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#73.5 すれ違いが重なる時

 走った。走った走った走った。風よりも早く、ってのは大げさかもしれないけど、ローファーで踵が擦れるのも気にせず、私は前へ前へと足を動かした。

 目指す場所に向かうため、話したい人と会うために。


 忘れ物を取りに、帰り道を引き返して戻った教室。夕夏とトモちんが喋っているのを見て、安心した。最近、なんか喧嘩してたっぽかったから。放課後に二人っきりで残ってるくらいだし、きっと仲直りできたんだろうなって。


 盗み聞きにはなるけど、話が終わるまで待つことにした。せっかくの二人の時間だ。空気を壊したくはない。でも――


『モテ男君はさ、新宮君のおかげでずっと好きだった桃にアタックできるようになったわけだけど』


 その判断は、失敗だったかもしれない。絶対、私が聞いちゃダメな内容だった。続きが気にならないと言えば嘘になる。だから私は、息を殺してその先を聞こうとした。


 それを邪魔したのは、バイト先からの電話だった。静かな場所で、着信音は目立つ。バレた、そう思って私は一目散に駆け出した。

 直感は正しかった。後ろから、誰かが私を追いかけてきたから。


「はぁっ、はぁっ……」


 それから、私はずっと走り続けている。後ろの足音はしないから、追われてはいないはず。振り返る余裕も、今の私にはなかった。


「はぁっ……はぁ……」


 目的の場所に着いて、私は足を止める。上下する肩が、上がった息とシンクロしていた。

 私は、インターホンに手を伸ばす。その上の表札に、茂木と書かれていることを確認して。


 呼び鈴が鳴った後、聞き慣れた声が応じる。


「桃、どうしたんだい?」


 少し困惑したような、驚いたような様子。それもそうだ、忘れ物を取りに帰ると別れた私が、急に家を訪ねてきたんだから。


 走って、体が熱い。心も火照っている。緊張とか、恥ずかしさとか、本当なら湧いてきそうな感情が熱で鈍らせられているみたいだ。

 そのせい(おかげ)で、私は躊躇うことなく口を動かせた。数年ぶりに、彼の名前を呼ぶために。


「颯斗君……!」


 インターホンの先で、息を呑む声が聞こえる。それからすぐに、家の扉が開いた。

 姿を見せた彼は、Tシャツと短パンという、リラックスした格好をしていた。


「桃……どうしたんだい……?」


 さっきと同じ言葉。けど、直接聞いた分、声の震えが強く伝わってくる。


「はぁ、話があるの……あ、でもちょっと待って、息整えさせて……!」


 返事を待たず、私はその場で深呼吸をする。呼吸は落ち着かせても、今私を動かしている熱は冷ましちゃいけない。下手くそだとは思うけど、これは神様が与えてくれたチャンスなんだ。


「ふぅ……」


 ちゃんと喋れるようになったところで、正面の相手を見た。ただじっと、律儀に私を待ってくれている。多分、聞きたいことだらけのはずなのに。


「えっと、まずはごめん!」


「え……?」


 いきなりなんのことだ。そう思われても仕方ない。でも、謝らないわけにはいかなかった。


「私、聞いちゃったの。夕夏とトモちんが話してるところ……」


「二人、仲直りできたんだね」


「うん……じゃなくって! 私が言いたかったのは、それじゃなくて……!」


 握った拳に、力が入る。言わなきゃダメだ。聞かなかったフリなんてできなかった。だってそれは、願ってもないことだったから。


「颯斗君が、わ……私のこと好きだって……二人が言ってて……」


 颯斗君は目を丸くする。もちろん、意外だったんだろう。私も、こんな形で好きなことがバレるなんて思わない。


「その……ごめん、私も聞くつもりはなかったんだけど……」


「忘れ物を取りに帰ってたまたま、ってことか。うん、仕方ないね」


 文句も言わず、フォローすらしてくれる颯斗君だけど、いつもみたいな余裕は感じられなかった。


「……聞いてもいい?」


「どうぞ」


「私が好きって、本当なの?」


「……友哉達が、そう言ってたんだろ?」


「そうだけど……! 二人が言ったってことが、颯斗君の気持ちを証明してくれるわけじゃないでしょ?」


 自分の口からは言わないで、二人が言ったから間違いないって認めようとしている。けど、そんなの嫌だ。


「私は、颯斗君から聞きたいの。どう思ってるのかとか、どうしたいのかとか」


 それが聞けたら、私もきっと言えるはずだから。


「僕は……」


 俯く颯斗君。これが告白で呼び出した状況なら最悪だと思うけど、今は好きだって又聞きした本人に問い詰められている。「私のこと好きなの?」と聞かれて、「はい」と即答できる方がすごいかもしれない。


「僕は、桃のことが好きだ。中学の頃からずっと、今も好きでいる」


 嬉しかった、待ち望んでいた言葉。でも気になることがあった。それなら、どうしてあんなことをしたんだろう。


「なんで、彼女作っちゃったの?」


 私のことが好きなら、アタックしてほしかった。そうしたら、もっと早く……。


「ごめん、実はそれ嘘なんだ」


「嘘?」


「僕は今まで、彼女がいたことはないよ。だから、昔に別れてたっていうより、彼女すらいなかったんだ」


「好きってことがバレてるし、もういいかな」と、颯斗君は言う。私には、何がなんだかさっぱりだった。

 いもしない彼女がいることにするなんて。それが嘘だって知ってたなら、私はこんなに悩むことなかったのに。


「桃……?」


 優しい声色で、自分の頬に涙が伝っていることに気付いた。流れる水分が、火照った体を冷まそうとしている。


「そんな嘘吐かなかったら、私も頑張ろうって思えたのに……。彼女ができたって言うから、私にはもうチャンスがないって……」


 今まで溜め込んでいた感情が、目元から溢れ出してくる。

 彼女ができた、あの日告げられた事実は私に重くのしかかった。でも、それなら精一杯応援しよう。彼が幸せになれるように、自分の心は押し殺そうって。


「ずっと好きだったの……私も、颯斗君のことが……! 森口先輩に告白されて、彼氏を作ろうって話になった時、恋人になるなら颯斗君以外考えられなかった。けど、颯斗君には彼女がいるからって諦めてて……」


「僕の嘘が、桃を傷つけた。本当に申し訳ないと思ってる、ごめん」


 そう言って、颯斗君は頭を下げた。その行動から誠意を感じられないほど、私は鈍感じゃない。


「それでも、僕は桃が好きだ。いつか恋人になれたら、そう夢見ていた。だから、謝った後に言うべきじゃないかもしれないけど、言わせてほしい」


 颯斗君の瞳が、真っ直ぐ私を見据える。霞んだ視界でも、視線に射抜かれていることは感じられた。


「好きだ、桃。僕と付き合ってほしい」


 返事は、最初から――彼に恋をしたあの時から決まっていた。笑みを浮かべると、細めた目からは雫が零れた。

お読みいただき、ありがとうがとうございます。

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