~2.麻雀と体の運動、あるいは心の運動~
「1、2、3、4、5、6、7、8、9、30……」
凛先輩が、学校の屋上で素振りしながら数を数えている。
1から9までは中国語読みで、10の倍数だけなぜかイタリア語読みだ。中国語のほうは麻雀で使う読み方なのでまだわかるけど、イタリア語はなんだろう。趣味だろうか。
素振り、と言ってもバットやラケットを振っているのではなく、牌をつまんだ左手──凛先輩は左利きだ──を少し斜め下方向に前後させている。素早く、かといって力んでいる様子は見えない、洗練された動きだ。
リアルの麻雀では、一打ごとに「山」(カードゲームで言う「山札」と同じ)から牌を持ってきて、何かを捨てるという作業が必要になる。その練習、ということなんだろうけど……率直に言って、なんだかおもしろい。
「……カケルさんもやりますか?」
額の汗を拭いながら、凛先輩が聞く。その顔は大真面目だ。
「……麻雀で素振りって、意味あります?」
僕が尋ねると、凛先輩は少し目を泳がせた。
「……意味はあります。第一には、運動ですね。と言っても、運動不足で困ってはいませんが。これでも、筋トレもしていますから」
「麻雀で筋トレまで……?」
僕は困惑する。
「筋肉は日常生活に役立ちますよ。それに、荒事に必要ですから」
「え、先輩ケンカとかするんですか?」
「相手が望んできた場合、止むを得ず応戦する場合はある、ということです」
先輩は心外そうに少し目を尖らせた。
「はぁ、なるほど……。でも、運動が足りてるならやっぱり素振りはいらないんじゃ……?」
僕がなおも首を傾げると、先輩はもっともそうに頷いた。
「気休め、いえ、気晴らしではあります。実戦の中で行う動作を無意識に行えるようにすることで、他のことに集中できるようになる……という面もないことはないと思いますが」
先輩はそう言って、茜色の空を見上げて目を細めた。それから、
「ラスを引いたら、間を置くのが大事ですから。……私が引いたとは言ってませんよ?」
と、悪戯っぽく続けた。妙な圧力に、僕は愛想笑いを返すしかなかった。
確かに、ラス(ビリ)を引いたあとは、どうしても打牌が雑になってしまうものだ。気分転換も大事だろう。
「いわゆる『熱続行』はダメ、ってことですよね」
凛先輩によく言われることだったので、僕は覚えてますよアピールをするためにドヤ顔で言った。
『熱続行』とは、平たく言うと「(前回の結果が悪くて)イライラしたり興奮している状態で、次の勝負を始めてしまうこと」だ。大抵はラスを引いた時に発生する。
凛先輩は目を閉じ、深く首肯して、再び素振りを再開しながら口を開く。
「私は、『熱続行』の他に『萎続行』もあると思っています。『どうせまた負けるんだ』と冷めた態度で打ち続けるパターンですね。どちらも勝率を下げるので、休憩を取ったほうがいいのですが……どちらにせよ平静ではないですから、自己診断でそう判断するのは難しいですね」
「じゃあ、どうすれば……?」
「普段から連戦しないようにするか、メンタルがブレても負けないほどに地力をつけるか……外付けの観測機器を用意するのもいいと思います。知人友人ですね」
「なるほど……」
「一番大事なのは、冷静でない自分を認めることです。常に冷静なのがベストですが、自分が冷静でないことを認められないよりは、認められるほうが百倍マシですから」
ふぅ、と凛先輩は素振りを終えた。
凛先輩は冷静沈着に見えるけれど、人間的な感情と無縁ではないようだった。
「いい時間ですから、帰りましょうか」
言われてみれば、そろそろ部活を終える時間だった。凛先輩といると、いつも時が経つのが早い。自分がずっとラスの半荘は、三時間ぐらいに感じるのに。
ふと気になって、僕は凛先輩に尋ねてみた。
「先輩が一番イラっとするのって、どんな時ですか?」
僕の問いに振り返った凛先輩は、困ったように少し口を尖らせてから、自嘲するように微笑んで、言った。
「自分の打牌が、自分の理想にとても届いていない、と感じた時です。つまり、いつもですね」