#2 春は遅れてやってくる・下
「何が目的だ?」
おずおずと問いかけると、明海は愉快そうに声を跳ねさせる。
何が面白いのか全く分からない。これが、陽キャのツボというものなのか?
「何も企んでないってば。そのノート、私も面白そうだと思ったの。でも、それだけで新宮君の彼女になるのは微妙だからさ、お金もらっちゃおうかなーって」
「普通にバイトするよりも楽しそうでしょ?」と、明海は口元に弧を描いて言う。可憐に見えたはずの彼女が、仕草一つで扇情的な表情を覗かせた。
目の前にいるこの美少女が、俺の彼女になるっていうのか? ……いや、待つんだ。世の中には、嘘告白なるものがあると聞いた。陽キャの間で罰ゲームとして流行っているとかいないとか。
俺みたいな陰キャに告白するという行為は、陽キャにとっては耐え難い屈辱、恥辱なのだろう。そうでなければ、『罰』ゲームにはならない。
俺は、辺りを見回して明海の仲間を探す。スマホで動画を撮っているだろうか。それとも、ドッキリ大成功というプラカードを持っているのだろうか。
けれど、どれだけ物陰に目を凝らしても、ウェーイと効果音が出そうな輩が姿を見せることはなかった。
「ちょっと、話聞いてる?」
「どわっ!?」
気付けば、明海は階段を下りて俺の前にいた。目線を合わせるように屈んでいるせいで、明海の顔はこれまで以上に近い。
整った目鼻立ちもさることながら、肌はきめ細かく、長い睫毛はくるりと上を向いている。近距離でも崩れることのない美貌がそこにあった。
後ずさった俺は、再び壁に背中を強打する。下がる方向を間違えれば、またしても階段を滑り落ちるところだった。
「それで、私の話も聞かずに何を見てたのかな?」
明海は俺が見ていた方向に目をやり、戻ってきた視線で俺を追及する。その瞳に吸い込まれそうになるのを堪えながら、俺は目線を彷徨わせて答える。
「その、そこら辺の物陰を……。この罰ゲームにいつオチがつくのかと思ったら、気が気じゃなくて」
「罰、ゲーム?」
明海は首を傾げる。人間の言葉が通じない異世界人みたいな反応だ。
(異世界人……我ながら最高の例えだな)
そんな小さな満足感を抱いたのには、理由がある。なぜなら、スクールカースト上位の人間は全員、俺からすれば別の種族みたいなものなのだから。
しかし、初耳と言わんばかりの反応をされれば、結論は自ずと出る。この一連のやり取りは、罰ゲームでもなんでもなく、ただ明海が善意で行っていたということだ。
「いや、俺の気のせいみたいだ。悪い」
酷い勘違いをしていた。相手が陽キャだからといって、必要以上に警戒をしていたらしい。青春を謳歌するためには、俺もそちら側にいかなければならないというのに。少なくとも、明海夕夏という人間は信用していいのかもしれない。
「いつまでそんなとこ座ってるの? ほら」
差し出されたのは、明海の右手。さっき俺の手を包んだ、温かく柔らかい手の平だった。
あの熱が思い出されるが、俺は彼女の手を取った。恥ずかしかったはずなのに、なぜだろうか。多分、河原で喧嘩した後のワンシーンみたいだと思ったからだ。
恋人との甘い場面ではなく、友達との熱い場面。これには俺も青春を感じずにはいられなかった。家に帰ったら、この項目を書き足そう。
内容はそうだな……『友達に立ち上がらせてもらう』とかか。
ふと、明海の提案が頭を過る。
『私が君の彼女になってあげるよ』
そうだ。日給で雇うとはいえ、明海は俺の彼女になってくれるのだった。となると、『彼女に立ち上がらせてもらう』か? 相手が変わった途端、めちゃくちゃ情けなくなってしまった。
「改めてよろしくね、新宮君」
「あ、ああ、よろしく……」
立ち上がると、明海が正面から笑いかけてくる。その笑顔が眩しくて、今が夕方であることを忘れてしまいそうだった。
「わっ、もうこんな時間! 残ってることバレたら、先生に怒られちゃうよ」
鳴ったのはチャイムか、それとも俺の胸だっただろうか。悪戯っぽく目を細める明海、その背中に俺も続いた。
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