~5.王牌1.犬猿の呼吸~
「あっ、リンじゃん。んだよー、タイミング悪いな」
部室からの帰りがけ、灼は廊下に凛の姿を見かけて嬉しそうに手を振った。
対して、凛は一瞬固まってから、何も見えていない、聞こえていないといった風に真っすぐ歩くことを続けた。
「こらこら」
灼は、通り過ぎようとした凛の手首を掴み、力任せに壁に押し付ける。
「……っ、離してください。貴方に用はありません」
凛は灼を見上げ、キッと睨みつける。
「俺はあんだよ。……ま、でも帰る気分になっちまったからなぁ。適当に雑談だけでいいや」
「相変わらず身勝手ですね。貴方の麻雀そのままです」
「そりゃそーだろ。俺はいつだって俺だ。つーか自分都合じゃねぇ打牌があってたまるか」
灼は当たり前のように言って、手首を掴む力を強める。凛は痛みを悟られないよう、歯を食いしばる。
「……逃げませんから、手、離して」
「やだね。……と言いたいとこだが、叫ばれても困るか」
灼は両手を上げて少し距離を取る。凛は赤くなった手首をさすりながら、灼が来た方向を見た。
「カケルさんに、どんな失礼を?」
「した前提かよ」
「ああ、貴方の基準では失礼に当たらない可能性がありますね。したことをそのまま教えなさい」
「軽く挨拶して、忠告して、取引して、ゲームで遊んだだけだぜ?」
灼はカッカと笑い、凛は露骨に顔をしかめた。
「……一応聞いておきますが、単に遊びに来たんですか?」
凛は呆れながら、しぶしぶといった様子で尋ねる。
灼はまーな、と笑いながら、
「そっちがメインだけど、全高(註:全国高校麻雀選手権。夏と冬に開催)出るだろ? メンバー見とこうと思ってな。なんか雑魚一匹しかいなかったけど」
「……貴方だって、生まれた時から麻雀が上手かったわけではないでしょう?」
「そういうさー、誰でも勉強すればプロ棋士(註:プロの将棋・囲碁などで対局することを主な職業とする人)になれるみたいな嘘はやめろよな。才能の差はあるだろ、笑っちまうくらい」
凛は「残酷なほどに、でしょう」と言いかけたが、灼の発言を肯定することになるので口を噤んだ。
「わかってんだろ? あいつをいくら育てても、お前より強くなることはない。時間の無駄だ」
「……貴方にだって、未来を見通す力はない。第一、貴方は忘れがちですが、麻雀はただのゲームです。10年後まで続けていなくて当たり前です。だからと言って、麻雀で学んだことが、他で活かされないとは限らない。その程度でいいんです」
「だったらなおさら無駄足じゃねーか。せっかくわりかし強いんだから、素直に最強だけ目指しとけよ!」
灼は苛立ちを露わにした。その反応を見た凛は、わずかにほほ笑む。
「……貴方とは死ぬまで意見が合わないと思いますが。その真っすぐさだけには好感が持てます。ですが、私にとっての理想の強さとは違います」
「弱い言い訳にしか聞こえねーけどな」
「一応言っておきますが、勝ち越しているのは私です」
「覚えてねーけど、最後に勝ったのは俺だろ?」
「ガバガバじゃないですか」
そこで二人は、先ほどまでの険悪さが嘘のように笑い合った。二人の間でのある種の儀式のようなやり取りだった。
「じゃーな。次は雀卓で会おうぜ」
「同卓拒否が出来ない場面でなら、お相手しましょう。暴力沙汰で捕まらないようせいぜい注意してください。せっかく向上している、麻雀打ちのイメージが悪くなりますから」
「そう言われると、暴れ散らかしてやりたくなるなぁ……」
灼は振り返らず、軽い足取りで去って行った。
凛はふぅ、と一息ついてから、乱れた髪型や服装を整え、部室へと向かって行った。