#23 数十センチで変わる世界
電車を乗り継ぐこと約三十分、俺達は今日本の都を見下ろしていた。四百メートル越えの高所から見る景色は、非日常感があると同時に背筋が凍る恐ろしさを湧き立たせる。
綺麗なことは間違いないんだが、一歩引いて見ないとありもしない落ちた時のことを考えてしまう。どうやら、俺には人をゴミのようだと笑う冷酷さはないらしい。
「みんな見てよ! 人がゴミみたいだよ!」
「ちょっと桃! 声大きいから!」
……あー、言っちゃったよ。
井寄は手すりに体を密着させ、前傾姿勢で景色に目を輝かせている。怖いもの知らずというのは、彼女のような人のことを言うのだろう。今日が一般客の少ない平日で良かった。
「桃はすごいね。……さすがに僕もあそこまで近づけないな」
「だよな……俺も無理だ」
「二人とも怖いのか?」
「ちょうどそうやって共感しあってたところだ。堂島は平気そうだな」
出で立ちも変わることなく、堂島は堂々とその場に佇んでいた。微動だにしない様は、まるで山そのものだ。
「俺が平気に見えるか?」
「ああ、僕達と違ってどっしりと構えてるしね」
「それはな……」
軽く俯き、堂島は言葉を濁す。よく見ると、冷房完備の環境でもあるにもかかわらず額に汗を滲ませていた。筋肉の熱由来かとも思ったが、なんだか様子がおかしい。
「……床が抜けたらと思ったら、ここから一歩も動けなくなった」
俺達の中で一番重傷なのは、堂島だったようだ。情けない話だが、男子組は高所に耐性がないと判明した。堂島に至っては、どうして場所決めの時に申告しなかったんだと思うくらいにピンチを迎えている。まぁ、高いところを怖いと感じるかは上ってみるまで分からないからな。俺も、自分がここまで怖がるとは思っていなかった。
そうして結束を強めていた俺達のもとに、井寄がやってくる。
「男子、なんか暗くない? いい景色なんだから見とかないと勿体ないよ?」
「ここからでも十分見えてるよ」
「もう、近くで見た方がもっとすごいんだってば!」
井寄はそう言って茂木に迫ると、その手を取って回廊の縁へ連行する。
「ちょ、ちょっと桃さん? それはいくらなんでも……」
爽やかイケメンも、この状況には狼狽えている。哀れなり茂木。俺は心の中で合掌する。
「と、友哉……助けてくれ……」
「……悪い、無理だ」
懇願する茂木から、俺は顔を背ける。茂木とは友達だけど、助けに入る度胸は持ち合わせていない。俺だって、怖いものは怖いのだ。
「友達を見捨てる悪い人は、こうだよ」
その声が聞こえた途端、明海が俺の手首を掴んだ。久方ぶりに感じた彼女の温度を意識する余裕もない。その行く先が茂木と同じく、最も近く景色が見られる場所だからだ。
助けを求めようと振り返るが、足を縫いつけられた堂島が動くことはない。そして、残った九条の影が近づいてくる。
「ど、堂島……!」
振り絞った声に目を見開いた堂島だったが、やがて諦めたように目をつぶり、首を横に振った。堂島のやつ、自分の運命を悟って……!
仲間の覚悟に心を揺さぶられたのも束の間、耳を疑うようなやり取りが聞こえてくる。
「これ、私もやらないといけないのかな」
「勘弁してくれ……」
「ん、分かった」
なっ、許されただと……! おい堂島! 俺達の結束は嘘だったのかよ! 抗議に出たくても、俺の体はもう死地へと向かっている。……ああ、茂木はさっきこういう気持ちだったんだな。自分の非情な行いを反省し、後で彼に謝ろうと心に決めた。
だが、改心したところで動き出してしまった運命は止めることができない。明海に連れられるがまま、俺は透明な板と対面することになった。
「どう? 遠くから見るよりも綺麗じゃない?」
隣から、明海が尋ねてくる。残念だが、俺は怖くて目が半開きだ。だから景色の全容を視界に捉えることができていない。
「しょうがないな」
すると、明海は手首を包んでいた手を滑らせ、俺の手をしっかりと握った。
「私がついてるから。これなら怖くないんじゃない?」
ただ手を繋いでいるだけなのに。不思議と感じていた恐怖が引いていくようだった。その感覚にどこか懐かしさを覚えながら、俺は徐々に目を開ける。
「……本当だ。すごい綺麗だな」
目の前に広がる光景も、ガラスに反射する明海の表情も。遠くから見ていただけじゃ、きっと知ることはなかった。たった数十センチ先に、こんな素敵な世界が広がっているなんて。
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