて欲しそうに微妙にそわそわしている。可愛い。
「だ、第二層だと……?」
「この件に関して言えば、『三回連続のリーチ後放銃は、現象として特筆すべきほどのことでもない。失着を打ったとは限らないし、打っていないとも限らない』です」
「第三層だと……?」
「『そもそもアガリに向かうべき場面だったかどうか、どの程度アガリに向かうべきだったかや、他家をアシストする方面はなかったかなど、アガリ以外の部分でも検討する余地は常にある』、です」
「第四層だと……?」
「『そもそも、「放銃したかどうか」は、検討をするしないにさほど影響を与えない。全ての手順を検討すべき』です」
「第五層だと……?」
「『自分にとって不利な結果が多く現れた部分に極端に注目してしまうのは、自分に起きた不利、あるいは不幸に見える現象を、他人に起きた不幸より大きく見積もっているせいである。それは自分が結果的に不利になりうる判断を選択する際に、判断を誤る要因になりうる』です。……平たく言えば、放銃を怖がり過ぎる原因になるよ、ということです」
「なるほど~……」
層が一旦終わりっぽい雰囲気だったので、僕はとりあえずわかったような相槌を打った。
凛先輩はこほん、とわざとらしく仕切り直す。
「もちろん、自分に起きた良いことや悪いことを重視するのは、人間としては自然です。ですが、麻雀やこの手のゲームの正解を導き出す際は、そのバイアスが邪魔になる場合もある、ということです。この辺りは、私より雪洞が適任ですが……」
雪洞。凛先輩について調べた時に、見かけた様な気もする。特徴的な名前だから、なんとなく記憶に残っている。
それはさておき。
『人間の理と麻雀の理、あるいは人間社会の理と麻雀空間の理は異なる』。
前に言われた、凛先輩の言葉。あるいは、凛先輩が学んだ言葉を思い出す。
僕にはまだよくわからないけど……とりあえず、なるべくそのまま覚えておこうと思った。
「あちっ」
……お茶の熱さに慌てて舌を出す、凛先輩の表情を添付しつつ。